第四章
第四章
「皆さん、はじめまして。私は当メイドカフェ、ラブリーオーナでマネージャーを務める鉄壁紀子です。どうぞ、お気軽にテッペキさん、もしくはマネージャーさんとお呼びください」
静かだった店内に、テッペキさんの声が響く。
今日は顔合わせ兼ミーティング。どうにかこうにか四人のターゲットをバイトに誘うことに成功して、今日がその顔合わせだ。
「え~、メイドの皆さんは、互いに同じ学園、同じ学年ということで面識もあるでしょうから、今日は、こちらの紹介をさせていただきます」
そう言って、テッペキさんは、どこからか赤い絨毯のロールを取り出し、入り口に敷く始める。え? 何してんの?
敷き終えたテッペキさんは、次にコホンと一つ咳払いして、入り口のドアを開けた。
するとそこから、明らかにお高いですといわんばかりの高級スーツに身を包んだ一人の紳士が、口にパイプを咥え、杖を携えて入ってきた。っていうか、あれ、ウチのジジイじゃん。
めかしこんだウチのジジイは、テッペキさんの敷いた絨毯の上を悠然と歩き、僕達の前に立って一礼する。
「はじめまして、お嬢さん方。ワシは、このメイドカフェのオーナー、富持金助と申す者。一応、『世界的大企業』富持グループの会長という肩書きも持っております。以後お見知りおきを」
ジジイは、そう言ってまたも優雅に一礼。ほんと、何やってんの、この人?
「え~、今ご紹介した通り、この方が当メイドカフェのオーナー、富持金助氏です。富持氏は、普段は店におりませんが、皆さんの働きぶりを見るために、しばしばお客として店を訪れます」
「嘘吐け。みんなを口説くためだろうが」とは言わない。ああ、何て空気の読める良い子な僕。
「そして最後に、すでに皆さんご承知の富持平子様は、便宜上、ここの店長となっています。皆さん、学園内ではともかく、バイト中はできるだけ、平子様のことを店長と呼ぶことにしてください」
いや、僕は別に名前でもいいんだけど。
「それではまず、当メイドカフェについてご説明させていただきます。まず営業時間は、平日午後五時~午後八時。土曜日は午前十時~午後五時までで、日曜祝日は休業。ただし、イベント開催時のみ、日曜祝日を土曜の営業時間で営業いたします。まあ、イベントは月一くらいをメドに考えておりますので、詳細はまたおって連絡します。メイドの方々はシフト制で、平日は二人か三人。土曜・イベント開催時は、基本的に全員参加でお願いします。ちなみに、皆さんにやっていただくのは、接客と開店及び閉店時の清掃のみで、厨房にはこちらで用意したシェフを使います。こちらで事前にリサーチした結果、どうも昨今の潰れるメイドカフェの特徴として、料理がまずい、もしくはレトルトなどをそのまま出すという特徴が見受けられるため、当店では、コーヒーや紅茶、もちろん料理の食材なども最高級の物を使用し、調理もプロに頼むことにしました。ちなみにこちらは全てオーナーである富持金助氏の意向です。どんな事業ででも常にトップを目指すオーナーの漢気が窺えます」
ケッ。なーにが漢気だ。みんなの気を引くのが目的のくせに。しかも、なんかカッコつけてすましてるし。
「あと、みなさんの時給の件で……」
そこで、紳士を装って登場したジジイが、テッペキさんを片手で制し、少し困ったような表情を浮かべた。
「皆さん、申し訳ない。この度は、孫の我が儘に付き合わせてしまいまして」
は? 我が儘? その言葉に、僕は内心で素っ頓狂な声を上げた。
「実は、今回の件は、全て孫の我が儘が原因なのです。つい先日、孫に『メイドさんってかわい~。ねえ、おじいちゃん。僕、メイドカフェで働いてみたい。でも、一人で働くのは心細いから、僕と同い年くらいの子と一緒に働きたいなぁ~。ねえ、おじいちゃん。僕のお願い聞いてくれるよね~?』とせがまれてしまいましてな。それで、今回のスクールメイドカフェをやることにしたわけです。いや~、お恥ずかしい。我ながら、甘いことは重々承知しておるのですが、可愛い孫にせがまれては駄目とは言えませんでな」
何? 何で僕が、そんな我が儘お嬢さまになってんの? っていうか、このジジイ何言ってんの?
「お嬢様方、大変申し訳ありませんが、ここは一つ、この孫思いのジジイのために、この座興に付き合ってはもらえませんか? もちろん、それ相応のお礼はさせていただきます。孫は、皆さんの時給を五千円とお伝えしたようですが、孫の我が儘にお付き合いいただく皆さんへのお礼として、時給を一万円にアップさせていただきます」
「「「一万!」」」
一万という言葉に、打破さん、麗条さん、天乃さんの三人の目がドルマークになる。コココちゃんも驚いてるみたいだ。あ、あの、ジジイ、僕の言い出したことを、勝手に自分の手柄にしやがって。
ブチ! あ、やばい! 今、僕の中の何かが、ものすごい音を立てて切れた。いや~、怒りを現す表現に『青筋を立てる』ってのがあるけど、あれを過ぎると青筋って切れちゃうのか~。いや~、勉強になったな~。あまりの怒りで、顔が引きつって元に戻らないよ。
「それでは、本日は以上です。明日から一週間は、研修期間ということで、お客さんこそ入りませんが、色々と仕事を学んでいただきます。ちなみに研修期間中は、手間を省くため、全員同じシフトに入っていただきます。詳しい話はまた後日ということで。それでは皆さん、寮までお送りしますので、店の前でお待ちください」
「へ? 送ってくれんの?」
テッペキさんの言葉に、打破さんが意外そうな顔で尋ねる。
「もちろんです。安全に配慮し、これから寮と店との行き来は、全て私がさせていただきます」
「それは助かりますわね」
「ラッキー」
麗条さんと天乃さんも、それぞれ嬉しそうな声を上げる。
「それじゃあ、みんな、今日はお疲れ様。明日からよろしくお願いしますね」
僕は、店を出ようとするみんなに手を振った。
「あれ? 平子ちゃんは、一緒に帰らないですか?」
そんな僕に、コココちゃんが不思議そうな顔で尋ねる。
「うん。僕はちょっと事情があって、自宅から通うことを許可してもらってるんだ。それに、本当は一緒に乗っていきたいけど、テッペキさんの車に六人は狭いからね。だから今日は、ここでお別れ。また明日、学校でね」
「はいです。また明日です、平子ちゃん」
コココちゃんは笑顔でそう言って、他の三人と共に店を出て行った。さて、と。
「ふぃ~。疲れた疲れた。真面目な顔で話すのは疲れるの~」
みんなが出て行ったのを確認した瞬間、ジジイが被っていた猫を取った。それと同時に、僕がゆらりとジジイに近づく。
「フフフ。しかし、今日のツカミは上々じゃった。これで、あの四人の中には、しっかりと『ステキな老紳士のワシ』がインプリンティングされておるはずじゃ。ククッ。この調子でいけば、六十歳の歳の差なんぞ……」
「ねえ、じいちゃん……」
「ん? どうした助平?」
「何か忘れてな~い?」
「忘れて? いや、ワシの今日のツカミは、我ながら完璧じゃったぞ」
「いやいや。そうじゃなくてさ~」
そう言った刹那、僕はじいちゃんの顔面を思い切りぶん殴る。僕の怒りの篭った熱い拳を顔面にめり込ませたじいちゃんが、悲鳴を上げる間もなく、テーブルをなぎ倒しながら地に倒れた。
僕は、そんなじいちゃんの頭をグリグリと踏みつける。
「土下座を忘れてるよ、じいちゃん。僕に対する土下座をさ」
踏みつける足に力を込める。ゆっくりと。万力のような力を込めて。
「誰がメイドカフェをしたいって? ああ、答えなくていいよ。答えさせるために、足の力を緩める気もないし、僕が一方的に喋る気しかないから。ねえ、じいちゃん。虚偽の発言は困るな~。いかに温厚な僕といえども、さすがに限度って物があるんだよ~」
じいちゃんの頭蓋骨がギシギシと軋む音がしたが、僕は全く気にしない。
「ここはあれか? やっぱり一度、死んどこうか? その方がいいでしょ? 一回死んで、生まれ変わってから出直しなよ。よし、決定。そうしよう。じゃあ、じいちゃん。さような……パシャ!」
僕の声は、突然のシャッター音にかき消された。
音の方を見ると、テッペキさんが自分のスマホで僕達を撮影している。
「あれ? テッペキさん? みんなを送っていったんじゃないんですか?」
「いえ。店に車のキーを忘れてしまいまして。取りに戻ったのです」
「ははっ。珍しくうっかりさんですね~」
じいちゃんの頭を踏みしめて、グリグリしながら僕は笑った。
「いやしかし、たまにはうっかりさんも悪くないものです。祖父とその孫の真に心温まる場面に遭遇してしまいました。思わず写メを撮ってしまいましたよ」
と、鍵を取ってきたテッペキさんが言う。
「あはは。いや~、愛情表現は人それぞれですからね~。もし写メを撮られると分かっていたら、ポーズも付けたのに。残念です」
「よろしければ、もう一枚撮りましょうか?」
「おおっ! それは嬉しいな~。僕は今、久しぶりにとてもいい気分なんですよ。どんなポーズがいいですか?」
「……それでは、昔いた世紀末覇者辺りの『我が人生に一片の悔いなし』的なポーズをお願いできますか?」
「了解で~す」
僕はそう答え、じいちゃんの頭を踏みつけたまま、己の右拳を高々と突き上げる。
パシャ!
「ありがとうございます。おかげで、良い写メが撮れました」
「いえいえ。お粗末様です。あ、そうだ! テッペキさん。やっぱり僕も一緒に帰りますよ。また戻ってきてもらうのも悪いですし。僕一人くらい何とか乗れるでしょ?」
「ええ、それはまあ。しかし、そこに転がっているボロ雑巾はどうするのですか?」
「ああ。あれは放置でいいです。あれくらいで死ぬようなタマなら、僕もこんなに苦労しませんよ。もし目が覚めたら覚めたで、タクシーででも帰らせればいいんです」
そう言って、僕達は店をあとにした。
ということで、やってきました研修期間一日目。
授業が終わり、店に集まったみんなに、テッペキさんが一冊のマニュアルを配る。
ああ、僕が昨日もらったやつだ。テッペキさんお手製の「マル秘☆ メイドカフェのメイド虎の巻」。
配り終えたテッペキさんが、全員を見渡しながら、一つ咳払いした。
「え~、それではこれから研修を始めたいと思います。メイドに最も必要な物。それは卓越した家事能力ももちろんですが、メイドカフェのメイドには、それにもまして必要な物があります。それは、ズバリ笑顔です!」
テッペキさんが、グッと拳を握りしめる。
「接客業である以上、笑顔が必要なのは当然ですが、メイドカフェのメイドに必要なのは、ただの笑顔ではありません。萌えと癒しを含んだ、特別な笑顔が必要なのです。とは言っても、ただ媚びたり、作った笑顔を向ければいいというものではありません。もっと格調高い上品な笑顔が必要なわけなのですが……まあ、これは口で言うより、実際に見てもらった方が早いでしょう。ということで、平子様、他の皆さんにお手本を見せてあげてください」
「は? 何ですか?」
「何ですかではありません。皆さんに、笑顔の見本を見せてあげてください。せっかくですから、入店時の接客というシチュエーションで、実際にお客様が来た時の接客をお願いします」
「な、何で僕が……。っていうか、僕もメイドカフェで働くの初めてなんですけど」
「何を仰いますか! 昨日自宅の鏡の前に立って、夜な夜な『お帰りなさいませ~、ご主人様☆ お嬢さま☆』と、ずっと接客の練習をしていたではありませんか! 最後の方など、ノリノリでウインクまでして。それを、今、ここで披露してください」
「な、何でそれを……」
テッペキさんは、僕の質問には答えず、ただ不気味にニヤリと笑う。
「と、とにかく、僕も未経験者なんですから、まだ人様にお見せできるほど大層なことはできません」
それを聞いたテッペキさんが、仕方ないとばかりに肩を竦めた。
「……フー。やれやれ。まったく、仕方のないゆとり店長ですね。すみません、皆さん。ウチのゆとり店長が、お前に食わせるタンメ……じゃなかった、お前に見せるスマイルはねえ、などと駄々をこねるので、ここは一つ、動画で勉強することにしましょう」
そう言って、テッペキさんが、一枚のマイクロSDを取り出し、近くにあったノートパソコンにセットする。
『お帰りなさいませ~。ご主人様☆ お嬢さま☆』
すると、ノートパソコンの液晶に、メイド服を着た僕が、自宅の鏡の前で、ポーズを取りながら笑顔を浮かべて、接客の練習をしている映像が出た。さ、さ、さ、撮影までしていやがる。
「テ、テッペキさん、何ですか、これ?」
「何って、指導用の動画ですよ。見て分かりませんか?」
「そうじゃなくて、何で僕が映って……」
僕の言葉に、テッペキさんはやはり何も答えず、不気味にニヤリと笑った。その不気味な笑いやめてよ。っていうか、ああ! みんなも、何か笑いを堪えながら、パソコンを見つめないで! 天乃さん、「イタすぎ」とかボソッと言わないで!
「皆さん、分かりましたか? これがメイドカフェで働くメイドの正しい笑顔です。どこぞのファーストフード店のスマイルはゼロ円ですが、メイドカフェのメイドの笑顔には金を払う価値がある。だからこそ、お客様はわざわざ料金の高いメイドカフェに足を運んでくださるのです。故に、たとえ相手が、汗を大量に掻きながらやってきたキモオタ野郎でも、下卑た半笑いを浮かべる下心満載の変態野郎でも、女のクセにメイドカフェに癒されにくる、百パーセント二次元の恋人しかいないイタすぎる腐女子であったとしても、嫌な様子など微塵も見せず、常にこの笑顔を浮かべることが最重要事項です。メイドカフェにやってくるオタク共は、その辺敏感ですから注意しましょう」
テッペキさんが熱弁をふるう。
「そんなわけで、早速皆さん、笑顔の練習をしてみましょう。それでは……まずは、マーベラスさんから」
「ひゃ、ひゃいです!」
一番手に選ばれたコココちゃんが、少し緊張しながらも笑みを浮かべた。
「はい、結構です。少し硬さも見られますが、よい笑顔ですね。次、麗条さん、お願いします」
「はい」
呼ばれた麗条さんが、上品な笑みを浮かべた。
「素晴らしい。完璧です」
その言葉に、麗条さんが、さも当然とばかりに口端を吊り上げる。
「次、打破さん」
「あいよ」
三番手の打破さんが、ニカッと、彼女らしく快活に笑った。
「よろしい。合格です」
打破さんが、満足そうに頷く。
「次、平子様は……よいとして、最後は天乃さん、お願いします」
「了解」
テッペキさんの言葉にそう答えた天乃さんだったが、いつまでたっても、その表情が笑顔になることはなかった。
「……天乃さん、笑顔をお願いします」
「もうやってる」
とは言うものの、やはりその顔は、いつも通りの無表情。
天乃さんを除く全員が、困ったような顔になった。
「あの、天乃さん、先ほどから表情が変わっておりませんが」
「変わってる。我の表情筋では、これが笑顔」
「「「「「…………」」」」」
その言葉に、周りは沈黙。
僕がテッペキさんに、「どうすんの?」的な視線を向けると、テッペキさんは大きくため息を吐いた。
「天乃さん、申し訳ありませんが、笑顔一つできないメイドは、メイドカフェのメイドではありません。それと、これはすでにご承知のことと思いますが……」
テッペキさんは、そこで一度言葉を切った。
「ウチの時給は一万円です」
ニコッ。
テッペキさんが一万円と言った瞬間、天乃さんの顔に、見た者全てを虜にするような極上の笑みが浮かんだ。
……お金って怖い。
その後も、ほぼ滞りなく研修は進み……。
「さて皆さん、最後は困った時の対処法です」
喋りすぎて喉が渇いたのか、テッペキさんが近くに置いてあったペットボトルの水を飲み干した。
「皆さん、こういった職業は初めてでしょうから、戸惑うこともあるでしょうし、ミスもするでしょう。しかし、仮にそういった窮地に陥ったとしても慌てる必要はありません。メイドカフェのメイドになった時点で、皆さんにはある属性が付与されました。そう、ドジっ子という名の属性が」
…………。
「基本、メイドカフェに来るブタ共……もといお客様は、メイドに癒しを求めにくるものです。よって、完璧なメイドも悪くありませんが、少しドジで手付きの危なっかしいメイドも、それはそれで微笑ましく、需要もあります。そこで、普段はもちろん完璧な給仕をしていただいて構いませんが、もしミスをした時などは、『あ~、失敗しちゃった~。てへ♡』と可愛く舌を出して言ってみましょう。皆さん、ルックスは申し分ありませんので、ミスの九割はそれで何とかなります」
……ほんとかよ。
「しかし、残りの一割。これが厄介です。この一割は、もちろんこういうことはないにこしたことはないのですが、例えば、店内に虫が入ってきたり、ゴキブリが発生した場合などです。これは、ミスではなくトラブルの部類ですが、こういった時の対処は、正直かなり困るもの。しかし、慌てることはありません。もし仮に、店内に虫が入ってきた場合は『あ、妖精さんだ~』と可愛く言って、ブチッと殺しましょう。ゴキブリの時ももちろん同様です。もし『妖精さんを殺すんかい』という視線を向けられたら、『あれ~、妖精さんいなくなっちゃった~』でごまかせばオーケーです」
…………。
「さて、以上で本日の研修を終わります。何か質問のある方はいらっしゃいますか?」
手を挙げる人はいない。
「結構。では、明日からは、実戦形式の研修に移ります。本当のお客様が来ることはありませんが、シュミレーションということで、視察に来るオーナーの接客を担当していただきます。皆さん、今日学んだことを思い出してがんばってください」
あ、あのジジイ、そうやってみんなに近づく気だったんだな。
ハア、先が思いやられるよ。