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数週間を移動に使って、カリマはハッカというひとつの町に降り立った。
そこで宿をとることも考えず、カリマは町の一角に見つけたバーに入った。
町が小さい割には無骨で大きな店構えのバーは、中に入ると日はまだ高いのに破落戸やいかにも犯罪者のような面構えの者がテーブルやカウンターにわらわらと居た。
一瞬カリマに目を向けた者たちがいたが、何かをするわけでもなく、むしろ彼女の姿を把握したとたん怯えた様子ですぐに無視した。
カリマはそんな室内の様子に一切気にすることなく、カウンターのマスターのもとへ近づいた。
どっかりと座ってカウンターに肘をつき、不敵な笑みでマスターに向き合う。その時点で近くにいた人はみんな二人から慌てて離れていった。
「久しぶり、マスター。元気してた?」
邪魔の入らない会話にカリマは気安く声を掛ける。
そのにかっとした笑顔に、マスターは大きくため息を吐いてから返した。
「カリマ、お前もまだ生きてるみたいだな」
「アハハッ、そうだね。またハズレだったから」
「お前の願いが叶うころには周りはおっ死んでるよ。いっそ空想の怪物でも探して戦ってこい」
「いるかわからないのに探すとか無駄じゃん、魔物と呼ばれたものを狩ったことはあるけど」
「お前の可愛げねえ強さが活かせるのなんてそれくらいだろうがよ。あとは天に昇って神様にでも挑んで来い」
「酷~い、それ死ねってことじゃん」
「お望みだろ?」
言われようにしょげたふりをするが、こんなことで傷つくやつじゃないとお見通しのマスターは何も言わずにグラスを磨く。
ここ、”バー・タキア”はカリマ行きつけの酒場だ。定石だが情報屋も兼用しているので情報料を払えばいろんなことを教えてもらえる。ただし内容によってはマスターに気に入られる必要があるが。
ここに入り浸っている者たちは基本彼の護衛か、情報を得るために気に入られようと機会を伺っている者たちか、ただ美味しい酒を飲みに来ている客だ。いずれも信頼が置けるとマスター自身が思った人たちだけなのでよくあるごろつきたちの喧嘩なんかも起きない。客からしてみればありがたい場所だ。
マスターのタキアは中年の割には引き締まった体とハンサムな顔をしている。浅黒い肌に、ターコイズのような青い瞳は手の内をのぞかれるような鋭さがあり、実力者なら一目で只者ではないことが窺える。整髪剤で撫でつけて整えた黒髪のオールバックだけは唯一カリマがタキアに対して嫌いな要素だ。
彼もかなりの実力者なのだが、夢だった酒場を経営するだけの資金が溜まったことであっさりと輝かしい戦士としての歴史を捨てて今に至っているという経歴がある。
強者を求めているカリマとしては自分と対等に戦えそうだった彼が戦わなくなったのは悲しかったが、その分情報屋として協力してくれているため助かっている。
もとの実力とコネのおかげで店に強盗が押し入ったり、土地が欲しい豪商とかが押し通してきても本人の力とカリマ含めた常連たちのフォローで難を逃れて今まで経営は順調に続いている。
似合わないエプロンを腰に巻いて彼は毎日ここで情報収集と接客をこなす。
そんな店で一番長い付き合いで、鼻を効かせているのがカリマだ。
古い付き合いなのもあり、実力・度胸・その他まったく問題ない彼女はマスターから信頼を得ており、ついでに厄介者扱いもされている。
彼女が自分の店に来る目的などわかりきっているタキアは背後の棚から彼女が好きな酒を選び、グラスに注いで出してやる。
「今回も期待外れだったのは毎度のこととして、なんで戻ってきた? 目的地から考えたらここに来るまでに情報屋なんていくらでもあっただろう」
「その情報屋に騙されたから寄りたくなくなったのお~。質が悪いにもほどがあるわよ、なにが「最凶最悪のザンジ」よ、呼び名がもったいないくらい激弱な猿野郎だったわ。上っ面だけ見て勝手に盛ってくるし!」
出された酒をぐいと飲み干し、カリマは愚痴をこぼす。
タキアもなれたもので決まった相槌をうつ。
「お前からしてみりゃほとんどがそうだろ。見てなくても勝負挑まれるほうが可哀想に思う」
「なんで!? 強いやつは強いやつと戦うから強くなるんでしょ! 身分立場関係なく、強いやつは挑み挑まれて死ぬまで戦うものでしょうっ」
「んな考え方お前くらいだ。だからこんな張り紙いつまでも出るんだよ」
バサッ、とタキアは数枚の紙束をカリマに見せた。
一枚目を視界にいれた瞬時にカリマは内容を把握する。
「ああ、いつものね。あー、また額増えてるわねえ。これやめてくれないかなぁ、弱いやつ相手にするの面倒くさい」
「そのスタイルを貫き通すなら誰もやめないだろうな」
タキアが見せた紙は犯罪者の顔写真と討伐報酬金額が載った、いわゆる指名手配された賞金首の張り紙だ。そこにカリマの名前と顔もばっちり入っていた。
【カリマ・ツィオーネ。 罪状:大量殺人。 通称紅い女】
顔写真の下にはそんなことが書いてあり、一番下にはでかでかと3に続いて0の数が異様に多い報奨金額が書かれていた。
「三百万トルクねえ~。今殺せればこの店ももっとでかくできるんだろうなぁ」
「お、やる? あんたとなら喜んで挑まれるわよ。ブランクはあるだろうけどいいとこまで行きそうだし、あたしも楽しいし。負かしても殺したりしないよ?」
きれいな顔を喜色満面にして、その辺の男なら簡単に籠絡してしまえそうな笑顔でにこりとタキアに笑いかける。
タキアは笑顔に赤面することなく、むしろ筋肉質な背筋を震わせて脂汗をたっぷりかいて首を左右に振った。
「絶対嫌だっ! …冗談でも言うんじゃなかったぜ。こっちから願い下げだ。誰が負け確実な化け物と好き好んで戦うか」
「ちぇっ、ちょっと期待したのに…」
残念そうに唇を尖らせるカリマ。
久しぶりに燃える戦闘が出来るとワクワクしていたのだ。
カリマは戦闘に対して異常な喜びをもっている。
人を殺すことへの喜びとも、強さを得る喜びとも違う。
彼女は戦闘自体が好きだった。
文字通り血湧き肉踊る、互いの命が死で分かたれるその時まで戦って、戦って戦って戦い続けて、永遠にその時間が続けばいいと思うような異常な思考をしていた。
強くなりたいと願ったのも、より強者となれば体力・筋力・精神力も上がり、対等の者と長い間戦うことができると思っているからだ。
自分より強いと感じた人に弟子入りして、技術を学び、力を手にいれ、より強くなって挑むことを繰り返して、彼女は今の強さを手に入れた。
あちこちを旅して、自分より強い人を探し当てては勝負を挑み、満足のいくまで戦った。
勝って、負けて、また強くなって挑んで、勝って………、そんな人生を生きていた。
しかしそんな彼女の生き方を良しと思わない者もいる。
というより、思わない者がほとんどだ。指名手配がそれを物語っている。
カリマは世の中の善悪で分けるなら、悪人の枠に入っている。
カリマは戦闘が大好きだ。でもそれ以外には興味がさしてない。
したがって、勝負を挑んだ相手、または挑んできた相手にどんな事情があろうと彼女は気にしない。気にならない。親しい間柄でなければ、自分が満足して戦えればそれでかまわないと思っている。
たとえ貧しい家族のために無謀に挑んできた少年であろうと、野宿中に襲ってきたクズ夜盗だろうと、彼女は相手を気にしない。
挑まれれば最後、善人だろうが悪人だろうが、相手の命を取るまでその手を止めることはない。
それが彼女の戦いのルールであり、挑んできた者たちへの礼儀だと決めているから。
心優しい息子を無残に殺した悪女と恨まれても、村人を困らせていた夜盗を屠った恩人だとありがたがられても、結果など知ったこっちゃない彼女は一切気にしないのだ。
カリマが殺さない対象は、付き合いが長い知り合いか、初対面のどうでもいい輩か、彼女自身が勝負を挑んだ相手のいずれかだ。
カリマは自分にルールを設けていて、それを基準に動く。
その一つとして、自分が挑んだ相手は勝負が決まった時点で生きているのならば殺すことはしないと決めている。
べつにカリマは殺すことを目的にはしてないので、勝ち負けがはっきりした時点で(たとえ続けたくても)勝負は終わらせる。自分のわがままに相手を巻き込んでいることは承知しているから。
つまりは世の理通り、強い者が生き残れるのだ。
善悪を超えて戦闘にのみ執着する彼女に挑んだ者たちのなれの果てを見た人たちはカリマを恐怖し、「全身を返り血に染める真っ赤な女」ということでカリマを『紅い女』と呼ぶようになった。
そんな呼び名で恐れられてるなんてつい最近まで知らなかったカリマは、どおりで賞金目当てのやつばかり来るわけだと納得した。
「もとからけっこうな額だったから賞金目当てで立ち向かってくるやつはいたけど、そういうのってみんな似たような雑魚ばっかだから、相手しててつまんないのよねぇ。ね、本当に狙ってこない?」
「嫌だ。抵抗なく差し出すなら考える」
「それあたし戦えない」
「俺は戦いたくない」
「ちぇ…じゃあもういいわよ」
顔は美人だから不機嫌な表情もかわいらしく見えるのに、中身を知ってるがためにまったく可愛いと思わないタキア。それよりも戦闘を避けられたことに心の底から安堵する。
そんないつもの雑談混じりにお報せを貰ったカリマは、本題だとばかりにいきなりカウンターに硬貨が詰まった袋をドサリと置いた。
その対応にも慣れているタキアは遠慮なく袋を受け取り、中を確認する。
ざっと中の金額を計算して、自分の持っているどの情報を渡そうかと考える。
「……こっから北に向かったところにノルテ山ってのがある。そこの近くにいくつか村や町があるんだが、そのうちのどこかに強い奴が移り住んだらしい。聞いた話じゃ山賊や猛獣はあっという間に倒しちまうとさ、嘘か本当か、町を飲み込むほどの雪崩を身一つで止めたなんて話もある」
「それじゃあどこにでもあるほら話じゃない」
別段珍しくもない。村や町の英雄なんて話はあっちこっちで聞く。そんな小さい規模の強者の話は期待外れしかないので聞くまでもなくホラだと彼女は決めつけている。
のだが、続いた言葉でカリマの耳は集中した。
「そんな男を育てた人が、そいつと一緒に暮らしてるんだとさ。まだわりと若い人物らしいから、挑めば相手してくれるんじゃないか?」
「…なるほど。教え子じゃなくて師匠的立場の人ね。わかってるじゃないタキア! あんたのそういう気遣い本当ありがたいっ!」
「なるべくお前の被害者を減らせるようにこっちだって考えてるんだよ。教える度に死人が出てると確信してるのに教えてる俺のストレスわかるか!?」
「全然わかんない。よし、じゃあ次はノルテ山ね。強い人だったらいいなあ~」
タキアの懇親の悲しみを、カリマはばっさりと切って捨てた。
有力情報に瞳を蘭蘭と輝かせるカリマ。
逆にタキアは腹をさすって胃痛に耐える。
情報を伝えることで相手を死に至らしめる可能性は情報屋として常に覚悟しているが、カリマほど教えた相手をまず間違いなく亡き者にする人物は対面していて胃が痛くなる。
彼女は悪人ではないが(絶対に)善人でもない、自分の目的のためには善悪を問わない人間だ。
国一番の正義の騎士であろうと、おとぎ話の世界を滅ぼす魔王であろうと、強いのなら迷わず挑み行くのがカリマだ。
訪れるたび情報を渡した相手を殺したと伝えられていれば、気の弱い者なら教えた数の罪悪感で発狂していることだろう。
なのに教え続けているタキアもまた、情報屋としてのプロであり、一般人からみれば異常なのだ。
ぐい、とグラスの中の最後の一口を飲み干して、カリマは教えられた情報をしっかりと頭に刻む。次こそ楽しい戦いができたらいいなと思いながら。
そうして視線は棚に並んだ酒に行き、ひとつを指差し「次はあれ頂戴っ」と指名してはボトルを何本も開け、タキアの作ったおつまみ片手にカリマは心行くまでバーで酒を楽しみ、翌日からの(誰も望まない)英気を養った。