1.異能のある日常
薄暗く涼しい路地裏を一人の男が走っていた。
手には高級そうなバッグ。
男はひったくり犯だった。
「ここまで来れば大丈夫だろ」
男が息を切らしながら言った。
そう言った直後のことだった。
男の目の前を光線が通過した。
次の瞬間。
光線が当たった壁の一部が、一瞬で消滅した。
「あんたも消し飛ばされたくなかったら、おとなしく投降しなさい!」
男が声のする方を見ると、指で銃の形を作った美少女がそこにいた。
さらさらの黒髪が風になびいた。
美少女の名は海野礼夏。
異能者だった。
下校中に偶然ひったくりを目撃し、二人の友人と共に犯人を追っている所だ。
「ば、化け物が」
「――っ」
男の一言に、礼夏の心は思わず揺らいだ。
その一瞬の隙を、男は見逃さなかった。
「ちょ、待ちなさい」
再び逃げ出した男を礼夏が追う。
礼夏が携帯端末で仲間に言う。
「隼人、そっち行ったわよ」
「りょーかい」
隼人と呼ばれた仲間が答えた。
男が路地裏の曲がり角を曲がると、一人の少年が道を塞いでいた。
「よぉ、ひったくり犯」
「ちっ、こっちも駄目か」
男はそう言って辺りを見回した。
逃げ道はあと一つしかなかった。
「こっちしか無いか」
そう言って男はまた走り出した。
「縁、そっち行ったぜ」
道を塞いでいた少年、隼人が端末で言った。
(あと少しだ、この道さえ抜ければ!)
男は路地裏の出口近くまで来ていた。
だが。
出口にはもう一人の少年、到極縁が待ち構えていた。
だが先程の隼人と比べると、体も細く、身長も低かった。
(挑むならこっちか!)
男は思った。
「クソがあああああ!」
男は叫びながら到極に向かっていった。
だが到極は動じていなかった。
ゆっくりと体勢を整え、拳を握った。
「やるしかない、か」
『アーク・オン。
アークの発動を確認。
アーク名 解放因子。
コード名【第三艤装】爆拳。』
到極縁。
彼もまた異能者だった。
拳が特別な力をまとい、光を放ちだした。
「――爆、拳!」
向かって来る男に対して、到極は拳を打ち出した。
「くっ、うぉおおおおお」
男は到極の一撃に耐え切れず、後ろに大きく吹き飛んだ。
到極が異能を持っていなかったら、勝っていたのはひったくり犯の方だっただろう。
だが、その勝敗を逆転させるほど異能の存在は圧倒的なものだった。
ガクッ、と体から力が抜けて男はそのまま気絶した。
◇ ◇ ◇
「本当にありがとうございました」
上品な風貌のおばあさんが言った。
あの後、遅れて来た警察によってひったくり犯は連行されていった。
そして路地裏から広い通りに出て、バッグを持ち主のおばあさんに返している所だった。
「何かお礼をさせてください」
「え、いいんすか! 俺ちょうど欲しいゲームがあって――って、いでででで!?」
「調子乗んな、あんたは突っ立ってただけでしょうが」
隼人の発言を礼夏が頬を引っ張って止めた。
「お礼なんて結構です。当然の事をしたまでですから」
「でも、何もしないというのも……」
到極はお返しを断ったが、おばあさんも中々折れてはくれなかった。
「じゃあ何かあったらここに連絡してください」
そう言って礼夏はおばあさんに名刺サイズの紙を差し出した。
『東京都海浜エリア贈ヶ丘○丁目
異能者研究開発機構 本部
電話番号 ○○○(○○○)○○○』
紙には連絡先が書かれていた。
「あんたはあんたで真面目過ぎんのよ、貰えるものがあるってんなら貰っておきましょ」
礼夏が到極の方を向いて笑顔で言った。
◇ ◇ ◇
おばあさんと別れて、三人は帰り道を歩いていた。
「礼夏、大丈夫?」
到極が言った。
「私を誰だと思ってんのよ、どこも怪我してないわ」
礼夏が返した。
「そうじゃなくて、なんか少し元気なさそうだから」
「――っ!?」
礼夏は思い出していた。
化け物。
そう呼ばれた事を。
(到極くん気付いてくれてたんだ。私が無理して元気そうに振る舞ってたこと……)
「そうか? いつもと一緒じゃね? 相変わらず生意気だし」
礼夏のモノローグは隼人のデリカシーのない一言によって砕かれた。
「フン゛ッ゛!」
「ぐあ゛っ゛!?」
隼人のみぞおちに礼夏の肘がめり込んだ。
◇ ◇ ◇
「私は大丈夫だから、ご心配どーも」
礼夏が言った。
「う、うん」
到極は隼人の方を少し気にしながら返事をした。
「こんなやつ放っておけばいいのよ。私、先に帰ってるから」
そう言って礼夏は走っていってしまった。
礼夏が先に帰ったのは隼人に怒っていたから、だけではない。
このまま到極と一緒にいたら、到極に弱みを見せてしまいそうだったからだ。
(あいつ、普段は鈍感なくせに変なとこで察しが良いんだから!)
礼夏が小さな声でつぶやいた。
「……到極のばか」
◇ ◇ ◇
「ぐおおおおお」
道の真ん中では隼人がみぞおちを押さえてうずくまっていた。
(自業自得な気もするけど、このままってわけにもいかないか)
そう思い、到極が言った。
「手、貸そうか」
「お、サンキュー」
到極の差し伸べた手を隼人が掴んだ。
立ち上がった隼人に、到極が言った。
「僕たちもそろそろ帰るぞ」
「あぁ、俺たちの家に、な」
そう言って二人は、同じ方向に歩き始めた。
2065年、異能が世界に広まって半世紀。
異能はすっかり世界の一部になっていた。
異能をあつかう仕事。
異能を調べる研究所。
異能について学ぶ授業。
異能者を守る法律。
そして、異能を巡る――対立。
この物語は、異能者として生まれた少年少女の戦いの記録である。
第1話をお読み頂きありがとうございました。
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