砂埃
地面一面に敷かれる真っ白な砂利がジリジリと空気を焼き、吹き上がる様な蒸し暑さ。
突然実戦に突入することになった訳だが、やはり心の準備ができていない。ついでに未だお腹の中が被災中。復旧の見込みが立ちそうに無い。入っているものほぼ全部吐いてしまったから空腹でもある。
しかし、そんなことを他所にガラドウが張り切らない訳が無かった。
「ではルールの説明をする。制限時間は三十秒。どちらかがかすり傷、または血を流した時点で終了とする。特に鼻血をおすすめする。それ以外で問題が有った場合、江美子舟明審査員が止めに入る。以上!!」
「以上!! じゃねーよ、鼻血って何だよ。女の子が鼻血出す事態になんかになったらどうするんだよ!」
「大丈夫だ。鼻血が出たぐらいでは死なん。それに相手が負ける前提とは。自分の心配は必要ないと言うのかね? 芦舟きゅん?」
「僕が言いたいのはそういうのじゃない……」
ガラドウには前からデリカシーと言うものがない。それに一先ず揚げ足を取るのが目的という節がある。一度掴んだ足はどれだけ振り回しても相手がコケるまで離さない。
自分が決めた事は最期までやり抜くという意気込みは良いが、自分が嫌がらせにそれを捧げてしまっていることにそろそろ気付いて欲しいものだ。
「私大丈夫ですよ。鼻血くらいならしょっちゅう出してますから」
「いや、え? そうなんですか?」
「はい、鼻血も訓練の一貫だと教官が言ってました」
ヤマメさんは一体どういう環境で生きてきたのか? まあ、完全に納得行かないと言うわけでは無いが。しかし、そんな環境でもこんな美人でいられるとは、やはり天使か何かなのであろう。
「父さんも何とか言ってよ。鬼神だとか言われた有名人なんじゃないの? そんなに強いんなら血が流れるなんて事になる前に止めてよ」
「鼻血はいいモノだ」
父はガラドウの横で腕を組んで仁王立ちしている。ふんぞり返って取り合わない。
鼻血のどこが良いのか鬼神ではない僕には分からない。が、絶対この人も楽しんでいるということは分かる。
「おいお嬢ちゃん。その科学兵器は着けたままでやるのか?」
ガラドウが嫌味を言うような調子で聞く。
「いいえ、あらかたは外しておきました。でも姿勢制御装置だけは許可をお願いします。いくらなんでも素手で相手できるとは思えないので」
ヤマメさんが爆参時に使用していたという、最先端の科学兵器を全身に身に着けている。
飛んできた時に現れた丸い円みたいなのは重力砲射出何とかとかいう名前らしい。とにかく鬼神とタッグを組める程に実力を付けた訓練されたエリートなのだ。
このレベルの携帯兵器が実戦投入されるのは稀で、上級術者の現界甲冑を軽く凌駕する性能を持つらしく、完全武装で戦ったら勝ち目が無いことは確かだった。今回はあくまで隠密作戦であるため銃火器は持ち込んでいないのだそうだ。
「うむ、別にどれを使用しても良いぞ。なんなら完全武装しても構わない」
ガラドウがけしかける。
本当に止めて欲しい。鼻血ですまなくなる。助けを求める様にヤマメさんに目線を送る。すると目が合い、コクリと頷いてくれた。長い髪が靡く。やはりこの人は天使なのだ。
「私はこの装備で行かせて貰います。大きなものを背負うのは苦手ですから」
「フン、後悔するなよ」
流石に、腹が立って来た。石でも投げてやろうか。
手を伸ばし屈もうとした矢先父が吠えた。慌てて背筋を伸ばす。
「では! これから実践組手を行う。ルールはいま説明した通りだ。互いに悔いの残らない組合をして欲しい。開始の合図は、数えて最初に聞こえた動物の鳴き声とする。聴き逃しは両者負けに直結だと思え。それまでの間、両者共に後退を続けるように。では……」
「始め!」
一歩一歩確実に、重心は一点で動かない様に後退した。ヤマメさんがゆっくりと小さくなっていく。
聞こえてくるのは砂利を擦る音、木々のざわめき。その中に一色でも生き物の色が有れば即座に反応出来るだけの余裕を。力を確実に使えるよう、気を確かに持つ事に集中する。
今まで気にも止めなかったが、確かにこの辺りは鳥が多い。
とくにカラスは上空で意味もなく鳴いている気がする。動物の鳴き声とはそういう事だろう。
ヤマメさんとの距離はもう直ぐ約100メートル。顔を認識出来ないほど遠い。
しかし、ヤマメさんがあの時の力を発揮すれば一瞬で縮まってしまうであろう距離だ。
相手の出方を見つつ、カウンターを合わせる以外に勝機は無い。
隙を作れば殺されそうな気さえする。ガラドウ式防衛術には構えが無いのだが、ここでは何かしら構えをしなければ、体勢の隙から隙間風が入ってしまいそうで落ち着かなかった。
右手と右足を前に押し出し、手首を捻って前かがみの姿勢になる。こんな構えは見たことが無かったが、どうにか落ち着けるようだ。ヤマメさんはと言うと、構える事無く静かに後退を続けている。彼女にも構えは無いのだろうか?
昼の太陽がうなじを焼く。流れてくる空気は温かい部分と冷たい部分が交互にやって来るかと思うと、あっさり規則性が乱れる。
鳥は未だ鳴かない。時間と風の流れがリズムを刻んでいるようだ。1秒1秒が長く引き伸ばされる。
しかし、何かが飛び立つ気配も、まして鳴き声を上げる気配も全く無い。
感覚は益々研ぎ澄まされ、さらに鋭くなっていく。
感覚の刃は徐々にその形を細く冷たくし、広がっていく距離の間を巡った。
今なら目を瞑ってでも辺り一面の全ての動きを感知できる様な気さえする。
それでもなお、鳴き声らしき音は聞こえない。永遠に続く予感さえするこの沈黙の時間。只全身を感覚することだけに心血を注いだ。
突如、研ぎ澄まされた刃が一部絡まる様な感覚が有った。完璧に思えた広がりがほつれ、斑な模様を作り始めた。模様は足元まで及び、そして一気に元の真っ直ぐな直線にその体を張り詰めた。
空気が揺れた。それは間違えなく音だった。只その揺れ様はもはやひび割れに近く、空気よりも大地を揺らす為に発せられたようだった。
オオオオオオオ!!!
鳴き声と言うよりは雄叫び。初めに鳴いたのはバケモノの声。
震える空気を他所に、100メートル超えの長い距離は縮み上がった。距離は残すこと後、10メートル。予想通り激的に縮んだ。
僕はまだ動いていない。仕掛けたのはヤマメさん。蹴りあげられた地面はめくれ上がり、やはり爆散した様に見える。舞い上がってもなお突進の速度は速まり、前方に落下していると言っても良かった。姿勢制御装置とやらは惜しげも無く能力を発揮し空を切り裂く。
だがこの程度の速度はもはや見慣れていた。
低くした姿勢を更に低く、全身のバネを活かし後方に飛んだ。
ヤマメさんの動きは変わらず、只真っ直ぐ飛んで来るのは見なくても分かる。
反転した視覚の天井にあたる地面に両腕をつき、背骨と腕が直線になるまで一気に全身を回転させる。
思い切り足を振り回した。
足の先に何かが触れる感触。
望み通りの感触。
ここまで来れば蹴り 抜く だけ。
けたたましい放出音と共に青い光が明滅し、地面を抉る。
体を横に投げ出し、地面との接触に備える。
が、飛んだのと逆の方向から腕を掴まれ勢い良く引き戻された。急に曲がった関節が音を上げる。
「終了だ。勝負有った。これ以上の戦闘は認めない」
父のドスの利いた声だ。景色がぐるりと変わり、意識が飛びかける。どうやら父の止めが入ったらしい。強引に。掴まれた右足がキリキリと痛い。
「よくやったぞ、芦舟」
ガラドウの上機嫌な声が聞こえる。反転した景色と次第に鼓動も聞こえて来た。舞い上がった砂利がバラバラと降ってくる。
すぐ隣で真っ黒な軍服がなびいている。父がヤマメさんと僕を、足を掴んで釣り上げているのだ。
信じられない、さっきのスピードの間に入れる隙は無かったはずだ。それなのに、父は気配も無くいきなり間に割って現れた。
「えへへ、どうやら負けみたいだね。先手必勝だと思った何だけどなー」
ヤマメさんは綺麗な顔立ちに一本の鮮血を引きながら隣で笑っている。ああ、やっちまった。鬼神も大好き鼻血だ。
父は優しく僕とヤマメさんを地面に降ろした。真白な砂利が小さく赤く染まった。
「……すみません、つい力が入りすぎちゃって……。大丈夫ですか?」
「いやいや、勝ったんだからもっと堂々として良いよ。私体術には自信有ったんだから」
ヤマメさんが細い指で鼻をそっと覆い笑った。白い肌を赤が伝う。
「それより聞いたか? あの鳴き声。あれは間違えなく霊獣だぞ。気づかれたか?」
ガラドウが頭上で言う。そう言えば確かにあれはおおよそ動物の鳴き声とは言い難い物だった。
「そうです。あれが今回の除去対象、コードネーム ボラトリア、未確認の霊獣です。大丈夫ですよ、大分遠い所に居るみたいですから。それに、山に侵入しないと襲っては来ません。あっどうも」
ヤマメさんが父から手渡されたハンカチで血を拭った。咆哮の余韻を表すかのように風で木々がざわめく。
「あの声を出せるとなるとかなりの大きさですね」
「体長約十メートルの巨体。加えて見た目の凄まじさ。これは実際に見てもらった方が良いね」
何だかカッコいい怪獣では無いようだ。只凄まじい見た目とは一体どんな物なのだろうか?
「所で、あの……僕は合格ですか?」
「うん、私としては百点満点中百二十点あげたい所。宜しくね、芦舟君」
目の前の少女の笑顔は何処までも明るかった。鼓動が早くなり全身の血液が依頼解決への決心を固めていくようだ。
僕はこの人の力になりたい。
「どうよ嬢ちゃん。俺の防衛術は強いだろ~そうだろ~」
「そうですね。今まで見た中で最候補の反応速度です。正直驚きましたよ芦舟君には」
「芦舟ではなく防衛術の方」
「え? あの構えですか? デタラメに構えているようにも見えたんですけど」
「あれは我が防衛術七十二項 朝文殊の構えだ。なあ芦舟」
「知らんな」
黒い塊に後頭部を撃ちぬかれる。
砂利と砂利の間を縫って雑草の頭が出ていた。




