夜明け
――生きることとは英断であり、かつ心底陰気臭い
己の足元ほど盲目的な信仰はなく、匂い立つような疑問ほど確実性に富む
人の本質は愛であり、欲望はこれに付き従う
無知の罪を抱いて生涯を終える者は、不幸である――
疲労に震え、誰も目もくれない。意気消沈して流れていく日々
暗い夜を超え、日は昇り。草の根は益々野に這いつくばる
記憶を翳らせ、過去を搦める。身の内側に喰らいつく
磨き磨いたガラスの屋根。叩いてみては安堵を求める
暗い海底から泡は浮き上がりながら、徐々にその形を変えていく。
変化していく形はそれぞれ異なるが、どれも日の差す明るみに向かっている事において共通していた――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
目の前には純白の壁が広がっている。
滑らかな光の反射が壁の曲線をなぞるように走っていて、その曲線はどこを見ても同じように続いていることから、この空間は自分を内側に孕んだ卵のような形をしていることをぼんやりと感覚した。
眺めていると濁り一つない白に頭から吸い込まれてしまいそうだ。
白い粉がまばらに降ってきた。見上げると、純白の白よりも更に白に近い光の筋が見えた。
光の筋は少しずつ横に伸び、その都度粉が頭に降りかかった。どうやら壁に亀裂が走り始めいるようだ。
胸を打つような光の美しさに誘われるようにして、頭上に手を伸ばした。おおよそ手の届く距離には見えなかったが、伸ばした手は意外にもあっさりと亀裂にふれていた。 指先から光の温もりが感じられ、更に奥まで潜り込みたい衝動が胸の中で脈打つ。
亀裂に指を潜りこませる。壁は薄いものの、その薄さとは裏腹に中々の硬度を持っていた。
なんとか両手を壁にねじ込み、全身に力を込めた。バリバリと音を立てて亀裂が疾走し、光があふれた。視界を失ったが、全身を包み込む温もりに頼もしさのような物を感覚できた。
しかし、それは何か違うものに変わっていくような予感がした。徐々に直感が騒ぎ出す。突如、眼前の白に黒が滲み、一気に広がった。
滲み出た黒は白と交じり合い、斑な模様を形成していく。模様が前方の彼方で形を成し、地平線が出現した。
地平線から真っ直ぐな直線が伸びてきて、幾千にも枝分かれていく。枝はあっという間に空間を覆い尽くし、暗がりの道場を描き出した。枝は足元にまで及び、背後の空間にまで侵攻したようだ。
道場の床は木製のようで、僅かな淡い光を反射している。足の裏にひんやりとした感触を感じ、自分がこの道場に裸足で直立する形になったことを認識した。
全身が凍りついたように動かないが、目だけは辛うじて自由に動く。辺りを見回すと、前方に重量感のある気配が佇んでいる。
それは刺々しい輪郭を帯びてる。目を凝らすと、複雑な棘が一本一本漆塗りの艶めくような輝きを纏っていて、棘の奥に何かが埋もれているのが見えた。
物体がただ静かにこちらに向かって佇んでいる。
夢心地の脳に水が差されたようんに意識は加速度的にはっきりしていくが、それに比例して状況の難解さが際立っていく。動き始めた意識に不安が尾を引くのが分かった。
額に汗が吹き出し、ひんやりとした空気が顔を撫でた。物体は動く事無くただ静かに佇んでいた。
動かないとなるとただの置物なのだろうか? しかし、そうだとするとこの棘のバランスを、地面に只置くだけで取れるとは思えなかった。
それに目の前のグロテスクな塊が動くと想像しただけで身の毛がよだつ思いがする。見ていられなくなり、物体を目線の外へ追いやった。
すると唐突に物体が一歩足を踏み出した。踏み出したと言うより、棘の奥から急に足らしき物が現れたと言ったほうが正確かもしれない。
踏み込まれた床が唸り、亀裂が走ると完全な静寂はものの見事に破られた。
目線から外したのが悪かったのだろうか? そんな事より今は逃げることを優先したかった。しかし、依然として体はびくともしない。
眼前の塊が砕ける足元をものともせず迫り、棘だらけの腕が奥から伸び、淡い青色の光がにじむ金属を腰の辺りから僅かに引きずり出した。
棘同士がぶつかり、ざわめく。暗がりからその頭部が抜けだし、黄金の角と共に兜がぼんやりと現れた。
背筋が凍り、全身を凍る様な悪寒が巡った。頭の中では焦りと不安の種が爆発的に根を張り出した。
間髪入れずに目の前の空間が歪んだ。続いて、視覚がぼやけた。
斬られたのだろうか、そうだとしたらすぐに痛みが襲ってくるはずだ。しかし、一向に体に異変は感じられることはない。数秒置いてそれは体の外で起こった。
音が聞こえる。ゴリゴリと黒板をノコギリで切るような寒気のする高音の混じった音だ。見事な曲線を描いた得物に黒い液体が伝っていく。
物体が自分の首の辺りを切り裂いている。その不気味を通り越した光景に、恐怖が湧き上がった。
それは数秒の間続き、溢れ出る液体の量は物体の体積を上回るようだ。地面に流れでた液体はそこら中を蛇の様に這いまわり、やがて視界全体に広がった。
一瞬の間を挟んで、物体から頭部が弾け飛んだ。黒も、凍りついていた空気まで一斉に弾けた。眼前のあらゆる物の傷口が見える。武者のばっくりと割れた首から何か赤いモノが黒い液体にまみれて這い出した。
体は未だに動かない。全身の回路がショートしてしまったかのようだ。唯一つ動く目線だけが空中をさまよった。
追い打ちをかけるように何かが目の前に覆いかぶさり少ない視界を更に奪った。
目を凝らすと、それは先程はじけ飛んだ頭部のようだ。あまりにも近くにあるため、今まで暗くて見えなかった目穴の奥にある眼球を視認することができた。
眼球は一つしか無く、赤色を帯びていた。
「おーい、起きないと朝が夜になっちまうぞ」
楽観的な調子の中に威厳を秘めた声が聞こえる。声はあらゆる方向から一斉に感知できた。
「おいふざけるな、本当に起きないつもりか? ならこっちにも考えがある」
横腹に痛みが走り、一瞬の浮遊感の後に背中が冷たいコンクリート製の床に触れる。視界が明るくなり、開いていた目を更に開いた様な感覚に陥った。手が布団に包まっている為、受け身を取れず思い切り頭を床に打ち付けた。
「おい芦舟、一日置きでも寝坊はするなと言ったのを覚えているのか?」
呆れたたような調子の声が、もうろうとする意識に鋭く突き刺さる。どうやら夢から覚めたという状況らしい。
「痛ッ……」
ぐったりするような蒸し暑い7月の朝。陽の光がじりじりと窓に近い部分だけを焼く。
そんな日常的な光景の中に、これもまたいつもと変わらず黒い物体が浮いている。
兜である。兜と言っても、誰もが想像するような立派な立物が伸びているわけではなく、眉庇の部分に頼りない二本の突起物がねじれてついて、さながら醜いトリケラの子と言ったところだ。
頭から下は無く、兜だけが浮いていて、いつ見ても見栄えが悪い。さっきのおそらく夢で会ったであろう鎧の頭部と比べると情けないと言わざるを得ない。名をガラドウと言う。
「寝坊に加えて寝ながら泣き言とは、我がガラドウ式防衛術の名が無くわ」
「泣き言じゃなくてうなされてたんだよ。そもそも寝ながら言うのは寝言というやつだ」
この会話も毎朝のように繰り返される代わり映えの無い日常の一部だ。最近はその日常の中に毎朝の悪夢が追加されている。さっきのもどうやらそれの一種であるようだ。
体に巻き付いた、しわくちゃなタオルをほどきながらすっかり明瞭となった意識でやはり代わり映えのしない返しが来た。
「言い訳を聞く余裕もない。この意味が分かるか? 今優先すべきは5分も遅れている特訓だ。そもそもお前は――」
目の前で淡々と固めの口調で話す仮面は一見、面頬が付いているので中に人の顔が隠されているように見えるがそうではなく、中身は空である。机の上に置いておけば、喋る以外は一般的な置物と大差ない。
「はいはい分かった、俺が悪かったよ。次からは気をつけるから、その無い口を閉じてくれ」
「返事は一回だ、その減らず口にお前の一物を突っ込むぞ」
ガラドウがそのトリケラ幼角ですぐ隣でこれもまた浮遊している目玉1つを角指す。
この目玉は簡単に言えば僕、江美子芦舟の目玉である。そうと言っても今この状況を眺めている目玉はしっかりと僕の顔面に2つ納まっている。一般の高校生の悩みが大学受験であるとするならば、僕のそれはこの浮遊する片目である。産まれた時から僕の半径3メートル以内を浮遊していて、誰が見ても気味が悪い以外の感想は思いつかないだろう。
何度か排除しようと奮闘したが、潰したり燃やしたりしたところで翌日にはどこからとも無く無傷の状態で現れる。それに初めて潰した9歳の時からその目の色は赤みを帯びだした。色は潰れる度に濃くなり、今では遠くからでも目立つほどに真っ赤だ。熟れきった果物の様な外見から最早目玉とも言い切れそうに無い。
「潰せばなくなるのならば、ぜひそうして欲しいね。そういえば、最近お前とその目玉がセットで夢に現れるんだ。なんとかしろよ。例えば深夜に屋外で呪文唱えるとか」
「なんだまだ寝ぼけてるのか? 人に自分の夢のことを一々話す人間ほどつまらないのは無いぞ。セットとはなんだ? 合体してということか?」
「流石に合体という訳では無いけど……」
「ふむ、ならばこれだな」
自身の鉄に覆われた空の空間に目玉を入れ、ガラドウが迫ってきた。一瞬目穴から覗く眼球と目が合い、どす黒い光景に再び引き戻されそうになる。
「分かったもう勘弁してくれ。特訓始めるから」
「それが聞きたかった、でもまず飯だ。おーい舟明ー、ガキが起きたぞー」
廊下に向かってガラドウが叫ぶ。
すると、一階でバイオリンの弦を一斉に削りだすような音が響き始めた。これもまたいつものことで、父が朝食の支度をしているのだ。
フルネームは江美子舟明。
父は毎日激しい朝食の作り方をするので、出来上がりが異常に早い。そのくせ出来上がってから食卓に到着すると不機嫌になってしまうので油断ならない。
急いで寝巻きを練習着に着替える。朝食の匂いと服から出る洗剤の香りが交じり合いなんとも言えないニオイが鼻をつく。
ニオイも真っ白な練習着も全部含めて新鮮味がない光景だった。
いつの間にかガラドウは部屋からいなくなり、所々に漫画本が散乱しているこの部屋には目玉が一つ浮いているのみである。
最近夢にこの目玉が現れることが多くなっている。この夢を見る度にどこか不安な気持ちが増していくような心地がする。しかしこの不安の出処は?
考えれば考える程、またあの気味の悪い夢に引き戻されるような気がして、家族二人のもとへ急いだ。階段の最初の一段目に足をかけた時、後ろで目玉が壁にぶつかるにぶい音が聞こえた。
一階に降りると、食卓には濃い霧のような朝のにおいのする湯気が立ち込めていた。いつものことだが、湯気は台所からもくもくと立ち上っていて、煙の奥で人影が揺れている。
一体どのような調理方法を採用すれば朝食を作るのにこのような光景が作り出されるのか。漠然と考えながら丸いテーブルの席につく。
席につくやいなや立ち込めた湯気を両断して皿が二枚、一直線に飛んで来た。皿の軌道は急激に向きを変えて僕の横顔を目指す。
皿の位置をしっかりと感覚した上で、下面に1枚ずつ丁寧に力を加えた。するりと皿は速度を鈍らせ、指の先で軌道をテーブルに修正した。我ながら職人技とも言える所業であると最近思う。
皿は二枚ともテーブルの上に整頓され、高速回転により発せられる連続した音が心地良かった。
「さあ、さっさと食べろ」
ずっしりとした重量感のある低い声を発する人影が、分断された湯気の間からぬっと姿を表した。僕の父だ。
ガタイがとてつもなく良く、近くでみると圧迫感を味わう。まくり上げたスーツから血管の浮き上がった屈強な腕が伸びている。朝はいつも真っ黒なスーツを着て身支度を早めに済ませているのだが、この人の場合サイズはどのくらいなのだろうか。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
父は呻く様な声で返事をすると再びキッチンに向き直り、腕を一振りした。すると朝食が回転する皿に飛び込み、回転を殺した。
「呆けてないで早く食べろ。登った太陽はやがてすぐに沈むぞ!」
「ッまだ朝七時だろ、それより急に耳元で話しだすの止めろよ。心臓に悪い」
ガラドウ耳元で大声を出す。ガラドウの不意打ちはやはりいつも慣れない。こいつはいつも急にいなくなっては急に現れる。
「で? 今日の防衛演習とやらは、登った太陽が沈むなんてことになる前に終わるんだろうな?」
「それは今日のお前次第だな。お前は飲み込みが悪い。」
この甲冑頭は首から下が無いにもかかわらず、武術に関しては知識量が膨大で、毎日早起きしては暗くなるまで稽古に付き合わされる。
もちろん朝から晩までであるので、本来高校に行くべき年齢である僕は青春を謳歌するどころか外出することも許されない。
父とガラドウが家から出してくれない理由ははっきりとは分からなが、理由を何度聞いても適当に受け流されるか、毎日の練習が更に過酷になるかだけだ。こうなるとやはり、二人の目を盗んで脱出するしか無いのだが、成功率は今だにゼロ。父親の執念というやつだ。
ただ実際、目玉を空中に引っさげて歩く高校生がいたら気味悪がられる事は間違いないが、それを差し引いても外の世界に対する憧れは色あせなかった。
「芦舟、最近稽古の調子はどうなんだ」
「うん、最近は徐々に体がついて行ける時間が長くなった気がするよ」
「そうか、努力を継続するのはいいことだ」
父は淡々とした調子で言った。やはり今日も外には出られないようだ。どれだけ交渉しても、父とガラドウは僕を家の外に出そうとしない。それに、ガラドウはともかく父が厄介だ。自力で脱出しようとしても父の結界がそうはさせない。結界というのは見えない壁の事で、家では何故か唯一父だけが使用できる高等魔術だ。
そんな父の料理は毎度見た目は悪いが栄養は豊富なようだ。とにかく満腹感が得られる。味は天のみぞ知る。
目の前の皿に乗っている白い塊と黄色い塊を口の中に放り込んだ。すると口の中でネバネバとした食感が広がった。
父は塊が平らげられていくの満足そうに確認してから、リモコンを拾い上げテレビを起動させた。
「……ぎのニュースです。岩天山の開山式が本日早朝から開始され。賑わいを見せています。式長を務めるのは国家術師の一人、輝夜田順博士です。輝夜田博士は先日行われた国際博士発表会で輝かしい成績を……」
画面の奥でいつもと変わらず深刻そうな声で男性ニュースキャスターが文章を読み上げる。
「今度の山は大きい。埋蔵勾玉量は推定1000トン。戦争でも始める気か」
父が呟き、続いて興味を無くしたように踵を返すと、部屋から出て行った。お茶でも汲みに行ったのだろう。
「文句垂れても仕方ないよ。家は能なし能力一家だからね。どうやっても裕福にはならないよ」
頭上でいつの間にかふわふわしている二つの物体を指差しながらなるべく小さな声でぼやく。
「何だと俺が役立たずだと? もう一度言うてみい。その首がひしゃげるぞ」
「だったら国家術師並の能力を見せてみろよ。無理だろうね、頭だけだし」
怒りの色を滲ませるガラドウを横目に言ってみる。
この国には50年前、電力に変わる新たなエネルギーが開発された。正式名称は次元重力転換張力。名前が無駄に長いため、世の中では親しみを込めて次元力と呼ばれている。
ある物理学者が世界中で起こる様々な怪奇現象を解析していったところ、この次元力の存在を発見し、ありとあらゆる怪奇現象の証明が事実上可能になった。一般人である所の僕からすると訳のわからない代物であるが、次元力の発見を期に人間の文明は新たな推進力を得たことになるらしい。俗にいうエネルギー革命である。その次元力を大量に内包していると言われているのが勾玉と言われる存在である。次元力はあらゆる物体を歪める性質があることが観測されており、その対象は物質に留まらないらしい。
そのため勾玉が発見される場所は地面が歪んでいる場所、つまり山であることが多い。加えてエネルギー保存則が成り立たないこの存在は応用範囲が広く、ついには魔力じみた現象までも可能にした。しかし、発見されて50年もの月日が流れているものの、未だに不確定要素が多いため政府は次元力の開発を秘密裏に行った。
しかし秘密というものを隠し通すのは無理な話で、ある事件によって情報が漏れ、次元力が公共の場に浸透した。つまりそのお零れを我が家もしっかりと頂いている訳だ。それは主に父のみだが。悪用すれば刑務所が待っている。
只それでも僕たち一般市民が本物の勾玉を目にすることは生涯ないのだろう。何と言っても勾玉はgあたり何百万という代物だ。
「あまり俺を怒らせるなよ。いつか俺に手足が生えたら思い知らせてやるわい」
ガラドウが上下に揺れ動く。
父がぬっと部屋に戻ってきた。
「稽古なら道場でやると良い。間違ってもここではするな」
持ってきたお茶を手渡しながら抑揚のない声で言う。
白い粘着感がある塊の残りを渡されたお茶で流し込み、頭の上で手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
家では手を頭の上で合わせるのが習慣になっている。でもなぜかテレビに出てくる人たちは胸の前で合わせる。どっちが正しいのだろうか。
黒い弾丸が眼前に迫る。弾丸は直径5センチほどの黒いゴム製の弾丸で玩具のピストル等では打ち出せない程に大きい。それが空気を切り裂きうなりをあげながらあらゆる方向にある木製の砲台から打ち出され迫ってくる。
この状況をいかに苦痛を伴わずに肉体だけで打破するかが日課として行われる修行とやらの1つだ。大抵の弾丸は動き回ればなんとか当たることはないようになってきたが、避けきれない弾丸は、弾丸の進行方向を接線として円を描くように手の甲ないし足の甲を滑り込ませ、外側に弾くように腕をスナップさせることで弾丸の軌道をかろうじてそらすことができた。しかしそれを成功させるには弾丸の軌道を認知することが最低条件になる。
常に四方の弾丸を把握し体勢を最適な状態に保たなければならない。もうかれこれ100発近くから逃れた気がするが、弾幕は治まらない。
息が切れてくる以上に集中力の紐が今にも切れそうな予感がする。突如、弾いたはずの弾丸が右耳に直撃した。激しい耳鳴りと錯乱する方向感覚が同時に巻き起こった。
把握していたはずの弾丸の位置を失念し、恐怖で態勢が崩れた。その瞬間を待っていたかのように全身に弾丸が乱れ当たる。鼻の奥で火花が飛びその場に倒れこんだ。
「今日は意外と長く持ったな。えらいぞ芦舟」
ガラドウの感心したような声が響き、けたたましい機械音がおとなしくなくしていく。
ぼやける目を無理に開け、声のする方に目をやる。
「今日の修行はここまで!だいぶ体が仕上がってきたが、努力を怠らず日々精進することを期待する。有難うございましたッ!」
慌てて痛みに震える体をなんとか起こし、膝に手をついたままで叫んだ。
「有難うございまししゃッ!」
疲労感と腫れ上がった頬っぺたの痛みで語尾がおかしくなった。
ガラドウはうむと相槌をうち暖簾の奥に消えていった。
毎日の日課とはいえ日が暮れるまで絞られるのには慣れる兆しがない。
膝に手をついた態勢に限界を感じその場に大の字に倒れこんだ。
木の床のひんやりとした感触が火照った全身にしみる。天井から赤い目玉が降りてくる。危険な場所かどうかの見分けはつくようだ。
僕の家の隣にある見た目は古臭いもの置き場は修行用に改造された道場だ。
その道場に床に倒れこんでいるわけだが、天井や床に設置されている砲台は以前今と同じように見回したときには無かった。
いったいどこから仕入れてきたんだあの頭部生物。
家の内装が変わったとしても家から出られないのには変わりない。このままこの家で一生暮らしていくと思うと、胸の中で堪らない物を微かに感じた。
晩御飯のいい香りが鼻を介して、お腹に届く。
「腹減ったな……今日は中華か」
誰にも聞こえないようなつぶやきが漏れ、ヒリヒリする手と足の甲をかばいながら芋虫のようにして道場の出口へと向かった。
食卓に芋虫前進して入ると父がちょうど夕飯の支度を終えたところだった。食卓にはくっきりとした赤色を帯びた麻婆豆腐が並んでいた。
「遅いぞ芦舟、そんな気味の悪い動きをするな」
「今日は特別疲れたんだ」
「その程度で甘えたこと言うんじゃない」
続いて無駄にきびきびした声でガラドウが口を開いた。
「お前の身体能力はとても高いとは言えない。そこで力任せに動こうとしたところで、体がもつれるだけだ。お前にとっての防衛術獲得の術は己の中に力を向けることだ」
「じゃあ練習メニューに瞑想でもなんでも入れてくれよ。あんな無茶な動きさせられたら内側がどうとか考えられるわけないだろ?」
「その無茶な動きを可能にするのが精神の統一だと言っているだろう、この間抜け」
「稽古の続きをやるなら今すぐ道場へ行け。そうでないなら俺の話を聞いてもらおうか」
普段はどっしりと構えている父であるが、そんな父でも流石に職場では相当のストレスを背負うようだ。毎日では無いが、こうして夕飯の時間になると職場の話をしだす。
愚痴というやつだ。父が務めている職場は市の税金に関する事務らしく、上司の威張りっぷりは言わずと知れている。
今日もその上司の対応がどうとか悪口にしか聞こえないストレス発散に付き合いながら夕飯の麻婆豆腐をほおばる。
辛みが切れた口の中をかすかに広がったが、胃を満たしていく満腹感に打ち消されていく。
この満腹感が生きる意味であり、本来動物はそういう物なのだと、思い始める自分がいた。
水を飲もうと手を伸ばしたとき。テーブルに置かれた新聞の一面に目が留まった。
[現界甲冑、実戦投入審議佳境]
現界甲冑とは五十年前、次元力の発見と解放を期に突如特定の新生児に憑いた状態で生まれ、生涯憑かれた人間にまとわりつく未知の存在だ。
1万人に1人と言われるその希少さと常識を超えた能力が備わっていることがあることから社会では、特別視されている高貴な存在である。
社会で成功するのはその中でも選りすぐりの能力を身につけたものである事が多い。
そして、父が生まれた時に憑いていたのがガラドウで、僕の場合はこの目玉である。
つまりその高貴な存在がこの家には2人もいるわけだが、一向に特別視される気配がない。
理由は簡単。何の能力も持たない能無しに加えて見た目が気味悪い。見た目が他のと比べて違うのなら更に希少価値がついて大事にされるような気さえするが、社会はそう甘くないらしい。
「やはりあの部長とは馬が合わん。本来、人の上に立つものは率いられる物の模範でなくてはならない。加えて、評価されるべき上司というのは誰もがその背中を追う存在である。だがうちの部長はどうだ? 少なくとも俺はあいつが背を向けて逃げている様に見える」
暴言を吐くのはいつものことだが、今日はなんだか回数が多い気がする。
「さて、あいつの事はもういい。本題に移ろう」
父が珍しく神妙な調子で続けた。
「本題? いつもみたいに愚痴をこぼすのが本題じゃないのか? それなら今日はもうたくさんだぞ」
ガラドウが怪訝そうに言う。
「いいや、これは俺たちにとって現在最も重要な題材だ。心して聞け」
父がこんなに真面目に話すのは、以前母のことについて話した以来だったので慎重に聞くことにした。
ガラドウもそうしているようだ。
「仕事だ。俺たち3人に。あの糞部長がへこへこしていた相手は政府の重役だった」
父が表情を変えずに告げ、ガラドウが少し間を置いてから口を開いた。
「は? 何だと? 話が見えん。具体的にまとめろ」
「つまり、政府直々の依頼が我が家に舞い込んできた」
父が淡々と言うと、即座にガラドウが興奮したような調子で言った。
「遂に我が防衛術が日の目をあびるということか。少し遅い気がするがまあ当然だな」
「じゃあ……、僕も外に出られるってこと?」
突然の朗報に浮足立って、つい思ったことをそのまま口に出した。
「ああそうだ、仕事内容は……」
「言え、今すぐに」
ガラドウがいつにも増して力強く言及する。
「ああそうだ」と父ははっきりと言い切った。この肯定を求めて何度奮闘したことか。
焦らすような間があり、ガラドウは急かすように揺れている。
「岩天山での勾玉捜索」
父が思い出した様に告白した。
揺れていたガラドウの動きが止まり、ゆっくりとした調子で言った。
「岩天山ってあの先日開山したばかりのあのでかい山か」
勾玉の湾曲作用は言うまでもなく埋まっている埋蔵量が多いほど足し算式に大きくなる。
よって、山から掘り当てるにはなるべく大きな山から探すのが鉄則である。そして、もう一つの鉄則を挙げるとしたら、現界甲冑に憑かれた人間を連れていくことである。 どうやら現界甲冑には次元力を探知する能力が微少に備わっているらしく、魔よけと両方の意味で同行させるのが基本となっている。
「なんだって僕たちがそんな大事な所に呼ばれるんだ? 埋蔵量が期待される採掘所では上級甲冑が普通同行してるよね?」
「それは俺も思う所だが、恐らく人手が足りないのだろう。山が大き過ぎるからな」
父は軽い調子で言った。普段向こう見ずで動くような性格では無いはずの父の言葉に戸惑いを覚える。
それに今の今まで自分を家に閉じ込めてきた父の唐突な気の変わりように、底なしの疑いが湧いた。
人は望むところでは無いことが口をついて出てしまう事があるようで、無意識の内にその通りになった。
「でも、何かおかしいよ。危険が伴うかもしれない」
「危険?」
ガラドウがピクッと反応する。
折角のチャンスを自らへし折ってしまったようだ。すかさず取り消しの言葉を探すが思い浮かばない。
「お前が毎日培ってきたその防衛術は何のためにある? その能力は危険に身を置いてこそ輝く。花を咲かせる時だぞ」
「そうだな、最近は実力も付いてきたと言っていたではないか」
ガラドウはともかく、先程からの父の言葉には頭の中をかき混ぜられる様な思いだった。
何度も確認するが、父は今まで僕を家から一歩も出そうとしなかった。
「頑固なお前がこの行動力。以前博打で大損こいた時以来の快挙だぞ」
ガラドウの言葉に父が凍り付くのが分かった。瞬きを二回してから、辛うじて寡ぶりを振った。
「ど、どうしてそう思う。証拠を見せろ」
「……負けたのか? 本当に?」
ガラドウがつぶやき、僕と父はうなだれた。
沈黙する雰囲気の中、頭の中を整理し気持ちを落ち着かせた。流れを何とかして止めない様に、咄嗟に考えた言葉を投げつける。
「そうとなると、今や家庭に危機が訪れたというわけだ。父さん前回はこずかい全部飛ばしてきたけど、今回は大きく出たね」
わざとなじるようにつぶやく。
父の気持ちが変わってしまう前に追い打ちをかけなければ、こんな機会は二度と訪れないような気がした。
すると父が徐ろに立ち上がり、その巨体でこちらを見下ろした。
「すまなかった、道場改築に少しでも割ける金を増やしたかったんだ」
あの父が謝るとは予想を遥かに超えていたが、どうやらうまく行ったらしい。
「……舟明、終わったことは仕方がないし、俺らのために動いてくれた結果がこれならば、ワシにお前を責める権利はない。そうだろ? 芦舟」
「うん……まあそうじゃない?」少し単純すぎるガラドウの思考回路に呆れながらも、少し感謝して頷いた。
「うむ、ならば決まりだ。出発はいつだ?」
聞かれた父はすぐさま座り直し、元の位置で向き合い、あっさり言い放った。
「十三時間後」
「えっっ?」




