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臆病者と呼ばれた竜が伝説の勇者になるまで

作者: わんわんこ

 とある国の竜たちの住まう谷に、とある竜が生まれた。

 その竜は、他の竜よりも一際体が丈夫で、強く、不老の個体だった。その谷にある竜の里を継ぐ存在になると言われていた。

 ところが、谷は魔王の軍勢に襲われた。とてつもない数の魔族が攻めてきた。

 竜は、固い鱗を持ち、火を噴き、空を飛ぶ賢い生き物だ。一対一ならそこらの魔族には決して負けない。しかし、圧倒的な魔王の力と数の暴力には勝てなかった。

 谷の竜は不老の竜を除いて全滅し、故郷の谷は焼き尽くされ、不老の竜は故郷を追われた。

 まだ若かった不老の竜は命からがら別の土地に移動した。


 そして他の竜のいない土地でたった一匹での生活を続けた。


 住んでいた竜の里が滅ぼされて15年ほど経った頃、一匹で暮らす不老の竜の下にエルフの男とドワーフの男と人間の少女がやってきた。エルフは魔法使い、ドワーフは戦士、人間は神官だった。


「不老の竜殿、われらと共に魔王を討伐しに行ってくれぬか」

「僕らの里も魔王に滅ぼされた。魔王を野放しにするわけにはいかない」


 不老の竜は長寿。エルフよりも長い、数千年以上も続く途方もない時を過ごす。生き物よりも自然に近い存在だった。そして魔王という存在も、自然が生み出した存在。一時は逃げてしまった不老の竜だが、次に魔王が攻め滅ぼしに来るのであれば、それはそれとして受け入れようと考えていた。

 そのため、エルフたちの申し出を断った。


「何千というエルフ、ドワーフ、人間たちが死んでいるのだぞ!?」

「このままでは魔族以外の存在は全て根絶やしにされるか、魔族の奴隷と化すんだ」

「それもまた運命であろう。黙って受け入れるつもりだ。帰ってくれ」


 竜はそう言って、エルフたちを帰そうとした。


「なるほど、怖いんですね?」

「なに……?」


 黙っていた人間の少女が口を開いた。竜が縦に細長い瞳孔をさらに細めてそちらを見ると、ちっぽけな少女は挑戦的な目で竜を挑発した。


「あなたはかつて故郷を襲われて命からがら逃げだしたと聞きました。魔王に立ち向かっても勝てないと分かっているから怖いのでしょう。そうですね、臆病者には魔王討伐は荷が勝ちすぎています。お二人とも、他を当たりましょう」


 竜は誇り高い生き物だ。たかだか10数年生きたか生きていないか程度のちっぽけな人間に見くびられることは許せない。

 バシンと太い尾を振り、大きな翼を広げ、牙の間から炎をちらつかせながら、竜は少女を睨みつけた。


「もう一度申してみよ。我がなんだと……?」


 竜の怒りに、エルフとドワーフは必死に少女を止めようとする。しかし、神官の少女は、竜の怒りに顔を青ざめさせてはいたものの、堂々と言い返した。


「何度でも申し上げましょう。あなたは臆病者なのです。魔王が怖くてこんな辺鄙なところに逃げ隠れているのです」


 竜は怒りに吠えた。竜の口から、空高く火柱が上がり、地に打ち付けた尾で地面が割れて揺れる。


「よくも我を愚弄したな……!」

「そうやって威嚇するのもそう。体の大きさを誇示して、わたくしのような矮小な存在にしか強く出られない、そんな生き物なのです。わたくしにはまるで小さな子犬が背中の毛を逆立てているように見えます」


 竜は怒りのまま、姿を変えた。竜は、魔法を使えないが、人化はできる。

 赤い髪の青年になった竜は、自身の一部を具現化した剣を少女の首に突き付けた。


「これで体が大きいだけとは言わせん」

「そうですね。けれど、体の大きさを変えたからといって、あなたが魔王を恐れる臆病者でないということにはなりません」


 言葉を重ねる少女に、竜は、牙の代わりに八重歯を見せつけながら、吠えた。


「ならば、我が、魔王を討伐して見せよう。そなたのようなちっぽけな存在に侮られていては竜の沽券にかかわる」

「仲間になってくださるんですね!」


 笑顔になった少女を、竜は、はんと笑い飛ばした。


「誰がそなたらの仲間になるなどと言った。そなたらのような脆弱な存在を近くに置いては力をふるえぬわ」

「あぁ、なるほど。自分が本当は魔王を倒せなかったと知られるのが怖いんですね。監視役兼見届け役がいては、嘘をつけないですものね」

「嘘だと!?誇り高き竜がごまかしなどするものか!たばかることなどあり得ぬ」

「どうでしょうか。わたくしが信じるものは、目で見たものと神のみです」

「……よいだろう。そなたらくらいの足手まといがあってちょうどよい。我と共に来るがよい」


 その言葉に、少女は破顔し、仲間であるエルフとドワーフを見た。


「やった!仲間になってくださるそうですよ!」


 が、エルフとドワーフはまるで寿命が10年縮んだかのような顔をしていた。


「死ぬかと思った……」

「これで仲間と呼べるのか……?解せぬ……」

「いいんですよ。結果良ければ全て良し、です」


 少女は同行することになった竜に手の平を差し出した。


「ところで、不老の竜様。お名前はなんと?」

「人に呼ばれる名などない」

「竜のお仲間に呼ばれるお名前はあったのですか?」

「ない」

「なんと哀れな……」

「おい、人間の娘。我を愚弄するのもいい加減にしろ。我はそなたの命など容易く奪える」

「そちらこそ失礼です。わたくしは、『人間の娘』という名ではありません。リナリアといいます。呼ぶべきお名前がないのであれば、わたくしが竜様にお名前をつけていいですか?」

「人間の娘ごときに呼ばれる名などいらぬ」

「でもこの後旅をするときに、『竜さん』『竜様』では呼びづらいです。『レヴィ』様とお呼びすることにしましょう」

「……勝手にしろ」

「勝手にします」


 人――いや、竜に、少女は華開くように笑った。



※※※


 人化した竜たちの旅は始まった。


「レヴィ様、ご飯ができましたよ」

「要らぬ」

「ご飯を食べないと力が出ないですよ」

「我は物を食さずとも暮らしていける」

「でもせっかく狩った鳥が……。奪った命はありがたくいただくものです」


 命を失った鳥のことを考え、竜はしぶしぶ少女の差し出す椀に口を付け、そして盛大に噴き出した。


「人間の娘っ、そなた魔王の手先ではあるまいな!?」

「リナリアです。魔王の手先なんて失礼な。わたくしは神官ですよ?それに、いただいた命にも失礼です!」

「なにが失礼だ。そなた、なぜこのような毒物を我に食わせた」

「毒……?ひどい!ちょっと個性的な味なだけで……」


 見れば、仲間のエルフもドワーフも、少女が作った飯には手を付けていなかった。エルフは「肉は食べられない」と言ってそっぽを向き、ドワーフに至っては、「鳥を食うことは教義に反する」などとありもしない教義をでっちあげて少女の料理を避けていた。


 竜は、決死の覚悟で少女が作った全ての料理を腹に収め、以来、一切少女に料理をさせなかった。

 その後、食事を必要としないはずの竜がなぜか凄腕の料理人になり、ドワーフとエルフは涙して竜に感謝した。


 少女は、よく落とし穴に落ち、転び、崖から滑り落ち、鳥の魔獣に連れ去られ、「あそこになにか重要なものがある気がするのです!」と直感を信じては敵の手に落ちた。そのたびに竜が連れ戻しに行った。


 ——放置していいのではないか。


 そんな思いが竜の頭をよぎったことも一度や二度ではない。

 しかし、少女はこれでも魔王討伐パーティの神官である。神官としての能力は高かったし、なにより、竜が魔王を討伐する見届け人となると宣言した張本人だ。放置するわけにはいかなかった。


 少女の生活能力は皆無と言ってよかったので、その分、竜は人の世話が得意になった。


 少女は、人間たちの困りごとを放っておけなかった。魔族がはびこる世には苦しみが絶えない。人間だけではない、エルフにもドワーフにも妖精にも小人にも、全ての生きとし生けるものの訴えに耳を傾け、その困りごとを解決しようと寄り道を繰り返し、助力し、神に祈りを捧げていた。


「寄り道している場合か。魔王を倒すのではないのか?」

「まぁレヴィ様。そんなにカリカリしては寿命が縮みますよ」

「多少縮んだところで、我には唸るほどの時間があるわ」

「それならばなおさら問題ないではないですか」


 苛立った竜が吠えるたびに、少女は笑った。


「一番最初に寿命が尽きるのはわたくしであるはずなのですから」



※※※


 魔族たちはしつこく竜たちに襲い掛かった。そのたびに、竜は、時には竜の姿で、時には人化したまま、エルフとドワーフと少女と共に戦った。


 魔王は一際厄介な相手だった。その恐ろしさは、強大な魔力だけではない。魔王は、ずる賢く、いやらしく、卑怯で、狡猾で、残忍だった。

 強大な魔力で相手をひねりつぶすこともあれば、屈服するまで拷問まがいの方法で相手の心を殺してから命を奪い、時には、相手の記憶を読み、最も大事な相手になりすまして命乞いの言葉を囁き、隙ができた相手の命を奪っていた。


 エルフもドワーフも少女も竜も、全力で魔王に立ち向かい、魔王の攻撃に追い詰められては反撃し、そして最後は、竜がその首を貫き、ついに魔王を撃破した。


 竜が少女たちと旅を初めて12年目のことだった。



※※※


「レヴィ様は、この後はどうされるのですか?」


 魔王の討伐を終え、エルフとドワーフがそれぞれの国に帰り、一人残った少女だった娘が竜に尋ねた。


「どうもしない。元の通り、時が来るまで、流れに身を任すまでよ」

「そうですか」


 娘は一度目を伏せ、それから決意を込めて、竜を見た。


「レヴィ様。わたくしを、この寿命の尽きるまで、レヴィ様のお傍に置いてはいただけませんか?」


 竜は人化したまま、娘に言葉を返す。


「我の傍に来てどうするのだ?」

「そうですね。例えば、身の回りのお世話とか……?」

「そなたの身の回りの世話をしていたのは我の方だろう。そなたの手助けなど要らぬ。むしろ悪化する未来しか見えぬ」

「うぅ……。じゃ、じゃあ一緒にご飯を食べる、とか、おしゃべりをする、とか……」

「要らぬ。我は食事を必要とせぬと何度も言うたはずだ。話などこれまでも何度もしてきたであろう」


 竜は、12年の旅路でなんとも人間臭くなったため息をついて娘に言った。


「そなたは王都とやらに呼ばれていただろう。偉い神官として国を率いていくのではなかったか」

「えぇ、確かに呼ばれました……」

「ならば、エルフとドワーフが帰ったように、そなたも帰るべき国に帰ればよい」

「でも……レヴィ様は、わたくしがいなくなったら、寂しくありませんか?」

「小うるさい人間がいなくなればようやく心安らかに過ごせるというものよ」

「まぁひどい。それならわたくし、たまにレヴィ様のところにお邪魔してうるさくして差し上げます」

「人間が単体で来られるような地に我は住まぬ。来られるものなら来てみるがいい」


 竜はそう言って元の竜の姿に戻り、大きな翼をはためかせて飛び去っていった。


 少女だった娘はその後ろ姿をいつまでも見送っていた。




※※※


「見つけましたよ、レヴィ様」

「……本当に来たのか」


 娘だった女は、宣言通り、別れてから10年後に竜の新しい住処を訪れた。

 もう娘とは言えぬ歳になっていたが、変わらぬ華のような笑顔で竜に挑戦的に笑った。


「ふふふ。わたくしの目から隠し通せると思ったら大間違いなのです!」

「ここに来るまでに何度洞窟をさまよったことか……」

「洞窟どころか、生死の境をさまよったね」

「レヴィ殿がいないのに空も舞ったぞ」


 娘だった女は、元仲間のドワーフとエルフを引き連れていた。

 ドワーフとエルフに哀れみを覚えた竜は、人化し、女たちを出迎えた。


「レヴィ様、わたくしがいなくて寂しゅうございましたでしょう?」

「寂しいなどと思うものか。そもそもついこの前別れたばかりだろう」


 その言葉に女は大きく目を見開き、それからほんの少し目を細めて笑った。


「レヴィ様とわたくしとでは時の流れ方が異なりますものね」

「当たり前だ。我は不老の竜ぞ。10年なぞ、我にとってはほんの瞬き程度のひと時よ」


 竜は押しかけてきた3人を住処に迎え入れ、わずかばかりの時、昔話に花を咲かせた。

 思い出話をして、ひとしきり笑った女が竜に言った。


「レヴィ様。魔王がいなくなって世界は平和になりました。けれど、まだ魔族はおりますから、わたくしたちは残った魔族を倒しながら、ぼろぼろになった生活を立て直しておりました」

「そうか。そういえば人間たちが増えたような気がするな」

「レヴィ様は魔王を倒した勇者様なのです。人々はレヴィ様に会いたがっておりますよ。一度、人里に降りてみませんか?」

「我はここで悠久の時を過ごす者。人間と会う必要はない」

「こうしてわたくしたちには会ってくださるじゃありませんか」

「それは、そなたらだからだ。他の人間たちであれば追い払っている。今後も変えるつもりはない」


 そう言われた女は、ふっと目元を和らげ、それから、竜の手を取って自らの左胸にくっつけた。女の体温や鼓動が竜に伝わる。


「何の真似だ」

「魔王を倒した勇者様へ、生きている人間の感謝をお伝えしようと思いました。このように、生きている人間は温かく、心臓がどくどくと脈打っているのです。たくさんの人間たちがレヴィ様のおかげで今日も鼓動を続けています」

「そうか。魔王が倒れたのも、人間が増えたのも、それもまた運命だろう」

「えぇ。レヴィ様が人間を、エルフを、ドワーフを……この世界に生きるすべての者を救ってくださったことも、運命なのです」


 女はそう言って微笑んだ。



 数日後、女はエルフとドワーフを連れて、竜の住処から出た。


「ではレヴィ様の感覚で日参しますので、またこのように出迎えてくださいませ」

「我に構わんでよい。自身のなすべきことを果たせ」

「もちろんです」


 女は笑って、元仲間のエルフとドワーフを引き連れて去った。




※※※



 女は元仲間のエルフとドワーフを連れて10年ごとに現れた。

 竜は、押しかける女たちを「暇なのか」と言いながら迎え入れ、過去の旅の話をし、女は幸せそうに笑った。


 女が5回目に竜を尋ねた時、女はいつものように竜と昔話をした。


「あの時、まさかあんなところに底なし沼があるなんて思いませんでした。レヴィ様が空を飛べなければわたくしたちの旅はあそこで終わっていましたね」

「そうだったな。翼のない者たちはとかく危険が多いのだと分かった」


 竜の言葉に、女は皺を刻んだ頬を緩めた。


「ねぇ、レヴィ様。わたくし、ここに訪れるのは今回が最後になりそうです」

「そうか」

「それもまた運命、でしょうか」

「そうだな」

「レヴィ様。わたくし、昔、レヴィ様に、一番最初に寿命を迎えるのはわたくしだとお話ししたでしょう。そのとおりになりますね」

「それはそなたが人間である限り当たり前であろう」

「ふふふ、それは寿命どおりの人生を過ごせるほど、この世界が平和になったからですよ」

「そうかもしれぬな」


 女は、竜の手を取った。竜は最初に会った時の赤髪の青年姿のまま、手の瑞々しさも変わらない。女はその若い青年の手に皺だらけになった自分の手を重ねた。


「レヴィ様。わたくし、レヴィ様に会えて、人生の色が変わりましたの。最初お会いした時は、レヴィ様は怒りで真っ赤で、わたくしは恐怖で真っ青になっていましたね」

「我に臆病者などと申したのはそなただけだ」

「ふふふ。その後も、色々な経験を重ねて、絶望の黒にも、意識がなくなった白にも。魔王を倒した後の日の出のような明るい太陽の黄色にも、復興を続ける雲一つない快晴の青空のような空色にも。それはもう、虹色の人生になりました」

「魔王を討伐したのだ、それもそうであろう」


 竜の言葉に、女は静かに微笑んだ。


「レヴィ様、二つお願いがございます」

「……そこは一つではないのか?」

「ふふ、女は欲張りなのです」

「そなたらしいな。なんだ、申してみよ」

「レヴィ様の鱗を一枚くださいませ。わたくしはここに来られなくなりますが、最期までレヴィ様と共にありたいのです」

「そんなことか。そなたのことだ、無理難題を言うかと思ったぞ」


 竜は、一度竜の姿に戻ると鱗を一枚剥がして女に渡した。女は竜から受け取った赤い鱗を両手で大事そうに包み込む。


「そう握りこむな。見えぬぞ」

「見える?」

「虹色がよいのだろう。その鱗は日にかざすと虹色に輝く」

「まぁ……この世のものとは思えない、なんて素敵な色なのでしょう」


 女は、竜からもらった鱗を日にかざした。老いて少し濁ったはずのその瞳は、反射した光で七色に輝いた。


「もう一つはなんだ。さっさと言うがよい」

「レヴィ様の住まう場所のほんの一画をわたくしにくださいませ」

「一画だと?」

「そうですね、このくらいの広さで十分です」


 そう言って女は、両手を自身の体の幅より少し狭いくらいに広げた。


「その程度であれば構わんが……そんな狭いところでなんとする?」

「秘密です」


 女は、しわくちゃになった顔でいたずらっぽくウィンクをして見せた。



※※※


 次の訪問までは10年と待たなかった。女は来なかった。代わりに元仲間のエルフが竜の元を訪ねた。エルフは、一つの壺を持っていた。


「あの人の女はどうした」

「死んだんだよ。最期まで幸せそうに笑って、あなたの鱗を抱えて寿命で死んだよ」

「そうか。……これは?」


 エルフは竜に持っていた壺を渡した。


「彼女の——リナリアの骨。人間は死んだら骨を焼くんだって」

「この骨を我にどうしろと?」

「リナリアがあなたと約束したと言っていたよ。あなたの住処の一つの区画に埋めてもらうのだと言っていた」

「あぁ、あれはそういう意味だったのか」


 竜は、女と約束したとおり、住処の一区画を女のために取っていた。川のせせらぎが聞こえ、日の光も月の光もよく当たる、竜の住処の中で一番良い場所だった。

 エルフは急ぎで来たようで、壺を渡すとすぐに帰った。


 竜はエルフが帰った後、用意した場所に壺から出した骨を埋めた。誰に言うでもなく、「約束だからな」と呟いたが、誰からも返事はない。


「そなたと二人きりか……いや、我のみのままか」


 静かだった。夜になって月が差しこむと、女の骨を埋めたところに月の光が当たった。


「……静かだな」


 竜は女の骨の埋まった場所の横で、女の墓となった場所を見ながら独り言ちた。



※※※


 10年経って、20年が経って、30年が経つ。その間に、たまに元仲間のドワーフやエルフが遊びに来ては帰っていく。

 竜は、女の骨の埋まった住処で、いつものように変わらない日々を過ごしていた。

 しかし、竜の胸には、女の骨を受け取ったあの日から、何かの違和感があった。とげのようなものを感じた。そのとげがいつまでも抜けず、竜は不快だった。けれど原因は分からない。

 一時、住処を替えてみたこともあったが、女の骨を放置するわけにもいかない。女の骨を埋めた場所の様子を確認するために元の住処に通うようになり、結局、元の住処に戻ることになった。


 女の死から100年ほど経ったある日、竜は、大きな翼を広げて少し遠出をした。

その花はそう珍しい花ではなかったので、竜の住処から少し飛んだところですぐに見つけられた。

 竜は目的の花を一抱え摘んで飛んで帰ってくると、女の骨が埋まっている周辺にその花を植えた。

 竜の住処に風が吹き、植えた花たちが一斉に揺れる。紫、桃、白、黄。彼女が愛した、その由来の名前と同じ様々な色の花が、日の光を浴びて笑うように揺れる。

 竜の頭の中で、生意気な女が竜に笑いかける声が響いた。


 人間一人。たった100年も生きない小さな生き物。

 名前を覚えることすら無駄に思われるような、わずかな時間しか生きず、わずかな時間しか共に過ごしていない女。

 なのにその名前がなぜか竜の心から消えない。



「リナリア」



 ぽつり、と漏らした名前と共に、ぽとり、と透明な水が地面に落ちた。

 竜の目から落ちた透明な水が、リナリアの埋まっている地面を濡らす。


「どういうことだ。我は……」


 竜は、初めて流した涙に動揺する。故郷を奪われた時すら流れなかったはずの涙。それが、リナリアのことを思い出すほどに、孤独な竜の目から溢れていった。

 

※※※


 リナリアの死から約1000年が経った。

 不老の竜はまだ生きていた。元仲間だったドワーフは寿命を遂げ、元仲間のエルフだけが、時たま竜を訪れていた。


「レヴィ、知ってるかい?どうやら魔王が復活したらしいんだ」

「そうか。何やら魔族たちが騒がしいとは思っていた」

「魔王が復活すれば、またこの世は荒れるね」

「そうであろうな」

「リナリアとゴールディンが愛していたこの世が荒れるのは嫌だな」


 元仲間たちに想い馳せたエルフは、リナリアの骨の埋まっているあたりを眺めた。


「そなたは魔王討伐に行くのか?」

「僕はまだまだ生きるけれど、さすがに魔王討伐に行けるほど全盛期じゃないよ。きっと後世の子が立つだろう。そう言うレヴィは?」

「我か?」

「勇者レヴィは、魔王討伐に向かうのかい?それとも、今度こそ、魔王の登場を運命だとしてなすがままを受け入れるのかい?」


 竜は黙して答えなかった。



 元仲間のエルフが帰って2年ほどが経った頃、竜の下に、エルフの女とドワーフの男と人間の男が訪れた。エルフは魔法使い、ドワーフは戦士、人間は神官だった。


「勇者様、どうか魔王討伐にお力をお貸しください」

「勇者様が立ってくださらねば、人もエルフもドワーフも皆死んでしまうのです!」


 1000年以上昔の出来事を、竜は懐かしく思い出した。

 リナリアが青ざめたまま挑発してきた姿を、1000年以上が経った今も、竜は鮮明に思い出すことができた。

 竜は静かに言った。

 

「我は魔王という運命を受け入れようと思っている」

「勇者様!」

「前回が例外だったのだ。我は運命に逆らわず、世の摂理に従うべきなのだ」

「ですが勇者様、こたびの魔王は、前回の魔王討伐にも全く無関係というわけではないのですよ!」

「どういう意味だ?」

「理由は分かりませんが、魔王は、勇者様のかつての仲間であった大神官リナリア様と同じ姿をしているのだそうです」


 竜は頭を殴られたような心地がした。


「……なぜ、あの者と同じ姿だと言える?あの者が生きていたのは1000年以上も昔のこと。そなたらはあの者の姿など知らぬだろう。我をたばかれば命はないぞ」

「エルフの師、ヴァンキッシュ様が間違いないとおっしゃいました」


 元仲間のエルフの名前に竜は震え、大きく咆哮した。

 

 竜は、再び、勇者として、新たな魔王討伐の旅に加わった。




 魔王復活により、魔族たちの力は活性化していた。そのため、魔王討伐までの道中は決して楽ではなかった。

 だが、1000年以上を生きた竜の力はすさまじかったし、エルフの魔法使いも、戦士のドワーフも、神官の人間も、それを最大限援助した。

 1000年前の、寄り道ばかり、くだらないことばかりだった旅とは異なる、一直線に目標である魔王に向かう旅だった。


 竜が再び旅に出て5年が経ち、ついに、竜は新たな魔王と対峙した。

 その姿を直接見て、竜は瞠目した。その姿は、まさしく、1000年以上前に共にわずかな時を過ごしたリナリアそのものだったからだ。


「来ると思っていたぞ。不老の竜よ!いや、勇者よ!」


 だが、魔王は魔王だ。悪逆非道の限りを尽くす、魔族の王。すさまじい力を持つ魔王は、どういう方法でか、竜とリナリアのかつての関係についてもよく知っているようだった。


「ふふふ。この姿であれば、お前はわらわを殺せなかろう!」


 魔王は卑劣で狡猾だ。竜は1000年以上前の旅でよく知っている。

 魔王は的確に、竜の心に残っている相手を映してきたのだと竜は思った。


 竜は怒りのままに、何をも砕く牙を、何をも切り裂く爪を、何をも断ち切る剣を魔王に向けた。

 怒りのあまり、人化していた時でも、瞳孔が縦に長い竜の目をしていた。



 魔王と竜の戦いは三日三晩続いた。


 竜は、ついに、魔王の体をその剣で両断する。


 ——あぁ終わった。ようやく、リナリアと同じ顔の、最も憎い相手を目の前から消すことができた。


 竜がそう思った時、上半身だけになって飛んでいく魔王の顔がふっと緩み、竜に微笑んだ。


 その表情は、1000年以上前に、そして今も竜の記憶に焼き付いている生前のリナリアと同じだった。


 これこそが魔王の罠だと考え、一瞬生じた動揺を抑えた竜は、その顔に最後の一刀を入れようとする。


 その時、両断された魔王の体の中から、何か、赤いものが飛び出した。人間の手のひらに収まりそうな大きさのそれが、人化した竜の持った鈍く光る剣の光を受けて、わずかに虹色に輝く。

 見知ったそれに、竜が、魔王の顔を刺し貫こうとした動きを止めて大きく目を見開いた。


「あぁ……ばれちゃいました」


 どさりと地面に落ちた魔王の上半身が、いたずらが親にばれて叱られた後のような、少しだけ泣きそうな声を出した。


「お久しぶりです。レヴィ様」


 魔王だった女は竜に手を伸ばした。が、竜は硬直して動けない。


「こんな姿で見られたくなかったのになぁ……」

「な、ぜ……なぜそなたが……」

「ごめんなさい。わたくし、こんなつもりではなかったのです。レヴィ様からいただいた鱗を胸に綺麗に旅立つつもりだったのです。……ただ、命の消えゆく間際、最期にもう一度、一目だけでも、レヴィ様に会いたいと願ってしまいました。きっと、わたくしの最期の欲に、魔王の魂が目を付け、わたくしの魂を食らったのでしょう。……気づいたら、魔王の中(ここ)にいました」


 魔族は死ぬと遺体を残さない。分断された魔王の体がさらさらと黒い砂のようになって風に流れて崩れていく。

 魔王だった女は、がくりと膝をついた竜を愛おしそうに眺めた。


「あなたがわたくしを討伐してくださると信じていました。魔王の中に閉じ込められてから、わたくしはずっとあなただけをお待ちしていたのです。来てくださって、嬉しい」


 竜は、ぽろぽろと崩れて首だけになった魔王だったものに近づき、手を伸ばした。


「りな、りあ……」

「まぁ、レヴィ様。やっと。1000年以上かけて、やっと、わたくしの名前を呼んでくださったのですね。これに勝る喜びはありません」

「リナリア、我は、そなたを——」

「レヴィ様」


 リナリアは竜の言葉をあえてさえぎって、涙を浮かべた笑顔で言った。


「今度こそ、わたくしはきちんと旅立てます。レヴィ様の下に帰れます。わたくしは——リナリアは、いつもレヴィ様を想っております。今度こそ、魔王などではなく、生まれ変わってレヴィ様の住処に遊びに行ける日が楽しみです」

「リナリア!」


 竜が魔王だったものの首を胸に抱えようとしたとき、魔王だったものの体のすべてがさらさらとした黒い砂になって流れ、竜の手からこぼれていった。魔王だったものの目からこぼれた水滴が一つ、竜の手に残った。


 新たな旅の仲間たちが沈痛な顔でその場に佇む。竜にかける言葉は見つからなかった。


 竜は悲しみに慟哭した。


※※※


 竜はひたすらに悠久の時を過ごした。1000年を、2000年を、3000年を過ごす。その間に、最後の仲間だったエルフも寿命を迎え、竜の友はこの世にいなくなった。


 長い年月を過ごすうちに、また新たな魔王が生まれ、竜は依頼を受けてそれを討伐したが、その魔王はリナリアではなかった。1000年に一度ほどのペースで、新しい魔王は生まれ、竜は勇者としてそれを討伐する。それを繰り返した。


 竜は伝説の勇者と呼ばれた。


 しかし、魔王が出てこない限り、竜は人前に姿を現さない。


 竜は、同じ住処の同じ場所で、ただ一人、もう一度会いたい人間の娘の骨が埋まっている場所で、たった一匹で静かに時を過ごした。




 リナリアが亡くなって5000年が経った。

 不老の竜といえど、そろそろ寿命を迎える頃だった。

 不老の竜が想像したとおり、その年も、新たな魔王が誕生し、魔族が活発化した。そして、これも竜の予想どおり、伝説の勇者である竜を迎えに、竜の住処に人間たちがやってくる足音が聞こえた。


 ——これが最後の旅になるだろう。


 竜の予想通り、竜の住処に足を踏み入れたその者たちは、魔王の討伐を目指す者たちだった。エルフの男は魔法使い、ドワーフの男は戦士、人間の少女は神官だった。

 迎えに来た面々を見て、この命が続く限り二度と動かされることはないと思っていた竜の心が大きく跳ねるのを感じた。


 竜はすぐさま人化し、神官である人間の少女の前に立った。少女は警戒心あらわに竜を見た。


「そなた、名前は」

「プ、プリムラ、ですけど。か、変わった名前だからってからかうならお断りです!」

「そなた、料理は下手か?」

「下手というわけでは——ど、独創的だと言われることは多いですね」

「落とし穴に落ちやすいか」

「どこかでわたくしのことを見てましたか?」

「よく脇道に逸れては罠にはまったり魔物に襲われたり転んだりしていないか」

「くっ、なんなんですか!わたくしの弱点をついて何か楽しいですか!?精神攻撃ですか!?ねぇ、シルバ様、実はこの竜が魔王だとかそういうオチなんじゃないですか!?」

「こら、プリムラ、失礼なことを言うな!この方は伝説の勇者様——」


 涙目になって竜を睨みつける少女に、竜は、突然、楽し気な笑い声をあげた。

 まるで咆哮のような声に、少女たちが一様にびくっと肩を跳ねさせる。


 竜はひとしきり笑った後、目を細めて少女たちパーティを見た。


 ——リナリア。そなたの魂がようやく我の元に帰って来たようだ。永かったぞ。どれだけ待たせる。今度はそなたの番よ。この旅を終えるまで、待っていてくれ。我がこの者らよりも先に逝こうとも、我はもうそなたと離れぬぞ。


 竜は機嫌よく鼻を鳴らした。


「よいだろう、我がそなたらを助けてやろう。我と共に来るがよい」



おしまい


お読みいただきありがとうございます。

ちょっと悲恋チックな、もどかしい切なさが書きたくて出てきたお話。連載中の話には世界観が違って入れられないので、短編に仕上げました。リナリアは好きなキャラ。世話焼き兄ちゃんの竜もいい感じ。地味に振り回されてるエルフとドワーフも好き。

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― 新着の感想 ―
[一言] 良いお話ですね!
2023/11/12 12:19 退会済み
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