149話 ゲルタブリンド
切り落とされた巨大なヘビの頭が、沼に転がっている。
二十か三十はあったヒュドラの首も、今や半分ほどにまで数を減らしていた。
胴体は無惨な断面をさらし、しかしそこから新たな首が生える気配はない。
ヒュドラの回復力も、属性剣付与のアイスブランドの敵じゃないと見える。
戦況は、俺の優勢だ。
(デュラハンの検証……攻撃力は申し分なし。機動力は少し落ちる、と)
何度も進化を重ねた俺だが、デュラハンの強さは格別だ。
今までの進化二~三回分に匹敵するほどの成長を感じる。
毒を受け付けない体。特大剣を片手で操る膂力。
どんな近接武器でも扱える器用さ。
首を抱えなければならないという短所こそあるが、近接戦闘においては完成されたモンスターだ。
――そう、近接戦闘においては。
「シャドースピア! シャドーブラスト! えー……ブラインド!」
最近、影が薄かった闇魔法を片っ端からぶつける。
闇魔法だけに影が薄い、とかどうでもいいことが頭をよぎる。
ちなみに、闇の槍や弾は俺の口から飛ばすスタイルだ。
詠唱速度、射程は変わらない。
しかし、肝心の威力は――
「カス、カス、失敗」
ドクンちゃんの無情な判定。
攻撃系の呪文はノーリアクションでヒュドラに受け止められ、状態異常はことごとく抵抗される。
相手が強いというのもあるだろう。
だが、俺もデュラハンになって飛躍的に成長したはずだ。
魔法だって強化されたはず――では?
「デュラハンの友達いなかったから知らなかった。かなり近接バカというか、脳筋タイプなんだね」
「とほほだぜ」
嘆きつつ、のしかかりをかわす。
進化時に魔法系スキルが没収された時点で察するべきだったが、デュラハンは物理偏重のモンスターらしい。。
さらにドクンちゃんによれば、魔法全般にマイナス補正までかかっているそうだ。
闇魔法Lv5になり、使える呪文は増えたものの、消費MPに見合う威力は発揮できていない。
ただ、一つだけ通常通りの効果を発揮できる系統があった。
「"ブラッドパクト"……!」
血の盟約――身体強化系の魔法。
HPが減り続ける代わりに全能力を増強する。
加えて、生物に与えたダメージでHP・MPが回復する、生命・精神吸収に似た効果も付与される。
……このMPでド派手な魔法を撃てればよかったんだけど、残念だな。
体が軽くなり、頭が冴える。
人間の感覚ながら、動体視力や聴覚が鋭敏化しているのがわかる。
同時に、視界端のHPゲージがじわじわと減り始めていた。
放っておけば数分でゼロになる勢いだ。
敵の攻撃を捌きつつ、こちらの攻撃を当て続けなければ自滅する。
諸刃の剣――いや、俺はそもそもアンデッドなんだけど、HPがゼロになったら本当に死ぬのか、未だにわからない。
ともかく身体強化魔法は問題なくかけられた。
「ギシャアアアアアァ!」
「ワンパターンだな」
かわし、いなし、叩き割る。
減ったHPはすぐに回復した。
何本の首で襲いかかろうと、俺には通じない。
加速した動体視力で攻撃の流れをシミュレートし、獣性を解き放って実現する。
戦いの流れを読む力、それを実行する力、どちらも格段に上昇しているのだ。
――と。
「ぐっ!?」
「きゃっ!」
突如、背後からの衝撃。
重機のような顎が俺を挟み込んだ。
すさまじい力に、鉄製の体が軋む。
(どこからの攻撃だ? 頭の動きはすべて把握していたはず――)
視覚外に移動する素振りはなかった。
それなのに、俺は首ごと噛まれ、剣を振るうこともできない。
普通の体なら首を巡らせて状況を確かめるのだけど、
あいにく抱えた首ごと挟まれているせいで何も見えない。
「うわっ、ちっちゃい蛇だよ! いや、十分おっきいけど!」
どっちだよ。
鎧の隙間から外を覗いたドクンちゃんが告げる。
曰く、俺を噛んでいるのはヒュドラではなく、ただの巨大な蛇らしい。
ヒュドラよりは小さいが、人間を丸飲みできるほどのサイズ――。
戦いが始まるまで潜んでいたのか?
考えを巡らせるが、答えは出ない。
蛇の牙は鋭く、毒液まで滴っている。
生身だったら即死だろう。
それは運が良かったとして――問題は、あまりにも顎の力が強すぎることだ。
このまま拘束されていれば、ヒュドラに圧し潰される。
(フロストバイトを失ったのが悔やまれるな)
「あっ、あー……マスター、正体わかったかも」
「手短に教えて」
周囲を見渡したドクンちゃんが気まずそうに状況を伝えた。
しかしその言葉に、俺は更に混乱することになる。
「切り落とされた頭のほうから再生してるよ……」
……は?
何を言っている?
首なら再生していないはずだろう。
言葉の意味を反芻する前に、悪寒が走る。
生命探知――。
目の前の巨大な塊がヒュドラ。
俺を噛んでいるのが大蛇。
さらに周囲には、ぽつぽつとオレンジの光が灯っていく。
まるで焚火のように、徐々に――いや、急速に、生命の数が増えていく。
「うわわ、蛇がどんどん生えてきてる!!」
転がっていた首の一つひとつが、独立した大蛇として復活しているのだ。
ネームドヒュドラ――ゲルタブリンド。
なぜこのモンスターが、勇者によって封印されたのか。
それは俺への嫌がらせだけじゃない。
聖剣をもってしても、殺しきるのがあまりにも困難だったからだ。
「分裂、だと」
アンデッドが持つ不死とは異なる。
こいつは――死なないのではなく、命を増やせるのだ。