二話
あーっはっはっは……!
ガーネット公爵家の、リメリアの私室に高らかな笑い声が響き渡っていた。
「ロルフ! その鬱陶しい笑い声、即刻やめてくださるかしら?!」
ビシッ、と乗馬用のムチを床にたたきつけ、リメリアは獅子のように咆哮した。白銀の髪は逆立ち、瞳は青い炎のように燃え、笑い転げている青年――ロルフを睨みつけている。
彼は、鳶色の髪に深紅の瞳を持つ若者で、リメリアの二歳年上の従兄である。大きな体を丸め、切れ長の目尻に浮かんだ涙を拭き拭きして、言う。
「無茶を言うなよ、メリー! だって、婚約するまえに「結婚できない」って言われるなんて。古今東西の令嬢を探しても、お前くらいなんじゃないのか?」
「お黙りなさいったらッ!」
「あはははは!」
ロルフは、リメリアの怒声をものともせず、笑いこけている。家族同然に育ったため、すでに慣れっこになっているのだ。
(悔しい。悔しいっ!)
リメリアは歯ぎしりしながら、乗馬ムチを引き絞った。
ロルフも当然腹立たしいが、もっと許せないのはあの小娘――ステラ・クォーツである。
「あんの泥棒猫! アスラン殿下の妃になるのは私よ!」
そのために、ずっと努力してきた。王宮主催のパーティあらば、殿下と一番に踊れるように画策し。殿下が出席される茶会全てに、招待状が貰えるように、ありとあらゆる貴婦人たちにコネを作った。
学園でもそうだ。生徒会副会長に立候補したのも、会長である殿下と仲良くなりたかったから。選挙に勝ち抜くため、令嬢達の相談に積極的に乗ったり、趣向を凝らした茶会を催したり。本当に、どれほど頑張ったと思っているのだ!
「いやあ。一途通りこして、もはや執念じみてるよなあ」
「うるさいわね! 殿下も殿下よ。私のように努力家で、美しくて、立派な淑女が側にいるというのに。あのステラ・クォーツ嬢が、「見たことないほど可愛くて、素晴らしい女性」ってどういうことよ!?」
誰か忘れちゃいませんかってんだい! リメリアは、苛々とムチを床に叩きつけた。
一か月だ。ステラ・クォーツ嬢が、一学年下に入学してきて、まだそれだけしか経っていない。たった一か月に塗り替えられるほど、このリメリア・ガーネットの十七年間は安いものなのか。
否、である。リメリアは公爵家に生まれ、美貌も才覚も思うがままにしてきた。そんな彼女の辞書に、敗北の二文字はない。
「絶っっ対に、許さない。アスラン殿下の目を覚まさせてみせるわ!」
鼻息を荒くするリメリアに、ロルフは半ば感心し、半ば呆れて肩を竦める。
「まったく、本当にメリーはワガママだよなぁ。で? 具体的には、どうするつもりだ」
有言実行のリメリアのこと。すでに何らかの策があると、付き合いの長いロルフはわかっている。
リメリアは、察しの良い従兄に満足げに笑った。
「私、殿下に提案したの! 並みいる貴族を黙らせるには、実績が必要だって。彼女がこの私も敵わないほど、素晴らしい女性だと皆に見せることが出来れば、結婚は認められるに違いないってね」
「つまり、「舞台」を用意しろと」
「ええ。殿下は賛成なさったわ」
「お前、悪い奴だなあ。どうせ、負けるつもりなんかないんだろ?」
リメリアは、二っと笑う。
当然だ。欲しかったのは、あの小娘の器を知らしめ、殿下の目を覚まさせるための舞台なのだから。
「ふふん。私ね、ステラ嬢に『お菓子作り対決』を挑んだの」
「お菓子作りィ?」
ロルフは、目を丸くした。
「殿下が、ステラ嬢にどうして惹かれたのだと思う? 私、これも敵情視察だと思って。本当に我慢して、殿下のノロケに付き合ったの。そうしたら、あの小娘に手作りの菓子を渡されて、ときめいたんですって」
「ほお……そりゃ、なんというか斬新なやり口だな」
このメルティス王国では、菓子という文化はあまり発展していない。というのは、菓子と言うのは日々の食事に比べて、生活に絶対必要な要素ではなく、言うなれば、嗜好品の類であるからだ。数十年来、教会が信徒たちに振舞う式典用の菓子(小麦と砂糖、バターや卵を練って焼いたもの)が菓子の最高峰である。
「菓子って、美味くないとは言わないけど。そんなに感動するか?」
「それが、ステラ嬢は裕福な農家の生まれなんですって。お母さまが料理上手で、干しブドウやナッツなどを加えた美味しい焼き菓子を、独自に編み出されてたんだとか。恐らくステラ嬢は、そのレシピを我がものとしていたのよ」
「なるほど。アスラン殿下は、美食家だからな。珍奇な菓子に心惹かれたって言うわけか……」
ロルフは、納得したように頷いた。
リメリアは、カッと目を見開いた。
「つまり殿下は、物珍しさからあの小娘に惹かれたということよね。なら、もっと珍しく美味しいものを用意できたなら……殿下の心は私のものってことになるわ!」
「……狙いはわかったけど、そんな上手くいくかあ? 第一お前、菓子なんて作れたっけ?」
「ほほ。私に出来ない事なんてなくてよ」
社交界から『完璧な令嬢』との異名をとる自分である。さらに、この気の置けない従兄にしか話していない、重要な秘密が自分にはある。ステラ・クォーツなど何するものぞ!
殿下だって、「君こそが、私の伴侶に相応しい!」と感涙し、この手に口づけるに違いない。
胡散臭そうな目を向けるロルフに気づかず、リメリアは高笑いする。
待ってなさい、殿下、ステラ嬢!
私が一番なのだと、教えて上げますわ!
「やあ、ロルフ。娘に会いに来ていたのかい」
ロルフが公爵邸のポーチに出たとき、帰宅してきたガーネット公爵と行き会った。公爵は、白銀の髪に深紅の瞳の、苦みばしった美男である。
「これは叔父上。ご挨拶が遅れまして」
「ははは。なにを、堅苦しいことを言う仲でもないだろうに」
かしこまるロルフに、公爵は鷹揚に微笑んだ。
ロルフは公爵の姉の子だ。次期公爵となるため、幼い頃から邸に入り浸っている。リメリアと兄妹のように仲が良かったのもあり、公爵からすれば息子も同然なのだろう。
ロルフも笑い、大げさに肩を竦めた。
「すみません。社交界に出ると、色々とうるさく言われるもので」
「わかるよ。メリーもいつもぼやいて……おや。そう言えば、娘はどうしたね」
帰宅した当主の出迎えに来ない、無礼な娘に気づいたらしい。嬉々として作戦を練っていたリメリアを思い浮かべ、ロルフは目を逸らす。
「いやあ……若い娘にはあるんでしょうね、色々」
「そうか。あれは死んだ妻に似て、情熱的だからなあ」
愛おし気な目でため息を吐く公爵に、ロルフは半眼になった。そんな可愛いものだろうか、あれは。宮廷では「氷の男」と恐れられている公爵だが、愛娘にはデロ甘である。
(王太子は、公爵が「メリーを娶れ」ってせっついてたって言ってたそうだが。……この分じゃ、本当かもなあ)
ロルフは、重いため息を吐いた。
「やった……! 出来たわ!」
深夜までかかって、リメリアは必勝の書を作りあげた。
羊皮紙一杯に書きつけたのは、作戦に必要な素材の一覧と――菓子のレシピである。
「ステラ嬢は、珍奇な焼き菓子で殿下の気を惹いたかもしれないけど。珍奇さに関してなら、私の右に出るものはなくってよ!」
あれは、五歳の頃だ。崖から落下した折に、したたかに頭を打ち付けたリメリアは、自分のものではない人生を夢見たのだ。
夢の中で、リメリアは「二ホン」という国の「ジョシコウセイ」で、菓子作りを得意としていた。そのおかげで、リメリアは膨大な菓子の知識がある。それもメルティスどころか、大陸中の誰も目にしたことがないような菓子だ。
「私が「転生者」だったのは、この勝負に勝つためだったのね! 神様、ありがとう!」
メルティスでは、肉体的・精神的ショックを受けた際、見知らぬ記憶を得ることを「転生」と呼ぶ。「転生者」は、大抵はトラブルを起こし、大きな病院に収容されることになるので、リメリアはロルフの他には話していない。
ずっとコンプレックスだった秘密だが、最終的な勝利の為なら許せるというものだ。
「ステラ嬢、首を洗って待ってなさい。私の「フレッシュ苺のふわふわショートケーキ」で、殿下の心は頂きよ!」
固い焼き菓子しか食べたことのない殿下は、ふわふわのスポンジケーキに驚嘆するはずだ。さらに、ふんだんに飾る苺は、公爵家が異世界風に改良した「ガチノカ」を使う。ちなみに、このガチノカは殿下の好物だ。
せこい? そんなものは真剣勝負をしたことのない、甘ちゃんの言い草だ。獅子は兎を狩るにも全力である。
「さて、忙しくなるわ!」
リメリアは勝利を確信し、ルンルン気分でベッドに潜り込んだ。