019話 受話器の向こう
この部屋で話が進むにつれ、正体の解らない小さな違和感が増えていくのを感じていた。
「ちがう」
菖の呟きが、俺にとって最後の違和感だった。
菖は直前まで、佐倉さんと同じようにメイが犯人だと疑っていたのではなかったのか?
その筈の菖が、佐倉さんの推理を否定している。
久遠さんは佐倉さんに反論できずにいた。この話はそれだけ筋が通っているのだ。
炎上投稿ができた人物は2人。
投稿された時間に、SNSアカウントにログイン状態の社用スマホを預かっていた菖。
SNSのパスワードを知っている唯一の人物であり、別の端末でもログインした後、そのセッション履歴を削除するタイミングがあったメイ。
しかし投稿の内容はメイの本心として具体的であり、それを菖が知る術は無い。それならば、あの内容を投稿できたのはメイしかありえない。
なら、なにが「ちがう」?
菖にしか気付けない事実がある。
アイちゃんのWiFiデザリングに接続された端末の画面が、菖には“視える”。菖には視えていた筈だ。営業所でメイにスマホを返してから、久遠さんがそのスマホを預かるまでの画面。
菖が違うと言ったのはその事。つまり――
メイはセッション履歴の削除などしていない。
「雲母メイさんは普段、その……ピンクのスマホは殆ど使わないって言ってたよね」
最後の長い沈黙を破ったのは、俺だった。
「……うん、こっちでするのはSNSだけだし……挨拶投稿以外は久遠のチェックもあるから、しょっ中投稿出来るわけでもないし……変な履歴とか残ったら嫌だから、エゴサとかもこのスマホではしないようにしてるの……」
メイは俺の質問に慎重に答える。
自分を疑っているのか、それとも何か別の推理があるのか、メイはすがるような視線を俺に送っている。先程までの高慢な姿勢とは違い、年相応の脆さが垣間見える。
「イベントや告知のある日は頻繁に投稿するのですが、昨日のように未公開情報の仕事日には差し障りのないおはよう投稿をして終わる事が多いのです」
久遠さんが、俺の推理を補強するような説明を加える。
メイが無実という可能性が俺の口からでるのではないか、久遠さんもそれを願っているかのようだった。
「こちらの社用スマホ、通話履歴の方は確認されましたか?」
俺は違和感の正体を手繰り寄せるかのように、手掛かりを探す。久遠さんも俺が言いたいことを察し、丁寧にピンクのスマホを操作すると、発着信の履歴を提示した。
〈昨日 着信 18:52 久遠薫〉
昨日以降の履歴はそのひとつだけだ。
「何か、問題があるのでしょうか?」
佐倉さんも履歴を覗きながら不安げに問いかける。
「……メイがタクシー内で自分のスマホを探すためにかけた際の発信履歴が残っていませんね」
久遠さんは直ぐに気付く。佐倉さんはこの話をした際は部屋にいなかったので、解らないのも無理はない。
「だって私、すぐに履歴消したから。そのスマホから私のプライベートに繋がるモノなんか残さない。久遠なら……解るでしょ?」
疑心暗鬼になっているメイは久遠さんに訴える。
ロックこそかけていなかったが、その分メイの社用スマホに対する姿勢は徹底しているようだ。
だが、俺にとって本当に問題なのは、そっちの履歴ではなかった。
「この、久遠さんからの着信履歴は……時間的に、スマホの紛失に気付いた時のモノでしょうか」
「えぇ、翡翠堂との打ち合わせが終わった直後、メイが社用スマホが見当たらないと言いだしまして……探すために私がかけたのです。当然見つかりませんでしたが」
やはりそうだ。
スマホを探すには電話をかけてみるのが一番手っ取り早い。
それでも見つからなかったので、紛失先として一番可能性の高い橘営業所へ電話をかけた、という訳だ。時系列的にも一致する。
――違和感に全ての答えが出た。
俺はピンクのカバーの付いたスマホを見下ろし、呟く。
「このスマホは、俺達が預かっていたスマホじゃない」
久遠さんがこのスマホに電話をかけた時間は、俺のタクシーを2度目に捕まえる5分ほど前だ。その頃、俺は菖と無線で会話をしていた。
「この時間、預かってたスマホに着信は無かったんだよな?」
俺は菖に聞く。
「無かった……!」
菖もその事実に気づいたようで、即座に答えた。
「スマホは金庫の中だったのでしょう? 社用のスマホはマナーモードですし、バイブ音など聞き漏らしただけと考える方が自然では……?」
佐倉さんの意見は至極真っ当だ。
菖が周囲のスマホの着信による点灯を強制的に覗き視れてしまうことは、俺と菖しか知らないのだ。
ストーカーの時と同じ。
俺はまた、答えを先に知ってから、それに繋がるような推理ができる立場にいた。
俺は佐倉さんの言葉を一旦無視して、スマホがすり替えられている前提で話を進める。
「雲母メイさんは、この社用スマホでは自分のプライベートに触れないように使い分けています。当然、電話帳に私用スマホの番号なんか登録されてはいないでしょう」
俺は事実を確かめるためメイの方へ視線をなげると、彼女は恐る恐る頷く。
「つまり昨日、彼女は電話帳も開かずに、記憶している自分の番号を入力して電話をかけた。そしてすぐにその発信履歴を削除。その日の操作がそれだけなら、社用スマホが入れ替えられていても気付かない可能性があり得ます」
俺はもう一度、結論に戻る。
「仮に、です。もしこのスマホが、雲母メイさんが落としたものでないとしたら……」
「ありえません! このスマホは私達で厳重に保管していたのです! 第三者がすり替える事など……!」
佐倉さんが声を荒げる。
そのぐらい、俺の推理は突拍子のないものだ。
「その通り、考えづらい可能性です。しかし、万が一にもそうだったとしたら、その証明は簡単にできるかもしれません」
俺は、望みを託すようにメイの方を見る。
「……消してない。“こっち”の履歴は」
メイの察しは早かった。
メイはタクシーで自分のスマホを探すため、社用スマホから電話をかけた。社用スマホ側の発信履歴は消していたとしても、私用スマホ側の着信履歴は残したままだったのだ。
「その電話番号がこのスマホの番号と一致しなければ、昨日メイさんが忘れたスマホはこれとは別の物だった……つまりSNSアカウントにログインしっぱなしのこのスマホは別の者が持っていたことになります」
俺にできることはここまでだろう。
「いいでしょう。確かめてみる価値はあります」
久遠さんは直ぐに自分のスマホを取り出すと、メイの社用スマホの番号を読み上げようとする。
しかしメイはそんな彼を制止すると、もっと手っ取り早く確かめる方法――自身のスマホでリダイアルを押した。
室内に沈黙と緊張が張り詰める。
全員が机上のピンクのスマートフォンに注目した、恐ろしく長く感じられたほんの数秒後――微かなバイブ音が室内に響く。
しかしそれは机上からではなく、青ざめる佐倉さんの懐から聴こえていたのだった。




