003話 キミは何色
「それでおじさんは …… “何色”の記者だったの?」
横を歩く少女から、予想通りの質問が投げかけられる。
“お前のジャーナリズムはどちら側に在ったか”という問いが。
報道に関わる者の立場が二分化したのは、今から5年半ほど前のことだった。
ここ十数年、インターネットの普及とともに人々の検索能力は上昇し、一方で新聞やテレビなどの報道に対する不信感が募っていた。マスメディアによる偏向報道や隠蔽、印象操作が暴かれるようになり、ネット上のニュースサイトなどを真実とする風潮が若者を中心に広がっていく。
あの事件が起きたのはそんな時世の真っ只中だった。
とある民間企業と行政機関の癒着を追っていたネット配信者が、取材の現場で転落死したというニュースが流れた。その配信者はフリージャーナリストを名乗り、SNSや動画サイトなどでマスメディアの在り方に疑問を呈する立場を発信していた。それに共感する若者は多く、世間的な注目を浴び始めた頃にその事件は起こったのだ。
事故死という処理がされたことも含め、支持していた人々の不満が爆発。政府の隠蔽体質を責め立て報道の透明性を訴える自分たちを『清廉情報思想』と謳い、数々の抵抗が行われた。
癒着疑惑のあった民間企業へはデモやクレームなど執拗な糾弾が繰り返され、経営者の親族にはSNS上で様々な私刑が行われた。また、事件報道を規制し清廉情報思想を非難するメディアに対しても、スポンサーへの口撃や不買運動などが行われた。
そして当時積もり続けていた若者のフラストレーションが決壊したかのように、世論はうねりをあげて傾いていく。
与党から離党したとある議員が清廉情報思想を擁護し国民清粋党を立党。若者を味方につけ政権交代を画策する。
それと同時期に、度重なるバッシングと若者のテレビ離れに業を煮やしたテレビのスポンサー企業が、動画配信サイトやニュースサイトなどへ鞍替えを始める。これに反発した保守派企業が新たにキー局のスポンサーに名乗り出るなど、民間の思想は対立を極めた。
これが後に『報道革命』と名付けられた一連の社会運動である。
清廉情報思想派はいつしか“アオ”と呼ばれるようになり、反対に政府や大手メディアによる検閲された既存の報道体制を支持する思想は“シロ”と揶揄されるようになった。
「――B組の佐藤の投稿見た? 民放の評論番組めっちゃアツく語っちゃってるやつ」
すれ違いざまの女子高生2人組の会話が耳に入ってくる。
「見たみたー、マジ怖くね? アイツ真っ“シロ”だったんな」
「つーか今時テレビのニュース鵜呑みとか」
「それな」
日本では元来、政治や宗教の話題をタブー視する国民性が根付いており、学生は政治への関心が薄い傾向にあった。
しかしフリージャーナリストの転落死事件から徐々に、ネット文化の主役であった学生層はSNSを通じて声を上げるようになった。少子高齢化が進み若者が損をしやすい社会、それを報道しまいとしているメディアへの疑心が土壌にあったため、清廉情報思想が学生に浸透するのに時間は要さなかった。
いつしか話題へのタブー視も薄れ、実生活でも自分がアオかシロか――すなわち自分の思想は何色なのかを問われる社会になったのだ。
記者という報道問題の中心職ともなれば、その思想的立場=『思想色』を明確に持っていなければならない。その色次第で、取材のオファーから得られるスポンサーまで仕事のあらゆることが決まってしまう。
この少女はそこまでの事情は知らないだろうが、記者だと言えば反射的に何色かを聞く者は多い。
目の前の少女は、すれ違った女子高生の会話を耳に入れながらも、その不思議な輝きを放つ双眸を真っすぐ俺へと向けていた。
――おじさんは何色の記者だったの?
「俺はアオでもシロでもない」
真実を答えた。
彼女は眉をひそめて聞き返す。
「それって……“ソラ色”ってこと?」
中庸といえば聞こえは良い。
アオにもシロにも属さない思想は、2色の間をとってソラ色と呼ばれている。しかしその実、「頭空っぽ」などと揶揄されるほどに、軽蔑の対象となっていた。
欧米に行った日本人が自分は無宗教だと説明すると、倫理観が欠如していると誤解されることがあるらしい。信仰はアイデンティティの柱となるもので、それが無いというのは畜生と同等という見方さえあるのだ。
これと同じように、今の日本においてソラ色というどっちつかずの思想立場は胸を張れるものではなく、アオとシロの双方から蔑視されていた。そういった理由もあり、公にソラ色を自称する者は非常に少ない。
「その通り、俺はソラ色の記者だった」
こんなこと、同業の者には言えない。だからこそそんな報道業界に嫌気が差して、俺は逃げ出したのだ。
「空色……記者……」
少女は上手く考えがまとまらないかのように、聞いた単語をただ復唱する。
当然だ。ソラ色の記者なんて、正気を疑って然るべきなのだから。
今更ながらどんな反応をされるのか少し怖くなり、考え込んでいる少女から目をそらした。
現代の学生層は特に思想色への帰属意識が強い傾向にある。この少女がアオかシロかは判らないが、どちらにせよ俺みたいな“空っぽ”の大人を忌み嫌うだろう。報道関係に携わっていたとなればなおさら無責任な人間だ。
しばらく反応が無かったので恐る恐る少女の方を見ると、少し後ろで立ち止まっていた。彼女の方へ戻り確認すると、目を瞑って眉間に皺を寄せている。
やはり子供には言うべきではなかったかと思い弁解しようとしたが、口元に伸びてきてた少女の人差し指で制止された。その手は俺のネクタイを優しく掴むと、ゆっくりと引っ張られる。汗の伝う少女の輪郭が鮮明に見えるくらいには、顔と顔が近づいた。
そして少女は目を開くと、そっと唇を俺の耳元に近づけて、囁いた。
「私たち、盗撮されてる」