11 花火の音と十年前の記憶
11
あっという間に夏休みに入り、とうとうちなみさんと約束していた花火大会の日になった。でも、デートのことを考えている余裕もないくらい、その日見た夢は衝撃的だった。
あのバラの女の子はちなみさんかもしれない。
思えば、控えめな性格とか、星が好きな所とか、なっちゃんとちなみさんで共通する点はいくつかあった。
しかし、ちなみちゃんがなっちゃんなのか確かめようとした直前に目が覚めてしまった。結局彼女がなっちゃんなのか、疑問は闇の中に消えてしまった。
いや、会えるじゃないか、これからちなみさんに。その時に確かめればいい、「ちなみさんって、あの時のなっちゃん?」と。夏休み中にちなみさんと会えるワクワクと、真相を聞かなくてはならないというドキドキで胸が苦しかった。
夏休み中であっても、受験生は学校に通わなくてはならなかった。学校での集中講義に身が入るはずもなく、僕はずっとそわそわしながら、うわの空で講義を受けていた。学校は午後二時すぎに終わり、僕は帰宅後急いで支度をした。
鏡を見ながら、未来の僕がコンタクトではなく眼鏡をかけていることを思い出した。眼鏡なんて時代遅れなものを毎日かけるなんて、歳とともに好みも変わるのかな。
なんてどうでも良いこと考えている場合じゃない!気付けば待ち合わせ一時間前になっていた。悩んだ挙句白ワイシャツに黒スキニーという無難な服を身にまとい、僕は弾むスニーカーに足を預けた。
「お待たせ、健くん」
僕の体温が上昇したのは夏の暑さのせいだけではなかった。
「あ、あの、やっぱり張り切りすぎちゃったかな・・・?」
ちなみさんは白地に紺の菊が描かれた浴衣を着ていた。真っ赤な帯がとても印象的で、幼い顔立ちの彼女を少し大人っぽく見せた。花火へ行く約束をしたとき『張り切っちゃおうかな』と言っていたのはこういうことだったのか。髪形もボブカットの髪を横に向かって編み込んでおり、いつもとはまた違った雰囲気でかわいかった。
「めちゃくちゃ似合ってるよ!うわあ、僕も浴衣買っておくんだった」
まだ花火も見ていないというのに今日は来てよかったと思った。
「ううん、健くんの服も似合ってるよ」
その一言で僕の張りつめていた気持ちが和らいだ。嬉しさが表情に出すぎないように冷静を装いながら「それじゃ、行こっか」と呟いて僕たちは会場である長岡へと向かった。
いつもなら余裕で座れる電車もその日ばかりは混んでいて、浴衣や甚平を着た人達の姿もちらほらとみられた。どの浴衣の子を見ても「やっぱりちなみさんが一番浴衣似合ってるしかわいい!」と思った。恥ずかしいので言葉には出さないけれど。
「あのさ、ちなみさん」
「ん?」
気になっていた、バラの女の子について聞くつもりで声をかけた。けれどどうやって聞こうか、何も考えていなかった。
『バラの女の子ってちーちゃん?』
なんてストレートに聞くわけにもいかない。
『ちーちゃんって昔好きな人いた?』
なんの脈絡もなくいきなり聞けるわけがない。
「・・・花火、楽しみだね」
「うん、そうだね」
三度目の同じやり取りを終え、僕は自分の会話下手を悔いたけれど、それでもちなみさんは変わらぬ笑顔を返してくれた。
結局何も聞けないまま長岡駅へ到着した。余裕をもって花火が始まる一時間前に駅へ着いたのだが、すでにものすごい人ごみだった。さすがは日本三大花火、県外から来た人も多いようで新幹線乗り場も混雑していた。
僕らは打ち上げ場所である川辺に向かって歩き始めた。所々で屋台も開かれていて僕の嗅覚をくすぐった。
「いいね、屋台。お好み焼きとか普段家で食べるのより数倍おいしそうに見えるよね」
「ね!なんで屋台の食べ物ってこんなにおいしそうに見えるんだろう」
お互い目を合わせる。それを合図に僕が「買っちゃおうか」と提案するとちなみさんは百二十パーセントの笑顔で「うん!」と答えてくれた。
お好み焼きを右手に下げ道を歩いていると、段々と人の足取りが遅くなってきた。
「こ、これは・・・事故でもあったみたいだね」
背伸びして先を見てみると警察官たちが道を塞いでおり、その奥でフロント部分がへこんだ車が二台、そのうち一台は歩道に乗り上げられていた。追突防止ブレーキ搭載と銘打っておきながら、自動運転も当てにはならないと思った。
「これは・・・迂回した方がよさそうだね。ごめんね、下駄で足痛いだろうに」
「健くんが謝ることじゃないよ。それに、健くんといられるなら遠回りも全然苦じゃないよ」
天使がいると思った。いや、浴衣を着ている姿は織姫様か。こんなに幸せでいいのだろうか。いつか罰が当たっても文句は言えまい。
予想以上に混雑していたことと遠回りしたことが重なり、目的地に着くころには開始時刻の十分前になっていた。穴場は事前に調べていた。ショッピングセンターの屋上だ。打ち上げ場所からは少し離れているものの高所から見られるので建物が邪魔しないだろうと思ったのだ。ネットに書いてあった通り屋上は空いていて、どこで見ようか選べるくらいには余裕があった。
「それじゃあそこで見ようか」
「あ、待って。レジャーシート持ってきたんだ」
前日に思い立って百円ショップで購入したレジャーシートを袋から取り出す。思ったより小さい。
「ごめん、小さかったね」
「大丈夫、全然二人でも座れるよ。ほら!」
そう言ってちなみさんは僕の腕を引き寄せレジャーシートに二人で座った。
「ほらね。ちょっと近づけば・・・!」
僕とちなみさんは体が触れ合うほど接近していて、それに気づいたちなみさんは顔を真っ赤にした。
「し、失礼いたしました!」
ちなみさんはコホンと小さく咳払いをしてから、さっきよりは少し距離を開けて僕の隣に座った。沈黙が走る。
「き、今日は花火に来られて本当に良かった。ってまだ花火が始まってもないんだけど」
僕は思っていることを口にした。
「健くんは私となんかで良かったの?」
「ちなみさんだから良かったんだよ」
我ながら大胆なことを言ってしまったなと思った。夜の暗さと、町あかりの光が僕を後押ししてくれたのかもしれない。そうだ、今ならバラの女の子のことを聞けるんじゃないか?僕はなんて言おうか散々迷って、なんとか言葉をひねり出した。
「ちなみさんは、その、好きな人とかいないの?」
待って、これじゃあ「今」好きな人はいるか聞いているみたいじゃないか。どうしてこうも自分はこうも不器用なのかと自分を両手で叩きたい気持ちにかられた。
「い、いないよ!全然!ひとりも!」
ほっ。好きな人がいないという言葉に安堵したと同時に『あなたのことも何とも思ってません』と言われたような気がして少しショックだった。
「健くんは?いないの?」
ここで「うーん、今は居ないけど、気になる人ならいるかな」なんてちなみさんの目を見ながら言えたら完璧なんだろうけど、僕にそんな勇気があるはずもなく「きき、気になる人ならいるよ!」と目を泳がせながら答えることしかできなかった。
「そしたらさ、初恋の人はどんな人だった?健くんの恋バナ聞きたいな」
それは僕の方こそ聞きたいことだった。
「ちなみさんは?ちなみさんの初恋相手も気になるなあ」
「ダメです、先に健くんから話してくれないとわたしも答えません」
「えー・・・」
僕の初恋相手といえばバラの女の子に決まっているのだけれど、なっちゃんがちなみさんかもしれないと分かった今、「初恋相手はあなたです」というようなものじゃないか。しかし、ちなみさんが折れてくれる様子もなかった。どうやら僕が答えるしかないようだ。
「僕の初恋は、小学二年生の時だったな・・・」
僕はあのバラの女の子のことを話した。恥ずかしくてとてもちなみさんの方を向けなかった。
「・・・それで、仲良くなってからしばらくして、その女の子がまた引っ越すことになったんだ。でも、その子と喧嘩してから、会うのが気まずくなっちゃったんだ。だから、付き合うまではいかなかった。でも、このまま一生会えなくなるなんて絶対に嫌だった」
黙って話を聞いていたちなみさんの瞳が、突然見開かれた。
「・・・それで、引っ越しの日の当日、彼女に想いを伝えようと家まで会いに行ったんだ。でも、すれ違っちゃったみたいなんだ。それが僕の初恋で、初めての失恋だった」
やっとの思いで話し終えることが出来たというのに、ちなみさんは何も言ってくれない。何か反応してくれと思いちなみさんの顔を見て、僕は言葉を失った。
ちなみさんが泣いていた。
「ど、どうしたの?」
「ごめんね、その、なんでもないから。ほんとに、ごめんね。
僕はどうしたらいいか分からなくなった。バッグの中を覗いて、ハンカチを持ってこなかったことを悔やんだ。どうしていいか分からず、僕はひとまず彼女の肩をさすった。
「ごめん、変な事言っちゃった?」
彼女は首を振るばかりで、しばらくの間顔を真っ赤にさせて泣いていた。
「違うんだ、私、嬉しかった」
僕は肩をさする手を止めた。
「ーーー」
その声は、花火の音によってかき消された。まるで目の前で打ち上げられているように花火が夜空に広がっていた。
「ごめん、何て」
「ずっと探してたよ、ケンくん」
その言葉で僕はすべてを理解した。
僕の初恋の相手、なっちゃんはちなみさんだった。
「十年振りだね。会えて良かった」
彼女の言葉が、花火の音とともに心臓に響いた。
「僕もだよ、なっちゃん」
それからの時間はあっという間だった。次から次へと、右にも左にも花火があがる。両目でおさめきるのがやっとなほどの、大パノラマだった。圧巻された。心臓にズシリと響く花火の衝撃音が、隣に十年前の初恋の相手がいるというドキドキと重なって、心臓がおかしくなってしまいそうだった。
あっという間に時間は流れ、長岡花火は大盛況のまま幕を閉じた。
「すごかったね」
「ふふっ、健くんさっきから『すごい』と『きれい』しか言ってないよ?」
僕とちなみさんの間には、温かく甘い空気が流れていた。帰り支度をするため立ち上がろうとすると、突然ちなみさんが僕のシャツの袖を掴んだ。
「一つだけ、健くんに聞きたい事がある」
彼女の表情から真剣さと、眉の小さな動きから少しの不安を感じた。
「健くんの初恋の相手、なっちゃんって、本当に私なの?」
袖を掴む力が強まる。どうして彼女がそこまで念押しして聞いてくるのか、僕には分からなかった。でも、僕の初恋の相手がちなみさんであることは、未来のちなみちゃんの話からもほぼ明らかだった。
「うん、間違いないよ」
「・・・良かった、その言葉が聞ければ十分だよ」
ちなみさんはもとの、天使のような柔らかい表情に戻った。
たわいもない会話をしながら僕ら二人で駅まで戻った。楽しい空間は、駅に着いた瞬間くずされた。僕は目の前の光景にぞっとした。
駅の外まで続くのは、電車を待つ人、人、人の列。駅に向かう道のりで嫌な予感はしていたが、まさかここまでとは・・・。ディズニーランドの開園待ちの列にも匹敵するくらいの長さだった。
「私の身長じゃどのくらい人が並んでいるのか見えないよ」
「これは・・・一体何時間すれば帰れるんだろう・・・」
メガホンを持った駅員さんが『えー、最後尾の方が電車に乗れるまで、最低でも一時間の待ち時間が予測されます!お急ぎの方は新幹線をご利用ください!』とアナウンスした。現在の時刻は夜十時。今から一時間並んだとして、僕の家の最寄り駅までは電車でさらに20分。これじゃあ日付が変わる前に帰れるかも怪しい。
「えーっと、どうしよっか?」
「新幹線で帰ろっか・・・」
ちなみさんは家族に電話で帰宅が遅くなることを伝え、新幹線で帰る許可をもらった。
新幹線は電車ほど混んでおらず、僕たちは新潟駅になんとかたどり着くことができた。気が付けば時刻は11時を過ぎていた。
「はー、なんとかここまで来られたね。僕は新津駅に向かうけど、ちなみさんは?」
「おばあちゃんが新潟駅まで迎えに来てくれてるみたい」
いいなあ。僕は迎えを頼もうと思ってもニューヨークからだなんてとても無理だ。
そんな中、ホームからアナウンスが流れる。
『えー、人身事故の影響で信越線が停止しております。なお、復旧の目途は立っておらず、復旧次第の発車となります。お客様には大変ご迷惑を・・・』
「うそでしょ・・・」
これまでも散々待たされたのに人身事故だなんて・・・。東京とは違って地下鉄といったほかのルートは残されていない。僕はいったい何時になったら帰れるのだろう。
「健くん、ごめん。おばあちゃんから電話だ」
「ああ、うん。気にせず出て」
ちなみさんが電話に出る。ちなみさんの言葉から察するに迎えに来たから早く来なさい、といった内容だろう。少しもめているようだ。ちなみさんが僕の顔をちらりと見る。どうしたのだろう。
「分かったから、ちょっと待ってて。・・・あの、健くん。事情を話したら、おばあちゃんが今日はうちに泊まっていきなさいだって」
「え・・・いいんですか!」
普通であれば「悪いからいいよ」と答えるところなんだろうけど、人ごみのストレスと歩き疲れでそれどころではなかった。頼れるものには頼りなさい、という母の教えを思い出した。
「分かった。じゃあおばあちゃんにそう伝えるね」
電話を切り車の乗車待ちスペースに行くとその車はあった。僕はちなみさんのおばあちゃんに向かって「今日は本当にありがとうございます!一晩お世話になります」と心の底からのお辞儀をした。
「君が・・・健くんか。ちなみからよく話は聞いているよ。さあ、乗って」
おばあちゃんはまるでわが子を見つめるかのような笑顔で僕を迎えてくれた。一緒にいるだけで心が安らぐような雰囲気があって、優しそうな人だと思った。
「駅も混んでて大変だっただろう?」
「・・・ええ、まあ」
聞き覚えのある声だなと思った。何だろうと思って記憶を過去にさかのぼると、そうだこの間の電話でのお母さんの声そっくりなんだと気付いた。八十歳くらいのおばあちゃんの声と一緒にされたらお母さん怒るだろうな、なんてことを想像したら笑えてきた。
僕とちなみさんの二人は後部座席に乗り込んだ。
「ちなみさんも本当にありがとね。今日おばあちゃんが来たってことは、両親は仕事とか?」
「ううん、両親は私が中学校を卒業するころ交通事故で二人とも亡くなっちゃって・・・。おばあちゃんが・・・正確に言えばおばあちゃんの妹なんだけどね?身寄りのない私を引き取ってくれたんだ」
なるほど、どうしておばあちゃんが迎えにくるんだろうと思っていたが、そういうことだったのか。
「じゃあもうお花屋さんは続けてないんだ」
僕の言葉に、隣に座るちなみさんは頭上に?マークを浮かべた。車が少し左右に揺れた。
「だから今は、私とちなみの二人暮らしだよ」
おばあちゃんがハンドルを回しながら僕に言った。・・・ん?二人暮らし?
「あ、あの、今日僕を泊めてくれる家ってちなみさんのおばあちゃんの家ですよね?」
「ああ。私とこの子の、二人の家だよ」
「ええっ!そうなんですか」
てっきりちなみさんの家とは別の、おばあちゃんの家に泊めさせてもらえるのだと思っていた。こうなってしまった以上は仕方ないとはいえ、緊張せずにはいられなかった。
「ああ、和室もあるけど、ちなみの部屋で寝てもいいよ」
「えっ」
「おばあちゃん!変な事言わないでよ、もー!」
なんというか、強烈なおばあちゃんだと思った。
ちなみさんの家はマンションの8階にあった。おばあちゃんは赤い組みひもと鈴のキーホルダーがついた鍵で玄関の扉を開いた。
もちろんちなみさんの部屋で寝るわけにもいかず、僕は和室を借りることとなった。ちなみさんは着替えのために自分の部屋に入っていった。リビングに僕とおばあちゃんの二人が座る。
「今日は本当にありがとうございます」
「いいんだよ、君の両親のことは聞いているよ。小さいころお父さんがガンで亡くなって、お母さんもニューヨークにいるから頼りたくても頼れなかっただろう?こういうときくらい大人を頼っていいんだよ」
優しい人だと思った。どこか一緒にいってほっとするような安心感があった。そういえば、ちなみさんに僕の両親のことを話したことってあったかな?もし話していたとしたら、重い男だと思われている気がする・・・。
「それで、ちなみのことはどう思ってるんだい?」
「えっ、ちなみさんですか?えっーと・・・」
こういう時なんて答えたらいいか分からず戸惑っていると、おばあちゃんは「無理して答えなくていいよ」と言ってくれた。
「あの子は確かに人見知りな所はあるけれど、男の子の君と普通に話せてるってことは結構心を許してるってことだと思うよ。ちなみのこと、よろしく頼んだよ」
これは、おばあちゃん公認、ということで捉えてもいいのか?まだ付き合っているわけでもないのだけれど。
「はい!任せてください」
僕は決意を胸にそう答えた。
寝る前、ちなみさんに洗面所を案内され、お風呂まで貸してくれた。なんていい家族なんだ・・・。お風呂上り、ちなみさんが自分の部屋に戻る前、一つ質問された。
「十年前のことを聞いたとき、健くんはよくなっちゃんとお花屋さんで仕事のお手伝いをしたって言ってたよね。それに、さっきもお花屋さんは続けてないんだって・・・」
「うん。なっちゃんはお花屋さんの娘だったから、お花屋さんが待ち合わせ場所って感じだったよね?」
ちなみさんは表情を暗くした。街頭のない海辺で、夕日が沈んで真っ暗になるような不安が僕を襲った。海水が足元まで迫っている。
「私の両親は一度もお花屋さんを開いてないよ?」