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短編集

義姉弟

作者: 青空

 グラウンドで走り回り、白黒ボールを蹴飛ばし続け汗を流したサッカー部の放課後。

 高校生活も早二ヶ月、徒歩圏内から電車通学になり一段と六限から七限にまで伸びた日常もようやく体が慣れて来た。


「あっつ……」


 電車を使う機会が増え、中学の頃毎日歩いた道路沿いの通学路も懐かしさを感じる。

 交差点付近の電柱には今にも剥がれ落ちそうな「飛び出し注意!」の張り紙がある。

 子供らしいあどけないながら、全力で書きなぐったような力強い絵は俺が小学生ぐらいの頃亡くなった子供に向けられた物らしい。何かを落として道路に出たとかなんとか。

 けど、張り直しもされてない辺り、人間は他人に興味がないことをしみじみと理解させられた。

 かくいう俺もそれとなく言葉を交わすようになったクラスメイト達に心を開いていない。

 だからなんだと笑うように、時間は過ぎ去り、ジャージが汗で体にへばりつく季節になっている。風が吹いたってなんだか粘ついた空気しか吹かないから気持ち悪くてしょうがないし、いくら拭っても湧いてくる汗は恨めしくてたまらない。


「そんな優太にっ!」

「っめッ!?──梨華、姉さん……」


 首筋が突然冷えて体が跳ねた。

 つめた。と口にしたかった言葉は驚きのせいで随分とアクセントの効いた単音へ早変わり。

 思わずじろりと後ろを睨めば、見慣れた少女──梨華が立っていた。

 服装は中学の制服から高校のセーラーへと変わっているけれど、変わりゆく日常の中で唯一変化のない背格好。

 小学生から中学生に上がる時とは違う目まぐるしい環境の変化。友達関係はほとんど一からだ。SNSで仮止めみたいな頼りないつながりは作れるけど、仮は仮。

 どこか壁を作ってしまっている自覚はあった。

 そんな中で、自分という存在を思い出させてくれたのが彼女だった。


「驚いた?」

「……今日のエネルギーを使い果たすぐらいには。それ、くれるの?」


 ボブカットの黒髪を小さく揺らして悪戯っぽく笑う。

 首筋の冷気は自販機で買ってきたらしい右手のいろはす。初夏の熱がペットボトルの熱を奪い、溢れ出た雫が彼女の手をじんわりと濡らしている。

 滴った水滴が腕を伝って制服に及び、袖がほんの少し透けているのは目に毒だった。


「え、あたしのだからダメ」

「あっそ。じゃあ帰るわ」

「ダーメーだーよ。光はあたしと一緒に飴食べなきゃでしょ」


 左手の握り拳の中には、最寄り駅にある商店街の駄菓子屋の飴玉が入っている。大事な宝物を握るみたいにペットボトルを持つ右手よりも力んでいる。


「知ってる、今月のは?」

「メロン味っ!」

「メロンかー、安物とかの風味だけあるものしか食べたことない」

「高いもんねー」

「そ」


 俺たちは合図もなく並んで歩きだす。こうやって帰るのは一ヶ月に一度のみ。それ以外じゃ俺はサッカー部、梨華はバレー部のと同じ部活の友達と帰る。

 付き合ってもいない男女なのだから当たり前だった。中学は周りも歩いて通える範囲だから冷やかされることはあったが、高校ともなれば電車通学の学生も多いし、通学路から離れた寂れた商店街に向かう物好きも居ない。

 俺達が小学生の頃はまだ栄えていたけれど、今じゃ開いている店よりシャッターのほうが目立つくらいだ。


「そういえばね。駄菓子屋のおばちゃん、来月から一時間早く店閉めるって」

「人が来ないから?」

「うん。この時間に来るのあたしだけだって言ってた」

「小学生くらいしかこないしなぁ。……ここの八百屋もそうか」


 閉店直前の八百屋に並ぶ野菜を眺める。カゴを手に取り、売れ残って特売中の人参とジャガイモ、玉葱をカゴに入れる。カゴを覗き込んだ梨華は頭一つ分離れているせいで自然と上目遣いに尋ねてきた。


「今日の夕食は何にするの?」

「……これと冷蔵庫の奴で肉じゃがかな。」

「肉じゃがかぁ……!」


 冷蔵庫の中身を思い出しながら答える。梨華は自分の好きな料理を聞いて、妄想を膨らませながら目を細めていた。少し顔が上を向いたことで整った鼻と形の良い桜色の唇が強調される。


「……お、光じゃん!」


 パッと振り向く。数か月ぶりに見かけた同中の男子が俺に手を振っている。

 そして、隣にいる梨華の姿を見つけて明るい表情をニヤニヤとしたものへ変える。

 学校内で注目を浴びる彼女の容姿は文句なしに綺麗だ。だから何度も告白されているが、誰とも付き合ったことはない。そんなわけで、注目を浴びる彼女と俺は中学の同級生によく冷やかされていた。けれど、俺達が商店街に向かうのをやめることもない。

 声をかけて来たやつに対応するのも面倒で、しっしと追い払うように手を振れば「お邪魔しましたー」と走ってどこかへ行く。後ろめたさに胸が痛んだ。


「これ、ください」

「あいよ、100円だ」


 八百屋のおっちゃんに硬貨を渡して袋に入れてもらった野菜を右肩の鞄にいれる。


「よし、いこっか」


 俺が買い物を終えるのを待ち構えていた梨華はにっこりと笑って背を向けた。


「おう」


 南北に伸びる商店街。南口方面は俺たちの家がある方で、北口方面には寂れた商店街の敷地を取り込んだ墓地が広がっている。

 画一的に並び立つ墓石の群れ。その中で雑草一つない墓石の前に、俺たちはしゃがみ込む。


「おはよ、優太」


 屈みこんだ梨華が墓石を挨拶と共に墓石を撫でる。


「今日のはきっと美味しいよ。優太の好きなメロンだからね。」


 高校にいる誰もが見たことのない梨華の穏やかな微笑み。姉が持つ慈愛に満ちたそれを浮かべたまま、手に握っていた薄緑の飴玉を小包から取り出す。そのあとに鞄の奥の方を漁って小ぶりなやすりを取り出した。

 女子高生が鞄に入れるものとしては圧倒的に不似合いなそれを使って器用に飴玉に線をいれる。最後に二分割した飴玉の片割れを墓に供えた。

 小学一年の五月から繰り返された光景。使う道具に差異はあれど梨華の顔に浮かぶ微笑みは変わっていない。そして、俺がとる行動も。


「……食べて」


 小さく綺麗な手のひらに乗せられた半分の飴玉。彼女を幸福にさせない鎖でもあるそれを手に取って口に放り込む。メロンなんてめったに食べないけれど、メロンジュースに似た甘い味が口の中で広がった。

 飴玉を舌で転がす俺を梨華は真剣に見つめる。今の彼女に弟を想う余裕はない。だからこそ今もなお縛られ続けている。もともと小さい駄菓子屋の飴玉。それをさらに半分にしてしまえばほどなく溶けて呑み込めてしまう。


「美味しい?」

「……美味しいよ、梨華姉」

「そっか……」


 縋るように尋ねる梨華に向けて微笑んで、決まりきった回答を返す。俺の言葉を聞いた梨華は無意識に張りつめていた頬の筋肉を緩ませ破願した。きっと、同級生の男子が見れば見惚れるようなあどけない笑顔で。

 時折見せるその笑顔は多くの男を魅了した。

 けれど梨華は誰とも付き合わない。相手を理由にすることなく、自分を理由にして断り続けているらしい。

 彼女の瞳には俺が映っていた。

 けど、俺を見てはいなかった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 穏やかな日常ですが、そこに至っているのは少女の弟に対する深い後悔とトラウマなんですね。 相反するテーマを良い形で書き切れていると思います。 [気になる点] 過去のトラウマを見せるスタイル…
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