120話 Everything else is public relations
「なんか乙郎サンの顔久々に見た気がするっス」
あれから数日後、俺は会社に顔を出した。
久々といっても秋山と会うのは一週間ぶり程度の筈だ。けれどそれを久しく感じる程度には、俺たちは今まで長い間組んで仕事をしていた。
「順調っすか? そっちの……案件は」
「あぁー……今日外回り無いなら昼メシ付き合え」
基本的に自分の関わらない現在進行中の案件資料は、おやっさんの許可を得ないと末端社員は閲覧できない。だから秋山は俺が第七號島の件から異動になったことこそ知れ、今どんなスクープを追っているかは知らないのだ。
アカリとはもう丸3日連絡を取っていない。
当初の取材プランは破綻しかけていたが、それでも俺はでき得る限り日笠家の情報収集を進めていた。
自分の支給ノートPCを会社の回線に接続する。
機密性の高い資料は社内でしか閲覧できないものもあるのだ。ツワブキの過去のレポートに世に出回っていない日笠周りの情報が無いか、それを探してみるのが今日の出社の目的だった。
一通り資料を攫った辺りで、ぼちぼち昼休憩の時間になっていた。正直なところ大した成果は得られなかったが、それも予想通りだ。隣の席に視線をやると、秋山も伸びをしてちょうど立ち上がるところのようだった。
社屋から徒歩5分の個人経営の定食屋は、ここのところ俺たちの行きつけになっていた。大通りからは見つけづらいこの店は客足も落ち着いており、ゆったりと昼食をとることができる。多少仕事の話をしても盗み聞くような輩はいない。
「乙郎サンって、ちょっとサイコっぽいとこありますよね」
具体的な部分はかなりぼかしつつもトオルの案件についての失敗を愚痴った俺に、秋山はとんでもないことを言い出した。
俺の箸が止まる。
「あれ? 自覚無いんスか?」
「誇張だろ、それは。確かにちょっと拘りが強いところは自分でも解ってるつもりだが」
秋山はオーバー気味な呆れ顔をすると、けれど人懐っこい笑みを浮かべなおして言葉を続ける。
「ちょっと、なんて謙遜しないで下さいよ。乙郎サンのフェアに対する変なストイックさは充分ヤバいっス」
こいつは自分の考えているコトを、目上が相手でも臆せず言ってくるタイプだ。しかし気さくで愛嬌のあるそのキャラ故に、絶妙なところで人間関係に軋轢を生まないバランスを保っている。人の顔色を伺いながら相手の顰蹙を買わないラインを見極めるスキルは、たまに羨ましく思う。
「ウチの理念は、端から端までの関係者に取材をし尽くすことで限りなく全ての意見――特に世間で注目されてない意見までを盤上に並べて、そこから先の解釈は読者に委ねる、ってのっス。それがおやっさんの考える、フェアな報道」
そうだ。俺はその理念に憧れたからツワブキの門を叩いた。
「でも、それは飽くまで理想っス。自分たちが信用されなければ取材し切れないし、このタイミングで記事を世に出さなきゃ意味が無いって時だってあるっス」
「そんなのは……分かってる。でもそれを言い訳にしたくは無いってのは、皆んな同じだと思ってるんだがな」
俺は少し棘のある言葉で秋山を刺す。
後輩に諭されるほど現実が見えてないつもりは無いし、現実を言い訳に諦めがつくほど俺の後輩は場数を踏んじゃいない筈だ。
「言葉にするのは難しいっスけど、求めるフェアな部分にストイック過ぎるんスよ、乙郎サンは。だから私怨を原動力にジャーナリズムを語るその人が許せなかったんじゃないっスか? 発信者のバイアスのかかった報道はフェアじゃないって」
俺は秋山に先輩風を吹かせて、よく講釈を垂れていた。だから秋山は俺の考え方やこだわりを熟知している。
「自身の視点が依頼人とどんどん重なっていって、乙郎サンはきっと無意識に中立を保たなきゃって考えたっス。それで取材対象と敵対する相手?にも取材するだとか脅しの言葉が出ちゃう……その辺り無理矢理にでもバランス取ろうとする潔癖さは正直おやっさん以上だと思うっスよ、乙郎サンは」
秋山はここで言葉を止めた。
これだけ客観評も貰えば、いくら鈍い俺でも気付くところはある。いつまでも後輩に頼って言い辛いことを全部言わせる訳にはいかない。
「お前の言うところの公平さみたいなのは、確かに俺の中で特に大きな意味を持ってる。だがフェアである事は手段であって目的じゃない。だから取材対象にまで求めてはいけないって……解ってたつもりだったんだがな」
それでも、側から見てそこへの入れ込みがおやっさんにも勝る程だという自覚は無かった。
「折り合いのつかない理想は偏執でしかない。それは取材をも濁らせ得る、か……」
酒の席でなら理想を語るのは自由だ。でも現場でいつまでもそいつを追いかけちゃいられない。本当に俺が大切にしたいものから感情論を切り離さなければ、この仕事は務まらない。
そんな事を後輩に諭されてしまった。
食事を終えた俺は、居た堪れなさを誤魔化す為にタバコに火をつける。秋山も外の景色に目をやりながら、俺に合わせて一服する。
「初めて2人で取材した案件、覚えてるっスか?」
大した景色も見えまいに、窓から目を離さず遠くへと焦点をやりながら、秋山が不意につぶやいた。
「あぁ、……覚えてるよ」
今から一年とちょっと前くらいだろうか。
OJTがてら、秋山を俺の案件に同行させた事があった。その時は確か――どっかの金持ちの資産家が老後、地元に恩返しがしたいと喫茶店を開き、採算度外視の経営をしている件について取材した。非常に安価なメニューが運動部の学生中心に喜ばれ、そこは地域住民の憩いの場となっていた。
事件性なども特に無い案件だ。当時3年目の俺と、新卒の秋山の2人でもどうとでもなる取材だった。
「自分らが行った日には既にワイドショーが生中継入れてて、溢れる常連客から店への賞賛と感謝のコメントがいくらでも拾える空気で。インタビュアーも店長の人情話なんかを終始笑顔で聞いて、それが今放送されてるんならもう自分らの取材なんていらないんじゃって思ったんスよ、あの時」
秋山の言葉をなぞりながら、俺も当時を鮮明に思い出す。
「でも、テレビ局の人らが帰った後、乙郎サンは周辺住民に取材を続けたっス。それで日も暮れる間際、30年経営してきた近所の定食屋の亭主のぼやきを拾ったんスよ」
あぁ、覚えてるよ。
長年地域に貢献してきた定食屋は、しかし採算度外視の喫茶店がランチメニューまで出すもんで商売上がったりだと言っていた。自由競争に文句を言う事もできず、喫茶店長の親切心の裏で店を畳む選択にまで追いやられていた。
「そんな悲痛の叫びが、ツワブキにだけは届いたっス。結局『両輪』内では半ページ未満の記事にしかならなかったっスけど……きっと亭主は少しだけ救われたと思うっス」
それが発行されたのと、亭主が店を閉めたのは同じ日だった。でも仮にもっと早く記事が出せていたとしても、定食屋を救う力は無かっただろう。資産家の美談に泥を塗るだけになったその文を読んだ人は、いったいどれだけ居ただろうか。
ただ、その日俺たちが届けた『両輪』を読んで、胸のすく思いだと亭主は笑っていた。
「理想との折り合い……って言ったっスけど、それってつまり乙郎さんのプライドで、自分は先輩のそんなトコ、結構尊敬してるんスよ」
秋山は自分の考えているコトを、恥ずかし気も無く言ってくる。
俺は良い後輩を持った。
「ありがとう、秋山」
さぁ、ここがこの仕事の踏ん張り所だ。
燻っていたタバコの灰は、音もなく落ちた。




