四話
「やあ、ロルフ。乗って行かないかい」
「……叔父上」
大学部の校門には、公爵家の立派な馬車が横付けされていた。公爵の誘いを無下に出来ず、ロルフは粛々と乗り込んだ。
すぐに走り出した馬車の中、ロルフが居心地の悪い思いで居ると、対面の公爵が微笑する。
「この所、娘に会いに来ていないね。何かあったのかな?」
「あー、その。ちょっと忙しくて」
ロルフはもごもごと言い訳をした。嘘である。本当は、何となく足が向かなかっただけだ。
「ほほう。リメリアも、毎日忙しくしているよ。「王太子妃の座をかけて負けられない戦」をするってね」
「そうですか……」
勝負の為、奔走している姿が目に浮かんだ。
「まあ、私としてはあまり歓迎したくはないんだがね」
「えっ、そうなんですか?」
ロルフは、驚いて問い返す。
「そりゃ、王太子妃は栄誉なことだ。だが、父親としては他の女を選んだ男を、娘に宛がいたいはずもない」
「で、ですが。王太子に「リメリアを妃に」と推してたって聞きましたよ」
「それは……娘が頑張っていることだもの。なんであれ、応援してやるのが親の勤めだろう」
「はあ……」
複雑な親心、と言うものらしい。ふん、と鼻息荒く腕を組む公爵に、ロルフは半笑いになった。
「本当、叔父上はメリーにぞっこんですね」
「君も親になればわかるよ」
二人は暫し、無言で馬車に揺られた。
「なあ、ロルフ」
「はい」
「リメリアは、何が何でも王太子妃を目指すと思っていたよ。なんたって、この国で最高の女性だもの。気分が良いに決まってる」
「あいつは、何でも一番が好きですからね」
ロルフが頷くと、公爵は笑った。
「でも、私はね。人は一番になれなくても、幸せになれると。あの子に教えてくれるものがあるのなら、それが最良だと思っているんだよ」
父としての真心のこもった声だった。
「……あの頑固者に、聞かせてやりたいです」
「ははは」
馬車が公爵邸に近づくにつれ、夕空が紺色に染まっていった。
公爵邸の厨房では、リメリアが粉まみれになっている。
「爆発にでも巻き込まれたわけ?」
「失礼な人ね! ケーキの練習よ、見て分からない?」
リメリアは料理人のようにコック帽とエプロンを身に着けていたが、その頭からつま先まで、真っ白になっている。
「いやー、完璧な令嬢らしからぬ格好だなあ」
「くだらないことを言いに来たなら、帰ってちょうだい! 邪魔よっ」
リメリアは、顰めた顔を背ける。――久々に顔を会わせたってのに、この態度かよ。ロルフは肩を竦め、厨房の椅子に腰かける。露骨に「帰らないのか?」という顔をされたが、無視する。
「でさ。ケーキって「転生」で得た知識だっけ? 思った通り、ぱっと作れるわけじゃないんだな」
「そりゃそうよ。知識があっても、体が動くかは別だもの。教科書読んだって、いきなり魔法が出来るわけじゃないでしょ」
「なるほど」
「対戦まで三日もないし、頑張らなきゃ! 皆の前で、みっともない姿をさらすわけにいかないもの」
リメリアは、銀色の筒に籠のようにアーチが付いた器具(泡立て器、というらしい)を握り、調理台に向き直った。――ガチャガチャ、と金属質の音が響きだす。
「んしょ……これが骨なのよね……!」
リメリアは息を切らし、肩を怒らせて、何やら必死にかき混ぜているようだ。
「何やってんだ、それ?」
「これはっ、卵白を泡立ててるの」
「卵白を? 何でまた、そんなことを」
「卵白を泡立てると、メレンゲってものが、出来るのよ。それを生地に混ぜたら、ふわふわになるの」
「へぇ……」
調理台の上には、試作品と思しき焼き菓子が幾つも並んでいる。珍奇な見た目だが、甘く香ばしい匂いが漂ってきて、喉が鳴った。
「美味そうだな」
素直に褒めると、リメリアが声を弾ませた。
「でしょ! でも、まだまだよ。まだふんわり感が足りないし、パサパサしているから」
一生懸命な横顔を、ロルフはまじまじと見つめる。
(十分、良い出来だろうに。完璧主義なやつ)
くそ真面目というか、心に遊びが無いというか。あーあ、と息を吐き、立ち上がった。
「なあ、メリー。なんか手伝ってやろうか?」
「上から何なんですの? まあ、いいわ。そこにあるバターを切っておいて」
「はいよ」
ロルフは手を洗うと、リメリアの隣で作業にとりかかる。
いつもこうだ。どれだけ自分の気持ちと矛盾してようが、頑張ってるこいつを応援したくなる。
俺も公爵のことを笑えないな、とロルフは思った。