190話 【SIDE-鷹野菖】アンド・インクルージョン
「アイリスだ……」
私の黒髪にヘアアイロンをかけてくれていたメイちゃんが、そう呟く。手元に抱えたアイちゃんのカメラから鏡越しに見た彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
“アイリス”がトレンド入りする少し前。
ここは先進医療研究センターの入院棟の一室。
ハヤトさんとの共演を終えたメイちゃんはその後すぐに長月プロ事務所から駆け付けて、私のメイクとヘアセットを手伝ってくれている。ツヤ感重視のリップにちょっぴり重めのつけま。黒染めした髪にクリップ式のエクステで留めた青紫のインナーカラーは、私が今のアイちゃん越しに視れる唯一の色。メガネを外して、視覚に頼らず指先の感覚だけでカラコンだって入れた。
こんなのはもう3年振りだったけど、メイちゃんのお陰でなんとか形になった。
さらに遡ること20時間ほど前。おつろーくんが日笠ファクトリーミュージアムに赴き、でも研究レポートがリークされてしまい世界が混乱の兆しを見せ始めた頃。
私は、ハヤトさんとメイちゃん、そして久遠さんの、ビデオ通話による生放送打ち合わせに同席していた。
『――じゃあ、後はタクシー避難を政府が公表するか次第ってコトで良いんですか?』
『公表が明日17時までに成されれば、18時からの『ハヤトはいつも早とちり!』にて弊社メイと共演、でよろしいですね』
『オレとしては、別にタクシーうんぬん抜きにしたって共演は歓迎だけどね。メイちゃんだって、せっかくだし話したいことあるでしょ』
みんな、凄いなぁ……
ハヤトさんとメイちゃんの共演の話は概ねまとまってきている。不安に陥るみんなを少しでも勇気付けるために、あるいは迷う人々のことすらも肯定するために、このパニック時に表へ出て言葉を届けようとしている。
メイちゃんが背負うには重すぎるそれを、彼女なら大丈夫だと全力で裏方に回る久遠さん。2人の信頼関係はあれ以降より一層深まっているように見えた。
メイちゃんとハヤトさんだけじゃない。
桐谷さんは“事件目撃で有名になった自分”という辛いアイデンティティと向き合い、その印象を利用した発信をするらしい。リーク資料に自分の名前が載っていた聡美さんはSNSで叩かれ始めているけど、そんな事もお構い無しで少しでも被害者を減らそうと準備を進めている。ハオランちゃんだって、ピックスとして何か少しでも役に立てるような生配信をしたいと言っていた。
私は?
事故に遭ったことでそのままコンフルエンサーから逃げ出して、なら引き篭もってればいいものを、お父さん探しにかこつけてこの街に戻ってきた。それから8ヶ月でたくさんの人に出会い、私が過去に置いてきた思想対立の景色の中には、色んな人の背景や想いが絡み合っている事を知った。
気付かないフリなんてできない。
私には――アイリスにはまだできることがある。
「すみません……私もやりたい事があります!」
心強い現役の仲間たちの知恵を借り、結論から言うと私はなんとjoxiのチャンネルで生配信する事になった。
タクシーに搭載されたテレビの役割は、ニュースの放送以外はメインユーザーである裕福な社会人や高齢者層に絞ったマーケットの広告媒体。けど緊急事態宣言が発令された今、そのスポンサーが一時的に降りているらしい。不要不急の外出を控えるよう要請が出ているのだから、それは当然のこと。
だからその穴を突くのが面白いんじゃないかというのは、ハヤトさんのアイデアだった。恐れながらも私が漠然と思い描いていた方向性とは合致していたので、勇気を振り絞ってその案に乗ることにした。
ハヤトさんはあっという間に“お友達”にお願いして配信枠を用意してくれて、久遠さんは機材の準備を整えてくれた。そしてアイリスを誰よりも知っているメイちゃんが今、メイクアップを手伝ってくれている。
「なんなら、私と一緒に生配信の方に出ても良かったのに」
メイちゃんは念入りに私の髪を弄りながら、そんな風に呟いた。
「私は清廉情報思想を語れるような立派な人間じゃないよ。ただ不安になってる子たちと一緒に、不安だよねって言いたいんだ」
タクシーに乗る選択をした人たちは、この災害時に親から離れる事になる。知らない人と相乗りになるかもしれないし、子供だけでタクシーに乗るのだって初めてかもしれない。そんな時、真冬の闇夜で、定員4人のその箱が少しでも温かい場所であって欲しい。
「そ。……まぁそれがアイリスらしいのかもね」
メイちゃんは無愛想に、けれど噛み締めるようにそう言ってくれた。
私がアイちゃんを脇に伏せると、メガネもヘルメットもしていない今の視界は真っ暗になる。
「ありがとう、メイちゃん。……ホントはね、いますっごく緊張してるの。だから、ちょっと手を握って欲しいな」
「それは解釈違いね」
そう言うメイちゃんはそれでも嬉しそうに私の震えを抑えてくれた。
闇の中で、彼女の力強さだけを手元に感じる。彼女はもう、コンフルエンサーとしても私の何歩も先を行っている。頼れる後輩みたいだなんて言ったら怒られるかな。
そんな事を考えてながらメイちゃんの手の温もりを探っていると、何故だかふと、脳裏をよぎる確信が湧いてきた。
「メイちゃん……タクシー乗らない気でしょ」
表情こそ見えなかったけど、彼女は判りやすく手にぎゅっと力を入れた。
「私はやっぱり、信用できないって言い続けてきたアイツらの用意したモノに頼りたくない。それに……」
「タクシーに乗らなかった人達にも味方は必要?」
私の言葉に、メイちゃんはまた一層手に力を込める。
考えることを放棄しないアオ派としてはきっとどんな選択もあり得て、でも桐谷さんの投稿から3時間が経ってかなりの人がタクシーに流れはじめている。大手ピックスのハオランちゃんも事情を深く知る者としてそちら側を肯定するような行動を取りつつある。そして何よりも私がこれからしようとしている事は、さらにアオ派をタクシーへ誘う。
今、SNSでみんな周囲の動向を窺っている。自分の力で考えることは大切だけど、それは周りの意見を無視することとは違うから。
メイちゃんがぽつりと口を開く。
「……きっと、最後はほとんどの人がタクシーに乗ると思う。そうなったら災害後に、“アオ派はパンゲア無しでもタクシーが安全であると見抜いた”みたいな空気になる。そうなった時に、選ばなかった人が後ろ指さされるのは嫌」
アオは現代社会において巨大な勢力で、シロという共通の敵に対して一枚岩であれとする同調圧力がある。
でもメイちゃんは、色んな事情で同調できなかった人たちにも赦しの余地を生もうとしている。
「アンタはタクシー乗りなさいよ! デバイスジャック症状が誰よりも進行してるんだから」
「ありがとう、メイちゃん」
私は手探りに、彼女を抱き寄せる。
「ちょっと、なに? アンタにお礼言わせる筋合いはないんだけど」
メイちゃんはぶっきらぼうに誤魔化しながら、でも私の抱擁には抗わずにいてくれた。
私は、メイちゃんの想いに応える。
「決めた。ちょっとまだ恥ずかしいからオープン過ぎる場は腰が引けてたけど……そうだね、joxiのチャンネルだけじゃなくて、SNSの配信にも声だけ乗せることにする。メイちゃんの温かさにも応えたいから」
私の声が聞きたいって理由でタクシーを選ぶ人がいて欲しくない……なんて我ながら自惚れ過ぎ? でも、アイリスだった頃にコメントをくれたみんなのまなざしを、いま一瞬だけ感じたんだ。
どんな境遇の人だって不安はいっしょなんだって、忘れるところだったよ、私。
「……ありがとう、あやめ。でもそれは全部、私があなたから貰ったものなんだから」
メイちゃんも、私を少しだけぎゅっと抱きしめ返した。
そしてすぐ照れ隠しのように突き放すと、話を逸らす。
「……ところで、眼はどうするの? メガネもヘルメットも、アイリスのスタイルじゃないでしょ」
視界のこと、既にメイちゃんは知っていた。
というのも、実はあの誤爆騒動の後からメイちゃんとは定期的にメッセでやりとりをしていた。そして私は自発的に、失踪した理由を少しづつ伝えていた。
「うーん、とりあえずカメラの前に座りさえすれば、あとは配信PCの画面だけアイちゃんに接続すれば良いかな」
未登録のデバイスを強制的にテザリングで接続する機能はアイちゃんから失われてしまったけど、正規の接続をしたデバイスの画面は視ることができる。
「じゃあ席までは手を引いてあげる」
メイちゃんは慈愛に満ちた声でそう言った。
私がメイちゃんのエスコートで配信席に腰を下ろすと、アイちゃんがPCの画面を私の視界に映す。すると、私の姿と部屋の様子がインカメに収まっているのが確認できる。私と私の眼が合う。
入院棟のこの部屋の一角は、既に久遠さんが準備してくれた配信スペースになっていた。時刻は21:15。カーテン越しに感じていた夕暮れの気配も消え去り、外には夜が訪れている。磁気嵐到達予想時刻まであと2時間弱。
深呼吸。
おつろーくんは今、お父さんに会いに行っている。私にもついて行く選択肢があったかもしれないけど、自分の意思でこっちを選んだ。
おつろーくんなら、何があっても心配ない。彼は私の親友で、私を鳥目乃間から救ってくれた後、一緒に背負ってくれると言ってくれた。それならもう、信じて預けるのに充分。
こっちのワスレモノに先にケリをつけて、お父さんに会うのはそれからで良い。みんなカッコいいんだもん。私だって、カッコつけたい。
「アイリス様。配信開始まであと30秒です」
久遠さん、もうその名前で呼ばないでって言ったのに。
まぁいいか、今日だけは。
はじめよう。タクシーで孤独や不安を感じてるみんなに、アイリスが寄り添えますように。
―磁気嵐到達まで残り1時間45分―




