『恐怖』の夢(後書き)
と、まぁいまいち説得力の無いうんちくをダラダラと書かせて戴いた今回の夏ホラー企画。
もう最初から創作意欲が湧かなかったもんで、適当に狂犬病やら脳内麻薬やらキーワード選んで持論混ぜ込んでまとめただけのエッセイみたいになってしまいました。
本格的なオリジナル創作ホラー小説を期待してアクセスして下さった読者の皆様、期待外れな作品ばかりで本当に申し訳ありませんでした。
まぁどうせ、私ミラージュの作品ってところで期待して読んで下さっている方はほとんどいらっしゃらないとは思いますが。
そこで、お詫びの口直しとしてはなんですが、最後に私自身が経験した、いや今も継続して経験しているちょっとした不思議なお話を一つ。
先程の作品の中で、私は『恐怖』を感じなくなってしまった、と書かせて戴きましたが、どうやらそれは現実の世界での話みたいのようで……。
私は、寝るのが得意ではありません。
なぜなら、時たまとても『恐怖』を感じる夢を見る事があるからです。
いや、見ると言うより、『見せられている』と言った方が正しいのかもしれません。
私自身が鬱病で精神的に心境が不安定で、薬を服用しないと寝つきが悪くまた眠りが浅いってのもそんな夢を見る原因でもあるのですが、それだけではどうも説明しにくい点が多々ありまして……。
自分が、誰かの中に入って夢の中の景色を見ているのです。
つまり、自分の目で見た目線ではなく、自分以外の人間が見た、あるいは見てきた景色を見せられている感覚。
その景色の中には、私自身が過去に見て記憶している光景なども様々含まれていて、最初はそれらの記憶が色々と折り重なって創られた世界を自分の頭の中で夢として見ているのだと思っていました。
しかし、何かどうも違う。夢に出てくる道や建物に見覚えがあっても、実際にそれを見て記憶した当時の私の年齢では決して見る事が出来ないはずの目線の角度からその景色を見ていたり、私自身がまだ生まれていないはずの日本の古い時代の街並みが夢の中に出てくるのです。
高速道路の高架の下に立ち、上空を見上げるとそこには高架とその下に走る電車の陸橋の間から覗く一件の雑居ビルと屋上に建てられた広告の看板。上手く状況を説明出来なくて申し訳ありません。とにかく、高さの違う高速道路と線路の間からビルを見ている景色だと思って下さい。
その高速道路、線路、雑居ビルは現在でも存在しているものなのですが、ビルの屋上にある広告看板は私がまだ幼稚園児くらいだった頃に建てられていたもの。当時、その看板を私が夢で見た目線の角度で眺める事は私はおろか一般人では絶対に不可能でした。
なぜなら、夢の中で私が立っていた場所はその頃まだ海だったからです。
現在こそその場所は二十一世紀に向けた新都市構想で大幅に埋め立て工場が行われ、普通に似たような景色を見る事が出来ます。しかし、私が幼い頃の当時は高速道路の高架の先は造船ドッグが広がる港になっていて、そのドッグの関係者以外は中に入る事が出来ないはずなのです。
私が夢で見た奇妙な景色はこれだけではありません。明らかにまだ私が生まれてきていない時代と思われる古い街並み、木製の一戸建て、アスファルト舗装されていない荒れた砂利道、そしてまるで第二次世界大戦中の資料に出てくるようなモンペや学生服を着た人々の姿。
それらはとても夢とは思えないほどリアルな光景で、なぜか不思議と懐かしさまで感じるものばかりでした。
と、言っても夢の中に出てくる景色なんて人の記憶や想像があれこれごちゃ混ぜになったものばかり。以前テレビで見た戦中のドキュメンタリー番組が影響してそんな夢を見たのかもしれない。所詮は夢。タダの記憶の集合体が作り出した想像の景色。
でも、私にはこれが自分が見てきた景色や記憶ではない、という直感に近い確信がありました。これは私が良く知るある人物の経験してきた記憶の景色を見せられていると……。
この景色は、祖父の記憶。
祖父はその埋め立てられる前の造船ドッグに勤めていました。なので、私が夢で見たその景色は祖父からすれば通勤帰宅時に工場出入り口を通れば毎日見る事になる光景。むしろ、私にこの景色を見れる知り合いは祖父以外存在しません。祖父以外有り得ないのです。
そんなバカな、下らない、と茶化す人もいらっしゃるでしょう。でも、どうやら私と祖父には他人からでは理解出来ないような奇妙な縁があるみたいなのです。母や父を通り越し、まるで全く同じ遺伝子を受け継いだような錯覚さえ感じる同調感が……。
私のこれまでの人生は、常に祖父と深い関わりがありました。祖父自身はすでに私が中学生の頃に老衰で他界したのですが、無口で働き者で、一本太い筋が通ったような頑固一徹なその生き様は私の憧れとなり、死後も私の生き方に強い影響力を与え、まるで導かれるように私は祖父のような人間へと成長していきました。
社会に出て就職し仕事をしている出先でも、様々な場所で祖父の面影を感じる事がありました。ここは以前、祖父と一緒に来た事のある場所。ここは以前、祖父から聞いた事のある場所。祖父が以前に関わった事のある場所。などなど。
その極めつけがこれ。祖父が定年まで勤めた造船ドッグ跡の埋め立て地は今や超高層ビルが建ち並ぶ近代都市となりましたが、奇しくも私がその数十年後にその地域で仕事する事になったのはやはり必然的な運命だったのでしょう。
家族、親族全員が認めるお祖父ちゃん子だったという私ですが、祖父自身が非常に無口で出不精だったという事もあり、どこかへ一緒に出かけたとか遊んだという記憶はほとんどありません。しかも怒ると怖い人で、私は祖父を怒らせないよう常にビクビクして顔色を伺っていました。
でも、私は祖父が大好きでした。祖母と父方の祖父が亡くなった時はあまり悲しみを感じなかった私も、祖父の死の時は悲しみのあまり学校に通学している間も人目はばからず号泣したのを良く覚えています。何か、大切なものを失ってしまったような空虚感すらありました。
それ以外にも、私と祖父の関係が妙なくらい深かった事を証明する出来事が色々あります。これは母からの情報ですが、晩年祖父は痴呆症になり祖母や自分の娘の顔すらわからなくなるほどこれまでの記憶を失ってしまったのですが、なぜか私の名前と顔だけは最期まで鮮明に覚えてくれていたそうです。
また、自称『たまに幽霊が見える』と言う妹は、私がベッドで熟睡している時、足元に祖父が立っていたのを見たそうです。妹は看護婦をしていますが、よくナースステーションにお別れを知らせにくる患者さんの霊を見る事があるらしいので、その霊感は多分本物なのでしょう。残念ながら私には何の霊感もありませんけどね。
そんな話もあり、私は普段から祖父が見守ってくれている、と実感するようになりました。最も似ていて、身近に感じる血縁者。だからこそ、私はあの夢の景色が祖父の記憶だとすぐに悟る事が出来ました。祖父が何か私に伝えようとしている、何かを訴えようとしている、と。
しかし、今の私にはそれが何なのか全然わからないのです。それどころか、妹に祖父の霊がいた、と言われても怖いどころか喜びに近い安堵感を得た私が、その夢を見る度『恐怖』のあまり飛び起き、体中に寝汗をかいて全身の筋肉が凝り固まっているのです。
祖父が見せる記憶の夢、それは私と共通する景色のものもあれば、まだ学生時代の母や養女として貰われた母の義姉である叔母らしき女性の姿が現れるものもありました。それらの夢は何ともないのです。私が『恐怖』を感じるのはいつも、ある建物の中にいる身の毛のよだつ気味の悪い光景の夢。
鼻から脳にまで突き刺さるような不愉快な薬品の臭い。
触るとヤニのようにベタつく茶色く汚れた建物内の壁。
まるで病院の佇まいのその建物は内部の人間の逃亡や部外者の侵入を防ぐように重い鉄門で隔離され、中にいる人々の姿は皆、常軌を逸していた。
頭に手術の傷跡があり、奇声を上げながら不自然な動きで廊下と走り回る丸坊主の子供達。
診察室らしき部屋で、不気味にほくそ笑みながらその子供達に何かの薬を注射する医学者のような人物。
建物の外の水壕のような場所に澱んだ緑色の薬品らしき液体を貯め、そこに飛び込み行水をする初老の白衣の男。
恐怖心と共に襲いかかってくる強烈な嫌悪感と絶望感。これは夢を見ている私の感情だけではなく、この夢を見させている人物、つまり祖父の感情も一緒に私の心の中に流れ込んできている感覚でした。
……これは一体、何? ここは一体、どこなのか……?
戦時中は、日本軍による様々な医療、実験施設があったと噂されています。中には戦争に勝利する為、人道を外れた行為が行われていたとも言われています。まさか祖父は、それらの施設の一関係者だったのでしょうか? 私が夢で見ている景色は、その当時の祖父の記憶が写ったものなのでしょうか?
しかし、私にはもうその真相を知りうる術は一つも残っていません。
祖父は祖母と知り合う前、ある村に生まれ幼少期を育ち、その後上京して別の女性と所帯を持ち二人の間には男児が一人いたそうです。また、故郷以外にもたくさんの親族が存在していたらしいです。
だが、それは全て無くなってしまいました。戦中の空襲で家も家族も親族も家系図も何もかもが焼失し、一人生き残った祖父は戦後に祖母とお見合い結婚をしてその後母が生まれました。
これが、これだけが祖母と母、叔母が知る過去の祖父の情報。元々本人が多くを語らない性格だったという事もありますが、当時どんな仕事をしていたのか、どんな生活をしていたのか、前妻と息子に先立たれた後、一体どうやって生きてきたのか何もわからない、何の記録も残っていないのです。
母曰わく、過去の話を聞こうとすると祖父は機嫌は悪くなり口を真一文字に結んで黙り込み、しつこく問い質すと激昂して怒鳴りつけられたそうです。叔母も同様だったそうで、もしかしたら唯一話を聞けたかもしれない祖母も二年前に祖父の元へと旅立ちました。
もし、祖父が現在も健在ならば、その年齢はすでに百十歳を軽く越している事になります。祖父と同じ時代を生き、共に行動していた人物はまず間違いなく全員お亡くなりになっているでしょう。つまり、もう若かれし頃の祖父を知る者は誰一人存在していないと思われます。
そんな謎だらけの祖父が私に見せる謎の記憶、奇妙な光景。
祖父よ、貴方は一体、私に何を伝えようとしているのですか?
一体、私をどこに導こうとしているのですか?
そして一体、貴方は何をしていた、何者だったのですか?
所詮は夢の中の話、もしかするとこの夢は私が鬱病治療の為に服用している抗鬱剤が見せているだけのタダのキチガエ妄想かもしれません。
だが、私は日々を過ごし歳を重ねていく度、徐々に祖父の歩んできた道に近づいていくような気がしてならないのです。歩み続けていくこの人生の道の先に、祖父の姿があるような気がしてならないのです。
まだ命を絶ってはならないと。
まだやるべき事が残っていると。
どんなに辛くても、生き続けなければならないと。
それが果たして、私や周囲の人達にとって、幸になるのか不幸になるのか今では何もわかりませんが……。
最後に。
このお話はフィクションではありません。
実際に、私の身に起こっている本当のお話です。
最後まで読んで戴きありがとうございました。
くれぐれもトイレに行くのが怖くならない程度に、怖〜い真夏の夜の一時を楽しんで下さいませませ。
でわでわ。