また次へ
屋内の狭い環境では、互いに獲物を思いっきり振ることはできない。
今いる場所は書斎なのだろう、奥の執務机と壁に並んだ本棚と全体的に落ちついた色の部屋の雰囲気から何となく普段使わない者でも想像ができた。
しかしそこは今通常の使われ方はしていない。
重い金属音と、立ち位置の変わる足音、男女の軽い息遣いがたまに聞こえてくる。
戦い始めてからどれほど経ったか、それほど長い時間は経っていないはずだ。
しかしカリマとガレオスは動きを止めることなくずっと剣を打ち合っている。
たまに依頼人を狙ってフェイントを入れ隙を作ろうとするカリマに対し、それをことごとく防いで斬り返し、力の差を利用してごり押しするガレオス。
両者全く引くことなく、むしろわずかな油断さえ突くような激しい攻撃に激化していた。
「ウフフ、あなた強いわね! すごく楽しい」
だというのに、カリマから溢れる言葉は嘆きではなく賞賛と喜び。
まだ戦える、まだ死なない、もっと、もっとと訴えるように剣を振り抜く。喜びを露わにするように剣速が振るわれる度に上がっていく。
「ちっ、そりゃどうも!」
徐々に速さが増していく攻撃に対応しながらガレオスも速度を速めていく。
もはや素人目には追いつかない速度の攻防に、賭けの対象にされている者たちは動くことも出来ずに両者の決着を見守るしか出来ない。
激しい打ち合いの途中で距離が開き、睨み合う間ができた。その瞬間を狙ってガレオスは背後にある窓の一つをたたき割った。
ガラスの割れる音が響き、外の風が中へと吹き抜ける。
なんのつもりかわからない周囲は割れた窓と割った当人を交互に見つめる。そこにガレオスが声を上げた。
「ご主人よう、悪いがあんたらを守りながらコイツの相手はちぃとキツイわ。場所変えさせてもらうぜ」
「は? 何を言って」
「おいレディ・レッド、もっと広い所でやろうや」
「あら素敵、いいわよ!」
くい、と顎をしゃくって外を指すガレオスに、カリマはにっこりと笑って頷く。
次いでアルトに振り返り、「自分で対処できるでしょ?」と目で語り口では「行ってくるわね」と告げた。
爛々と輝く瞳に気圧されたアルトは頷くしかできなかった。というか止めたら自分の身が危険な気がした。
「どうぞ……」
「ありがと!」
心からの笑みを浮かべてカリマは先に窓から降りたガレオスを追って自らも窓の外へ飛び降りた。
守る対象そっちのけで二人は再び戦いに行ってしまったのだった。
「ちっ、酒代で命賭けるとは思わなかったぜぇ」
「人生何が起こるかわからないものよ、勉強になったでしょ!」
首を狙った突きを交わし、横に逸れた勢いを利用して剣を薙ぐガレオスの攻撃を地面に伏せて避けるカリマ。そこへ追撃を駆けようとする前に飛び退いて距離をつくる。
「ふふふふ、んふふふふ…! 楽しいわあ……」
怪しい光を目に宿して、カリマはうっとりとガレオスを見つめる。
「ち、やめろぃ気色悪……い…」
その眼に変化が起きていることに気づき、ガレオスは目を瞠る。
カリマの瞳は徐々に白に……いや限りなく白に近い灰白色に染まっていっていた。
それと並行してか、カリマのテンションも上がって狂気じみたものが顔を出してきた。
視力を失っているような白い瞳、しかしその中にガレオスは轟轟と燃える炎を視た。
「もっと、もっともっともっと!! 戦いましょう! 斬り合いましょう! 命を削り合いましょう!!! 血をすべて流し、屍に変わるまでっ!!」
やっとわかったカリマの異常性に、ガレオスは戦場での命の危機を感じた感覚と同じものを感じた。
戦場で精神を病んで殺人狂になった者と似て非なる彼女の姿に得も言えぬ恐怖が身の内から湧き出てくる。
あれは異常だ。異常の果ての姿だ。
理性と狂気がバランスを保って、一度タガが外れれば一切の迷いを捨ててそれらを解放して蹂躙する。まるでスイッチを入れた殺戮兵器のような異常性。
歴戦の戦士と言われ、自らもそうと自負していたガレオス自身の観察眼が冷静に分析して彼女の狂気を見つけてしまった。
うっとりと自分を見つめる白い目にガレオスは知らず後退した。
「っ………」
戦場でも漏れたことのない悲鳴が、無意識に口から洩れかけたのを噛み殺す。
ガレオスは自然と生存本能のもとここから逃げる手段を探し始めていた。
まともに相手してはならないと頭に警鐘が鳴るのを感じながら、逃亡までの時間稼ぎに己の獲物を構え直す。
しかし戦意がなくなったその一瞬で勝負は決まってしまっていた。
構えたその時には、気づけばカリマは目の前に迫っており、対抗するために剣をあげた瞬間にはガレオスの背後に移っていた。
何かを切った後のような動作で剣を振り、カリマはそれを鞘へ戻した。
「残念だわ、もう戦意を失くしてしまうなんて……結局本気出せなかったじゃない」
「は………な、に……」
まるで大好物の菓子を食べたりないとばかりに不満げなカリマの呟きにガレオスは振り返えろうとして、己の異変に気付いた。
視界が大きく揺れる。次第に意図せず傾いていく景色に、自身の状態が認識されていく。
斬られた。
意識がそう自覚したのを最後にガレオスは息を引き取った。
ゴ、と鈍い音をさせて地面に落ちた頭がわずかに転がって止まる。
もぼ寂しそうにガレオス(の頭)を見つめるカリマはすでに狂気を引っ込めており、瞳も黒く戻って至って普通の女剣士だ。
「あ~あ、終わっちゃった………戻りましょうかね」
転がる頭にもう目を向けることなく、カリマはさっさと移動した。
驚愕に染まったまま転がったガレオスの表情すらもう確認することはなかった。
「終わったわよ〜」
気の抜けた声で到着を知らせたカリマ。彼女の登場に部屋にいた者たちがそれぞれの声を上げる。
「ばかな! あのガレオスがやられたというのか!?」
「カリマさん、お疲れ」
「ちよーっと意気込んだら終わっちゃったわ〜、本当残念」
「こ、殺されるの…私たち?」
「ひぃっ! こ、殺さないでお願い! お金ならあげるから!」
各々の言葉が飛び交いなかなかにカオスな空間だがカリマはまったく気にせずアルトの隣に戻りガレオスが死んだことを告げた。
そして話は済んだのか問えばまだだと返事が返る。
「はあ? 時間あったでしょ? なんでちっとも進んでないのよ」
「こいつら話を聞かないんだもん、口を開けば命だけは〜とか、財産が〜とか、そんなことしか言わない」
「甘いわね〜。そういう話聞かない相手にはこうするのよ」
言うが早いか、カリマは腰の剣を抜くと周りが何か言う前にそれを投げた。
何をするのか問う前に、剣はドカッと硬質な音を立てて家族が固まっている場所の壁に刺さった。夫婦が不安に寄り添っている顔と顔の間に、丁度分断するように刺さっている。
互いの顔が見えていたところに血濡れの剣が刺さったことに夫婦はもはや悲鳴もあがらない。凍りついた表情は青ざめて、隣で見ていた娘さえ何かの動作をしただけで命が消えるかもしれないという思いを浮かべて震えていた。
「ほら静かになった。ついでに言うからよく聞きなさい、あんた達」
ぎぎ、と錆びた歯車のようにぎこちなく顔を向ける親子にカリマは告げる。
「アルトはあんた達と縁を切りたいんですって。財産も跡継ぎも受ける気ないから放って置けって言いにきたんだから、さっさと頷きなさいな。何も困らないしむしろ好都合でしょう?」
ガクガクと当主が首を縦に振る。
疑心暗鬼に思っていたその言葉に今ははっきりと信じることができた。いや、信じなければ命が危ない。
「ほらアルト、頷いたわよ」
「……うん」
横暴すぎるやり方にドン引きするアルトだが、了承を得たので何も言わずに流した。
そんな反応にも構わずカリマは何か手続きでもいるのか尋ね、それにどもりながら当主は答えていく。
貴族らしい、面倒に思える手続きをアルトは教わりながらこなし、書類に名前を書いたり再度意思表示して確認されたりして完全に一家も縁を切ることに成功した。
やっと終わったころには当主一家は魂が抜けたようにへたり込んでいた。カリマが途中途中で素振りをしたり「早く終わらないかな~、手際が悪いのかな~?」と大きな独り言を呟いてはビクビクさせていたので解放された安堵に脱力しているのだろう。
うっとおしいと思っていた当主一家に、今だけは同情が湧いたアルトだった。
「さ、これで憂いはなくなったわね。頼みはこれで終わったわけだし、あたしは行くわねー」
「え? 師匠のところ行かないの?」
「行ってもいいけど、さっきの男との戦いが消化不良だから会ったら勝負仕掛けちゃいそうで」
「じゃあねカリマさん、元気で!」
せっかく生き延びたのに大好きな人をまた戦わせてなるものかとアルトは即座にその場での別れに同意した。
その反応に悲しむでもなくカリマはニコリと美しい笑みを浮かべる。
「ええ、二人も元気で。彼女がさらに強くなっていることを願うわ」
「それはちょっと……」
返答に困る言葉に上げた手が下がる。
アルトの反応に笑ってからカリマは背を向けて歩きだした。
アルトに言った理由もそうだが、カリマからしたらもうアルトたちのその後など興味はない。二人が結ばれようとそうでなかろうとどうでもいい。なのでさっさと本来の目的に戻りたい。
一段落ついたのだから、また強い相手を探す旅を再開するのだ。まだまだまだまだカリマは戦い足りないのだから。
「さあ、次はどこに行こうかしら。どこかにいないかな、あたしを殺せる相手♫」
次こそはと意気込み、自分と対することのできる相手をカリマは探し続ける。自分を切り刻み、渾身の力でもって対抗できる相手を。
その願いが叶うまで、彼女は彷徨い続けるのだ。
完。
この話はここで完結とします。
読んでくださってありがとうございました。
他の作品も書いていきますが、書いていて思うことは「神様、文才を下さい」ですね、はい。