117話 月斬りの真意
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高らかな蹄音が古城に反響する。
駆けるユニコーンに跨るは人間の少女。
更にその肩には臓器のようなモンスターがしがみついている。
古城中央の寂れた庭を突っ切る彼女らの後方に追手が続く。
空からはガーゴイル、地上からはオーガーたちが。
しかしユニコーンの俊足に、追いすがるどころか離されていく始末であった。
「ぐっ、ますます匂いが酷くなるぞ、頭痛までしてきた……本当にあちらで正しいのか」
「きっとアタシたちを導くために、あえて全身にウンコ塗りたくってるんだわ……いかにもマスターの考えそうなことよ」
「えぇっ、全身て……ひきますわ」
不快感を露わにする二人を宥めつつ、ドクンちゃんは追手へ毒霧を吹きかける。
先頭を走るオーガーが無警戒に霧へ突っ込み、間もなく悲鳴を上げた。
眼球への激痛に耐えられる生物はそういない。
転倒した一匹目が、二匹目三匹目を連鎖的に巻き込んでいく。
これでユニコーンがオーガ―に追いつかれる心配はなくなった。
ドクンちゃんの体液は触れればたちまち炎症を起こす毒性をもつのだ。
しかし石で作られたガーゴイルに毒は無力。
「もう、しつこいなー……あ、火が来るよ」
ガーゴイルは毒霧を抜け、口から炎の魔法を飛ばす。
対し、跨った聖女が半身を捻って円盾を構えた。
「よいしょ!」
そして掛け声とともに火球を盾で叩き消した。
普通の武具であれば盾ごと燃やされるだけの無意味な行為だが、円盾に宿る魔力が火球を打ち払った。
先ほど高レベルスケルトンから奪った魔法の品である。
「”盾打ち返し術”も慣れてきましたわ」
「マスター、それ”パリィ”って呼んでたよ」
「この技、私が考案者じゃありませんの? 残念」
前衛として着実に経験を積む聖女は、片手にメイス、片手に盾のオーソドックスなスタイルを好んでいた。
多くの聖戦士が好むように、このスタイルは最も近接戦闘と詠唱のバランスがとれている。
清廉さの象徴ともてはやされた長髪も一つに結び、汚れた衣服も相まって見た目もすっかり戦士らしくなっていた。
「中庭を抜けますわよ」
遠くなっていくガーゴイル。
火球の射程から逃れたことに聖女は安堵した。
「左の棟のほうだからね!」
古城の見取り図を頭に描くドクンちゃんがホルンを案内する。
「やはり、そちらなのか」
枯れ木だらけの庭を抜け、フジミ=タツアキが落下した地点を目指して進んでいく。
途中の敵はホルンの俊足により置き去りにする。
不思議なことに目的地へ近づくほどに敵は数を減らしていった。
「本格的に臭くなってきましたわ……まるでモミアゲデブを下水で洗って野良犬で拭き上げたような」
悪臭にせき込む聖女。
嗅覚が鋭いホルンほどではないものの、人間にとっても鼻呼吸が辛い濃度になってきた。
「匂いがキツイから敵もいないのかな?」
ついに追手が諦めたのか、静かすぎる周囲を気にするドクンちゃん。
「だとしてもガーゴイルは構わず襲ってくるはずですわ」
聖女も傾げた。
二人の鼻腔にはいつの間にか小さくちぎった布――鼻栓が詰められている。
一方でホルンは苦しみに悶えていた。
「自分たちだけ便利なものを使いおって……!」
「馬は鼻でしか呼吸できないなんて、あいにくでしたわね」
「口で呼吸できてよかったねー」
「馬ではない!」
心臓の形をした生物に、呼吸について語られる不条理に抗う元気もなく、ホルンは脚を緩めた。
いつもならまだまだ走れる距離だ。
しかし強烈さを増す悪臭と、併発する頭痛がホルンの体力を奪う。
「ここからは歩かせてもらうぞ」
「ちょっと急に危ないですわ!」
我慢の限界とでも言うように、振り落とす勢いでホルンが聖女を降ろす。
本来『穢れのない乙女』しか触れないユニコーンにとって、『聖女』を乗せるのは耐えがたい苦痛、屈辱である。
不浄なるアンデッドを乗せたこともあったが、不快感で言えば同等であった。
「やれやれ……匂いは酷いが頭の痛みはマシになった」
「たぶんマスターの国の言葉で言う、”ストレス”ってやつね」
「あまりに失礼じゃありません!?」
キレる聖女の声にすら、駆けつける敵はいない。
不気味さを覚えつつも進む一行はやがて目的地へたどり着く。
屋根の一部にぽっかりと穴が開き、周辺にガーゴイルの残骸が転がっている棟だ。
人面を持つ謎の獣モンスターと、フジミ=タツアキが落下した地点に間違いない。
彼らを撃墜したのは行動をともにしていたデュラハン――”月斬りの剣聖ゼノン”。
「やあ、遅かったね」
槍を手にしたデュラハンが、崩れた棟のてっ辺で一行を待っていた。
わきに抱えた兜には未だ明かされぬゼノンの素顔――頭部が収まっている。
銀色の甲冑はそれ自体が刃のように鈍く光り、見上げる者に威圧感を与えていた。
「お呼びじゃないわよ、首なしオヤジ」
ドクンちゃんが吐き捨てる。
当初、リザードマンの村を襲撃する敵として現れ、ドラゴンに倒された後は支配が解けたとして行動を共にしたデュラハン。
時折みられる不穏な言動は、英雄としての過去を持ちながら、自ら魔族となった異常な経歴のせいか。
(ゲイズに操られていようがいまいが、信用できないのよ)
今このとき、ゼノンは合流しに来たのではない。
敵として現れたことを、ドクンちゃんは感じ取った。
ホルンも同じく、緊張した面持ちでゼノンに対峙する。
「フジミがいなければ義理立てする必要もない。今ここで消えるか? 魔族の剣士よ」
ホルンが構えをとった。
女神の従僕たるユニコーンにとって、魔族はアンデッド以上の仇敵である。
今まではフジミ=タツアキの意向を汲んで攻撃しなかったに過ぎない。
「一応味方なんじゃありませんの?」
ひとり空気の変化に戸惑うのは聖女である。
聖女が空から降ってきたとき、ゼノンはパーティーの一員に見えていた。
アンデッドと聖獣と魔族。
このパーティーの協力関係は歪であり、本来成立しないバランスの上にある。
いつ崩れたとて不思議ではない。
「味方に見える? あの目」
ドクンちゃんが指す。
デュラハンの、兜の奥から覗く眼光……同じ不死者でありながら、フジミ=タツアキの瞳とまるで違う。
他者を顧みない冷たい瞳だ。
「さっさとゲイズに仕返ししてくればいいでしょ。マスターの手間も省けるし」
ゲイズによる支配から脱した後であっても、ドクンちゃんがゼノンを『仲間』として数えたことは一度としてなかった。
彼と行動するときは、いつもの頭上に抜身の剣がぶら下がっているような危機感を覚えるのだ。
「ゲイズを先に倒してしまうのは……やはり無いな。アイツには出口を作ってもらう仕事がある。殺すのはそれからでいい」
何かを計算するように虚空を眺め、ゼノンは頷いた。
アイテムボックスから脱出する算段がある、と言わんばかりに。
「出口を作るため――鍵となるレイスを取り出すため、ゲイズは君を欲するだろう」
デュラハンはドクンちゃんを見下ろす。
憑依されたレイスを『取り出す』ためには、憑依されたモンスターを殺す必要がある。
ドクンちゃんたちが繰り返してきたことだ。
「だから助けてあげる、って文脈じゃなさそうね」
「残念ながら。僕であれゲイズであれ、君がレイスに戻されるのに変わりはない」
ゼノンに悪びれた様子はない。
そして無頓着な足取りで棟から飛び降り、盛大に着地した。
落下の衝撃できしむ体に構わず、ゆっくりドクンちゃんたちに歩み寄る。
「……せっかくだし理由を教えてあげよう、そのほうが”人間らしい”」
「と、止まりなさい!」
構える聖女だが、その手は震えていた。
目の前の魔族がかつての剣聖などと信じてはいない。
しかし相手の放つ暴風のような威圧感は、彼我の実力差を予感させた。
「僕が魔族になった理由は二つある。一つは不死性、つまり無限に修行できる環境が欲しかったから」
聖女の威嚇に構わずゼノンは歩みを進める。
ホルンは無言で角に力を集中させた。
「もう一つは運動能力。あらゆる体捌きを可能にする耐久性と反応速度、加えて瞬発力……単純に高性能な器だ」
ゼノンの頭上が明滅し、その光の中から丸太ほどもある輝く柱が標的を押しつぶそうと迫る。
その速度は雷魔法にも匹敵し、攻撃を認識してから避けるのは不可能だ。
人間ならば。
「ここまではあくまで手段、そしてフジミ君を観察してたのも手段の一つだ」
「なんだと?」
ホルンが絶句する。
ゼノンは足の運びを少し変えただけで柱の圧殺から逃れてみせた。
無論、頭上を確認した素振りなど一切ない。
まるで木の葉を避けるかのような気軽さであった。
「魔族の――モンスターの肉体は期待以上だ。あとは寿命など気にせず研鑽を積めると喜んだよ、最初はね。でも落とし穴があった……それは、『肉体に宿る本能』さ」
続けざまに放たれるあらゆる聖魔法を、難なく往なすゼノン。
それでも攻撃を続けるホルン。
「なんの話をしていますの?」
「……」
話が飲み込めない聖女とは逆に、ドクンちゃんには心当たりがあった。
モンスターとしての本能、その発露。
自らを握りつぶそうとした主人の手指の感覚。
「心が持っていかれるんだよ、体にね。どれだけ聡くとも愚かでも貧しくとも豊かでも若くとも老いても男でも女でも人間でも亜人でも、いずれ負けてしまうんだ」
どれだけの人を巻き込んだのか。自分たちも犠牲者リストに加えられる羽目になるのかと、ドクンちゃんに悪寒が走る。
ユニコーンの力が戻ったのならゼノンを倒せずとも退かせることはできる、そう呑気に考えていた自分をドクンちゃんは呪った。
ホルンの迫真の攻撃も、ゼノンの独白もただの茶番だ。
その気になればゼノンはいつでもドクンちゃんを始末できるだろう。
捕食者の自己満足で、獲物は最期の時間を与えられているにすぎない。
「永劫の寿命を得ようが、自我を失っては意味がない。わかるだろ?」
しかし焦燥の一方でドクンちゃんはゼノンの言葉に強く興味をひかれていた。
『モンスターの体を持ちながら人としてあり続けること』
それは彼女の主人にとってもまた、至上命題なのだから。
「だからこそフジミ君には驚いたよ。モンスターの力を酷使し続けているにも関わらず、精神はほとんど健全なままだ。
転生者にありがちな型破りなスキルかと疑ったけど、どうも違う。
となれば怪しいのは不自然な使い魔、キミだ」
ゼノンとホルンの距離は、とうに縮まっていた。
魔法ではなく、剣の間合いである。
ホルンは後ずさりながら魔法を放ち続けているが、無駄な抵抗であることは自身でも分かっていた。
「フジミ君も大概だが、キミの出自も不明点が多すぎる。
用があるのはキミだけだ、来てもらおう」
「うっ」
数メートル離れていたゼノンの姿が一瞬消え、ホルンの眼前に現れた。
そしてドクンちゃんの眼前に槍を突きつける。
「わ、私が行けばホルンちゃんたちには手を出さないのね?」
「ドクン殿!?」
「ドクン先生……」
身じろぎしつつドクンちゃんが問う。
動揺するホルンに、もはや抵抗する手段はない。
聖女はというと完全に足が竦んでいた。
「あぁ。協力してくれれば、キミ以外を傷つけずに済む」
「そう、それなら」
返答を受け、一度目をつぶり、頷くドクンちゃん。
そして決意を固めた表情で目を開いた。
「お断りよ! 一昨日来やがれダボ助が!」
「残念だよ」
罵倒と殺意。
槍の穂先が動こうとした刹那――
「!」
激しい金属音が全員の耳を貫いた。
見ればゼノンの槍は誰も刺し殺していない。
代わりに、上空から急襲した何者か――その剣を受け止めていた。
突如として現れたアンデッド。
冷気を操る屍こそ――
「その声は、マスター!」
「待たせ――いやまだ何も言ってないよドクンちゃん」
転生者にしてドラウグルーーフジミ=タツアキであった。




