序章 2
雨は夜半に雪へと変わった。美咲は黙って吐き出される自分の息の白を見つめていた。
飽和した感情は冷たい空気にさらされて凍りついていた。
「お父さん……お母さん……」
呼び掛けても目の前の物体が動き出すことはない。美咲にしても、返答を求めて呼び掛けていたわけではない。
求めていたのではない。
ナイことを確認するために呼び掛けていたのだ。朝までは確かにあった、暖かな空間。それが永遠に失われたことを、確認するために。
幼かった心は、絶望によって急激に成長しようとしていた。
ごく普通の家族だった。笑ったり喧嘩したり、喜んだり悲しんだり。手を伸ばせば当たり前のように触れることができた、優しさ。
その優しさに守られて、美咲は今日までを生きてきた。ごく普通の女の子として。
雪が音を奪っていく。
降り積もる白はやがて惨劇をもたらせた男の痕跡を消してしまうことだろう。それは美咲にもわかっていた。このまま動かないでいたら、己も冷たい物体になるだろうということも。
ソレデモイイカ……?
哭き叫んだ疲れが蓄積して、動くのも辛い。涙で汚れた頬は、強ばって痛い。
大人に敵うはずはない。そんな諦めが胸の大部分を占めていて、呼吸は次第に静かになっていった。
そのまま沈黙が世界を支配しようとしていたとき。
打ち破ったものは。
ボウっと闇を切り裂いた炎だった。揺らめいたカーテンが、つけてあった石油ストーブで引火したのだ。
炎はチロチロと赤い舌を伸ばして、家中に広がろうとしていた。お気に入りのソファーのクッション。両親が飾っていた数々の写真や、美咲が学校で描いた絵や書。すべてが炎の中に消えていく。
少し前までは冷たかった家が、炎で熱くなってくる。その変化に美咲は怯えた。
すべてが消えてしまう。その事を悲しむより、炎への本能的な恐怖が腹の底から湧いてきた。
少しずつ、少しずつ、強ばった身体をもがかせて、炎から逃れようとする。
炎が父や母を飲み込んだとき、恐怖は一気に膨れ上がった。
このままでは自分も呑み込まれてしまう!
炎は今まさに美咲へと魔の手を伸ばしていた。息が苦しくなってくる。物理的な感覚に襲われて、美咲はばっと立ち上がり、炎がまだ押し寄せてきていない玄関へと逃げ出した。
鍵を開ける手は震えてままならない。恐怖と焦りに苛まれながらなんとか外へと逃げ出す。
深々と降る雪はすでに道路を白く埋め尽くそうとしていた。しかしその冷たさが美咲に生きている実感を与えた。
そして、叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。
引き裂かれた感情をかき集めて。ありったけの声で。生きている証のためか、失われた命のためか、わからないままに。絶叫した。
その声を聞き付けたのか、果ては炎に気がついたのか。
周辺の家々に明かりが点り始めた。
雪の少ない地域で生まれ育っているもので、積もる速度が良くわかっておりません。てへ。