不安の種
また日が昇ってきた。どうやらもう出発の日らしい。
今まで家の中に閉じ込められていて、あんなに夢見た外の世界とご対面である。しかし、事がこんなに急だと喜んでいる暇もなかった。
毎日来ている服といえばジャージのなのだが、今日着るのは特別製だった。父はいつもと変わらない様子でこっちへ来いと言うと、ずんずん座敷を進ん行き、突き当りの部屋の押し入れを開けた。
何も入っていないはずの押し入れの奥の壁を父が軽く蹴った。すると、奥の壁が裏返り、もう一つの収納が姿を現した。一体この家はどうなっているのだろうか。そこから出てきたのは2着の戦闘服らしき代物だった。
色は黒で統一されており、動きやすいよう関節の部分は薄い素材が使われていているが、逆に他の部分は分厚い素材に覆われている。見た目は重量感満載だが、手に持ってみると驚くほど軽かった。
「どうだ、こういうこともあろうかと準備しておいた物だ」
「こんな凡庸性のない物買うなら家の見た目だけでもリフォームして欲しかった」
「ああ分かった、文句垂れ無いで早く着ろ。迎えが来るぞ」
父が急かすように言いながら戦闘服に腕を通した。すると一見ブカブカに見えた服が一瞬で体に馴染むよう調整された。僕もそれに習って腕を通した。服は収縮し、ゆるすぎずきつすぎない絶妙な形に整った。
「こんな着心地がいいんだったら、毎日着たかった」
「お前は言ったことに責任を取るべきだ」
「おーい、舟明―早く磨いてくれー」
隣の部屋でガラドウが呼んでいる。行ってみるとガラドウが特性タオルと隣り合って行儀よく置かれていた。
「今日は隅から隅まで頼むぜ、大事な日なんだ。しかし……二人共、中々奇抜なセンスだな、それ」
「どうだ、これに勝る機能性とデザイン性を超える代物はそうは無い」
父が自信満々に言う。父がいうことはあながち間違っていない。ガラドウが言う奇抜がどんな物かイマイチ分からないが、この服は実際かっこいい。
父がガラドウに歩み寄り、タオルと甲冑を大事に抱え磨きだした。こうして見ると、仲の良い兄弟のようだ。まあ、生まれた時から一緒なのだから、兄弟なのだが、普段こんなに仲良く一緒にいることはないから珍しい物を見たような気になる。
「ああそうだ、お前たちに今回の依頼の特殊性についての説明がまだだったな」
父が磨く手を休めずにつぶやく。
「僕は家から出られればなんでもいい」
「俺は防衛術を世に送り出すのが使命だ」
父が呆れたように言う。
「お前たち相変わらずだな。まあいい、依頼を受けるからには聞いてもらう必要がある」
一息置いてから、更に続けた。
「まず1つこの依頼は政府直々の依頼で秘密裏に行われるため、口外無用である。2つ、期限は3日であり、この間に任務が成功した場合は多額の賞金が出る。3つ、俺達とは別に政府からのプロフェッショナルが同行する」
「期限3日? そんなんで終わるわけ無いだろ? あの山かなりでかいぜ」
声が上ずるガラドウを横目に、父はあっさり付け加えた。
「プロフェッショナルなる人が同行するなら大丈夫だろう。何にしても又とない機会だ。無駄には出来ん」
父が語尾を強めて言い放つ。なんだか心配になってきた。
「これも一応渡しておく」
父が差し出した手には紙で出来た丸い箱が握られていた。
「何これ?」
「これはお前のその目玉を収容できる特別性の箱だ。なんだかんだで人には会うから、使うのが先決だろう」
目の前に有る物体の現実感に視界が歪むようだ。とんでもない物を出して来た。今まではこの真っ赤な目玉を収容しようとする度に失敗の一途を辿りに辿った。しかし目の前のこれは今までの努力を何食わぬ顔で踏みにじる。
自然と頭に血が上り、父を力いっぱい睨みつけた。この際、保護者と呼んで良いのかさえ疑わしい。
言及の権利は今発揮されるべきだ。
「何で今まで隠してたの? それさえ有れば……」
「これが完成したのは一昨日だ、そんな事より準備を進めよう」
父は勢い良く立ち上がり、有無をも云わさぬと言った様子でいそいそと襖の奥へと消えて行った。
言及すると言っても、又もや言葉が浮かばなかった事もあって、唯呆然と立っている事しか出来なかった。
「良かったじゃないか、これで我が防衛術が広まり易くなったという訳だ」
ガラドウが嬉しそうに言い添えたが、意識は父の消えた背中と白い箱とを行き来した。
山程募る不満を押し込め。取り敢えず頭上の赤い球体に手を伸ばした。
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呼び出しのチャイムが鳴ったのは午前8時頃だった。早く起きて準備した割りには遅めの到着だったが気分は悪く無い。外を見ると黒塗りの細長い車が止まっている。恐らく曲がりづらい。
万を期して玄関へ向かった。道場は玄関とは反対にある。加えて家出をしようとする時はいつも窓からなので玄関に立ったのは本当に久しぶりである。
外へと続くドアにはガラスが付いていて、溢れんばかりの光が漏れている。
戦闘服とセットだという下駄を履き、一番乗りでドアに手を掛けた。
ドアから道路まではかなり近く、目の前に漆黒の車体の輝きがあった。分かってはいるが、試しに道路側に手を伸ばしてみると、そこにいつもあるはずの結界はなかった。
車に近づく、立っていた運転手が顔に僅かな笑みを浮かべ、ドアを開けてくれた。中は外側がぐるりと黒いソファで囲まれており、真ん中に細長いテーブルが置かれていた。その割にはかなり開放感があって、何よりも高級感がすごい。際限無く反発するソファは今まで嗅いだことのないツンとした香りを発している。
振り返ると父が靴を履き終えたところだった。
全員が席につくと運転手が運転席に乗り込みスピーカーごしに告げた。
「はじめまして江美子様。私、今回運転手を務めさせて頂きます佐藤と申します。どうぞよろしくお願いします。到着までおよそ2時間となっています。それまでの旅のお供をさせて頂く所存です。楽しんで頂ければ幸いです」
ガラドウがしきりに頷くように震える。僕も頷く。この状況では緊張しない訳がない。しかし父一人は他人事のように全く動じる気配が無かった。両手を放り出し、豪快に足を組んでいる。
車が発車した。景色が次々と流れていく。建造物の形は様々で瓦を背負った古民家から四角い箱のような家までなんでもあった。
道を歩く人々は膨大な群をなしていて、向かう足こそ同じ方向を向いているが、誰の目に写っている物も手元の端末のみだった。
見たこともない景色に期待しながら、どこか不安がこみ上げてくると言った妙な気分だった。それでもそんな不安を削り取るほどの情報量が目の前にはあった。刺激が目から脳に伝わり胸が踊るような高揚感が継続する。
やがて、流れる景色がどんどんハイテクの形を帯びてきた。木造の住居はどこにも見当らず、青みを帯びたガラスの塔が青い空めがけて突き抜けている。その間を光る物体がしきりに行き交う。いくつものビルが群をなしていて、その中でキラキラと複雑なタイミングで光が明滅する。
赤い色をしたのが次元力によるもので、白いのは電気だと以前テレビで見たことがある。そうなるとあの飛んでいる物体の光にも意味が有るのかもしれない。そんなことを考えていると、不意に父が口を開いた。
「やはり今までの生活は不満だったか?」
やはり昨日から父の様子がおかしい。だが、これは喜ぶべき状況なのではないだろうか。第一、目玉が原因で無いとしたら、今までの状況をどう説明するのか? 監禁以外の表現方法を教えて貰いたいぐらいだ。
「不満が無かったと言えば嘘になるけど、今までこんな景色、生で見たこと無かったんだ。そっとしておいてくれよ」
目の前の景色を少し足りとも見逃すまいとして、白々しい言い方になってしまったかのように言う。
いや、違う。僕が言いたいのそうではない。どうして思ったことを口に出すという簡単な事が出来ないのか。この場に及んで未だ、父の機嫌を伺っているのか?
「すまない」
「――」
今何て? 聞いたことも無い様な返事に反射的に返す言葉も出ない。
父が謝っている。自分が間違っていたのだと告白しているのだ。待ちに待ったこの瞬間。
間違っているということは知っていた。だから、こんな時は精一杯罵倒してやると決めていたのだ。それでも憎たらしいほどに口を開くことが出来ない。
僕は狂っているのだろうか?
「お前が脱走を図るほどに生活に不満を持っていたのははっきりと分かっていた。だが、それでもお前をあの狭い空間に押し込めていたのは俺だ。今更父親面できる俺ではない」
「あ……でも……」
「俺の事をどう思って貰おうとも構わない。只お前には真実を聞く義務ないし権利がある。あの目玉についてだ」
どんな記録を調べた所で生体が現界甲冑になるなんて記録に無かった。
父はこの厄介な目玉の扱い方を知っている。知っていてそれを隠した。僕にではなく、僕自身までも。
そこまでしなくてはいけない理由は何なのか? 一体どうして?
父の顔に皺が浮かび、顔全体が陰った。それから一息置いて絞りだす様に言った。
「すまない。やはり今話すわけにはいかない。仕事が全て終わったらお前は完全に自由だ。その時になったら、必ず伝える」
いつも通りの硬い父に戻った。何故仕事が終わってからである必要があるのだろう? それに、この仕事は閉じ込めた僕を連れ出す程に重要な何かがあるのだろうか?
やはりこの件には何かがある。僕の人生を根本からひっくり返す様な重要な物。ならば尚更追求すべきでは無いのか?
やっとの思いで口を開こうとした瞬間、それは父の手を勢い良く叩く音に遮られた。
「今回の仕事を引き受けたのはお前が十分大人になったと判断したからだ。よって、お前は大人の作法というのを学ぶべきである」
いつもと違い力強い調子で父が叫んだ。まるで軍隊の指揮官のような言い草に喉元まで上がった言葉が押し戻される。大人になったなどという軽い理由なわけがない。意地でも任務終了まで引きずる気でいるらしい。
「祝杯だ。おい、運転手」
父が運転席に向かって叫ぶと、すぐ返事らしき物が帰ってきた。
「運転手の佐藤です。どういったご用件でしょうか」
「日本酒一本。運転手」
一瞬父が何を言っているのか分からなかった。日本酒? 仕事中に? この状況で?
「だから佐藤です。お仕事に差し支えないようでしたらお出しします。ところで息子さんはお幾つですか?」
「もう大人だ」
父がキッパリと答えた。意気揚々とした含みがある。
「ならば結構」
運転手はあっさりと了承して、ほころんだ横顔を見せた。
この期に及んで何故酒なのか。言っておくが僕は未成年。飲ませたらその時はこいつらが犯罪者という訳で良いだろう。
父は僕の意向に反して逃避を繰り返す。圧するように接してきた今までを振り返れば、この状況はあり得ない。
ガラドウに目線をやると窓に張り付いて大人しくしている。俺は関係ないですよとでも言うつもりなのか。
出かかった答えはすぐ目の前にぶら下がっている。焦る必要はない。今は受け入れ、変化に適応する事だけに集中するのが先決だと思うことにした――
あらすじに引き籠もりとか書いてしまったけど、引き籠もり要素はここからありません。
たぶん。




