最終話
散々だった「お菓子作り対決」が幕を下ろし、三月ほど経ったころ――。
公爵領の市街地に、菓子屋がオープンした。
店主の名を取って、「リメリア」と名付けられたその店は、メルティスどころか大陸中の誰も見たことがない菓子を出すと、大層な評判を呼んでいるという。
「いらっしゃいませぇ」
ドアベルに振り返った美人の売り子の、愛想の良い笑顔が驚きに固まった。
入って来たのは、金髪の美青年と桃色の髪の愛らしい少女の二人連れだ。どう見ても、王太子アスランとその婚約者、ステラ嬢である。お忍びらしく、市民らしい服装に身を包んでいるが、変装はほとんど意味をなしていない。
「やあ、二人なんだが。大丈夫かな?」
「え、ええ。どうぞ!」
人目に付きにくい個室に通された二人は、仲睦まじくメニューを眺めていた。しばらくして、「店主」と大きな名札を付けたリメリアが、しずしずとお冷を持ってくる。
「いらっしゃいませ。来てくださって、嬉しいですわ」
「リメリア様! 開店おめでとうございますっ」
「まあ、ありがとうございます」
立ち上がったステラが、笑顔で花束を差し出した。細い腰がテーブルにぶつかって零れたグラスの水を、殿下がこっそりと魔法で蒸発させる。リメリアは「あらまあ」と思いつつ、笑顔で花を受け取った。
「大繁盛しているようだね。商才まであったなんて、君はさすがだ」
「いえいえ。皆さまのお力あってのことですわ」
にこやかに賛辞を贈る殿下に、リメリアは謙虚にほほ笑んだ。
騒動のあと――ほうぼうに謝罪を終えたリメリアは、思った。
――このまま負けっぱなしでは終われない。それで、勝負の為に作った道具などを、世の中に役立ててみようと考えたのだ。幸運なことに、勝負を見て興味を持ってくれた人々が支援を申し出てくれ、店を持つことが出来た。
「あのっ。さっそく、お菓子を頂いてもいいですか?」
ステラ嬢がうずうずした様子で言う。
「そうだね。リメリア、今日のお勧めはなんだい?」
殿下の問いに、リメリアは自信をもって答えた。
「今日のお勧めは、フレッシュ苺のふわふわショートケーキですわっ」
ホールに戻ったリメリアは、目を丸くした。
「よう、メリー」
レジスターをしていたロルフが、気軽に手を上げた。爽やかな笑顔に、会計を待っていた女学生が顔を赤らめている。
「ロルフ! また来てらしたの」
「そりゃ、俺の店でもあるからな」
ロルフはにっと笑う。
彼は「リメリア」のオーナーだ。リメリアが店を持つと言ったら、協力を買って出てくれたのだ。オーナーはかなりの頻度で店にやって来ては、経理からホールスタッフまでこなしている。
しばらく忙しく働いたあと、二人は従業員用の休憩スペースに引っ込んだ。
「しかしなあ。殿下たち、まさか来るとは思わなかったぜ」
湯気の立つティーカップを片手に、ロルフは言う。
「ええ。お忍びしてまで、来てくださるなんて有難いことね。お菓子も気に入ってくれたみたいだし、よかったわ」
「……ニュアンスが違うんだよなあ。ま、お前が良いならいいけどさ」
肩を竦めたロルフに、リメリアは首を傾げる。
「何よその顔。お茶、渋かったかしら」
「いや。美味いよ」
「そう?」
変なロルフ、と独り言ち、リメリアも紅茶を口に含んだ。芳醇な香りが鼻に抜けるのにつられ、そっと目を閉じる。
「殿下とステラ嬢、とても幸せそうだったのよ」
リメリアは、穏やかな声音で呟いた。
仲睦まじい二人の姿を見ても、殿下への未練は綺麗さっぱり感じなかった。今の自分は、ステラ嬢との仲を素直に応援している。
(だって、殿下ったら。恋をすると、あれほど馬鹿馬鹿しいなんて)
リメリアの知るアスラン殿下は、常に美しくて、隙の無い殿方だった。それがあんな風に、人の目も気にせず恋人にデレデレする人になるなんて。
すごく馬鹿馬鹿しいけれど――同じくらい、羨ましい。
「あーぁ。私も早く恋人がほしいわっ」
リメリアは、ほうとため息を吐く。長い睫毛が夢見るように震えるのに、ロルフが息を飲んだ。
「メリー、お前……!」
ロルフが熱い瞳でリメリアを見つめる。リメリアはにっこりとほほ笑んだ。
「そのためにも、お店をもっと大きくしなくちゃね!」
「は?」
きょとん、と目を丸くするロルフに、リメリアが得意げに胸を張る。
「だって、私のお店の名声が高まれば、隣国への出店も夢じゃないでしょ? そうしたら、隣国の王太子様に見初められちゃうかもしれないわよねっ」
なにも王太子は、アスラン殿下一人では無いのだ! リメリアはぐっと拳を握りしめる。ロルフは半眼になった。
「野心でかすぎだろ」
「何よっ。あなただって、大した野心家じゃないの。次期公爵であると共に、菓子業界のデベロッパーを目指してるんでしょ?」
「はあっ?! おい、俺は――」
ロルフが慌て顔で立ち上がったとき、チリリン、チリリン! とドアベルがけたたましく鳴る。
「あら、お客様だわ」
リメリアがぱっとスカートを翻し、ホールに繋がるドアへと向かった。にっこりと満面の笑みを浮かべ、手招きする。
「ほら、行くわよロルフ!」
「お会計お願いします」
「ありがとうございます。またのお越しを」
ロルフは、ズダダダ……と凄まじい指さばきでレジスターを打ち、会計の列をさばいていく。
その背に、そっと近づいてきた影があった。
「あの」
「はい――って、何だ、お前か」
ロルフは愛想の良い笑顔で振り返り、げっと眉をひそめた。声をかけてきたのは、ロルフの秘書である。
「ロルフ様、次のご予定の時間が迫っております」
「わかってるって」
「しかし……」
「この列がはけたら交代の子が来る。先に行って、馬車の準備を頼む」
接客を止めないロルフに、根負けしたように秘書は引き下がった。笑顔で客をさばいていると、ホールからリメリアの明るい声が聞こえてきた。
――はい、本日のお勧めは苺のショートケーキになります。ぜひお試しくださいませ……。
きゅん、と胸が甘く疼くと共に、先のしたり顔を思い出し、米神が引き攣った。
(なーにが、「あなただって、大した野心家じゃないの」だ。人の気も知らないで、よく言ってくれるぜ)
次期公爵であるロルフは、多忙の身である。大学の学問以外にも、公爵になるための勉強や、社交界の付き合いの予定で、スケジュールは分刻みだ。
なんとか時間を捻り出してまで、会いに来ている意味を――あのガキっぽい従妹は、ちっともわからないらしい。
チーン! とレジスターの札入れを開き、お釣りの硬貨を取り出して、客に手渡す。
(だいたい、なんでまた王太子なんだっての。伴侶の条件は、「公爵以上で、美しくて、気心が知れている男」なんだろう)
ここにいるではないか――「お前に誰より惚れている」というおまけまでつく男が!
「まったく……誰か忘れちゃいませんかってんだい!」
(完)