強者を求める
「……あれがノルテ山か…」
北風が吹き荒び、一面白い雪が草木を覆う丘の上でカリマはやっと目的の山を見つけた。
ハッカの町から情報をもらった翌日に出発し、北を目指してひと月ほどで到着したノルテ山のふもと。そこから一番近かった村にカリマはまず訪れた。
貧しくはないが華やかでもない殺風景な村は、カリマが入って来た途端にがらりと空気が変わった。
それまで穏やかだった雰囲気は一転し、敵でも見るような目つきで通行人たちは遠巻きにカリマを睨んだ。
普通ならそんな様子に耐えかねて一刻も早く村を出ようとするものだが、気にしないカリマはキョロキョロと見回して、目的の人物がいないか探す。
「う~ん…それらしい気配も人もいないか。ここは外れかしらね」
広くもない村を早足であっという間に見終えて、そんなひとりごとを呟く。
人に尋ねたりもしたのだが、知らぬ存ぜぬの一点張りだったので話にならなかった。
一応気になったところだけもう一度探して注意深くみるが、結局それらしい人はいなかった。一つ目はハズレだ。
宿もとらず、早々にカリマは村を出た。
二つ目にたどり着いた場所は街だった。
北の中心街と呼ばれるノルドゥスの街で、一人で探すには面倒な広さなのでカリマは情報を集めた。
結果、ここにも目的の人物はいなさそうだった。
ただ大きな買い物のときに何度かそれらしき人物が来ているという情報を入手し、そこから詳しく聞き込んで詳細を探った。
こういう時に、手配書の便利さと煩わしさがわかる。
賞金額に怯えてスラスラと答えるやつもいれば、通報して「お前なんかに情報を渡すか!」と、正義感たっぷりに追い返される時が何度もある。
教えてくれる人は簡単でいいのだが、通報されると面倒臭くなるのでカリマはタキアのところ以外は情報屋はあまり使いたいとは思わない。
が、情報がなければどうしようもないときはちゃんと使う。
ちなみに通報された際は、捕まえようとしてくる警備団の一員が捕縛しにかかってくるのを交わして逃げている。彼らは仕事でこちらを追っているので挑んでいることにはならない、なのでなるべくは殺さないようにしている。殺人狂ではないのでそれくらいの気は回すのだ。
いくつか回った中で、一番確実性があった情報を吟味し、カリマは警備団から逃げ切ったあとに宿で翌日に備えた。
情報を活かして辿り着いた3つ目はまた村だった。
一つ目よりは大きいが、見ただけで活気がないのがわかるほど暗い雰囲気の村だった。
これはまたハズレか?とあまり期待しないで探したら、なんと最初に話しかけた男性から「ああ、そいつらならこの先の山の中で暮らしてるよ」という予想外な言葉が出たことで一気にテンションが上がった。
雪深い山道の寒さと歩きにくいことったらないが、それでも強者と戦えるという彼女にとっての甘い誘惑にかられて、カリマは進む。
「あ~、さぶ! あ~~、寒いっ!」
体を震わせて風の寒さに愚痴りながら教えられた通りに道を進んで、三時間ほど経過したあたりで建物を見つけた。
「あれか」
小さめの丸太小屋がひとつだけ建っている場所を見つけ、あれこそがそうだろうと確信を得る。
カリマは体温保持のために少量だけ酒を含み、防寒着や荷物を一か所に放った。特殊な攻撃手段でもなければ勝負前に酒を含むなど悪手でしかないのだが彼女はかまわず飲んだ。
腰に下げている剣の塚に手を当て、深く吸った息を吐き出す。
その場に直立したまま、カリマは小屋を見つめる。
「さて、まずは確かめますか」
舌なめずりでもしそうなにやけた表情とは逆に、彼女の雰囲気はどんどん冷酷で獰猛なものになる。
すぐ隣に死が迫っているような錯覚を起こさせる殺気を、カリマは丸太小屋へ向けて放った。
―――バンッ!
「誰だっ!」
気づいたらしい人物が勢いよくドアから飛び出してきた。
若い青年だった。格闘技の構えであたりを見回し、カリマに気づいてからはそちらに向けて威嚇してきた。
その反応にカリマはふむ…と考える。
(あの殺気を捉えた時点で確実に場数は踏んでいるわね。噂事態は本当なのかも? それならそれで嬉しいけど、でもあたしの相手にはちょっとな~…。いや、軽くならいけそうか?)
弱い者は殺気が向けられても気づかない者は気づかない。殺気すら感じ取れないような輩はカリマにとって戦う価値がない、戦士として生きている者には屈辱な弱者という立場に捉えられる。
しかし青年はしっかりと感じ取り飛び出してきた。カリマの中の合格ラインを超えた相手に少し期待を寄せる。
見た目の若さと印象から、この青年が雪崩を停めたなんていう話の対象だろうと判断できた。
だったら実力を知りたくて、寒さなど感じさせずにじっとこちらを窺っている青年にカリマは話しかけた。
「すいませ~ん。ここに住んでるすごい力の人ってあなた~?」
そんな問いかけに、青年はなんだこいつという表情をした。
当然だ。殺気を向けられたと思ったらそんな質問をしてくるのだから。
無反応な青年に、カリマは首をかしげる。無言でこちらを睨む青年にもう一度叫んだ。
「もしも~し、聞こえてる~? あたし強い人がここにいるって聞いて来たんだけどー、キミ知ってる~?」
「っ! ち、近づくな! 攻撃するぞ!」
体勢を変えるために一歩踏み出したカリマに、青年はビクリと反応をみせて声を荒げた。
何だ返事できるじゃん、と思うと同時に、このくらいでビビらないでほしいと思うカリマ。
先ほど死を想像させるほどの殺気を放っておいてビビるなとはずいぶん勝手な言いざまだが、他人をあまり気遣わないカリマにはそんな考えはない。
(これ、わからせたほうが早そうね)
切迫した青年の空気にこれはまともに会話できないなと早々にカリマは諦め、どうするのかといえば青年と向き合う形で剣を構えた。つまりは戦って言うこと聞かそうという単純な考えだ。
その動作に青年も身を低くして迎え撃つ姿勢を見せる。それが相手へ警戒ではなく、期待を持たせるとも思わずに集中力を高めていつでも来いといった空気をまとわせる。
(いいねえ、軽く一発なら耐え切れそう。遊んじゃおっかな)
カリマにとっては本気で相手するほどの強者ではないとすでにわかっている、しかし迎え撃とうというその姿勢を評価して少しだけ相手してもらうことに決めた。
そうなると彼女の行動は早い。
さっきまで騒いでいた風の冷たさも、積もった雪の歩きにくさも忘れ、かがんだ足に力を入れて踏み込んだカリマはその身を弾丸のごとく前へと跳ばした。
「っ、の…!」
一切の小細工ない正面からの突撃に青年は一瞬呆気にとられたがすぐに切り替えてカリマを待ち構えた。
(甘い)
そんな青年の対応に余裕で感想を脳内で呟きながら、カリマは突っ込んだその衝撃をいともたやすく消して、青年の数歩先で真上へと跳躍した。
「なっ…!?」
消えたようにしか見えなかった青年は驚きで固まってしまう。その間に背後に回って着地し、カリマは青年の首筋に剣を当てた。
青年はそこでやっと背後に回られたことを知る。
「はい、あたしの勝ち。ってことでさっきの質問に答えてね、青年」
冷や汗をかいて固唾を飲んでいる青年へ、とん、と軽く剣で肩を叩いて終了を告げる。
途端青年は膝を追って荒い呼吸を繰り返した。命を覚悟したあとの安堵で力が抜けてしまったのだろう。まだまだ未熟者だとわかる。
四つん這いになったまま、青年はカリマへ顔を向けた。
「あ、んた……何者? 死ぬかと思った………」
「答えてもいいけど、まずこっちの質問に答えてよ。どうなの?」
呼吸を落ち着けた青年はボソッと「いるよ」と答えた。
「たった今弱いやつになったけどな」
「ってことはキミが噂の雪崩ストッパー?」
「なにその呼び方!?」
「もう一人いるんでしょ? その人は?」
会う前に情報屋から二人いることも聞いていると教えて、もう一人の所在を周囲を見回しながら尋ねるカリマ。もはや青年には興味が失せて見向きもしない。
たった今自分の力じゃ倒せないと知った青年は悔しそうにしながら答えた。
「今、夕飯用の獲物探しに行ってるんだよ。俺は留守番」
「そうなの。いつごろ帰ってくる? そっちに用があるのよ」
「なに、あの人の知り合い? さっき出たばかりだから暫く帰ってこないと思うよ。どういう用事?」
青年は意外にも命を奪われそうになった相手に怯えることもなくスラスラと会話を続けた。気さくに用件を尋ねるあたり、神経が図太いらしい。
物怖じしない青年にカリマは気をよくして、にっこりと答えてやった。
「戦いたいの。今みたいに」
「は?」
ポカンとした青年にはて、何かおかしなこと言ったかしらとカリマも首を傾げる。
「戦うって、あの人と?」
「そうよ。強いんでしょう? 噂になってるわ。だから戦ってみたくて来ちゃった」
カリマが茶目っ気たっぷりに笑うと、女慣れしていないのか美女の笑みに顔を赤くして目を逸らす青年。可愛い反応にカリマはアハハとさらに笑う。
自分の反応にも恥ずかしくなった青年は話題を変えるために口を開いた。
「なら待ってる間中に居れば? 突っ立たせておくのも悪いし」
「あらいいの? ありがとう、お酒の効果もいつまでもないから助かるわ」
「え、酒飲んでたの? それであれなの!?」
「少量じゃ酔わないもの。体温上げるにはもってこいでしょ」
初対面の二人は互いに知り合いだったように話し続け、青年の家に入っていった。さっきの勝負などなかったことのように和気あいあいと話し続ける。傍から見たら異常な光景だ。しかし二人はまったく気にしていない。
青年は棚からカップと茶葉を取り出し、お湯を注いで二人分作って囲炉裏の前で温まっているカリマに渡した。
ありがたく受け取ったカリマは一口すすり、身に染みる温かさに心地よくなる。
「ありがとう~。あなた変わってるわねえ、殺そうとした相手を招いてお茶までくれるなんて」
礼のあとにズバッと切り込めば、青年はなんら表情を変えることなく答えた。
「殺されなかったし。あの人のこと目的みたいだからそばで見張っておこうかと思って」
「へ?」
言われたことに驚いてカリマは一瞬呆け面になる、が、その次には笑いだした。
「アッハッハッ! それあたしの前で言っちゃうんだ。本当変わった子」
「こそこそするの苦手だから。最初に言っとくと反応で本音が読めるし」
「へえ……」
意外と考えて行動しているのだなと感心し、カリマはこの不思議な青年に興味がわいた。
夕飯の材料を狩っている最中に勝負を挑んだところで集中力が乱れていい勝負にはならないだろうし、青年を気に入ってきたので、待ち時間の間雑談でもしていようと決めた。
「君、名前は?」
「なんで?」
「待っている間退屈だし、君と話そうかと思って。自己紹介は仲良くなる必需品でしょ」
「………まあ、いいけど。アルト」
「そう、私はカリマよ。よろしく。ねえアルト、あなたと一緒に住んでる人は強いの?」
「強いよ」
「どれくらい?」
「………、あんたくらい」
その一言で、カリマの気分は一気に明るいほうへ傾いた。
「そっかあ、あたしくらいかあ~。じゃあ楽しみねぇ~」
「………………。」
にこにこと到着を待つ彼女に、アルトは信じられないといった目でカリマを見る。
「本当に戦うためだけに来たの?」
「ええ、そうよ。なにか?」
「いや、なんでもない」
なにか含んだ疑問にカリマは不思議がるが、それ以上聞かれなかったので気にしなかった。
その後もあたりさわりのない会話をして待ち時間をつぶしていき、いよいよ目的の人物が戻ってきた。
不意に立ち上がったアルトが、玄関扉を開けて外を見始めた。
それが合図だったのかすぐに一人入ってきて「ただいまー」と間延びした声と防寒着のあちこちに食べ物をぶらさげた毛玉のようなものが入ってきた。
「あれあれ、お客さん? アルトが家に入れるなんて珍しいー」
「あんたに用があるって。待ってもらってた」
「あら、ごめんなさいね。夕飯の調達してたものだから」
毛玉から聞こえるのは低めだが高い女の声。カリマと同じく女性のようだ。
いろいろくくりつけていた枝と稿蓑を床へ落として防寒着と帽子を脱ぐと、女性の顔が現われた。
もとはきれいだったのだろう顔立ちは健康そうな肌に似合わない切り傷やえぐれたような跡が、顔と首元までだけで十数個見受けられたことで帳消しのようになっている。
身長はカリマより高く、一七〇センチメートルはありそうだ。バランスのとれた引き締まった体が鍛えていることを証明している。
つややかな黒髪は後ろでまとめて前へ流し胸のあたりまで垂れている、同じく黒い瞳は力強い人のそれだ。そして脱いだ服の下から見えた腕や手にも傷はあった。
女としては醜いと差別されてしまうだろう姿だが、しかし当の彼女は全く暗さを見せていなかった。
母親のようにふわりとした雰囲気が漂った優しげな印象だ。傷さえなければどこかの家で夫婦にでもなって子育てにいそしんでいるような雰囲気。
しかしカリマはその中にしっかり戦士としての姿も見た。いったいどれだけ戦えるのか密かにわくわくする。体が疼く、早く戦いたいと。
「あたしはそこのアルトと暮らしてるフィルナムってんだけど、あなたはどちら様?」
笑顔を浮かべて訊ねてくるが、その眼が警戒しているのをカリマは見逃さない。警戒されたところで関係ないとも思うが。
居住いを正してカリマは自己紹介と要望を伝える。
「カリマ・ツィオーネと言います、初めまして。さっそくだけどあなた、強いのでしょう? あたしと戦ってくれないかしら!」
「は?」
「…本当に言った………」
にっこりと笑う美女、呆けた女、それを見て関心を露にする青年。
それぞれの反応がみられるなか、最初に口を開いたのは傷の女。
「え、ちょっとアルト、なにこの人!?」
「さっき来た。あんたと戦いたいんだって」
カリマに背を向けて二人でヒソヒソと話し合う。カリマはただ返事を待った。
「いや、聞いたけど……え、本当にそれだけの理由で来たっての?」
「みたい。俺の質問にさっさと答えるし、本音で本心だよ、あれ」
「そんな理由でこんなところに………すごい人っているんだね……」
「あっちからしたらあんたもその一人だよ」
「うるさい」
その後もしばらく話し合い、やっとカリマに向き直ったフィルナムは咳ばらいをひとつして話しかけた。
「えーと、カリマさん。申し訳ないんだけど戦うのは………」
「断るならはっきりどうぞ。そのかわり今すぐ斬りかかるから覚悟はしてね」
「え?」
「断る? 受ける? というか受けてもらうわ」
矢継ぎ早な要求にアルトとフィルナムは押され気味になる。
「ちょ、ちょっと待て! 嫌だって言ってんだよこっちは!」
「そう。じゃああたしから攻めるから対応頑張ってちょうだいね」
「ま………!!」
待て、と言葉にする時間ももらえず、アルトは突き飛ばされた。
背中に固い衝撃が走ったころには、隣で金属同士がぶつかった重く高い音が発生していた。
耳障りな音の発生源では、フィルナムが鎌のような――というか狩りに使っていた鎌でカリマの一撃を受け止めていた。
「やった! 初激で死ななかったから続けられるわねっ!」
自分の攻撃を受け止められたというのにカリマはキラキラと瞳を輝かせ、ますます喜んで次の攻撃を考える。
対してフィルナムの方は忌々しいとばかりに顔を歪めた。
「問答無用なら、最初からそう言いなさいっての……っ」
「あら違うわ。了承をもらって快く始められたら死んだとしてもその後の憂いがないでしょ? だから確認しただけよ。断ったら戦らないなんて言ってないじゃない」
ギチギチと刃を唸らせ均衡する力比べの最中、二人はそんな会話を交わす。
思い違いをしていたようだと思い知らされたフィルナムはカリマの剣を弾いて距離をとった。青年の隣に並んで直立し、片手を前に出して「質問」と問いかけた。
「なあに?」
それに律儀にカリマは返事した。本気で戦ってほしいので気になることがあるなら最初に解決してしまった方がいいと。
「あなたと戦って私が死んでしまった場合、この子が次の標的になるのかしら? 本当の目的はなんだい?」
どうやら青年を気遣っているらしく、自分の死後の場合を知りたかったようだ。
カリマは首を振る。
「いいえ。さっき少し戦ったけど張り合えるほどじゃないってわかったから、あなたとの勝負が終わればそれで終わり。去るわ。あたしは戦いたいだけだもの。彼とは戦わない」
「そう……。ならいいわ、受けようじゃない」
カリマの言葉に嘘がないとわかったのか、どこかほっとした様子でフィルナムは了承した。
「ちょ、フィルっ!?」
あっさりうなずいたフィルナムの隣でぎょっとするアルト。そんな彼にフィルナムは目も向けず離れているようにとだけ告げてカリマと睨みあった。
「外へ行きましょう、家の中をめちゃくちゃにはしたくないからね」
「いいわよ」
アルトを残して二人は外へ駆け出し、そこから戦闘は始まった。