093話 Is there a Santa Claus?
メインの牛フィレ肉に舌鼓を打つ頃には、桐谷先輩の頬はワインで紅潮していた。彼女は昔からお酒は好きだが、決して強い方ではない。そんなことを思い出す。
「橘クンはさ、なんだか一ヶ月前に会った時より大分マシになったよね。何か吹っ切れた?」
どことなく挑発的な色の瞳が、俺に向けられる。
「あー……、まぁ、そうかもしれないですね。あの後も色々ありましたので」
帝東大の部室で桐谷先輩に会った時は、取り乱して随分と要らぬことを捲し立ててしまった。
「あの日は意地悪な事も言ったけど、まぁ前向きになってくれて良かった」
「ははは……先輩のお言葉は効きましたよ。でも色々な事を考えて、それでちゃんと過去にも向き合おうって決めたんです」
そんな俺の意味深な言葉に、桐谷先輩の表情が少しだけ真剣なものになる。彼女の酔いが回る前に、俺は大事な事を聞いておかなければならない。
「桐谷先輩……あの事件の日、現場で人影を見ませんでしたか? 日笠のネームプレートを付けていない男です」
また苦い記憶を呼び戻してしまう質問になるが、それでも遠慮はしていられない。それに俺の知る桐谷先輩は、そんなにヤワでもない。
「なるほど……んー、橘クンも私人Xのことを知ってた訳だ。まぁそりゃそうか。キミはツワブキ出版にいたんだもんね」
桐谷先輩はほろ酔いの顔色とは裏腹に、一足飛びで話を進める。
「見てないよ。キミのとこの元社長はね。速水トオルが落ちてきた建物を見上げたら、屋上から下を覗き込んでた人は何人かいたけど、みんな日笠関連の人だったよ。その辺はウチの局のカメラにも映ってたでしょう。私が見たのもあれだけ」
どうやらおやっさんが現場に居たという噂自体は、桐谷先輩の耳にも入っていたようだ。数少ない目撃者なのだから、事件を疑う者に迫られた事も一度や二度ではないのどろう。もしかしたらおやっさんの写真を用いて、こいつを見ていないかなんて聞いた人もいたかもしれない。
「つまりキミも社長さんから何も聞いてない、って事だ。……でも速水トオルが本当に事故死だったのか、私人Xに聞いてみたいって思ってるアオは多いよ」
事故死報道に納得しないアオ派は他殺の線で、そして公安6課を暗躍させる政府は自殺の線で、未だあの事件の真相を追っている。桐谷先輩も、その答えを求める1人なのかもしれない。
デザートはラズベリーソースと粉砂糖に包まれた、クリスマスを連想させる逸品であった。しかしそれが何と呼ばれる一品なのか問われれば、このようなディナーに不慣れな俺には判らない。スポンジなのかムースなのかジェラートなのか、そんなものたちが点々と盛り付けられている。
「んー、良かった~。惨めなクリスマスを過ごす羽目にならなくて。ねぇ橘クン、私もそろそろ身を固めたいと思ってるんだけど、どこかにイイ男いないかしら」
桐谷先輩はデザートを堪能しながら、そんな言葉を漏らす。酒気で頬を染め、虚な瞳で訴える様は、目の前の男を勘違いさせんとする魔力が込められていた。
「……楽しめたようでしたら何よりです。俺も桐谷先輩とちゃんと話せて、久しぶりに懐かしい気分になりました」
「なーんか、橘クンは大人になっちゃったよね~。昔は私がからかうと、キミも都築クンもすぐ顔を赤くしてくれたのに」
甲斐斗と桐谷先輩と俺の3人で、大学時代や社会人になりたての頃はよく飲みに行っていたものだ。あの頃はまだ、将来の展望や現場での葛藤についての話が弾んでいた。
当時よりも大人になったというよりは、くたびれたと言った方が今の自分を捉えている。そんな自虐を言葉にするか迷っていると、桐谷先輩がさらに続けた。
「もしかして、私の知らない間に大失恋でもした?」
心の奥底が軋むような音を立てて痛む。
大失恋なんて大層な経験ではない。思い出されるのは――たったの2週間。もうあんな想いは二度としてはならない。
「ごめん……大丈夫?」
桐谷先輩が何か勘付いたのだとしたら、そんなトラウマが俺から滲み出ていたからなのかもしれない。
気付けば彼女は俺の顔を覗き込んでいた。俺はどんな酷い顔をしていたのか、彼女の心配そうな表情から窺えてしまう。
「す、すみません、気にしないで下さい……そんな事より、思い出しませんか? 昔よく3人で飲んだ時の事を。桐谷先輩だって変わりましたよ、学生の頃はあんなに泣き上戸だったのに」
俺は過度な心配をさせまいと、咄嗟に話を逸らす。
先輩はその言葉を咀嚼し、そして苦笑いを浮かべる。
「言ってくれるね~、あんな姿はキミたちにしか見せてないんだから。……そうしてるウチに乗り越えたの、私は」
かつて俺たちが帝東大生だった頃、桐谷先輩は分銅祭のミスコンに参加した。俺も甲斐斗も心から応援していたが、その結果は4位に終わり、憧れの壇上で表彰されることもなく終わった。
それからというもの、酒が入ると事あるごとに先輩は泣いていた。そんな風に悔しがる彼女に同情しつつもどこか愛おしく思いながら、俺と甲斐斗で慰めたものだ。
そうして吐き出し続けて、いつしか傷は癒えたのだろう。
「色んなものに夢見ていた頃の私の気持ちは、色々と諦めてしまった今でも大切に仕舞ってる。変わったものも変わらないものも、乗り越えたものもそうでないものも、いつまでも私の一部だから」
先輩は遠い目をして、そう呟いた。
俺の中にあるまだ決着の付いていないものについて、そのままの形で肯定してくれるその言葉は、何よりも温かい。だからその横顔は、今日見たどんな表情より魅力的に感じた。
「やっぱり桐谷先輩は、憧れの先輩です」
俺がそう言うと、彼女は視線をこっちにくれて、微笑んだ。




