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頑張った人には、ご褒美を。

 脳外ローテも一ヶ月半を過ぎた。


 藤岡さんはTHBOの仲間との交流により、少しだけだが笑顔を見せる様になった。リハビリにも懸命に取り組んでいる。

 

木南先生とは相変わらずだ。ただ、あの一件により、過去の話どころか何となく【早瀬先生】というワードも出してはいけない気になってしまい、そこだけはちょっと神経を使う今日この頃。……だったのに。


「木南先生、お忙しいところ申し訳ありません。見て頂きたい画像があります。ご意見を伺えたら……」


 ナースステーションで、木南先生と看護師長と俺とで連携確認をしていると、敢えて話題にすることさえ避けていた早瀬先生が木南先生を訪ねてやって来た。


 何で来ちゃうかなー。としょっぱい顔を浮かべているだろう俺を横切り、


「何でしょう?」


 木南先生は平然と早瀬先生の方へ近づいて行った。


 社会人として当たり前なのだろうが、あんなに苦しい過去がありながら、私情を挟まず【仕事は仕事】と淡々とこなす木南先生を強いな、と尊敬する。


「失礼します」と脳外のナースステーションに入ってきた早瀬先生が、パソコンに『見て頂きたい画像』を出した。


 木南先生がパソコンの前に座り、その後ろから俺も画面を覗く。


「今、小児科と連携している腎腫瘍の小児がん患者のMRIです。脳に転移が見られました」

 

 早瀬先生が簡単な説明をすると、木南先生はマウスを動かし何枚かの断面図に目を通した。そして、


「で?」


 何故か不快感を露わにしながら、早瀬先生に若干乱暴に問い返した。


「木南先生のお力をお借り出来ませんか?」


「……は?」


 早瀬先生のお願いにも冷たく返す木南先生。


「何を試してみても、この患者さんに効く薬がありませんでした。オペをする他ない。このオペが出来るとしたら、木南先生しか……」「このオペを、どう私がしろと?」


 木南先生は早瀬先生の話を最後まで聞こうとせず、座っていた椅子から立ち上がると、さっきまで話をしていた看護師長の元へ戻ろうとした。


「待ってください‼ どうしても助けたいんです‼」


 そんな木南先生の手首を早瀬先生が掴んで止めた。


「早瀬先生なら見て分かるはずでしょう? この腫瘍を取り除くことは今の医学では不可能。仮にオペが出来たとして、この患者さんは薬の効果が出ない転移癌。頭部を切って、あとはどことどこを切り刻む気なの? この患者さんは、もってあと三週間。やるべきことはオペではないはずでしょう? 早瀬先生、しっかりしてください。早瀬先生らしくありませんよ。余計な私情が挟まってはいませんか?」


 木南先生が鋭い目つきで早瀬先生を睨むと、早瀬先生は掴んでいた木南先生の腕からそっと手を離した。


「……お時間取らせてしまい、申し訳ありませんでした」


 唇を噛みながら木南先生に頭を下げる早瀬先生。


「いえ、お気になさらずに」


 木南先生は早瀬先生を素っ気なくあしらうと、今度こそ看護師長の元へ戻って行った。


 そんな木南先生を、桃井さんが睨みつける。


 ナースステーション内の空気が殺伐としてしまったのに、


「私、戻ります。お騒がせして申し訳ありませんでした」


 と、早瀬先生は退散するらしい。


 オイオイオイオイ、早瀬先生よ。どうすんの、この状態。と、心の中をザワつかせながらも、さっきの木南先生の言葉がどうも引っかかり、木南先生がオペを拒否した小児がん患者の電子カルテに視線を戻す。


「桃井さん、木南先生と早瀬先生の息子さんの名前って何ですか?」


 早瀬先生を冷たくあしらった木南先生を睨み続ける桃井さんに話し掛ける。


「早瀬 蓮くんですが」


「ちなみに歳は?」


「四歳でした」


「やっぱり」

 桃井さんに確認して、木南先生の言っていた『余計な私情』の意味が分かった。

 

 電子カルテに記載されている患者は【山本 蓮くん 四歳 】だった。


 早瀬先生は、この患者さんを特別扱いしたかったわけではないと思うが、色々思うところがあったのだろうなと、早瀬先生の心情を察していると、俺の隣にいたはずの桃井さんが、拳を握りしめながら一直線に木南先生の方へ歩き出した。


「木南先生、あんな言い方はないと思います」


 そして、話し中の木南先生と看護師長との間に割って入る桃井さん。


「余計な私情が入っていようがいまいが、患者を助けたいという気持ちは大切だと思います」

 

 桃井さんは看護師長の「ちょっとやめなさい」という注意を無視し、木南先生に意見した。


 木南先生は、桃井さんを制止しようとしている看護師長に「別に構いませんよ」と言うと、


「そうね。ただ、あの患者さんにオペをするのは殺人行為よ。命を救いたくて殺そうとするなんて、支離滅裂。本末転倒もいいところよ」


 桃井さんの発言を肯定しているように見せかけて、全否定した。


「だから、なんでそんな言い方……。みんながみんな木南先生みたいな冷たい人間じゃないんですよ‼ 医者だって人間でしょう? 感情が入って当然じゃないですか‼」


 それでも桃井さんは反論をやめない。必死に早瀬先生を擁護しようとする桃井さんの姿を見ていると、本当に早瀬先生のことが好きなんだなと、自分のことなど目に入っていない現実をまざまざと思い知らされる。


「そうね。感情を入れるなとは言わないわ。でも、感情を優先するのは間違っていると思うけど。現に彼は判断を誤りかけた。私は、人の命を扱う以上感情論で動くのは危険だと思う。冷静さを欠いた医者に、誰が命を預けたいと思うの?」


「…………」


 桃井さんは、木南先生の正論にねじ伏せられ、返す言葉を失うと、


「111号室の高田さんのバイタルとってきます」


 と、キャスター付きのモニターを転がしながらナースステーションを出て行った。



 それから二週間後。

 

 木南先生が『もって三週間』と診断した【山本 蓮くん】が亡くなったという知らせが入ってきた。


 蓮くんの治療には一切関与していない。MRI画像を見て、病状を知っていただけ。


 だけど、俺の足は小児科へ向かう。


 蓮くんに手を合わせたいと思った。医者なのに、何も出来なくてごめんなさいと、彼に謝りたいと思った。たった四年しか生きられなかった蓮くんを、幸せな場所に連れて行ってくださいと、神様にお祈りしたいと思ったから。


 去年のローテで回った小児科。


 顔見知りになった看護師さんに、蓮くんの部屋だった病室を聞き、エンゼルケアを受けているだろう蓮くんの部屋を目指す。


 曲がり角を曲がった時、


「……え」


 思わず足を止めた。

 

 そこには、泣き崩れる蓮くんのお母さんと思われる女性を、優しく抱きしめている木南先生がいた。


「……木南先生が、なんでここに?」


 何となく、二人の方へ行ってはいけない様な気がして、隠れる必要もないのに、曲がりかけた角に身体を引っ込めた。


「アレ? 柴田くん? なんでここに?」


 そんな俺を、去年小児科ローテのオーベンだった平沢先生が見つけ、木南先生が小児科にいることを不思議に思っている俺を、更に不思議がった。


「あ、お疲れ様です。私、今脳外ローテ中なんですけど、そこで山本蓮くんのMRIを見せてもらったことがあって……今日、亡くなったと伺ったので。……あの、どうして木南先生がここにいるのでしょうか?」

 

 平沢先生の疑問を解明したので、今度は自分の質問を問い返す。


「あぁ。二週間前くらいに、『蓮くんのご両親と話をさせてくれないか』って小児科に尋ねてきたんだよ、木南先生。俺たちも山本さんに『オペは難しい。強い薬をやめて体力を回復させて、残りの時間を過ごさせてあげた方が良い』って何度も説得したんだけどさ、『蓮を見放さないでください。助けてください』ってなかなか受け入れてもらえなくてさ。まぁ、当然だよね。我が子の命を諦める決断なんて、簡単に出来るはずがないよね。……柴田くん、木南先生の昔の話、聞いてたりする?」

 

 噂話を吹聴し拡散するようなタイプではない平沢先生が、木南先生の息子さんの話を『昔の話』と濁して俺に探りを入れた。おそらく、俺が知らなかった場合、話し方を変えようと思っているのだろう。


「【早瀬 蓮くん】の話ですよね。知ってます」

 

 変にオブラートに包まれた話など聞きたくなくて、知っているという事実を短く伝えると、平沢先生の話の続きを待った。


「……そっか。やっぱり、木南先生の説得は重みが違うんだよね。母親の気持ち、我が子を失う痛みを、彼女は知っているからね。彼女、自分が息子にしてあげられなかった後悔を、蓮くんの家族にしてほしくなかったんだろうね。蓮くんのご家族に切々と訴えていたよ。『薬を変えれば、蓮くんの体力は一時的に回復します。蓮くんの行きたいところにみんなで行けます。蓮くんの食べたいものをみんなで食べられます。そんな思い出を、蓮くんにもご家族にも作ったって良いのではないでしょうか。蓮くんは今までずっと頑張ってきました。ご家族のみなさんも頑張り続けてきた。蓮くんとご家族の皆さんが楽しい時間を共有して思い出を作るご褒美があっても良いではないでしょうか。ご褒美もないのでは、何の為にこんなにも苦しい治療に頑張って耐えてきたのか分からないじゃないですか』って。それから蓮くんのご家族は薬を変えることを決めて、蓮くんが動ける様になって、一時退院してみんなで温泉や遊園地に行ったらしい。蓮くんが嬉しそうに話してくれた」


「……木南先生」


 平沢先生の話を聞きながら、蓮くんのお母さんの背中を摩る木南先生に目をやる。


「ありがとうございました」と泣きじゃくる蓮くんのお母さんを「お疲れさまでした。よく頑張りましたね」と労う木南先生。

 

 木南先生は、手先は器用なのに不器用な性格だなと思った。


 こういうところをアピールしようとしないから、桃井さんに『冷たい人間』扱いされてしまう。

 

 まぁ、木南先生はそんなことは気にもならないんだろうな。仕事中毒な人だから。


 早瀬先生が木南先生を今でも憧れると言っていた理由が、分かる様な気がする。


 木南先生と山本さんの空間を邪魔してはいけないと思い、二人には近づかず、離れたところから様子を見ていると、蓮くんのケアを終えた看護師さんたちが、蓮くんを乗せたストレッチャーを押しながら、蓮くんの病室から出てきた。


 蓮くんに抱き着き、涙を流す蓮くんのお母さん。そんな蓮くんのお母さんの肩を抱きながら「俺たちにはまだ、しなければいけないことがあるだろう?」と蓮くんのお父さんが宥める。


 これから蓮くんは病院の地下にある霊安室に運ばれる。安置出来る時間は二時間程。遺族はその間に、葬儀場に連絡をして蓮くんを家に移動させる準備、親類や友人への報告、蓮くんが使っていた病室の荷物の撤収などをしなければならない。


 辛いのに、悲しいのに、そんな感情に浸っている時間がない。

 

 蓮くんのお母さんは、蓮くんのお父さんに寄りかかりながら、蓮くんの病室へ荷物を纏めに戻って行き、木南先生は蓮くんと一緒に霊安室へ向かって行った。


 平沢先生に軽く頭を下げ、木南先生の後を追う。 

 

 木南先生に少し遅れて霊安室に着き、ドアを開くと、


「どうしたの? 研修医」


 先に来ていた木南先生が、蓮くんの頭を撫でていた手を止めて俺の方を見た。


「蓮くんに手を合わせに来ました。自分は何も関わりがなかったのですが、話は聞いていたので」


「そっか」

 

 木南先生は、ドアの付近で突っ立ていた俺を「おいで」と手招きすると、さっきまで自分がいた場所に俺を立たせてくれた。


 穏やかで可愛い寝顔の蓮くんに、手を合わせて目を閉じる。

 

 閉じた瞼の内側から、悔しさが涙となって滲む。


「不甲斐ない」


 そう言ったのは、俺ではなく木南先生だった。


「仕方がなかった。今の医学では、誰にも蓮くんの病気は治せなかった。でも『仕方がない』ということが情けない」


 そっと目を開け隣を見ると、木南先生が唇を噛みながら蓮くんを見つめていた。


「やれるだけのことはしたじゃないですか、木南先生は。平沢先生から聞きました。蓮くんのご両親を説得したの、木南先生なんでしょう?」


「私がしたかったのは、説得じゃない。病気の治療がしたかった。病気を治すことが出来たなら、誰も悲しまずに済んだのにね」


 木南先生の言葉がいちいち胸に突き刺さって、俺の涙腺を刺激する。木南先生の過去を知っているから、尚更痛い。


 木南先生だってきっと、早瀬先生と同じで蓮くんに自分の息子を重ねて見ていたのだと思う。


 だから、『仕方のないこと』を割り切って考えることが出来ずに、胸を痛めているのだろう。


 早瀬先生に蓮くんのオペを依頼されたあの日、木南先生が『不可能』とあんなに冷たく言い放ったのは、早瀬先生にと言うよりも【助けたい】と願ってしまう自分に『無理だ』と言い聞かせたかったからかもしれない。


 木南先生は息子さんの事件を『三年も前のこと』と言っていたけれど、三年はそんなに昔ではない。この三年間、息子さんを想わなかった日などなかっただろうし、この仕事をしていれば幼い命が失われる現場に遭遇することは珍しくはないから、その度に思い出しては心を抉られていたのかもしれない。


『苦しみの共感は慰めになる』


 ふと、関屋くんの言葉を思い出した。

 

 バリバリに働いて昼食を抜くことさえある忙しい木南先生が、被害者の会などに参加している様には見えない。


 木南先生が、愚痴を言ったり弱音を吐いている姿も見たことがない。


 じゃあ、木南先生の心はどうやって慰められているのだろう。


 蓮くんの死に直面して、もし今とてつもなく悲しい思いをしているとしたら……。


 無意識だった。


 木南先生を抱き寄せようと右手を挙げた時、


「もう行かなきゃ。CRCのアポが入っているんだった」


 木南先生が突然ドアの方向に身体の向きを変えた。そして、


「何、この手」


 俺の怪しい右手に気が付いた。


 完全に意識不明だった俺の右手を『何?』と聞かれても、俺にも分からない。


「ド……ドアはあちらです」


 ドアに誘導するかの様に右手を伸ばして誤魔化してみるが、最早意味不明。


「知ってます」

 

 木南先生は、俺に面倒くさそうに返事をすると、先に霊安室を出て行った。ドアが閉まった事を確認し、


「本当に何なんだ、この手」

 

 自分の右手を左手で乱暴に振り落すと、


「蓮くん。蓮くんが生まれ変わった時、また万が一病気になったとしても、今度は必ず助けるよ。俺、もっと頑張って立派な医者になるから。だからまた、生まれてきてね」

 

 もう一度蓮くんに手を合わせて、俺も霊安室を後にした。

 

 ドア開けると、俺を待ち構えていたかの様に、まだ木南先生がいた。


「何してるんですか? CRCの人が来るんじゃないんですか?」


「……イヤ、まぁ。そうなんだけど……」

 

 俺の質問にしどろもどろに答えながら、俺を歩かせまいと両手を広げて阻止する木南先生。不審過ぎる。


「何、この手」


 さっきのお返しとばかりに木南先生の手を指摘し、木南先生を振り切ってエレベーターの方へ歩き出す。


 曲がるつもりのない角に何気なく目をやった時、


「……あ」


 思わず足を止めた。


 そこには、長椅子に腰を掛け、頭を抱えながら項垂れる早瀬先生と、その頭を撫でながらそっと抱き寄せる桃井さんの姿があったから。


「病院外でやってくれって感じよね」


 早瀬先生と桃井さんに呆れながらも、俺が桃井さんに好意を持っていることを知っている木南先生は、俺にこの光景を見せまいと、さっきおかしな行動をしたのだろう。


「本当ですよね。つか、変な気を遣わないでくださいよ。これしきのことでショックを受けるほどピュアボーイじゃないですよ」


 助けたいと願っていた蓮くんが亡くなって、早瀬先生が落胆する気持ちは分かる。

 

 でも、自分を好きな人の胸を借り、その気持ちを慰めてもらおうとする早瀬先生に腹が立った。

 

 木南先生は誰にも寄りかからずに一人で悲しみに耐えているのに、この人は何をしているのだろうと、今まで早瀬先生を尊敬していたのに、軽蔑する気持ちも湧き出る。


「イヤイヤイヤ。動揺しまくりじゃないですか。『これしき』とか言う現代人、久しく見てないわ」


 木南先生が「可愛いねぇ」と笑った。

 

 木南先生も俺も、早瀬先生と桃井さんに気付かれない様に小声で話しているつもりだった。

 

 でも、何かの気配を感じたのか、桃井さんの肩越しの早瀬先生の目がふいにこっちを見て、俺と目が合った。


 早瀬先生の黒目が俺の左側に移動し、木南先生を捉える。


 木南先生は早瀬先生が俺たちの存在に気付いていることに気が付いていないらしく、「どんまーい」と笑いながら俺の肩を叩いた。

 

 気まずさからか「もう大丈夫です」と桃井さんから離れようとする早瀬先生を「大丈夫には見えません」と桃井さんが更に強く抱きしめた。


 桃井さんに抱き着かれながら、早瀬先生が困った目で見つめているのは、木南先生だった。


 木南先生が自分たちに気付いないと思っているだろうこの人は、この状態を木南先生に見られたくないんだなと悟った。


 早瀬先生は、木南先生に未練があるのかもしれない。だとしたら、自分を好いてくれている桃井さんの好意を利用して、自分の辛さの捌け口にするのはどうなんだろう。


 亡くなった息子さんのことがフラッシュバックして、耐え難い苦痛を感じているのかもしれないけれど、それは木南先生だって同じ。


 心の強さには個人差がある。木南先生が強いだけなのか。早瀬先生が弱すぎるのか。


 耐え難いことは、心が強い人にだって耐えることが難しいのではないのだろうか。


 木南先生は無理をしているだけで、本当は物凄く辛くて、慰めを必要としているとしたら……。


 今度は意図的に右手を伸ばし、木南先生の二の腕を捕まえると、自分の方にそっと抱き寄せた。


 木南先生を慰めたい気持ちと、早瀬先生に当て付けたい思いがやっぱりあった。


 チラっと早瀬先生の反応を伺うと、早瀬先生は俺の期待通りに複雑な表情を浮かべてこちらを見ていた。

 

 そんなくだらない心理戦が繰り広げられていることなど気付きもしていない木南先生は、


「……は?」


 俺の腕の中で細ーい目をしながら俺を見上げた。


「そんなにショックだったんかい」


 そして、的外れなことを言い出す木南先生。


「違いますよ。木南先生が落ち込んでそうだったから、慰めてあげようかと思ったんですよ」


「研修医の慰めが必要になるほど落ちぶれてないっつーの」


 木南先生は、俺を馬鹿にしながら俺の腕からスルリと抜け出した。


 木南先生が俺の慰めを必要としていないことなど分かっていたから、木南先生のが取るだろう反応も想定内。


 弱音を吐いてくれたら慰めるのに。という気持ちも確かにあるのに、強気ないつも通りの木南先生に安堵している自分もいた。


「可愛げないですね、木南先生は」


 だから、安心して軽口をたたく。


「この歳で可愛いもクソもないわ。CRC、五分以上待たせているからもう行くわ」


 仕事人間の木南先生は、自分を可愛く見せたい欲はないらしいが、それでも去り際に「お気遣いどうも」と少し照れながら言うと、エレベーターの方へ早足で向かって行った。


「何だかんだ、可愛いところもあるし」


 木南先生の後姿を見ながら少し笑ってしまった。


 医局に戻るべく、早瀬先生にペコっと頭を下げ、俺もエレベーターへ向かう。


 早瀬先生への当て付けは成功したらしく、早瀬先生は桃井さん越しに眉間に皺を寄せながら俺を見ていた。


 桃井さんに甘えながらそんな表情をするのが、桃井さんにどれだけ失礼なことなのかが分かっていない早瀬先生を、馬鹿なんじゃないかと疑う。

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