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告白の行方

作者: 清ピン
掲載日:2026/04/27

大学生の頃、どうして僕はあんな選択をしたのだろう。

愛のない告白をし、彼女は頷いた。

それなのに僕は、1度もデートをしなかった。

その矛盾は今も胸の奥に残り、時々、冷たい痛みとして蘇る。

これは、それを思い出した日の物語だ。

十二月の夜、冷たい空気が高架下の歩道にたまっていた。仕事帰り、駅へ向かう途中のことだ。

ふと、どこからか漂ってきた焙じ茶ラテの甘い匂いに、胸の奥が引きずられた。

――この匂い、どこかで嗅いだことがある。

そう思った瞬間、大学時代の記憶が一気に広がった。

缶コーヒーの自販機、古びた学生会館、晴れた昼。

あの頃の僕が恋人だった彼女――いや、恋人“という形”だけだった子――の顔が浮かんだ。

「……楓。」

名前を口にした瞬間、鼓動がわずかに痛くなる。

彼女の笑顔を思い出す。

優しく、儚く、いつもどこか遠くを見ていたような瞳の。

けれど、僕は、その笑顔の意味を最後まで理解しようとしなかった。

楓と出会ったのは大学の図書館だった。

僕は英語の課題に追われ、辞書を探していた。

棚の前で見つけた分厚い辞典には、すでにつり目で髪の長い女の子が手を伸ばしていた。

「あ、ごめん、取っちゃった?」

僕が言うと、彼女は驚いたように目を丸くして、それから微笑んだ。

「いいよ。譲るよ」

辞典を僕に差し出す。

「い、いや、どうぞ……」

僕が戸惑うと、彼女はくすっと笑った。

「遠慮しないで。あなた、困ってたでしょ?」

その声が耳に残った。

ほんの数分のやり取り。

それだけだったのに、胸の奥に響いた。

でも――恋ではなかった。

当時の僕は、ただ、誰かと繋がりたいだけだった。

友達でも、恋人でも、なんでもよかった。

寂しさだけが動機だった。

告白はひどく曖昧だった。

夕暮れのキャンパス、ベンチに座る楓へ、突然僕は言った。

「もしよかったら……付き合わない?」

胸の奥を探っても、言葉の奥に感情らしいものは見当たらなかった。

ただ、

「恋人がほしい」

という寂しさを埋めるための言葉。

楓は一瞬だけ目を伏せ、そしてゆっくり顔を上げた。

「……いいよ」

その返事は思っていたより早く、思っていたより柔らかく、思っていたより重かった。

胸の奥に冷たい何かが落ちた。

「嬉しい」

そう言うべきだったのに、僕はただ笑って「ありがとう」と言うだけだった。

普通なら、告白をして恋人になったのだから、次はデートをして、一緒に笑って、時間を重ねていくのが自然だ。

けれど僕は――動かなかった。

連絡を取ることすら、面倒に感じてしまった。

自分が何を望んでいるのか分からなくなった。

彼女はメッセージを送ってきた。

「明日空いてる?」

「映画行かない?」

「会いたいな」

その度僕は、

「忙しい」

「課題がある」

「また今度」

適当な言葉で逃げた。

逃げれば逃げるほど、罪悪感は積み重なり、重くなる。

重くなるほど、ますます彼女と向き合えなくなった。

気づけば――僕らは一度も会わないまま、恋人だった。

ある日、楓から長いメッセージが届いた。

『話したいことがあるの。時間をつくってくれませんか?』

逃げられないと思った。

けれど僕は答えなかった。

そして、そのまま季節が変わった。

紅葉のキャンパス、冬のキャンパス、春のキャンパス。

楓のメッセージは途切れ、僕は再び独りになった。

誰にも気づかれないうちに。

恋人という関係は、静かに消えた。

現在へ戻る。

駅のホームで電車を待ちながら、僕はスマホを開いた。

連絡先の中に、今も楓の名前は残っていた。

表示された名前を見つめながら、胸が痛む。

――どうして、あの時会いに行かなかったのか。

――どうして、理由を聞かなかったのか。

――どうして、嘘をついたのか。

答えはひとつだった。

傷つく自信がなかった。

逃げたのは、彼女ではなく自分自身だった。

ふと、スマホが震えた。

画面には予測変換で出てきた言葉。

「久しぶり」

僕は親指を迷わせた。

送信できるだろうか?

何を言えばいい?

今さら謝る?

今さら弁解する?

今さら向き合う?

答えは、分からない。

でも――もう、逃げ続ける人生は嫌だった。

僕はゆっくり息を吸い、そして吐き出した。

そして、文字を打った。

『元気ですか?』

送信ボタンに指を置いたまま、しばらく動けない。

心臓が喉の奥で暴れる。

もうここから人生が変わるような気さえした。

そして――送信した。

返事が来たのは一時間後だった。

短いメッセージだった。

『元気だよ。どうしたの?』

その文字を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。

涙があふれるほどの言葉ではない。

でも確かに、あの頃繋がっていた気配がそこにあった。

僕はわずかに笑い、文字を打つ。

『ごめん』

短い一言。

でも足りない。

全然足りない。

続けて打つ。

『ちゃんと向き合わなかったこと、後悔してる』

指が震える。

返信はすぐ来た。

『そうだったんだね』

『ありがとう』

その言葉は、優しかった。

想像していたよりずっと、優しかった。

僕は楓と再び会うことはなかった。

恋が始まることも、許しが完全に得られることもなかった。

でも――心の中に曖昧な痛みとして残り続けた後悔が、少しだけ形を変えた。

逃げていた真実と向き合ったことで、

僕はようやく、自分がどれほど不器用だったかを知れた。

愛のない告白は、誰の幸福にもならない。

寂しさを埋めるために始まった恋は、

相手の心を傷つけ、自分にも傷を残した。

けれど、あの時間がなければ、

僕は今の僕になれなかった。

そして思う。

もう二度と、

誰かの気持ちに嘘をつかないと。

楓の名前は、

連絡先から削除しなかった。

唯一の、償いとして。

夜の街を歩きながら、僕は小さく呟いた。

「ありがとう」

その声は風に溶けて、どこか遠くへ消えていった。

終わり


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