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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第04章 反動化デュアリズム
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055話 空の路

 それは案内された模擬店で、俺たちが中華を買い済ませた頃だった。


「あ! 着信ネ!」

 ハオランがそう口にした直後、電子音が鳴り響く。彼女はすぐさまポケットからスマホを取ると、何やら呼び出されたようで再度売り子の仕事へ旅立っていった。


「熱っ……ふーふー、おいひー!」

 菖は歩きながらできたての水餃子を頬張る。すると彼女はこちらの口にも雑に小籠包を放り込んできたため、俺はその滲み出る肉汁の熱に苦戦しながらビールで流し込む。


 ……悪くない。


「……なにご満悦ーみたいな顔してんの」

 相変わらず目ざとい。今日はメガネ付きのカメラなのでヘルメットのカメラより視野角は狭めの筈なのだが、俺の弛んだ口角を見逃さなかったようだ。


「昼間っから美味いモン食って酒が飲めて、そんで陽の光をこんだけ浴びれりゃあ上等だろう」

 俺たちは職業柄、恒常的に日に当たるのが難しい。だからこそ、こんな日は満喫しなけりゃバチが当たるというものだ。


「それに、私もいるしね」

 菖が茶目っけたっぷりの笑みを浮かべる。


「そうだな。……ならそんな彩りをくれる助手にこの大学を案内してやろう。まだ雲母メイのステージまで時間もあるしな」

 そんなことを言いながら、その実俺自身が十余年振りの学び舎を見て回りたかった。さしたる目的も無く、懐かしさに惹かれて歩を進める事にする。



『我々、AreaSKY(エリア-スカイ)は――人々を縛っている鎖から解き放ち、一人ひとりに目覚めをもたらす社会と――』


 サークルの主張を拡声器で宣伝する学生がいるのは、いつの時代も同じだ。将来は政治家志望か、はたまた評論家や活動家の道へ進むのか。そんな情熱を感じられはするのだが、しかし文化祭という場では腫れ物扱いされたものである。

 けれどもそれも俺の時代の話。報道革命後の今となっては、昔より遥かにそういった団体が増えているようだった。


『――思想色に囚われないアイデンティティの在り方を提唱する――この鈴木麗央(れお)、そして我らAreaSKYは正しき人々が分断に飲み込まれぬよう手を伸ばして――』


 しかし、このAreaSKYとやらの周りだけは、冷やかしでスマホ撮影していると思しき生徒が数名いる程度であった。他のサークルの周りにはシュプレヒコールに応じる生徒も居たが、彼だけは白い目で見られている。

 けれどそんな視線もどこ吹く風で、如何にも育ちの良さそうな青年は無垢な瞳で演説を続けていた。


 空色。

 彼らの提唱するスタンスは、現代日本においては恥ずべき思想だと忌避されていた。アオにもシロにも寄らず、無責任な主張を並べ立てる奴等であり――


「ね、行きたいトコあるんだけど」


 俺の手をぐいっと引っ張り、菖が話を振る。

 記者として働いていた俺が空色に類する立場で非難を浴びていたと知っているから、気を逸らさせてくれたのだろうか。


「どこにだ?」

 俺は聞き返すが、大方の予想はついていた。菖が興味を持つのならきっと、俺1人では行く踏ん切りのつかない場所。


「おつろーくんの部室! 見たい!」




 まず人が訪れないような、離れの木造学舎の3階の端。電気も満足に点いておらず、窓から僅かに注ぐ日の光に、漂う埃がキラキラと反射する。

 祭の喧騒ももはや遠くに聞こえ、この辺りでは展示会すら行われていない。こんな日でさえも旧学舎は忘れ去られたようにあの頃と変わらず、まるで時が止まっているかのようだ。


「なんか、すっこい雰囲気あるね……」


 音の籠ったこの空間では、菖も自然と声のトーンが低くなる。湿っぽい音で軋む廊下、そこを抜けた先にある元部室の扉は、既に開け放たれていた。

 俺たちの卒業と同時に、この部室を使用していた報道研究会は廃部となったのだ。もうただの空き部屋となっていて、鍵をかけるまでもないのかもしれない。


 菖を先導し、俺は元部室へと足を踏み入れた。



 スクラップだらけの狭い部屋の隅に、机に腰掛けていた長身の女性が居た。冊子のようなものを読んでいたが、俺の入室に気付き、顔を上げる。

 そしてその透き通るような綺麗な声で俺の名前を呼んだ。


「あれ? ……もしかして(たちばな)クン?」

桐谷(きりたに)……先輩?」


 ワンレンのセミロングは綺麗に前分けされ、健康的な額を覗かせながら肩下へと緩やかなウェーブを描いている。強い光の宿る瞳と、艶のある唇。タイトなデニムを履いた長い脚は組まれ、前が開かれた黒のライダースジャケットからグレーのニットに包まれた起伏のあるボディラインが浮かぶ。


 かつて帝東には報道・マスコミ関係のサークルが大小20はあった。しかし勧誘活動も怠っていたウチの研究会は、俺の代には部員僅か3名にまで減少していた。

 先輩1人と、同期が1人。後輩は無し。

 その唯一の先輩が、この桐谷ひのえであった。



「お……お久しぶり…です」

「っ……ぷっ……あっはっはっは!」


 その高らかな笑い声。


「なにそれ、久しぶりだからって緊張してるの?」

「ははっ、あの頃からお変わりなく……なんて言うには色々あり過ぎました」


 十余年前のこの部屋で、甲斐斗と俺と、青春と呼べるようなそんな時間を過ごした人。そして俺たちより一年早く卒業し、地方局にアナウンサーとして就職した。社会人になってからも何度か会っていたが、配信者転落死事件以降は甲斐斗と同じように疎遠になってしまっていた。

 でも桐谷先輩は、まるでこの長い苦悩の時間が無かったかのように笑いかけてくれた。


「そういう橘クンは随分と……頼もしくなった? それにそっちの子はどなた?」

「えぇ、こっちは俺の助手でして……あ! 助手っていうのは、今はお恥ずかしながらタクシーの運転手してるんです。いや、実はあの事件以降ですね……」


 あぁ、口を突いて出てしまう。

 だから疎遠になっていたんだ、ということを思い出す。


「……そんで、この子に手伝って貰いながら、個人で営業所をやってるんです。今って法律が変わって、タクシー運転手ってすぐに独立できるんですよ」


 後ろめたさを塗り潰すよう、のべつ幕なしに口を動かす。

 億劫な質問をされるのが待てず、予め全てを説明しようとしてしまう。


「どうにも俺には、報道とかそういうのは向いてなかったみたいで、……だから今は、そこから離れて生きてます……」


 ずっと報告しなければと思いながら、逃げ続けていたこと。

 それを、それこそ桐谷先輩の感情なんかも無視して、せきを切ったかのように、ここでこの場所でぶつけてしまった。


 つくづく情けない。



 はぁー、と桐谷先輩はやや演技めいたため息を吐くと、慰めてるとも怒ってるとも呆れてるともとれるような顔で一言。


「そっか」



 ここに来るんじゃなかったと後悔したし、そしてまたそのこと自体にも嫌気がさした。


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