091話 今はまだ信頼できなくとも
お互いに情報交換と意志確認を終え、俺は適当なところで高速を降りて秋山を曙テレビまで届けた。誰に見られてるとも限らないので、精算は妙によそよそしく行う。
今日はもうこれ以上営業する気にはなれず、俺は早々に営業所に帰ってきた。自分で電気を点けなければならないこの部屋には、話し相手になってくれる人はいない。
肌を刺すような冷水で顔を洗いながら、秋山にもできなかった話を自戒のように思い起こす。
俺には、鍵をかけていた過去がある。
その事を誰かに話すことはもう生涯無いと考えていたし、俺はそれを墓場まで持っていく覚悟だった。
それは本来なら記事にすべきだった事実。
――君は、ただの一度も、自分の感情で報道の取捨選択をした事が無かった言えるのか……!?
そう言った甲斐斗ですら、俺のその過去を知らない。
俺がジャーナリストとして取材していたとある事件。それを自分の気持ちひとつで、今でも胸の内に秘めている。その事実を俺の口から伝えた相手は、おやっさんだけだった。
おやっさんが追っているものがあの事件にも関係あるのなら、その所為で公安に追われているとしても不思議ではない。だからおやっさんを探すのなら、あの事件を見つめ直す必要がある。
――橘クンの根っこはあの頃の青臭いままだったってこと。なのに一体何が、キミをそうまで変えてしまったのか……
桐谷先輩の言う通り、俺はジャーナリストとして成熟する前に業界から逃げてしまった。当時の夢が行き場を失ったまま燻り続けているのを、俺は気付かない振りを続けていた。
そういうものに、向き合う時が来たのだ。
待っている菖のために。秋山のために。
そして何より俺が俺自身を信頼するために。
スマホを取り出し、思い浮かべていた相手に連絡を入れる。
それはあの配信者転落死事件の現場に居た、俺の大切な学生時代の先輩。
自分 :この前はあんな形で解散になっちゃいましたけど
自分 :またゆっくりお話でもいかがですか
桐谷 :そっちから誘ってくるとは意外
桐谷 :いいよ、いつが良い?
自分 :こっちは自営業なんでそちらに合わせます
桐谷先輩は、名古屋のローカルテレビ局に勤めていた筈だ。簡単には東京に来れないだろうし、こちらが赴くことも考えなければならない。
桐谷 :3週後の月曜なら
自分 :わかりました
桐谷 :え、いいんだ
桐谷 :じゃあディナーの予約お願いね
桐谷 :東京の素敵なお店期待してる
何の気無しにメッセージアプリでやり取りしていたが、桐谷先輩の反応が引っかかる。俺は会話内容を何度か見返して、やっとその正体に気付いた。
今は12月。指定されたその日はクリスマスイヴではないか。
先輩は昔から、俺や甲斐斗のことをからかうのが好きな人だった。男女の距離感を利用して意味深な事を言っては、俺たちが照れ隠しにたじろぐのを見て笑っていたものだ。
だからそんな彼女の一面にまた触れる事ができて、どこか懐かしくて安心してしまう。店選びにも力が入る。
イヴがもう20日後にまで迫る今、都心でまだ予約できる店など多くは無いだろうが、幸いにしてタクドラならではの視点で店選びをする手立てがある。
俺が流し営業を始める20~23時頃には、アルコールを出す飲食店から配車依頼が入ることが少なく無いのだ。お酒を楽しむ人の足としては、タクシーはこの上なく便利に違いない。
そしてタクシーに乗ったお客様は、そのお店の忌憚のない評価を語り合う。美味しかった、料理が出てくるのが遅い、店内BGMが大きくて話し辛かった、接客が丁寧でまた来たい、など店内では話せなかったような感想を聞くことができる。
お客様の服装から、店の格式だってある程度察せる。不意に決まった先輩とのディナーでドレスコードのある店に連れて行ったら、張り切り過ぎだと笑われるだろう。
そうやってタクシー営業で見聞きした経験の積み重ねから、イブの候補となり得る店が代官山から表参道の辺りにいくつかあった。
俺はこまめにつけていた営業日誌を眺めながら記憶を辿り、いくつかの店に電話をかけ、何とか予約に漕ぎつける。
そしてあっという間にその日はやってきた。
「本当なら今日はカレシから婚約指輪のひとつでも受け取るつもりだったのに、アイツこの土壇場になってやっぱり貴女にはもっと相応しい人がいるなんて言い出して……はぁ~私の2年返して欲しいわ」
代官山の通り沿い。
開口一番からそんな愚痴が止まらない桐谷先輩に苦笑いを浮かべながら、俺はレストランの受付に予約した名前を告げた。
内巻きの前分けショートボブはアシンメトリーで、片耳には大きめのフープピアスが揺れる。失恋で髪を切ったのかなどと野暮な質問は要らない。分銅祭で会った時よりも紅の目立つリップは、艶やかに光を反射していた。
羽織っていたコートをスタッフに預けると、サーモンピンクのマーメイドワンピースが露わになる。相変わらずボディラインの出やすい装いが好みなのだろう。
俺のノーネクタイにテーラードジャケットというスマカジスタイルに比べると、桐谷先輩は幾分も華やかであった。本来このクリスマスは、彼女にとって大事な日だったのかもしれない。
「橘クン、今日はとことん楽しむからね!」
それはきっと元カレへの当てつけなのだろうが、それでも落ち込む様子を見せない彼女は素敵だった。




