- 2
そもそも俺はあまり熱いお茶を飲むタイプではなく、
まして夕方になっても下がらん気温の中で
来客にホッカホカの緑茶を差し出すほど常識知らずというわけでもない。
だが、部屋の呼び鈴を某ハイパー五輪レトロゲームのごとく連射し、
その音があまりにやかましいので
仕方なく部屋の玄関を跨がせてしまった人間を来客のカテゴリに入れて良いのだろうか。
いっそのこと『とっとと帰れ』という皮肉タップリに
熱々のチゲ鍋かトムヤムクンでも出してやればよかったのかもしれないが
生憎そんな料理テクニックは無い。
というわけで冷蔵庫にあったペットボトルの烏龍茶をグラスに注いで、ちゃぶ台に置いた。
「……とりあえずどうぞ」
「これはありがとうございます! それじゃ頂きますね」
と、口調こそ丁寧だが、
差し出されたそれを風呂上がりにビールを飲む中年親父のごとく一気飲みする目の前の女性。
「くぁ~! 生き返るぅ! 暑い中の営業周りって本当にツラいんですよ~! 冷たい飲み物はホント助かります!」
「それは良かった。飲んだらとっとと帰ってくださいね」
「まぁまぁ、そんなこと言わずに。あんまり怪しまないでくださいよ」
だったらもう少し怪しまれない方法で俺の部屋を訪ねることはできなかったのか。
「それで何のご用ですか? 金なら本当に無いんでセールスと強盗はお断りです」
「知ってますよ~。お財布、なくしたんですよね?」
……へ?
「な、なんで知ってるんです?」
「見ていましたから。ずっと」
何を? ……ああ、そうか。
「もしかして俺の財布拾ってくれたんですか? それで家まで届けに来てくれた、と」
なるほど、それならこの人の行動にも合点が行くってもんだ。いや~ありがたい。
「残念ですけど違います」
が、すぐに否定。
「お財布の所在はわかりませんが、
私の不幸センサーに貴方がビンビンに反応しちゃったからここに来たんです……って、携帯で110番かけようとしないで下さい!」
「もう本当に付き合いきれないんで帰るか、
警察に強制退場させられるかしてください。じゃあ、なんで部屋を訪ねてきたんですか」
「そうそう! 申し遅れました! 私、こういう者です!」
と言って名刺を差し出してくる彼女。
ちゃんとした肩書きを証明できるものがあるなら最初に渡せば良いとも思ったのだが、そこに書いてあった言葉。
『異世界派遣協会、営業担当、女神コモリ・コモラ』
「はい! 私の名前はコモリ・コモラと言います! 女神みたいなものをやっています! 不幸な貴方に仕事を与えにやって来ました!」
……頭痛くなってきた。どっから突っ込めばいいのか分からん。
いくら厨二病をこじらせたとしても、初対面の人間に国籍不明の横文字のネームを名乗り、
自らの職業を女神と言い張れるほど頭のネジが外れた奴はいるのだろうか。
新手の宗教の勧誘か? もういいや、何かアホすぎて少し面白くなってきたので話だけ聞いてみることにする。
「それで、仕事を与えに来たと言っていましたが」
「お願いします! 私、つい最近になって人間界の営業に回されて、
今日中に仕事を受けてくれる人を確保できないと女神から降格されてしまうかもしれないんです!」
そんな妙にリアリティのあるサラリーマンのような女神は嫌だ。
「契約って、つまり俺が仕事に登録すればいいんですか? 派遣アルバイトみたいに」
「そうです!」
「んで、俺を選んだ理由は?」
「いや~、不幸オーラばりばりで金欠の学生さんなら簡単に契約が取れるんじゃないかと思ってずっと後を着けておりました!」
それ、なんてストーカー?
「というか、女神なら俺の財布の行方をまず調べて貰えません?」
「人間界だと魔法が著しく制限されているので使用できないんですよ~」
「んじゃ、金貸してください。夏休み明けには返せるんで」
「今月、私もピンチなんですよ。むしろ、貸してほしいぐらいです」
実に使えない女神だ。
「もういいですよ。んで、その女神さんとやらが紹介してくれる仕事って何ですか?」
「そうですね~。それじゃ簡単に適性検査してみましょう」
「検査?」
「ええ。職業適性テストみたいなものです。あんまり考えずに答えてください。無料です」
「分かりました。答えたら帰ってくださいね」
「それじゃ一つ目。湖に顔を覗き込むと誰かの顔が映ったような気がします。その顔は男性? それとも女性?」
「うーん……女性?」
「ははぁん、童貞ですか?」
「そろそろ本気でキレますよ」
「ご、ごめんなさい」
その後も質問は続いた。魔法は信じるのか、現世に嫌気が差していないか、生まれ変わるなら何になりたいか、神は信じるか……など。
「スイマセン、これなんの宗教勧誘ですか?」
「違いますって~。宗教なんかじゃありませんよ~。それより、これでアナタの職業適性が出ました!」
「どうぞ」
「異世界での魔法使い系少女ですね! ちょっとダーク系の魔法使いなんですけど、
老婆っていうよりはゴスロリ系ツインテールの魔法少女です。スキル的には発展途上ですが将来は有望! お給料もいいですよ!」
「帰れ。っつーか、なんの適正ですかそれ」
「お仕事の適正ですってば。簡単に説明すると、異世界でお仕事してみませんか?」
「……は? 異世界?」
「そう。異世界! イッツア、アナザーワールド!」
文法微妙に間違えてないか、それ。というか異世界?
「まあ異世界といっても割りと普通の世界ですよ。ドラゴンやゴブリンがいて、
魔法使いがいて、王宮があって、剣と魔法の戦争があるところです」
それをどうやったら普通の世界と言い張れるんだろう。
「今、その世界は大きな戦争が終わったばかり。
荒れ果てた大陸をこれから復興させようにも人々の疲弊はピークに達し、その隙に魔物が増えてきたんです」
「んで、この世界から人を派遣して少しでも復興の役に立てようと?」
「イグザクトリー! それじゃ、今見積もり出しますからちょっと待っててくださいね」
と言って、ビジネススーツのどこからか見積書とボールペン、電卓を出して計算を始める。
鬼のような速度で数字キーを叩く姿はどう見ても営業周りの女性であり、どこをどう勘違いしようが女神だとは思えん。
「はい、できました! 仕事の簡単な見積りです」
そこに書いてある単語。日払い、高校生可、直行直帰。そして何より、月の平均給与が。
「……ヒト桁間違えてません?」
「まあ、出来高制ですけど、だいたいそれぐらいです」
新型ハイスペックパソコン1台を当日お持ち帰りできるほどの金額。
「これ、おかしいでしょ。白い粉でも売る仕事ですか?」
「まさかぁ、異世界では麻薬なんて取り締まられていませんから安心です」
「あとマグロ漁船とか過酷すぎる条件も無理です」
「そうですね~。クラーケン退治とか無茶な仕事に巻き込まれなければ大丈夫ですよ」
まったく話がかみ合わん。
「内容はともかく、この条件だったら他の人が喜んで食いつくでしょう。なのに、なんで誰からも契約取れないんです?」
「みんな、怪しがって誰も契約してくれないんですよ~。なんででしょうね?」
いや、俺に聞かれても。
「とにかく、お願いです! 人助けならぬ女神助け、異世界助けと思ってお願いします!」
なんで一般高校生の俺が女神を助けなけりゃならんのじゃ。
女神なら俺に最低限の生活費を貸してくれる善意ぐらいあって良いと思うのだが。
とはいえ、この金額が俺にとって非常に魅力的なことには変わりなく、
そもそもこのまま自室で過ごしても飢え死にする運命を切り開くにはやはり金が必要なのである。
いいや、どうせ仕事があまりに怪しければバックレるという手もある。
「分かりました。その仕事、やらせてください」
「本当ですか! ありがとうございます! それじゃ、こちらにサインを」
嗚呼、その軽はずみなサインを書類に書いたのが全ての始まりだったのだ。
「それじゃまず手始めに……」
「はい」
「魂を頂きますね」
「……はい? それってどういうこ」
俺が言葉を全て言い切る前に目の前が暗くなった。
その後、どうなったかも分からない。
ただ、彼女が言った――魂を頂きますね、という言葉が嘘でもジョークでもない真実であったことに気づくことになる。
外世界、つまり異世界にて。