126話 古城に散る
綱渡りは続く。
甲高い音がして”魔術障壁・改”が弾けた。
対”分解”用の護りが役目を全うしたのである。
「だから”分解”は効かないっての!」
ドクンちゃんが煽る。
たしかに”魔術障壁・改”がある以上、”分解”の視線で俺は殺せない。
それはもう、ゲイズも分かっているはずだ。
(……そう、無駄撃ちするとは考えにくい。となれば)
防がれるうえで”分解”を当ててきた理由。
想定していたが故、一瞬で思い至る。
今喰らった視線は”分解”じゃなくて”解呪”だろう。
”魔術障壁・改”を破る方法は二つ。
一つは”分解”をぶつけること。
この場合は既に詠唱待機しているマン爺が、即座に”魔術障壁・改”を掛けなおしてくれれば対応完了だ。
もう一つ、危ないのが”解呪”による打ち消し。
”解呪”は魔法を消す魔法だ。
”魔術障壁・改”は”分解”のみ防ぐ魔法だが、”解呪”でも打ち消される。
この場合だと”解呪”で丸裸にされた流れで”分解”を喰らって即死する。
どれだけマン爺の詠唱が速かろうが、”見る”速度には勝てない。
”分解”は防護の再展開より先に=確実に俺を殺すだろう。
護りを剥がしてからの確殺。
実に合理的。
己の武器に絶対の自信を持つならば、間違いなくこの方法をとる。
奥の手があるとしても、格下のドラウグル相手に初手からは使うまい。
案の定防護が解かれ、無防備を晒す俺。
見下ろす眼球のうち、”分解”を担うであろう一つを睨み返す。
たとえ一瞬のちに消されるとしても、臆さない。
ただ進み続けるのみ。
(『ドクンちゃん、今!』)
「ときめき☆ミスト!」
”魔術障壁・改”が砕けたと同時、間髪入れず毒霧を撒くドクンちゃん。
毒霧と言いつつも大したダメージは与えない。
が、皮膚に触れれば激烈に痛い……デリケートな部位ならなおのこと。
「ギッ」
多くの粘膜を持つゲイズにとって、効果はバツグンだ。
すべての瞼が閉じられ、”分解”も不発に終わる。
マン爺の詠唱が間に合い、防護魔法が再び俺を覆った。
(読み勝った!)
コンマ数秒の駆け引きを制した。
けれど勝利にはまだまだ遠い。
「オラァッ!」
怯んだを逃さず、本体にして最大の目玉――主眼に蹴りをブチ込む。
さらに悶絶するゲイズ。
デカい図体を踏み台に跳び、空中にて標的を補足。
狙うは最も厄介なアレ。
全身を捻り、渾身の力でアイスブランドを打ち込む!
「ぐぉぁアアアアあ!」
鱗に覆われていない眼球部分は驚くほど脆い。
切り飛ばされた眼球の一部が、汚らしく床で弾ける。
触腕に残った僅かな眼球の名残も、アイスブランドの力でシャーベット状になっていた。
仮に回復魔法があったとしても効きを悪くするはずだ。
最も警戒すべき”分解”は封じた。
慢心につけ込み、綱渡りとも言える捨て身の策をどうにか成功させ、やっとの思いで一つの優位をもぎとった。
……ここからは相手も本気だ。
「被造物風情があアアアアあああ!!」
絶叫とともに破壊の力が迸る。
触腕を振り回し、あらゆる魔法がぶちまけられた。
壁が、床が、天井が……それどころか城全体が揺れるほどの熱波、衝撃、凍結の嵐。
「ヒィ、マスターこれ死ぬやつぅぅぅ!」
「肋骨ゆするのやめなさい、気が散る」
他人がテンパるのを見ていると逆に自分は冷静になるものだ。
炎と雷の弾幕が迫る。
意識を研ぎ澄まして観察すれば、網目状の隙間をいくつか見出せる。
それらの中で”人”ひとりが抜けられる大きさの穴は……ゼロ。
だがアンデッドなら。
――ゴギリ。
全身の関節が音を立てる。
両腕を胴に収納し、足をピンと伸ばして真っすぐ隙間に突っ込む。
表面積を限界まで小さくすれば、激しい攻撃もどうにかすり抜けられた。
息をつく暇もなく、次の隙間へ潜るべく体を組み替えていく。
「どうなってるのコレどうなってるのコレ!?」
体内のドクンちゃんが大変なことになっているけど致し方ない。
破壊魔法に晒されて踊り続けていると、シルバーゴーレム戦を思い出す。
あの頃の俺はワイトだったかな?
進化はしても成長はしていないというか何というか。
「ア゛アアアァァァァァツ!」
怒りのままに破壊魔法を乱れ撃つゲイズ。
炎蛇たちがのたうち回り、雷が落ち氷柱が飛び交う。
凄まじい攻撃の密度に、反撃する暇などとてもない。
……攻撃の密度だけじゃない。
上位魔族の強大な殺意と、それに乗ってブチ撒けられる破壊魔法。
圧倒的な戦闘力を前にして、人として恐れが湧いてくる。
しかしモンスターとしての闘争心が、恐怖を餌にして急速に膨らむ。
「あんなの喰らったらどっちにしろ即死だよぅ」
そう、そもそも視線以外の攻撃魔法だって俺にとっては即死級だ。
あれに挑むなど正気の沙汰じゃない。
……だからこそ。
致死の波を潜り、身を削り、刃を叩き込みたい。
鱗を剥ぎ、目玉という目玉を踏みつぶし、血液を頭から被り飲み干したい。
格上の相手なればこそ勝利の愉悦は極上に、このうえなく甘く脳をとろけさせるだろう。
「マスター!?」
「――あぶね!」
ドクンちゃんに呼びかけられ我に返った。
ゼノンからお墨付きをもらおうが、獣性はお友達になっちゃくれない。
今回は冷静さ重視。
本能を開放して少しばかり強くなろうが、無策に暴れて勝てる相手じゃあない。
出方をうかがい続けること暫し、激流のような破壊魔法がふいに止んだ。
あのまま城ごと壊すつもりかと肝を冷やした俺だが、どうやらのゲイズの頭も冷えたらしい。
ここからは頭脳派VS頭脳派の熾烈な――
「よMやコレを出さSるトハな……」
なんだ?
ゲイズの歪んだ声色が変わった。
一層聞き取りづらくなった気がする。
(まるで早送り、というより同時再生のような)
「……多重詠唱」
胴体から這い出したドクンちゃんが不穏に呟く。
後方、部屋入り口のマン爺へ指でサインを送りつつ、ドクンちゃんへ説明を求めた。
「専用の発声方式により会話と詠唱、または複数の詠唱を平行するスキルよ……エルフにしか伝えていないはずなのにどうして」
「ごめん、後半聞き取れなかった、エルフがなんて?」
「えっ、アタシそんなこと言った?」
オトボケしとる場合か。
マン爺の高速詠唱と何が違うの? という俺のアホ面を一瞥したドクンちゃんが補足してくれた。
「結論から言うと大技が来るってこと。見たところ、ざっと魔法19発分ね。マスターの世界で言う”必殺技”?」
多重にもほどがあるだろ。
二発分くらいをイメージしてたわ。
「避ける方法は?」
「この規模は、たぶんムリ」
死刑宣告。
目の前が絶望で黒く染まった。
「ムリ、ね……フフッ」
しかし一瞬後にはチカチカと火花が走る。
追いつめられるほどに燃え上がるのは闘志。
朽ち果てたはずの脳から興奮性伝達物質がドバドバ噴き出し、五臓六腑を駆け巡る。
上位魔族の必殺の一撃を引き出した。
言い換えればそれだけ追い込んだということ。
つまり”ここ一番”ってやつだ。
絶対に仕留めてやる。
「オッケー、ならばプランFだ。マン爺カモン!」
さっきから静かに再三合図を送っているのに、なぜか出てこないマン爺へ遂に声をかけた。
プランFは俺とマン爺での二面攻撃。
ゲイズの必殺技はマン爺がなんとかしてくれるであろう。
そして大技終了後の隙をついて一気に……
「マン爺? マン爺どしたー?」
一向にマン爺が参戦してこない。
振り向いた俺が目にしたのは、荒い息を吐いて蹲るマン爺の姿であった。
苦しんでいる。
明らかに普通じゃない。
「……ル、グルゥ……」
「マスター、これって」
「冗談だろ」
俺とドクンちゃんの嫌な予感はたぶん的中している。
ゆっくりと上げられたマン爺は、牙をむき出しにし白目を剥いていた。
「グナァァァァァ……ッ」
――暴走している。
マジで?
ここ一番で?
「マスター、こんなときのプランは!?」
えー……っと。
興奮はどこへやら急速に脳がしぼんでいく。
視界を染めたのは絶望の黒じゃなくて忘却の白。
前門の大目玉、後門の魔獣。
慌てたドクンちゃんが俺の頭によじ登る。
そしてバシバシ叩いて答えを催促する。
思考がまとまらずとも感覚がタイムリミットを知らせた。
「滅ビよ、”デーモンサイン”」
「グルガアァァァ!」
ゲイズの詠唱終了と、マン爺が地を蹴る音。
俺の選択は、もはや決断ではなく反射だった。
「ドクンちゃん、射出!」
「うあ!?」
スポンという間抜けな音ともに俺は自らの首を打ち上げた。
ドクンちゃんを乗せた首は、ゆうに数メートルを舞い上がり、天井すれすれの高度へ至る。
下方、俺の胴とマン爺が極太の光線に飲み込まれたのが見えた。
俺の体はダメだろうが、マン爺ならあるいは……いや、難しいだろう。
上位魔族の”必殺技”はさすがに凄まじかった。
ゲイズの眼前に収縮し放たれた十九重もの魔法は一つに絡み合い、直線状のすべてを押し流した。
部屋の出入り口をぶち抜くのはもちろん、たぶん廊下の壁も、そのまた向こうの壁も、外壁さえも大穴を穿っているだろう。
あまりの破壊力に、城全体が轟音を響かせ震えている。
「この高さなら最悪、首だけでも生き残れるって算段ねマスター!? でもマン爺がっ!」
天井に触手を突き刺したドクンちゃんが汗をぬぐった。
小さな両手に抱えられる俺は、しかし首を触れないままに否定する。
「いや、この魔法はまだ出力を上げ続けてる。すぐに天井まで届くだろう」
「えっ」
マン爺を心配している余裕はない。
”デーモンサイン”は萎んでいくどころか更に勢いを増している。
間もなく天井付近も安全圏じゃなくなる。
そして俺の体は、直撃までに耐えられそうにない。
この魔法は近くにいるだけでHPを削られる。
積み重なったダメージがヒビとなって頭全体を覆う。
最後の力を振り絞り、使い魔へ指示を……
「ゲイ、ズの後ろへ急げドク」
「そんな……マスター! マスター!」
言い終えるまでもたなかった。
ドラウグルの頭は粉々に砕け、破壊の渦へ消えていったのだった。