エッセイ︰憧れの世界
初エッセイです。私の頭の中にいつもある憧れの世界。それをそのまま思いつきで言葉にしました。推敲は1回もしていません。ありのままの言葉、お楽しみいただけたら幸いです。
憧れている世界がある。
この世に存在するかは分からない。そこは洋館。明治・大正時代のような独特の雰囲気がある和洋折衷の洋館。貴族たちがダンスパーティーを開くのとは違うような、別荘のような……
そしてそこには茜色の夕日が差している。窓から廊下へと陽が差し込み、4時くらいの美しい明るいオレンジの光が……
古い洋館を歩くと床が軋む。陽を受けながら歩くその先にはたくさんの本が天井まである大きな本棚の中に所狭しと入れられている。その部屋には斜陽が差し込んでいる。そこは書斎だ。一昔前の作家が使うような大きな机と椅子がある。そこには一人の落ち着いた紳士が座っているような。
この書斎で何してもいい。本を眺めるも、手入れをするも、読むも、小説を書いてもいい。詩を書いてみるのもいいかもしれない。
廊下に薄暮の時の陽の影ができる。木枠の嵌った窓の黒い影が長く伸びている。
洋室の一室には普通の、しかし古い形のベッドがあって、洗面台と机と椅子と本棚。こじんまりとしているけど大きな窓があって外には自然が溢れてる。
リビングでは大きな窓から陽をたっぷりと浴びて椅子に座ってテーブルでお裁縫をしても何かを作ってもいい。
森の道を進んだら現れる洋館。
周りは大自然。美しい自然。ここには1人でも誰かと一緒でもいい。共に文学を語らう相手がいる。そうそこは私の文学とクラシック音楽の理想の場所。イメージ。薄暮の大正時代はそのイメージなのだ。
中世ヨーロッパのクラシック、そのイメージもまた夕暮れの陽なのだ。
夕暮れがとても大切。それは私の中の太宰治の斜陽のイメージも混ざっているかもしれない。しかしそれが私の理想。憧れの世界だ。
唱歌、赤とんぼ。あのイメージが根底にあるんだ。あの歌を聴いてからよりイメージは鮮明になった。芥川龍之介の短編、太宰治の斜陽、唱歌、赤とんぼ。そのそれぞれの私の中のイメージが合わさり生まれた。
それが完成してから私の憧れと欲望はなお一層増した。
考えるだけで、胸高鳴り心躍る。
この世に存在するかは分からない。でもその場所に私は恋焦がれるように憧れている。無性にそこへ行きたくなる。
斜陽差す秋の夕方、たくさんの本に囲まれ静かに本を読む。それ以上の贅沢があるだろうか。
いつか、いつかそこへ行きたい。
夢にも見る。渇きにも似た欲望。それが叶わぬ限り私の中でそれは居続ける。でも理想はなんとも抽象的。
ああいつか、いつか、この願いが叶うといいな。
その日を私は永遠に待ち続けられるだろうか。いや、待つ。神様は、叶えてくださるだろうか。
叶う時まで、私はその理想の憧れの世界に恋焦がれ
願い続ける。




