157話 師であり弟子であり
夜更けのリザードマンの村。
フジミ=タツアキが頭を悩ませていた頃、同じく悩んでいる乙女たちがいた。
三人の女性の背丈は、ちょうど大中小で分けられる。
「これくらい肩幅があったほうが便利だと思うが」
長身の女性はリゼルヴァだ。
今は人間体の姿をとっている。
ヒゲが消え、髪を伸ばしたことからいくらか女性よりのシルエットになったものの、見事な体格は健在で、筋肉達磨の名残が消えない。
顔は男とも女ともいえない造形で、ときおり粘土のように形が変わる。
どうやら姿が定まっていないようだ。
たてかけた姿見の前でポーズをとっては首をかしげている。
そして困り果てたのか、隣の人物に助言を求めるのだった。
「便利どうこうの話じゃなくて、両肩に鎧騎士を搭載できるようなガタイは完全にやりすぎですわ。まずは見本をなぞりましょう」
眉間を抑えるアイリーンは、三人の中では最も小柄だ。
なぜアイリーンがリゼルヴァの変身の練習に付き合っているのか。
フジミ=タツアキのために人間態になりたいというリゼルヴァの強い希望を叶えるため、協力できるのは唯一の人間族女性であるアイリーンだけだったのだ。
代わりにリゼルヴァがアイリーンに格闘術を教える約束でもある。
(さすがにドラゴンに頼まれたら断れませんわよ……)
内心恐れおののきつつ、しかしデュラハンとドラゴンに同時に恩を売るいい機会だと思いなおすアイリーンであった。
「もういっそ開き直ってムキムキキャラでいけばー? 筋肉枠空いてるし」
二人を見守るのはドクンちゃんだ。
しかしその姿はいつもの心臓型使い魔と大きく異なる。
どこからどう見ても人間族の、中肉中背のごく普通の女性だった。
手には長杖を携えている。
フジミ=タツアキ秘蔵の魔道具、幻惑の杖である。
この杖には使用者を一時的に思い描いた姿に見せかける魔術が込められている。
かつてはホルンを欺き苦しめたアイテムだ。
「……そもそもドクン先生なら、自力で人型に変身できますわよね? ファミレスのときみたいに」
「えっ、やだよ。リゼルヴァちゃんがアタシの生き写しになっちゃったらキャラ被りどころじゃないじゃん」
つまりリゼルヴァの変身用見本として、人間族の女性の幻を投影しているわけである。
(じゃあ私はいらなかったのでは)
などとアイリーンは心の中で愚痴る。
「無理して型にはめることないんじゃない? マスターも似たようなことやってるけど、自分に合った身体にするのが一番だと思うよー」
フジミ=タツアキの留守を預かる筈のドクンちゃんだが、しれっと主の様子を覗きに行っているようだ。
「そうなると敵を威圧する意味でも機能面でも、やはり体は大きいほど良いと思うのだが」
リゼルヴァの言葉には半分あきらめが滲んでいた。
元リザードマンにして現ドラゴンの彼女にとって、異種族の姿を正確に模すのは繊細すぎる作業なのだ。
そもそも巨漢に変身するだけでも大変だったのだろう。
ほどほどのところで妥協したい感を漂わせている。
「ここまで来て振り出しに戻らないでください!」
またも眉間を抑えるアイリーン。
一方でドクンちゃんの言うことも一理あると思い至る。
動かしやすい体を知るためには、動かしてみるのが手っ取り早いだろうと。
「では実際に運動しながら、しっくりくる体型を探してみましょう」
「名案だ!」
内容を聞くより早くリゼルヴァが賛成する。
よほど今の作業が嫌だったのだろう。
「いくら大きいほうが有利とはいえ、盛りすぎた筋肉は動きや視界を邪魔するでしょう。私と模擬戦をして、不要な部分を削ぎ落していけばいいですわ」
「モリモリ筋肉に適応しちゃったらどうするの?」
ドクンちゃんの指摘にアイリーンは数秒考える。
そして暗い瞳で答えた。
「……削ぎ落していけばいいですわ」
「アイリーン殿、精一杯努力するのでどうか穏便に頼む」
かくして二人は向かい合い、拳を合わせる。
先に動いたのはアイリーンだ。
聖女だった頃のひ弱さからほど遠い、鋭い踏み込み。
放たれた右ストレートは、荒削りながらも速い。
「ほう」
リゼルヴァは感嘆の声を漏らし、しかし最小限の動きでいなす。
相手の腕を軽く払うだけで力のベクトルを逸らし、アイリーンを前のめりによろめかせた。
「悪くない踏み込みだ。だが、もっと愚直に打ち込め。そして次の手を考えながら動け」
「はいっ!」
体勢を立て直したアイリーンは、休むことなく次の攻撃に移る。
ローキック、ミドルキック、そして再びのパンチ。
その動きは戦士のそれだった。
しかしリゼルヴァには届かない。
まるで踊るように、あるいは未来が見えているかのように、リゼルヴァはその猛攻を捌き続ける。
「……リゼルヴァちゃん、そんなに強かったっけ? なんでマスターに負けたの」
見守るドクンちゃんが率直な感想を漏らした。
フジミ=タツアキがマミーだった頃、リゼルヴァは彼と手合わせをしている。
リゼルヴァは負けたわけだが、結果について不服を申し立てたことは一度もない。
「”ルールの上で”なら私が勝てただろう。だが、実戦は違う」
攻守交替。
アイリーンがギリギリ受けられる程度にリゼルヴァが攻める。
そして話を続ける。
これは手加減していることを言外に示していた。
「なんとしても勝ちをもぎ取る気合、自殺的手段も厭わない覚悟、実力を覆す奇策、あるいは虚勢。それらの積み重ねで、私はフジミに及ばないのだ」
転生直後から格上モンスターの脅威に晒され続けた経験は、フジミ=タツアキというモンスターを非常に狡猾に育てた。
村の守護者として戦ってきたリゼルヴァの経験もさることながら、フジミ=タツアキの戦歴は異常にして濃密なのだ。
「でもさー、また戦ったらリゼルヴァちゃん勝てるでしょ?」
少し意地悪そうにドクンちゃんが尋ねた。
リゼルヴァは少し迷い、やがて考えを打ち消すように笑う。
「意味のない仮説だ。実戦だったら私は殺されていたわけで、次はない。勝てば生き残り負ければ死ぬ。フジミは誰よりも理解している。だからこそ、アイツは格上食いの番狂わせを起こし続ける……のかもしれん」
「リゼルヴァちゃんたらストイックぅー」
主が褒められてご満悦なドクンちゃんである。
一方、加減しているとはいえリゼルヴァの攻撃を受けきるアイリーン。
反撃の気配を読んだリゼルヴァが、さらなる打撃を入れようと踏み込んだ瞬間、その巨体がわずかにぐらついた。
「むっ……!」
「ソコですわ!」
好機を逃さず、アイリーンが懐に潜り込み、渾身のボディブローを叩き込む。
たまらずリゼルヴァが距離を取った。
両者睨みあう。
「今の動き、一瞬生まれたての小鹿のようでしたわよ」
「……尻尾が無いせいで重心が狂うのだ。それに、人間特有の筋肉に慣れなくてな」
リゼルヴァは忌々しげに自らの体を見下ろした。
人間族の巨漢と、リザードマンのしなやかな身体構造では設計思想は真逆といっていい。
バネのように脚を使い、瞬発力で惑わせるのがリゼルヴァの得意とする戦法だった。
しかし重量級の体で実現するのは不可能だ。
「でしたら、もっと腰を回してくださいませ! 人間の動きの基本は腰の回転ですわ」
「腰……こうか?」
リゼルヴァはアイリーンの助言通り、腰を捻る動きで拳を繰り出す。
その瞬間、彼女の脇腹から腰にかけての過剰な筋肉がすっと削げ落ち、わずかにくびれが生まれた。
(あっ……)
その変化に気づいたのはアイリーンだけだ。
リゼルヴァ自身は自分の動きに集中していて気づいていない。
「なるほど、軽いのに力が乗る。面白い……!」
アドバイスを受けたリゼルヴァの動きは、徐々になめらかに、同時に尖っていく。
まるでリザードマンだったころに戻るかのように、戦闘のテンポが上がっていくのだ。
そして再びアイリーンは防戦一方に追い込まれる。
「速い……! けど、見えますわ!」
追い込まれようとも負けはしない。
アイリーンもまた、この手合わせの中で成長していた。
リゼルヴァの動きを必死に目で追い、その攻撃を紙一重でかわし続ける。
聖女ではなく戦士としてのスキル適性が、急激な成長を後押ししていた。
事実、いくつもの戦闘系スキルがレベルアップを告げている。
(この部位は要らない。ここも要らない……)
リゼルヴァは更に、アイリーンの動きから人間の体を学ぶ。
そして、求めるフォルム――女性の姿へと収束していく。
「おおおおお!」
「はあああっ!」
攻防は加速し、二人の周りだけ空気が揺らいでいるかのようだ。
やがて、どちらからともなく動きが止まった。
息を切らし、汗を流す二人。
その顔には疲労ではなく、充実感が浮かんでいた。
「見事だ、アイリーン殿。フジミを越える日は遠くないかもしれんな」
頬を伝う汗を拭うリゼルヴァ。
その顔はアイリーンとも、杖の幻影とも違う。
わずかに厳しい面影を残しつつも、女性的な顔立ちに変わっていた。
さながら歴戦の女戦士といったところか。
アイリーンも大きく息をついた。
そして悪戯っぽく返す。
「それって”ルールの上で”ですわよね?」
「ハハハハハ、そうだな!」
笑い飛ばしたリゼルヴァの笑顔は、打って変わってあどけなさを感じさせた。
(っ!?)
不意に感じる鼓動。
言葉に詰まったアイリーンは思わず視線をそらした。
「す、すすすすっかり見違えるようですわ、リゼルヴァさん」
アイリーンは、目の前に立つリゼルヴァの姿をなぜだか直視できない。
過剰な筋肉が削ぎ落とされ、力強さとしなやかさを両立させた、凛々しい中性的な美女がそこにいた。
その爽やかな眼差しに見つめられ、アイリーンは自分の顔に熱が集まるのを感じる。
「……いや、見ていなくないか?」
「見てますって!」
怪訝そうにアイリーンを覗き込むリゼルヴァだが、アイリーンは俊敏に顔をそらし続ける。
「明らかに見ていないではないか」
「もうお腹いっぱいなんですって!」
二人の様子を眺めるドクンちゃんは、幻惑の投影をやめた。
そして静かに知識をフル稼働させる。
フジミ=タツアキの前世の記録によれば、こういう状況でぴったりの作法があったはずだ。
やがて甘い雰囲気をぶち壊すように、ドクンちゃんが叫んだ。
「間に挟まりてぇー!」
(これで合ってる?)と遠く離れたマスターを思い、使い魔は空を見上げるのであった。