9 未来を変える証明
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「はっ・・・!」
・・・なんだかとんでもない未来を見てしまったような気がして、僕は目覚ましもなしに飛び起きた。目をこすって顔をはたき、ここが現実世界なのだと認識する。
何なんだ、今日の夢は・・・。
若返り薬を飲んだら夏芽さんが子どもになっているなんて、非現実的だった。しかしこれは夢じゃない。未来で本当に起こることなんだ。僕は背中に氷水を流し込まれたような寒気を感じた。
未来のちなみちゃんは相変わらず僕のことを覚えてないし、僕は僕で相変わらず彼女のことを思い出せていなかった。ただ、未来のことを嘆いていたって何かが変わるわけじゃない。夏芽さんのことは心配ではあったけれど高校生の僕がなにかできるわけではなかった。未来のことは未来の僕に託すことにした。
まだ混乱を抑えきれておらず、いつもの習慣であるバラの水やりでもして心を落ち着かせようと思った。今やボタン一つでなんでもできる時代だ。もちろん水やりだって自動設定にして機械に任せることもできたけれど、なぜだか水やりは自分でやりたかった。習慣というものを崩したくなかったのかもしれない。
水をあげながらこれまでの夢のことを振り返った。東京キャンパスに行ってから五日経ったが、その間も大学二年生の僕が出てきた。しかし、過去一度だけ高校生の僕が出てきたことがあったことを、僕は思い出した。
僕が高校三年生の夏、お母さんが家に帰ってきていて、庭のバラが昔片思いをしていたなっちゃんから渡されたものだと知った夢だ。
未練がまだあって、それが夢に現れたのだと思っていた。しかし、僕が見ている夢が未来であると分かった以上、僕のお母さんがそうめんをすすりながら庭のバラについて語ってくれたあの夢は、持つ意味を変える。あの夢は高校三年生の夏休み中のものだった。夏休みまであと5日。今まで見た未来はすべて大学生の頃のものだったが、高校生のころの夢を見ないとも言い切れない。
僕は真夏の青い空に向かって手を伸ばした。
結局僕は彼女に出会えなかった。僕の片想いだとずっと思っていた。でも、そうじゃないのかもしれない。早く目が覚めたおかげで登校時間まではまだ余裕があった。僕は居てもたってもいられず、急いでコンタクトを着けてお母さんに電話を掛けた。
「もしもし、お母さん?」
「あら、久しぶりね健。どうしたのこんな朝早くに」
僕はその声に違和感を覚えた。
「・・・お母さん、だよね」
「健が私の電話にかけてきたんでしょ?私に決まってるじゃない」
最初は誰の声かと思った。声がかすれていて、いつもより低い気がしたからだ。
「海外からかけているから音がおかしいんじゃない?」
僕が声について指摘する前にお母さんは言った。そっか、ニューヨークからかけているんだし、音が悪くなるのは当然か。
「あ、ごめん時間気にせずかけちゃった。大丈夫?」
「うん、まだ夜の12時前だから平気だよ。仕事終わりにお酒飲んじゃったから声がつぶれているのかも」
「お酒っていうよりも、歳をとってかすれたって感じがするけど」
笑い声が時間差とともに聞こえた。
「失礼なこと言うじゃない。それだけ私も健も歳をとったってことね」
冗談で言ったつもりはなかったけど、お母さんは気にしていないようなので僕も気にせず本題に入ることにした。
「それでさ、聞きたいことっていうのは庭にあるバラのことなんだ」
「・・・急にどうしたの?」
国際電話による時間差にしては長すぎるんじゃないか?と思うくらい間があってから母さんは言った。
「いや、ちょっと気になっただけなんだ。なんでバラなんて育てようと思ったかなーって。うちで育てるには高貴すぎるっていうか、敷居が高い気がしてさ」
なるべく夢でみたのと同じような言葉を使って聞いた。そうめんをすすりながら、僕は同じようなことを未来で尋ねることになっている。だったら、今尋ねたって同じはずだ。
「懐かしいね。健、覚えてないの?」
「・・・何を?」
「あのバラ、健の友達がくれたってこと」
僕の小学校時代の友達、まっさきにあの人のことが思い浮かんだけれど、僕は知らないふりをして「だれ?」と尋ねた。
「なっちゃんだよ」
やっぱり、あの夢はただの夢じゃなかったんだ。このバラは、なっちゃんからもらったものだ。そしてそのことを、本来であれば今じゃなくて夏休みに入ってから知ることになるはずだった。
それからあのバラのことを母さんから詳しく聞いた。なっちゃんが転校する日の当日、僕が彼女に会いに行こうと家を出た数分後に彼女はバラを抱えて僕の家までやってきたこと。そして僕のことが好きだと伝えられたこと。やっぱり僕が夢の中でお母さんに聞いたこととほとんど一緒の内容だった。
「そうだったんだね、教えてくれてありがとう」
僕は電話越しにお辞儀をした。
「いいんだ。でも、案外落ち着いてるのね。健ならすぐにでも家を飛び出して『なっちゃんのこと探しに行く!』とか言いそうなのにね」
僕はぎくりとした。さすがはお母さんだ。僕の行動傾向を知り尽くしている。なっちゃんのことはもう未来投影で知っていたし、いまさら慌てる必要などなかった。
「まあね、僕もそれだけ成長したってこと」
気付けば電話をしてから30分が経っていた。こっちは朝でも向こうはもう12時すぎなわけで、明日も仕事があるだろうから僕は電話を切ることにした。
「分かった、ありがとう。そろそろ切るね」
「あ、待って!困ってることとかない?体調は?具合悪かったりしない?」
「あはは、大丈夫だよそんなに心配しなくても」
「本当に?体でおかしなところとかない?」
子供のころから健康なことだけが取り柄で、けがや病気などで面倒をかけなかった僕の体を心配するなんて、ずっと離れていると不安になってくるものだろうか。
「大丈夫だって。問題なく生活してるよ」
「・・・そっか、安心した。ほんとは来週ごろにでも時間を縫って内緒で日本に帰ろうかと思ったんだけどね、この調子なら大丈夫そうね。どうしてもっていうなら母さん頑張るけど」
「いいよ無理しなくて。お母さんは仕事に専念して」
「ごめんね、健を大学へ進学させてあげられるくらいにお金を稼いだら必ず日本に帰ってくるから。それまで待ってて。周りに頼れることは頼るんだよ!」
ああ、そういうことか。お母さんは日本に帰ってくるはずだった。けれど僕が電話をしたことによりその未来が変わったんだ。
・・・これって、未来は変えられるってことの証明になったんじゃないか?
「うん、わかったよ。待ってる。じゃあ、おやすみなさい」
「うん、健も勉強頑張ってね。またね」
この電話で新たなことが分かった。
僕が見た未来は僕の行動次第で変えることができるということだ。なら、僕とちなみさんがお互いのことを忘れてしまう未来だって、僕の行動次第では変えることが出来るかもしれない。
僕は空に向かって祈りを込めた。
「僕と、ちなみさんが、お互いのことを覚えていられるよう全力を尽くします。だから、力を貸してください、神様」
昔、誰かに言われたことがあった。神頼みは悪いことじゃないって。『お参りは、自分は○○を頑張るから、力を貸してください神様って決意表明するためにあるんだよ。だからお参りは、決意することに意味がある』だから僕は、空に願いを込める。
僕は自信と期待を胸に抱き、「よし!頑張ろう」と声に出して気合を入れた。
学校に登校すると、隣の席のちなみさんはいつもの笑顔で「おはよう」と声をかけてくれた。ちなみさんの「おはよう」を聞くたび、今日も一日頑張ろうと思える。僕はいつも以上に明るく「おはよう!」と返した。
東京に行ってから5日が経った。その日は金曜日で、来週の終業式を終えれば夏休みということもあり夏休みの課題がたっぷりと出された。
先週ちなみさんが放課後勉強していると知って以来、僕も教室に残って一緒に勉強するようになった。詠太は「どうして急にやる気になったんですかね?」と僕をおちょくりながらも、なんだかんだで僕に付き合って学校に残ってくれた。
最近では僕と詠太、ちなみさんと友達の美咲さんの四人で帰るようになった。もともと詠太はちなみさんとも美咲さんとも仲が良かった。自分からちなみさんに「一緒に帰ろう」と言えない僕を気遣って、四人で一緒に帰らないかと声をかけてくれたのだ。
「ねえ、詠太と健くん。二人に聞きたいことがあるんだけど」
帰り道、美咲さんはボーイッシュに短くカットされた髪を風になびかせながら訪ねた。
「どうしたの?」
「この前の日曜日二人って東京にいなかった?」
「なっ・・・なんで知ってるんだよ」
「もしかして美咲さんたちも東京行ってた?新幹線のホームで見た気がしたんだ、二人のこと」
やっぱり僕の気のせいではなかったみたいで安心した。
「実は私とちなみの二人で五日前に南大のオープンキャンパスに行ったの。そしたらちなみが大学の横道を指さして『あそこに健くんがいた!』って言うから」
「見間違いだと思ったんだよ。もし仮に健くんたちもオープンキャンパスに来ていたとしても、それならキャンパスの中に向かうと思ったから」
「そう言われて、私もキャンパスを注意深く見ていたら、図書館前に詠太と似た人がいたから、もしかしてと思ったんだ」
どうやら同じ日に東京に行っていただけでなく、二人も同じ時間に南大にいたようで、初耳だった僕たちは驚いた。
「えー!それってすごい偶然じゃん!なんだよ言ってくれれば会いに行ったのに」
「うわ、気持ち悪い」
「辛辣だなあ・・・」
美咲さんと詠太のやり取りを右から左へ受け流しながらも、僕はあの日の記憶を引っ張り出していた。もしかしたら詠太が南大で「誰かに見られてる気がする」と言っていたのも、ちなみさんか美咲さんの視線だったのかもしれない。
「南大に来てたってことは、二人も南大志望してるの?」と僕は尋ねると、美咲さんが「私はそうでもなんだけど、ちなみが行きたいって言うから」と答えた。
マジか。ちなみさんが同じ大学を志望している。嬉しい。しかし留年したちなみさんの姿を未来で見ていることもあって素直に喜べないことに気付いた。
「あ、あのさ、健くんはどうしてあの道を歩いてたの?」
ギクッとした。ちなみさんにそのことを突っ込まれると思わなかったからだ。詠太以外の人には僕が未来投影の能力があることは伏せている。「未来が見えるかどうか確かめたくて」だなんて、ちなみさんが留年する未来を見ている状態では言えなかった。僕は季節外れの服をクローゼットの奥から引っ張り出すように、何とか言い訳を引き出した。
「欅並木がすごくきれいだったから、つい見たくなっちゃって」
リュックを人差し指でトントンと叩きながら僕は必死に笑顔を作った。
「・・・そ、そうなんだ」
ごまかせただろうか、微妙な線だった。ちなみさんはよく言葉を詰まらせることはあったけれど、今の間はただ返答に困っただけだったのだろうか。
タイミングよく駅にたどり着いたのでそこで話は終わって、僕は胸をなでおろした。僕はちなみさんに「またね」と告げた。
電車に揺られながら、ずっとちなみさんのことを考えていた。ちなみさんのことがなんとなくわかるという現象が偶然ではなく必然なのだとしたら、一昨日同じ日に南大に行ったことも偶然ではないのではないか。
僕は思いついた可能性を「ありえない」と頭の中に閉じ込めた。