愚者の舞い 33
それに続いて神主、数人の巫女、貢物である少女の乗った輿、そして巫女がまた数人、それから再び侍達。
神主の唱える呪文のような言葉を、見物人も巫女も、そして侍達さえも続いて唱えている。
貢物である少女は無表情に、それでいて意思をしっかりと持った眼差しで、前を見据えていた。
目的地である、松明に照らし出され、闇の中に浮かび上がる神殿を。
一行はやがて神殿に辿り着き、貢物の少女を降ろすと、神殿の奥へと誘った。
そこから先は、神主と巫女、そして貢物しか入れぬ聖地。
神主達は貢物を特定の場所へ座らせると、深々と頭を下げた。
「皆の平和のため、頼むぞユキ。」
「心得ております、神主様。 今までお世話になりました。」
ニコリと微笑みながらそう言う娘に、神主は涙が溢れそうになる。
まだ若干15歳の娘なのだ。
そんな生贄を差し出してまで平和を望む自分達の浅ましさを、毎年実感する。
だが、それを口に出す事は断じて出来ない。
自分の立場を守るためではなく、辛くとも娘を差し出す親、そして、そのために命を投げ出して来た娘達を貶め、汚し、そして・・・無意味にする事になるからだ。
黒竜は自国以上の軍隊でさえ撃退する、強大な力を持っている。
卑劣な保身と蔑まれようとも、そんな相手を退治するなど不可能だ。
神主は再び深々と頭を下げると、もう娘を見ないように退室し、巫女達が全員出てから、外から鍵を降ろした。
万が一、逃げ出す事が無いように。
そして、人々の引き上げて行く物音が遠ざかって行き、最後まで残って警備していた忍者達の気配も消えた。
リセを侵略したがっている他国にとって、この貢物の儀式を潰せばそれだけで一国を潰す事になる。
そのため毎年、多かれ少なかれアサッシンが入り込むのだ。
だが、このリセは忍者も侍も優秀であった。
いままで一度も、妨害を成功させた事は無い。
伝説では、忍者と侍の技術を最初に始原の神から伝授されたからと言われているが、定かではない。
ともかく、生贄に捧げられたユキは、開けた正面を見据えて大人しく待っていた。
神殿の3方は石の壁だが、1方だけは開かれているのだ。
そしてその先は切り立った崖。
黒竜は巨大であり、空も飛べるので、なんら問題は無いのだ。
同時に、生贄は逃げる事も不可能。
ふと、絶望した生贄が飛び降りたらどうなるんだろう、と、思ったが。
黒竜にとって、餌が生きているか死んでいるかなどどうでもいい事なのだろう。
となると、生きたままバクッと食べられるのと、飛び降りるのと、どっちが楽な死に方だろうか?
そう考えていると、なお疑問が湧いて来る。
1年もの間、たった人間一人の食事だけで、巨大な竜が満足するのだろうか?
地竜は一食ごとに牛一頭は食べないと満足しないとか聞くのに、もっと強く知性のある巨大な竜が人間一人で満足できるとはとても思えない。
だが、黒竜による被害と言うものも、姿を見たと言う話も、噂でさえ聞かない。
山の中で、恐らく洞窟にでも住んでいるのであろうが・・・どうやって食事をしているのだろうか?
横穴式の洞窟に住んでいるとして、通りかかった野生の馬などが通りかかった瞬間バク?
なんか間抜けだな、と、想像したらおかしくなってクスクス笑った。
そもそも、その餌が自分なのだ。
餌が食べる相手の食事を気にするなど、本当におかしい。
声に出すのもなんとなく憚られ、ユキは笑いを押し殺し、そのためなお、笑いが収まらなかった。
一頻り笑ってやっと収まった頃、不意に暗闇の中に真っ赤な光る点がある事に気が付いた。
神殿内は松明が灯されているが、開けた崖の向こうに当然明かりなど無い。
狩り人が焚火にあたって野営しているのかな、と思いを巡らし、そんな馬鹿なと気が付く。
この季節、この谷に入り込む馬鹿はいない。
黒竜が生贄を求めて現れるのだ。
その姿を一目見ようと入り込む人もいるかもしれないが、わざわざ自分はここにいますと焚火を焚くなど愚の骨頂だ。
自ら進んで餌になりたがっているなら話は別だが。
もしかしたら今日が儀式の日だと知らないのかもしれないし、迷い込んだのかもしれない。
ユキはそう思って、大声で叫んだ。
「あなたたち! 早くそこから立ち去りなさい!! 竜が来るわよ!!」
赤い点は、聞こえないのか消える事は無い。
そして深夜だからか、猛烈に眠くなって来た。
寝ていれば楽に死ねるかもしれないが、あの人達まで巻き添えに出来ない!
ユキは必死になって叫んだ。
だが睡魔は猛烈な力を発揮し、やがて耐えきれなくなってユキは倒れて寝むってしまった。
真っ暗い洞窟の中へ、一人の男が入って来た。
その肩には、まっ白い衣装を着た娘が一人。
男はニヤニヤと笑いながら奥へと進み、やがて神殿に出る。
その歩みは、暗闇の中なのにまったく危なげなところが無い。
暗視の力があるものに違いなかった。
そこはかつて、蛮族の時代に作られた暗黒神の神殿であった。
蛮族は神に生贄を捧げる事で、願いを叶えてもらっていた。
それは迷信でもなんでもなく、実際に生贄の腹を裂き、血の臭いが神殿に充満すると本当に神が降りて来ていたのだ。
そして、多少の知識や物を与え、生贄となった者と共に消え失せる。
神聖な儀式で、生贄に成る事は神に仕える事に成るので、熱心な神官等が選ばれた。
今でこそ邪神と呼ばれるが、実際には信奉するどの神へも同じ事をしていたので、当時は邪神などの区別は無かった。
ともかく、男は神殿の最奥、かつて生贄の腹を裂いた部屋へ娘を運び込むと、まっ平らな石の台の上に横たえた。
そして愛おしそうにその髪を撫で、大きく口を開き。
「臭いのぉ。 鼻が曲がりそうじゃわ。」
男は驚いて顔を上げ、そこにいる女に驚愕した。
腰まである長い銀髪、絶世の美貌、文句のつけようがないスタイル。
そして、この大陸では見る事も無い衣装。
「何者だ? お前も俺の僕になりたいか。」
「僕? そんなもの、先に始末しておいたわ。 わらわは非常に不愉快じゃ。 とっとと消え失せるがよい、薄汚い吸血鬼が。」
「ふざけるな。 ここは我が領域。 出て行くのは貴様だろう。 くらえ!」
男は女を睨み付けると、自信ありげにニヤリと笑った。
カッと男の目が赤く光った瞬間、女はビクンッと身を震わせ、呆然と突っ立つ。
「いや、わざわざ美しい乙女が来てくれたのだ。 是非とも僕に成っていただかねばな。」
男は女に歩み寄ると、髪を後ろに梳き流して首筋を露わにする。
「お前は危険な臭いがする。 一回で僕にしてやろう・・・。」
男は犬歯の尖った口を大きく開くと、女の首筋に被りついた。
そして、驚愕に目を見開く
「吸えるのか? お前の軟な牙で。」
女はガシッと男の頭を掴むと、グイッと眼前に持って来る。
「わらわはアクティース。 我が息子を語り謀るとは言語道断。 死んで詫びろ。」
有無を言わせずクルッと部屋の外を向くと、地獄の業火よりも高熱の火炎を吐き出し、一瞬にして男を蒸発させた。