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18 「私が守るから」


 18


 冷たい蛍光灯の光に照らされ、私は手術室の前の長椅子に座っていた。

 ケンが車に轢かれた。

 私を助けようとして車道に飛び出して。

 ケンに体を突き飛ばされた後私の目に写ったのは、血まみれになったケンの姿だった。

「ケン、ケン!」

 私はケンのもとへ駆け寄った。私がどんなに大声で名前を呼んでも、どんなに強く身体をゆすっても、彼は反応してくれなかった。

 私は頭が真っ白になって、ただただ泣き叫ぶことしかできなかった。

 ほどなくして、救急車がけたたましいサイレンを鳴らしながらやってきた。

 救急車に乗り込んだ私は彼の手を握ることも許されず、救命員の作業を見守ることしかできなかった。

 彼が手術室に運ばれてから二時間。それでも彼は部屋から出てこない。

 私のせいだ。

 私が彼とのおそろいのキーホルダーを落としていなければ。

 私がデートなんかに誘わずおとなしく薬の研究をしていれば。

 私と出合っていなければ、彼は。

 隣にはちなみが座っていた。私を責めるでもなく、泣きわめくでもなく、ただ下を向いて座っていた。

 責められた方がよっぽど楽だった。

私のせいでケンがこんなことになってしまったんだ。なのにちなみは何も言わない。私の中で罪悪感と後悔がどんどんと膨れ上がっていった。

 手術室の赤いランプが消える。扉から薄手袋を外しながら出てきた医者に、私はすがるように彼の両腕を掴みながら尋ねた。

「ケンは大丈夫なんですか・・・?」

 医者は眉間にしわを寄せ目を逸らした。全身から血の気が引いた。ああ、駄目だったんだ。

「結論から言うと、彼は無事です」

 その言葉に、私は顔を上げた。

「呼吸活動は続いていますし、昏睡状態ですがなんとか一命はとりとめられました」

 私は救われた気持ちがして、医者の手を取った。

「ほんとですか!ありがとうございます」

「ただ・・・。大脳がひどく損傷しています。このまま昏睡状態が続いてしまうかもしれません。まだ判断はできませんが・・・、健さんは、遷延性意識障害を患ってしまったかもしれません」

 私には難しい言葉すぎて、それが何なのかよく分からなかった。

「つまりは、植物状態が続くかもしれない、ということです。まだ断言はできませんが、今は様子を見守ることしかできません」

 医者が悲しそうに俯く。

 植物状態? 

 ケンは、もう永遠に目覚めないかもしれないってこと?

「夏芽ちゃん・・・」

 ちなみちゃんが私のそばに寄り添う。

「まだこれからのことはわからないけど・・・、ケンくんの命が助かったなんて、すごい奇跡だよ!今はそのことを喜ぼう」

 本当はちなみも辛いだろうに、笑顔を作り私の手を握ってくれた。分かってる、死なずに済んだだけ良かったんだから、プラスにとらえるべきだって。でも、私はそれを素直に喜べることができなかった。

 生きているけれど、身体を動かすことも、会話をすることもできない。

 それって、死んでいるのと何が違うのだろうか。


 三か月たっても彼は目を覚まさなかった。

 まだ目覚める可能性はある。

 主治医の言葉を信じて私は毎日病室に通い続けた。

 けれど私がいくら「好き」と伝えても、彼の言葉が返ってくることはなかった。

 今朝、主治医からケンが遷延性意識障害と診断されたことを告げられた。

 こちらがどう治療しようと、もうどうしようもないと。

 あとは彼が目覚めるのを待つしかないと言われた。

 心電図はまだ彼が生きているということを証明してくれた。けれど、もしそれがなかったら彼が生きているのかどうかすら分からなくなってしまいそうだった。

 私が部室に行っても、彼が隣で私の研究をサポートしてくれることはないんだ。

 私がどんなに彼のことをおちょくろうと、彼が笑顔で返してくれることはないんだ。

 また一緒に水族館に言って、笑いあうことはできないんだ。

 ケン・・・、淋しいよ。

 戻ってきてよ、ねぇ。

「なあ、どうしたらいいんだ?」

 ケンは何も答えない。

「私、どうしたらいいか分からないよ」

 それでも彼は何も答えない。

「困った時は相談してくれって言ったじゃないか。私が困っているときは自分が支えたいって言ってくれたじゃないか。どうして何も言ってくれないんだよ」

 彼は目を閉じたまま、静かに呼吸を続けた。

「どうして私ばっかりが辛い思いしなくちゃいけないんだよ!いままで頑張ってきて、ようやくケンと一つになれたと思ったのに、どうしてすぐ離れていっちゃうんだよ?」

 私はこんなに苦しいのに、安らかに眠っているケンのことが許せなくなってきて、私は声をかけ続けた。

「ずるいよ、ケンは。しあわせにするって約束し合ったじゃないか!あの言葉は嘘だったの?嘘つき!最低!大嫌い!」

 私はケンのベッドを激しく叩いた。けれど、そのこぶしにも力が入らなくて、私は動きを止めた。それでも、彼を見捨てることなんてできなかった。十二年、思い続けてきたんだ。今更諦められるはずなかった。

「けど・・・大好きだよ、ケン」

 私は泣いた。

 ケンの布団に埋もれて、私は声が部屋の外に漏れないように泣いた。布団はケンの匂いがして温かかった。

 これは、後悔の涙じゃない。

 決意の涙だ。

 私は絶対に後悔しないで生きていくと決めていた。

 過去のことを悔やんだって何も生まれないからだ。

 だから、私はあの日道路に飛び込んだことを後悔したりしない。

 大切なのは、これからどうするかだ。

 私は絶対ケンを助ける。

 たとえそれで、私自身を犠牲にすることになったとしても。

 あの日、神社で神様に誓ったんだ。

『ケンのことを、絶対にしあわせにするから、力を貸してください』と。

「私が守るからね、ケンくん」

 私は決意した。若返り薬をもう一度作って、ケンを事故が起こる前の状態まで若返らせると。

 たとえそれで私のことを忘れてしまってもいい。

 ケンが生きていてくれれば、それだけで十分だ。

 私は涙を拭いて、最後に彼の顔をしっかりと目に焼き付けて、病室をあとにした。


 私はもう一度若返り薬を創る決意をした。

けれどもうデータはすべて私がケンに頼んで消してもらっていた。私はなんとか過去の記憶を頼りにして研究を進め、なんとか若返り薬に関する論文を書き上げた。論証は不十分であったけれど、過去に一度若返り薬を完成させているという事実だけは残っていた。その論文は一部の研究者に評価され、大手製薬会社から私に若返り薬の研究をしないかとオファーが来た。願ってもないお誘い、断る理由もなく私は大学卒業後そこで研究を続けることになった。

 就職して研究所に配属された私は再び若返り薬を創ろうと試みた。若返り薬を飲ませ、ケンを若返らせることができればケンは事故が起こる前の健康状態に戻ることができるからだ。

 ・・・けれど、若返り薬がどうやっても創れなかった。

 確かに昔若返り薬を創ったのは私だった。けれど、あの薬を何グラムと、その薬を何グラム調合して、どのサンプルが若返り反応を示したのか、記録していたのはすべてケンだった。

 ケンがいなければ、私はどの薬をどの手順でどのくらい配合すればいいのか分からない。ケンがパソコンに残したデータも残っていない。

 私は必死に脳の奥底にある記憶を引きずり出して、いろいろな配合を試していく。けれど何度やってもうまくいかない。

 なぜだ、どうしてだ!

 気持ちばかりが焦って、時間ばかりがすぎていった。

 研究が始まって一年後、若返り薬を完成させたという論文は偽造だったのではないかと、社内で私に対する悪い噂が広まりだした。社内の人が私に向ける視線は冷たいものだった。でも気にしなかった。ケンの笑顔を思い出せば、それだけでやっていけた。

 二年後、本格的に論文の内容が真実かどうか、検証がなされた。けれどどこにも偽造されたデータはなかった。当たり前だ。

 三年たっても若返り薬は完成しなかった。同じことを繰り返しているような気がしたが、立ち止まることはできなかった。研究所のスペースが縮小され、予算も半分に削減された。

 五年後、とうとう研究がうち切られた。それども私は土日や空いている時間を使って研究スペースを借り、若返り薬の研究を続けた。だんだんと、ケンの顔を思い出せなくなっていた。それでも、わずかな思い出を頼りに私は研究を続けた。

 そして十年後、ようやく若返り薬が完成した。私が大学4年生の時に創ったもの同じ薬を、再び創り上げることに成功した。社内は騒然とした。社内秘の私の論文は、一部の化学者たちにのみ発表され、私のことを「天才だ」と褒めたたえた。

 けれども他の人の評価なんてどうでもよかった。今すぐケンに会いたい。若返りは一錠につき10年だったけれど、若返った後にもう一錠飲めばもっと若返らせられる。ケンをあの事故が起こる前の状態まで若返らせられる。ようやく、この時が来たんだ。

若返ったケンに今までのことを全部話すんだ。私、頑張ったよって。

 ちょっとばかり有名になってしまった私は、人目をかいくぐって夜道を一人歩いていた。ケンに会えることが嬉しくて、油断していた。突然背後に人影を感じて、振り返った時にはもう遅くて、私は固い鈍器のようなもので頭を叩かれた。強い衝撃に耐えきれず、私は意識を失った。

 目を覚ますと、私は薬が立ち並ぶ白い部屋に座らされていた。男は淡々と告げた。

「ここであの論文に書かれた薬を創れ。それが完成したら、次は薬の効果が永続するよう、薬を改良しろ。寝床と食事はこちらが用意する。以上だ」

 要するに、私は拉致されて研究所に閉じ込められてしまったのだ。

 若返り薬は不老不死の薬ともなりうる不治の病だって治せる。永遠に生き続けることだってできる。そんな薬を、世界が放っておくはずがなかった。

「嫌だ、早くケンに合わせてくれ!ただ薬を飲ませるだけでもいい、あいつを、助けて」

 私は泣き叫んだ。ケンを救えない私なんて、生きている価値がない。そんな私に、どこの国籍の人かもわからない男が言った。

「お前、若返り薬を飲ませただけで人生やり直させられるとでも思っているのか?愚かだ。個人情報もない、国籍もない、そんな中生きていけるとでも?部屋は借りられない、仕事にはつけない、医療サービスもまともに受けられない。それで彼がしあわせになれるとでも?」

 かれ、という言葉に、私は反応せずにはいられなかった。

「あ、あああ・・・」

 絶望のあまり、声にならない声が漏れた。若返らせた、その先の人生のことを何も考えていなかった。若返った後の彼の人生を想像して、目の前が真っ暗になった。

「だから、お前にチャンスをやる。お前が薬を完成させることができたら、お前の言う彼に薬を届け、もう一度人生をやり直せる環境を用意すると約束しよう。戸籍を作らせ、最低限度の生活はできるようにしてやる。いわばこれは契約だ。お前は薬を創る。我々は彼を助ける。どうだ?」

 私は脳をフル回転させた。一見悪くない話のように思えるが、裏を返せば私は永遠にこの研究所の奴隷として生きていかなければならない。今まで以上に辛い毎日が私を待っている。けれど、それでケンを救えるなら。ケンをしあわせにできるなら。

「もう一人だ」

「?」

 訳が分からなそうに男は首を傾げた。

「ちなみちゃんに・・・。山口奈未佳という子にも、薬を渡してくれ。二人を若返らせて、高校生活からやり直させるんだ。その条件が飲めないなら、私はここで危険薬品を飲んで死ぬ」

 男は不審がって眉をひそめた。

「なぜだ?その女を若返らせるくらいなら、自分が若返った方がしあわせではないのか?どうしてその女を若返らせたい?」

 私は揺らぎない信念を、その男に伝えた。

「私のせいでケンは死んだんだ。だから、ケンの生きる世界に私は必要ない。でも、ちなみなら、彼をしあわせにできる。私のいない世界で彼はちなみと再会し、恋をして、デートをして、車に轢かれることもなくしあわせに暮らすんだ。私は、二人がしあわせになってくれればそれでいい」

 それに、ちなみはケンにとってだけじゃなく、私にとっても大切な存在だった。彼女からケンを横取りし、彼女のしあわせを奪ってしまった。その償いがしたかった。

 男は「理解できないな」と呟いて首をひねった。

 男は言葉を詰まらせ、一瞬考えたのちに、「二人を若返らせること、約束しよう」と一言残して、部屋の奥へ消えて行った。


 薬が完成したころには、私は71歳のおばあちゃんになっていた。もう手がしびれてうまく動かせない。ずっと座り続けて作業をしてきたから腰は曲がり、もう杖なしでは歩けなくなっていた。

 けれど、ようやく完成した。これで、ようやくケンとの約束が果たせる。

「すまない、身体を完全に若返らせることには成功したんだが、脳だけは完全に再生させることができなかった。記憶のズレが、もしかしたら身体に影響を与えるかもしれない。それでは駄目だろうか・・・?」

 白衣を着た男が、別の偉そうなスーツの男と話している。

「今更作り直せと言ったところでお前の手は動かないだろう?」

その通りだった。長い研究と実験漬けの日々で、腕はしびれ腰は曲がり、目はかすんではっきりと見えない。こんな私はもう研究室のガラクタ同然だった。

 私は、最後の願いを目の前の化学者たちに告げた。

「一つ、お願いだ。私も、ちなみのおばあちゃんとして、一緒に暮らさせてくれないか?もう、目はかすんで手は正常に動かすことができない。ここにいたって私は死を待つことしかできない。せめて、最後くらい、私の大好きな親友と時をともにさせてはくれないか?・・・頼む」

 男は待ってましたと言わんばかりに口角を不快なまでに上げた。

「三年だ。お前に三年間自由をやる。その間、お前がちなみのおばあちゃんとして生活するのを許そう。三年が過ぎたら、お前はその若返り薬で再び若返って、今度こそ完璧な若返り薬を創るまで、研究を続けるんだ」

 もはや71歳の私の体では薬を創ることは不可能だった。若返って、再び研究をさせる。こいつらは、最初からそのつもりだったんだ。

 でもいい、あの子と一緒にいられるなら、そのくらい耐えられる。

「分かった。契約成立だ」


 数日後、家が用意された。そこに、ちなみがやってくるという。久しぶりに吸った外の空気、そして久しぶりに浴びる太陽の光が私にはまぶしすぎた。

 ケンのお母さんはとっくの昔に亡くなっていた。彼のお父さんは幼いころに亡くなっている。もともとお母さんは海外へ仕事に行っていたので都合がよかった。時々電話をしないと怪しまれるとのことで、私が電話でケンのお母さんのふりをして対応することになった。声も全然違うのに大丈夫かと心配だったが、2061年の日本には、その人の声を再現できるボイスチェンジャーが開発されたという。私の知らない間に世界は進歩を遂げていた。

 ケンとちなみの戸籍データは研究所が用意してくれた。本来パーソナルキャビンに登録されていたケンとちなみのデータは、若返り薬を完成させたことによる莫大な金と権力により新しく更新させた。これで二人の日常生活に支障はないだろう。

「なあ」

 男は言った。

「やっぱりお前は、健という男の恋人にはなろうとしないんだな」

 私は「ああ」と頷いた。

「・・・あいつがしあわせに生きていくためには自分なんていない方がいい、そう思っているのか」

 私はもう一度、深く頷いた。

「やはり理解できない感情だな。まあいい、三年後会うのを楽しみにしているよ。ちなみに、逃げようと思ってもお前の身体に埋め込まれたチップがそれを許さない。部屋にも監視カメラがある。まあ三年間、お前の好きにすればいいさ」

 逃げるつもりなんてなかった。私は、あの二人がしあわせに暮らしてくれればそれでいい。私が逃げて、あの二人を危険にさらすような真似するものか。

 男は静かに部屋を後にした。

 さて、あと一時間後には高校一年生のちなみがやってくる。泣いちゃいそうだな、私。

 もうケンとは会うことはできないかもしれないけれど、ケンがちなみとしあわせになってくれればそれでいい。ケンの人生に、私は必要ない。

 二人のしあわせを願い、わたしはゆっくりと目を瞑った。



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