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僕はスケベじゃない!  作者: ポンタロー
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第六章

第六章


 よし、清掃終わり。

 今日もラブリーオーナは満員御礼(お客さん、サクラだけど)で閉店し、最後の清掃も無事終了。あとは帰るだけだ。

 今日のシフトは僕と龍華さんの二人。でも、龍華さんは僕の二倍は働くので、正直、僕は結構楽チン。すごいな、龍華さんて。なんていうか、バイタリティに溢れてる。

「龍華さ~ん。掃除も終わったし、そろそろ帰りま……」

 僕が声をかけようとしたところで、いきなり龍華さんが、お腹を押さえて蹲った。

「ま、まずった」

 顔を青くして呟く龍華さん。

「ど、どうしたんですか?」

「腹が減って力が出ない」

 ガックリと、僕の体から力が抜ける。

「なんだ。そんなことか」

「なんだとはなんだ! ご飯は大事なんだぞ!」

「それは分かってますよ。あとは帰るだけなんだし、寮まで待てないんですか? 寮に帰れば食事があるでしょ?」

「うう、それまで保たねえよぉ。もう一歩も動けねえよぉ」

「やれやれ。何か作ってあげたいけど、今日の店の食材は全部使い切っちゃったしな。この辺のファミレスでいいならおごりますけど? 確かすぐ近くにありましたよね?」

「マジで!」

 龍華さんがいつもの五割増しくらいの笑みを浮かべる。

「ええ。龍華さんにはいつもお世話になってますからね」

「よっしゃ。そうと決まれば善は急げだ。レッツゴー!」

 いきなり起き上がった龍華さんが、猛スピードでファミレスに駆けていった。

 あれ、動けないんじゃなかったの?

 僕は、若干呆れ気味で、テッペキさんに帰る時間を遅らせるよう電話した。


「す、すごい……」

 としか言い様がなかった。ファミレスについて早二時間。その二時間に積み上げられた皿の数を目の前にして、僕はそうとしか言うことができなかった。

 席に着くやいなや、龍華さんはメニューも見ずにウエイトレスさんを呼んだ。ウエイトレスさんの「ご注文は?」の言葉に、龍華さんはいつもの快活な笑みを浮かべて「全部」と回答。その回答にウエイトレスさんが十秒ほど硬直する。しかし、何とか営業スマイルを浮かべなおし、こう尋ねた。「え~と、全部……ですか?」と。きっと冗談だと思ったのだろう。僕だってそう思う。しかし、龍華さんは笑顔で「うん、全部」と答え、現在に至るのであった。ちなみに季節限定のメニューもこの中には入っている。

 そして残すはデザートのみ。キッチンからは怒号のような叫びが聞こえ、いつの間にかギャラリーまでできている。

「いや~、食った食った。やっぱ、おごりだと飯のうまさが違うよな~。はーやくデザート来ないかなっと」

 龍華さんが、満足そうにニカッと笑ってお腹をポンポンと叩く。

「ほ、ほんと、よくそんなに入りますね。見た目はすごく細いのに」

「まあな~。あたいがお前のところで働こうとしたのも、全部食費のためだからな~」

「へ? 鉄女って、食費も全部寮費に入ってるんじゃないんですか?」

「あたいは特別なんだよ。入寮初日に、食堂にあった食材全部食っちまってさ。寮母さんから、『今度からお前だけ食費を取る』って言われちまってさ」

「そ、それはすごいですね」

「だろ~。さすがに、飯食いすぎて食費を別に請求されたなんて親に言えなくてさ~。働いて稼ごうにも、鉄女はバイト禁止だし。だから、今回お前が持ってきた話は、あたいにとっては渡りに船だったってわけだ」

「…………」

「まあ、そもそもあたいが鉄女に入ったのだって、少しでもお淑やかになるためだったからな」

「へ~」

 でも、全然お淑やかにはなってませんね。とは言えない。

 そこにウエイトレスさんが、店の全デザートを五人がかりで運んできた。

「ご、ご注文はお揃いでしょうか?」

 と、最初にオーダーを取りにきたウエイトレスさんが、最後まで笑顔を崩さずに言った。プ、プロだ、この人達……。それに何か厨房の人達が、やりきった感全開でハイタッチとかしてるし。

「さて、ほんじゃデザートいただきますか。ワリーな、平子。こんなにおごってもらっちまって。金、大丈夫か?」

「ええ、それは全然大丈夫なんですけど。ほんとにお腹大丈夫ですか?」

「モチのロンだぜ。あたいの将来の夢は、史上最強のフードファイターだかんな」

 龍華さんは、そう言っていつものようにニカッと笑った。


「あ~、うまかった~。ありがとな、平子。おかげで助かったぜ」

 ファミレスを出て少し行ったところで、龍華さんが満足そうな笑みを浮かべて言った。

「いえいえ。お腹いっぱいになったならよかったです」

「ほんとに助かったぜ。この借りはいつか返すからよ」

「気にしなくていいですって。もうすぐテッペキさんが迎えにきますから」

「あいよ。っと、そうだ! 腹ごなしにちょっと走ってくるわ」

「え! でも、もうすぐテッペキさんが……」

「心配すんな。すぐ戻ってくるから」

「でも、やっぱり一人じゃ危ないですよ」

「大丈夫だって。あたいを誰だと思ってんだ。このあたいに声かけようなんてなんて命知らずは、この世にはいないんだよ」

「へい、彼女~。こんな夜道で何してんの~」

「…………」

「…………」

 いた! いてしまった!

 何とも気まずい空気が、僕と龍華さんの間に漂う。

 この気まずさに耐えられず、僕が声の方に目を向けると、そこには五人ほどのチャラそうな男達が下卑た顔をして立っていた。

「こんな遅い時間に、女の子の二人歩きは危ないよ~。あれ? それとも、ひょっとして声かけられるの待ってたとか?」

 空気も読まず、さらに声をかけてくるチャラ男その1.そんなチャラ男その1の言葉を無視して、龍華さんをチラリと見てみると……。あ、拳をプルプルさせて俯いてる。

「りゅ、龍華さん、落ち着いて。僕は何も聞いてませんよ。聞いてませんから」

 僕の言葉に、龍華さんがガバッと顔を上げた。

「バッキャロー! お前が気を使ってそう言っても、あたいの気まずさと恥ずかしさはすでに極限突破してんだよ! 何だよ、このタイミングは! 間が悪いにもほどがあるだろ!」

 確かに。これは気まずい。というか恥ずかしい。

「ねえねえ、君達~。さっきから僕らを無視して会話するのやめてくれないかな~。ねえ、これからさ、いいトコ行かない? 例えば~、ホテルとか! きっと楽しいよ~、俺達が!

な~んちゃって、ギャッハッハ」

 プチッ。あ、龍華さんが切れた。

「……てめえら、あたいに恥を掻かせた上に空気まで読まねえとは、どうやら本当に死にてえらしいな。おい平子、ちょっと下がってろ」

「は、はい」

 僕は慌てて少し後ろに下がった。僕の生存本能が言ったのだ。今は逆らってはいけないと。

「あたいとあたいの大事な金づ……じゃなかった、可愛い上司に手を出そうたあいい度胸じゃねえか。ちょっとサクッとあの世まで行ってこい」

 な、なんかさっきチラッと本音が聞こえたような気がしたけど。まあいいや、ツッコめる空気でもないし、黙っていよう。

 龍華さんが肉食獣の表情になって、手の指をボキボキと鳴らしながら、男達に近づ……こうとして、突然その場に蹲った。

「ま、まずった……」

「ど、どうしたんですか、龍華さん!」

「く、食いすぎて腹が痛え」

「…………」

 カッコ悪い! カッコ悪すぎですよ、龍華さん!

「あれ~、どうしたの~? ひょっとして動けないとか~? じゃあ、親切な僕達が運んであげるよ。もっとも運ぶ先は君達のおウチじゃないけどね~、ギャッハッハ」

 チャラ男達がそう言って、龍華さんに近づく。

「チッ、あたいのことはいいから、逃げろ平子!」

「え? 何でですか?」

 僕の言葉を聞いた龍華さんが、何故か驚愕の表情を浮かべる。

「何でって、このままじゃ、お前までこいつらに十八歳未満は見ちゃいけません的なエロいことをされちまうんだぞ! あたいのことはいいから、さっさと逃げろ!」

「嫌ですよ。こんなゴキブリ五匹相手に逃げるなんて」

「ひ、平子、何言って……」

「あれれ~、どしたの~? ひょっとして、君の方から可愛がってもらいたヘブシッ!」

 軽薄な笑みを貼り付けて寝言をほざくゴキブリその1に、俺はパンチを一発お見舞いする。

 ただそれだけで、ゴキブリその1は、綺麗に五メートルほど吹き飛び、近くにあったフェンスにめり込んだ。

「ったく、何勘違いしてんだ、このゴキブリ共は」

 軽くイライラしてきた俺が、残りのゴキブリ四匹を睨みながら毒づく

「さっきこのお姉さんが言ってただろ? ちょっとサクッとあの世まで行ってこいって。その水先案内人が、このお姉さんから俺に代わったってだけの話なんだよ。いいから黙って死ね。このゴキブリが!」

 低い声でそう言って、俺は四人に飛び掛った。


 残った四人を十秒ほどでたたんで(死体の処理が面倒だから、ギリギリ生かしておいた)、僕は、テッペキさんの車に、龍華さんと共に乗り込んだ。

「先に龍華さんを送りますから、鉄女の寮に行ってください」

「分かりました」

 テッペキさんが短く答えて車を出す。その間、龍華さんはずっと無言だった。

「……なあ」

 しばらくして、龍華さんが声をかけてくる。

「はい、何ですか?」

「……お前、ほんとは強かったんだな」

「……ええ。まあ」

 否定すると嫌味になりそうなので、僕は曖昧に返事をする。

「あれだけ強いのに、何でお前の正体がバレたあの日、あたいに抵抗しようとしなかったんだ?」

「僕は女の子に絶対手を出しません。それが、僕の師匠の教えです。龍華さんが、自分のことをどう思っていようと、僕にとっては、龍華さんも一人の可愛い女の子ですから」

「……そか」

 それきり龍華さんが黙り込む。あれ? でも、何か顔が赤いような……。

「いい雰囲気のところ申し訳ないのですが……」

 そこでテッペキさんの声が割って入った。

「もうすぐ鉄女の寮に到着するのですが、ここは空気を読んで、少し遠回りしましょうか?」

「ほんとに空気を呼んだなら、普通は何も言わずに遠回りするもんじゃないんですか?」

「もちろん、わざとです。こう見えても私、他人がイチャイチャしているのを見るのが、この世で一番嫌いでして」

「王菜ちゃんに、テッペキさんにいじめられたって言いつけますよ」

「失礼、黙ります」

 そして車は、そのまま静かに目的地へと向かっていった。



 ああ、どこの学校も授業は退屈だなぁ。

 今日も一日の授業が終わり、僕は自分の席で盛大に欠伸をした。授業は同じく退屈でも、前の学校との大きな違いは、授業中に居眠りができないこと。さすがにお堅いので有名な鉄女だけあって、先生方もそれはもう厳しい。以前にちょっとうつらうつらしてただけで、すんごい目で睨まれたもんなぁ。

 もう教室には誰もいない。みんな部活やら掃除やらで帰ってしまった。

 ガタッ!

 そんな時、大きな音を立てて教室のドアが開き、誰か入ってきた。あ、輝姫さんだ。

「輝姫さん? B組に何の用ですか?」

 って言っても、もう誰もいないけど。

 しかし、輝姫さんは僕の質問には答えずに、いきなり僕の席までやってきて、突然倒れこんだ。

「ああ! ぬ、抜かりましたわ……」

 え? 何、この小芝居? どう見てもわざとらしいんだけど。

 僕が呆気に取られていると、輝姫さんは無言でゆっくりと立ち上がり、またも先ほどと同じように倒れこんだ。

「ああ! ぬ、抜かりましたわ……」

 な、何て返せばいいんだろう?

「き、輝姫さん、頭大丈夫ですか?」

「失礼な! 誰がうつ病ですか!」

 いや、そこまでは言ってないけど。

「いえいえ、そうは言ってません。ただ、やっぱり学業にバイト、そして生徒会の仕事の掛け持ちで少しお疲れなのではないかと」

「甘く見ないでくださいます? この麗条輝姫が、たかだかその程度で疲れることなどあるはずないでしょう」

「で、ですよね~」

 じゃあ、さっきの小芝居は何だったんだろう? 聞いてみたいけど、間違いなく地雷コースなのでやめておこう。

「じゃ、じゃあ僕もそろそろ帰ろうかな~。それでは輝姫さん、ごきげんよう」

「ちょっとお待ちなさい」

 早々にこの場からの離脱を試みた僕だったけど、輝姫さんに制服の襟首を掴まれ、離脱失敗。

「他に言うことがあるのではなくて?」

「は? いえ、特にはないですけど」

「何を言っているのですか! 同級生であり、同じ職場の部下が、困っているのですよ! ここは気を使って、手を差し伸べるのが普通でしょう!」

「え? 輝姫さん、何か困ってるんですか?」

「そうです。私、とても困っているのです」

「へ~、大変ですね~。それじゃ、僕はこれで」

 と言って、僕は再度離脱を試みる。

「だ・か・ら、お待ちなさい」

 が、またも失敗。

「どういうことですの! 龍華の時は親切に食事を奢ったくせに、私の時は知らん顔ですの!」

「龍華さんの時って……、ああ、前に龍華さんがお腹が減りすぎて動けなかった時のことですか?」

「そうです!」

「あれは、たまたま龍華さんが困ってたからしただけであって……って、何で輝姫さんがそのこと知ってるんです?」

「龍華が毎日自慢してくるからですわよ! 『あたいこの前、平子に飯奢ってもらったぜ。いや~、あたいって愛されてるなぁ~』って、毎日毎日。まったくウザイったらありませんわ!」

 りゅ、龍華さん、別に言い触らさなくてもいいのに。

「ですから、このまま私だけ何もしてもらってないのもくやしいので、私も平子さんに何か助けてもらうことにしたのです。幸い今日は二人とも、バイトのシフトが入っていませんしね」

「そんな無茶くちゃな……」

「それとも、龍華を助けることはできても、私を助けることはできないと?」

「いえ、そういうわけでは……」

「では、私のこと、助けてくれるんですのね」

「……はい」

 有無を言わせぬ輝姫さんの口調に、僕は渋々頷いた。

「よろしい。では、早速行きますわよ」

「え? どこに?」

「決まっているでしょう。私の部屋です」

 ええ~~~!


 それから十分、輝姫さんに首根っこを掴まれて連れてこられたのは、鉄女の寮『イージスの盾』。って、すごい名前だな。

「こ、こんなところまで来てなんですけど、僕が入ってもいいんでしょうか?」

「問題はないでしょう。確かにここに住んでいる者ではありませんが、あなたも一応鉄女の生徒。寮への立ち入りに問題はないはずです。まあ、誰かに何か言われたら、私が生徒会長権限で何とかしてあげます」

 と言われて中へ。

 生まれて初めての女子寮は、一言で言えばいい匂いがした。

 クンクンと匂いを嗅いでいた僕は、輝姫さんに引き摺られてとある一室へ。どうやらここが輝姫さんの部屋らしい。ネームプレートに名前が書いてある。

「あなたを部屋に入れる前に、一つ言っておくことがあります」

 輝姫さんが鬼気迫る顔で僕に言った。

「な、何でしょう?」

「これからこの部屋で見た物、することは全て他言無用。よろしいですわね?」

「は、はい……」

 とてもノーと言える雰囲気じゃなかったので、とりあえず僕は頷く。

 その返事に、輝姫さんは満足そうな笑みを浮かべた。

「よろしい。では、どうぞ中へ」

「…………」

 輝姫さんの部屋に入った瞬間、僕の目の前には信じられない光景が広がっていた。

「き、輝姫さん……」

「何ですの?」

「ここ、ほんとに輝姫さんの部屋ですか?」

「そうですけど」

 マジで! と、僕は内心でツッコむ。

 だってこの部屋、どう見ても漫画家の職場にしか見えないんだもん。

「言ってなかったかしら。私、趣味で漫画を描いているのです」

 ああ、そういえば資料に書いてあったな。

「へ~、でも、趣味にしては随分と本格的なんですね」

「当然です。私、将来の夢はプロの漫画家ですから」

 輝姫さんが、顔を輝かせて言った。

「な、なるほど。で、どんなジャンルの物を描いてるんですか?」

 輝姫さんが、本棚から薄い本を一冊抜き取り僕に渡す。

「これですわ」

「どれどれ……」

 こう見えても、漫画は結構好きだ。っていうか大好き。表紙にはイケメン風の男が描かれている。へ~、輝姫さん、絵上手だな~。あ、作者名がシャイニングプリンセスになってる。なるほどね。さてさて、輝姫さんはどんな……。

「ブーーーーー!」

 本を捲った瞬間、僕は盛大に噴き出した。

 そこに描かれていたのは、その……男と男が激しく絡みあって、なんというか……色々としちゃっているシーンだった。

「き、き、輝姫さん、これって……」

「はい。BL本です。ご存知なかったかしら?」

「いや、存在自体は(エロゲーなんかにたまに出てくるから)知ってますけど。実際見たのは初めてで……」

 だって僕、男の子だもん! ストレートな男の子だもん!

「あらそう。けど、いい機会ですわ。これを機会に、新しい自分を開拓してみてはいかが?」

 嫌です! 絶対、嫌!

「あ、あの、どうやら、ここで僕にお手伝いできそうなことは何も……」

「ありますわよ」

 やんわりと断ろうとした僕に、輝姫さんがきっぱりと言い切る。

「大丈夫。あなたにしかできない、あなただからできることがちゃんとあります」

「…………」

 僕は……諦めた。

「……分かりました。一応、遅くなるって、テッペキさんに電話入れてもいいですか?」

「ええ、もちろん。でも、逃げられると困るので、ここでかけて下さいます? もちろん、スピーカーにして」

 そして、最後の足掻きも失敗。もう駄目だ。

 僕は、仕方なくその場で電話をかける。

「もしもし、テッペキさんですか?」

『はい。《妹の匂いを嗅いでいいのは私だけ》が信条の、万能美人秘書、鉄壁です。どうしたんですか、平子様? そんなバイオ○ザードに出てくるゾンビみたいな声をして』

「ほっといてください。あの、迎えに来る時間、遅らせることってできますか? え? 無理? それじゃあしょうがない。今すぐ迎えにきて……」

『いえ、できます』

 ……テ、テッペキさん、そこは察してよ。

『どうやら、またもフラグイベントに遭遇したようですね。分かりました。この愛と金と妹に生きる万能美人秘書鉄壁紀子。ここは空気を読んで、迎えに行く時間を遅らせます』

「本当に空気を読んだなら、今すぐ迎えに来てよ」とは言えない。

「ご安心を。会長には秘密にしておきますから。……ニヤリ」

 そして、電話は終了。さ、最後のニヤリって何だ?

「さて、電話も終わったようですし、そろそろ始めましょうか?」

「……分かりました。けど、僕は何をすれば……」

「脱いでください」

「は?」

 僕の目が点になる。

「すみません。今なんと?」

「ですから、脱いでください」

「な、何故ゆえに?」

「私、BL本を描いてますでしょう? でも、どうしても男性の○○○の描写が上手くできないんです。今までは保健体育の教科書を見て描いていたのですけど、やはり実物を見た方が制作意欲が湧くと思いまして」

「イ、インターネットとかで調べれば……」

「ナマに敵うものはございません♡」

 と言って、輝姫さんがエンジェルスマイルを浮かべる。が、僕にはそれが、角を生やした鬼の笑みにしか見えなかった。

「きょ、拒否権は……」

「ありません♡」

 きっぱり否定し、輝姫さんが近づいてくる。

「あ、あのですね。一応僕にも羞恥心というものが……」

「あ、心配いりませんわ」

「へ?」

「先に私があなたに触って気絶させてあげますから」

「…………」

「あなたは眠っているだけでいいんです。大丈夫、優しくしてあげますから♡」

 そう言って、輝姫さんは笑いながら僕に手を伸ばす。いや~、やめて~!

 そして、僕は意識を失った。



 え、えらい目にあった……。

 輝姫さんの部屋を訪れた翌日の放課後、僕は廊下を歩きながら憂鬱に浸っていた。

 昨日あのあと、輝姫さんに気絶させられた僕は、二時間ほどで輝姫さんのベッドから目覚めた。……真っ裸で。

 目覚めた僕は「キャ~!」と女の子のような可愛らしい悲鳴を上げる。

 すると、近くで漫画の執筆に勤しんでいた輝姫さんが、「あ、起きたんですの。もう帰っていいですわよ。ごちそうさま」とあっさり。

 僕は急いで、近くに畳んで置かれていた制服を身に纏い、輝姫さんの部屋を離脱したわけだ。でも、最後に輝姫さんの言った「ごちそうさま」ってどういう意味なんだろう?

 そして、それが気になって、僕はずっと憂鬱に浸っている。授業もまるで耳に入らなかった。

……まあ、いつも真面目に聞いてるわけじゃないけど。ハアーー、何で僕ばっかりこんな目に……イテ!

 ずっと考え込みながら歩いていた僕は、誰かとぶつかってしまった。

「す、すみませ……って、邪鬼さん!」

 ぶつかった相手は邪鬼さんだった。今日もいつもと変わらず、黒いとんがり帽子とマントを着けている。

「すみません、ちょっと考え事してて。でも、こんなところでどうしたんですか? 今日は確か、シフト入ってないですよね?」

「…………」

 しかし、邪鬼さんはそのまま無言で僕をじっと見つめている。ど、どうしたんだろう?

「し、しまった。困ったことになった」

 しばらく無言だった邪鬼さんが、突然、いつもの真顔でそう切り出した。

「へ?」

 いきなりのことに、僕は唖然となる。でも、なんかこんな光景を、前に見たことがあるような……。しかも、具体的にはごく最近。さらに明確に言うと昨日辺りに。

「し、しまった。困ったことになった」

 唖然としたまま固まる僕に、邪鬼さんがまたも真顔で繰り返す。

「関わってはいけない。全力でこの場を離脱せよ」と、僕の本能が警鐘を鳴らした。

「そ、そうですか。それは大変ですね~。それじゃ、僕はこの辺で……」

 僕は愛想笑いを浮かべてその場を離脱……。

「ちょっと待つ」

 ……できなかった。

「困っている者がいるのに何故助けない?」

「全然、ちっとも、微塵も困っているようには見えないもので」

「否、我は困っている。すごく、とても、非常に、困っている。龍華や輝姫と同じように」

 ああ、やっぱり。それでこの流れなわけね。

「ハア~、分かりました。で、僕は何をすればいいんです?」

「汝は、龍華に食事を奢り、輝姫に気前よく自分の身体情報を奢った。よって、我には汝の命を奢ってもらう」

「お疲れさまでした~……グエ!」

 それを聞いて当然逃げようとした僕だけど、邪鬼さんが僕の制服の襟首をガッチリ掴んで放さない。

「ちなみに拒否権はない。先に言っておく」

「……そうだ! 僕今日、シフトが……」

「我が変更してもらった。問題ない」

「……テッペキさんに電話入れてもいいですか?」

「許可。ただしここでする。今すぐ。手短に。スピーカーで」

「…………」

 僕は、無言で涙を流しながらスマホを取り出した。

「もしもし、テッペキさんですか?」

『はい。こちら、《妹のためなら世界を壊せる女》こと万能美人秘書鉄壁です。どうしたのですか、平子様? そんなこれからレベル1の状態で、大魔王に戦いを挑みにいくような絶望的な声をして』

「あの、今日も迎えを遅らせることって……やっぱりできてしまうんですよね?」

『何ですか、平子様。その言い方だと、まるで迎えを遅らせるよう電話しているけれど、本心ではそれを拒否して一刻も早く迎えに来て欲しいと言ってるように聞こえますよ』

「そうです! その通り!」とは、もちろん言えない。

『どういった状況かは知りませんが……分かりました。この空気の読める女、鉄壁紀子。いつも通りに空気を読んで、迎えの時間を遅らせます』

「…………。僕の秘書だったら間違いなくクビですね、テッペキさん」

『そうかもしれませんね。しかし、生憎と私に金を払っているのはあなたではありません』

 い、嫌味も通じない。

『頭脳明晰な私の予想ですと、どうせまた何かのフラグでもおっ立てたのでしょう。ならば私は、それを邪魔するわけにはまいりません。何故なら、今日の平子様の運勢は、最高、完璧、今年一番、と今日の朝の占いに出ておりましたから』

「……とりあえず、その占い師の名前教えてもらっていいですか? もし生きて帰れたら、速攻で殺りにいくんで」

『フフフ。平子様、随分とジョークが達者になられたようで』

「この声がジョークに聞こえます?」

『…………。まあ、それはさておき、何かゆいご……もとい、言い残すことがあれば聞いておきますが?』

 危機的状況だと分かってるなら助けてよ!

「分かりました。じゃあ、僕に万一のことがあったら、犯人は邪鬼さんだと思ってください」

『分かりました。平子様が死んだら、平子様が相続するはずだった財産は全て私に、ですね。確かにご家族に伝えます』

「生きて帰れたら、絶対王菜ちゃんをナンパしてやる!」

『ホホホ。そういうことは女性拒絶体質を治してから仰ってください』

「平子、長い。さっさとする」

 待つのに飽きたのか、邪鬼さんがそのまま僕の制服の襟首を掴んで引き摺っていく。

『では平子様、どうか安らかに。それでは。……ブツッ!』

 くそー、いつか絶対仕返ししてやる~。……生きて帰れたら。



 ハア、ほんとに死ぬかと思った。邪鬼さんに攫われた翌日、僕は自分の机に突っ伏していた。

 昨日あそこで何があったのかは……うっぷ、とても言葉にできない。思い出しただけで、吐きそうになってくる。

 でも、もう放課後だし起きなきゃ。今日はバイトがある。昨日(無理やり)休まされちゃったし、今日は行かなきゃ。でも、あと五分だけ……。

「……ちゃん」

 誰かが僕を呼んでるような気がする。誰だよまったく。今、僕は疲れてるの。五分くらい寝かせてよ。授業中だって、どれだけ聞いてるフリするのに必死だったか。僕は、申し訳ないけど声を無視することに決めた。

「……ちゃん。平子ちゃん」

 しかし、声の主は、今度は僕の体を揺すぶってくる。僕は仕方なく頭を上げた。

「……何? 僕、今疲れてるんだけど……って、コココちゃん!」

 声の主はコココちゃんだった。僕の不機嫌そうな声に落ち込んだのか、トレードマークの横にピョンと伸びたツインテールが、今は力なく倒れている。

「えう。ごめんなさいです」

 しょんぼりするコココちゃんに、僕の脳は急速に覚醒していった。

「いや、その、ご、ごめんね。何か最近疲れ気味でさ。決して、コココちゃんに声をかけられたのが嫌ってわけじゃないから。そ、それで、どうしたの? 僕に何か用?」

 完全に眠気の飛び去った僕は、半ばパニックになりながらもコココちゃんに尋ねた。

「えう。これ……」

 そう言って、コココちゃんが僕の前に差し出したのは、小さなタッパーに入ったレモンの蜂蜜漬けだった。

「これは……」

「えう。平子ちゃん、最近ずっと元気ないみたいだったから、家庭科室を借りて作ってきたです」

「これ……僕のために?」

「はいです。コココ、平子ちゃんのことが心配で……迷惑だったですか?」

「心配? 僕を?」

 その言葉を聞いた瞬間、僕は何かじ~んときた。

 心配。ここ数年、僕は、心配なんかしてもらったことがあっただろうか? じいちゃんはあんな(自分の再婚相手候補に近づくために、孫を使うようなゲス野郎)だし、父さんはあんな(母さんのことしか頭にないクソッタレ)だし、母さんは、父さんに取られて僕を構う暇なんてないし。そんな中、僕を可愛がってくれてたばあちゃんも、数年前に死んじゃったし、修行時代に可愛がってくれてた師匠も、今は疎遠だし。だから僕は、ここ数年、他の人に心配してもらったことなんてなかった。自分の家族にさえも。でも今、僕の目の前に、僕を心配して差し入れをしてくれた一人の女の子がいる。

 そのことに、僕はすごくじ~んとした。

「あの、平子ちゃん。急に黙り込んでどしたです……!」

 気が付くと、僕はコココちゃんを抱きしめていた。だって、そうしないと目が潤んでるのがバレちゃうんだもん。

「えう! 平子ちゃん、急にどしたですか! えう! えう~!」

 コココちゃんが、えうえう言いながら手をバタつかせる。ああ、コココちゃん、いい匂いがするなぁ。優しくて、甘くて、安心する匂い。最初に出会った頃と同じだ。ずっとこうしてたいなぁ。

「えう。平子ちゃん。あんまりギュってされると苦しいです」

「あっ!」

 その言葉を聞いて、僕は慌てて体を離した。フウ、危ない危ない。自分の力が強いこと忘れてた。

「ゴ、ゴメンね。痛かった?」

「えう。全然大丈夫です」

 そう言って、コココちゃんがニッコリ笑う。よかった。

「あのこれ、食べてみるですか?」

「うん。それじゃ、お言葉に甘えて」

 僕は、タッパーからレモンを一つつまみ、口の中に放り込んだ。

 ほどよい酸味と甘味が体に染みる。ああ、なんかまた泣きそうになってきた。

「すごくおいしいよ。コココちゃん、ほんとにありがとね」

「えう。気にすることないのです。コココと平子ちゃんはお友達なのです」

 彼女の慈愛に満ちた笑顔を見た瞬間……。

 僕の心に、小さな火が灯った。

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