25:行軍は遅々として進まず(ベラノ王子視点)
クロンダイグ王国東方、サリル領――城塞都市サリエルドより西方。
そこは――なだらかな丘と平原が広がる土地で、王都とサリエルドを繋ぐ大街道が通っていた。その街道で――クロンダイグ王国の旗ひしめく軍勢がなぜか足を止め、ザワついている。
「何が起こっている!?」
装甲馬車に乗っていたベラノ王子が、兵士の報告を聞いて声を荒げながら馬車の外へと飛び出た。
「そ、それが……山が……その」
そう言って兵士が指差した先には――まるで、古よりそこにあったかのような存在感を示す高峻な山脈がそびえ立っていた。その高く険しい山脈はまるで行く手を阻むかのようであり、進軍が止まってしまったのも致し方ないことだった。
「馬鹿な……最新の地図ではこんなところに山脈なぞなかったはずだ」
ベラノが部下から渡された地図を見て現在地を確かめるも、やはり地図上ではこの先も平原が続き、そしてその先にサリエルドがあるはずだった。
「……斥候の報告では。一応街道自体は谷間に残っていまして……通れるのは通れるのですが、道幅が狭くて」
「ならばそこを通るしかあるまい」
「この規模の軍となると、通り抜けるだけでもかなりの時間が掛かってしまいます……更に山には魔物や山賊が潜んでいるとの噂もありまして……行軍中に左右から襲われたらたまりませんよ」
「……何とかできんのか。例えばいくつかの部隊を街道の左右に先行させてだな……」
ベラノの言葉に、部下が力無く首を横に振った。
「街道が通っている谷間の両側は険しい崖になっていまして……とてもではありませんが今の装備のまま行かせるのは自殺行為です」
「……くそ! どういうことだ? こんな山脈が急に出来るはずがないだろ! まさかと思うが、知らず知らずのうちに別の方角へと進軍していたのではないか? 南であれば、確かにティラント山脈があっただろ」
「それも考えたのですが……街道を通る商人達に問い質すと、確かにこの街道の先はサリエルドに繋がっていると……」
「ありえん……何が起こっている……」
ベラノの力無い言葉に、部下がおずおずと進言する。
「……王都に戻り、装備を見直して部隊を再編しませんか?」
現実的に言えば、それしか選択肢はない。山越えをするとなるとそれ相応の装備が必要であり、街道を進むにしろ、山賊や魔物がいるとなると左右の警護を密にしないと、下手したら部隊が壊滅する可能性がある。特に最近は魔物の動きが活発なので未知の山を対策なしで進むのは自殺行為だ。
だがベラノ王子には――王都に戻るという選択もまた、なかったのだ。
「……進むぞ。山に慣れているもので部隊を再編、先行させる。その後、左右を出来る限り警戒しつつ進むしかあるまい」
「ですがそれですと、全軍が通り抜けるのにかなり時間が……それに街道沿いはなだらかとはいえ山道です。どうして歩みは遅くなってしまうかと」
「致し方ない。王都に戻って再編して再出発するには時間も費用も掛かりすぎる。さあ、さっさと言われた通りやれ」
その言葉に、部下が頷いた。指揮官であるベラノがそう言ってしまっては、従わざるを得ない。
ベラノ率いる魔王討伐軍はこうしてまたその歩みを遅らせたのだった。
☆☆☆
城塞都市サリエルド――領主の館。
「参ったねこりゃ。まさか本当に――山を作っちまうとは。あの王様は化け物かよ。」
バルコニーから西を見て、一人の男が笑った。男は長い茶髪を後頭部でまとめており、無精髭を生やした中年男性で、一見すると傭兵か何かに見えた。しかし着ている服は見た目は地味だが仕立てが良く、何より領主にしか付けることが許されない、このサリル領の紋章が意匠としてあしらわれていた。
「――エルギン様」
その中年男性――元々この街の商人ギルドのマスターであり、現在はアドニスによって領主に担ぎ上げられた男、エルギンがその言葉で振り向いた。
そこには同じような髪色で、銀縁眼鏡をつけているメイドが立っていた。
「タレットさんか」
「はい。お望み通り、王国軍の足止めを行いました。そちらの手配は?」
「バッチリだよ。古い知り合い……昔俺が悪さしてた時の悪友だがね……彼等に山賊共をけしかけさせる段取りはついてる。ところであんたが流した、魔物があの山の中で活発だっていうのは嘘だよな?」
その言葉に、タレットは表情を一つ変えず言い切った。
「――その通りです。そうすれば自ずと討伐軍はそれを警戒して進まざるを得ない。そこを山賊が襲えば、噂の信憑性も増します」
「美人なくせに嫌らしいやり口だ。一つの噂に嘘と真実を織り交ぜて、あたかもどっちも真実のように思わせるってか」
「ただの時間稼ぎです」
「ああ、そうかい。ま、おかげでこっちも色々と準備できて捗るさ。しかし疑問があるんだが、良いか?」
そう言って、エルギンが煙草を取り出して火を付けた。
「お答えできるかどうかは保証しませんが、どうぞ」
「山を一晩で作っちまうような圧倒的力があるのに、なんであの馬鹿王子共を軍もろともすぐに潰さないんだ? やろうと思えば、王都すらも一日も経たずに潰滅させられるんだろ?」
その言葉に、タレットが沈黙する。
「……いや、まあ何でもいいさ。何か理由があるのかもしれんが、深追いする気は俺にはない。俺はただ、この街が商人の街として機能してくれりゃ上が竜王だろうが魔王だろうがなんでもいいからな」
「完膚なき敗北を見せ付ける為――と言えば納得できますか? 世界に、〝ドラグレイクにはアドニス様あり〟と知らしめるためと言えば分かりやすいでしょう」
その言葉を聞いて、煙草を咥えながらエルギンが器用に笑った。
「かはは……なるほどなるほど。奴等を倒すことなんてただの宣伝に過ぎないってか」
「ええ。そして宣伝は――派手であれば派手であるほど良いのは……貴方も商人なら分かるでしょう」
その言葉を聞いて、エルギンが答えずに再び西へと視線を向けた。
「ったく、ご愁傷様だよ。慣れない山道を進んで山賊に散発的に襲われて――やっと抜けたと思ったら……」
エルギンが見えない何かを手で潰すような仕草をする。
「現在、ドラグレイクでは対討伐軍部隊を貴方が提供してくれた兵士や武器類と共に編成しております。人と亜人種と魔物が連合した――人類史にかつてないほどの軍となるでしょう」
「かはは……まるで本当に魔王軍みてえだな」
「竜王軍、と呼んでください」
「へいへい」
話は終わりとばかりに、エルギンは背後でタレットの気配が消えたのを確認して煙を吐いた。
「やれやれ……しがない商人だった俺がどうも歴史に名を刻めそうでワクワクするよ……ほんと」
そう言って、エルギンは嬉しそうに笑ったのだった。
対ベラノ王子軍との決戦が近いですが色々と悪巧みをしているようで……。