Beginning-1-
青年、『楠 太陽』の目覚めはいつも最悪だった。
なぜならこの五年間、床についてから朝起きるまでは決まって同じ悪夢にうなされていたからだ。
念願だったデュエルアリーナのトップランカーに上がったあの日、彼はたった一人の幼馴染を助けることができなかった。天国と地獄、自分にとっての最大の幸福と最大の不幸がいっぺんに襲ってきたのだ。
以来、彼はあれほど真剣だったアリーナを引退し、今ではフリーターとして働きながら東京ではめっきり珍しくなった古式のボロアパートで細々と暮らしていた。
彼には物心ついた時から両親というものはおらず、幼い時は孤児院、所謂『児童養護施設』で生活していた。無論、それは彼にとって特段気にすることでもなく、然程思うこともない。
ただ、もし自分が普通の家に生まれ、一般人にとってごく普通の暮らしを送ってきたのなら今頃、どうなっていたのだろう。その場合、アリスと出会うこともなく、こんな思いをすることもなかったのではないか。そんな考えを起き抜けの頭で考えるのが彼の日常であった。
汗ばんだTシャツを床に脱ぎ捨て、肩まで伸びた長髪を掻き上げながらベッドから降りると、汗で不快な身体を綺麗にするべくシャワールームへと向かった。
アリスとの出会いは彼がまだ児童養護施設『月光館』で暮らしていた頃だった。
当時の月光館に暮らす子供達(特に男子)の間ではデュエルアリーナトップランカー『レオンハート』が絶対のヒーローであった。
彼の愛機、『ゴールドレオンX』……全身金色にペイントされ、胸にはライオンをあしらった特に意味のない装飾が施されたそのアサルトナイトは、一度見た子供達の心を捉えて離さなかった。
また、アリーナという殺伐とした闘技場の中でとびきり観客を沸かすその戦い方は正に超一流のエンターテイナーであり、ご多分に漏れず太陽自身も彼のファンだった。
ある日、月光館の館長の計らいでそんなレオンハートの戦いをアリーナで直に観に行くことになった。
試合開始十分前、試合が始まるのを今か今かと待っている中、ふと会場の隅で一人の女の子が蹲りながら泣いているのを見つけたのだ。
「どうしたの?どこか痛いの?」
トイレに行くと嘘をついて席を離れた太陽がその子に駆け寄って声を掛ける。
「うぅ……パパと、はぐれちゃったの……」
泣きじゃくりながらか細い声でそう告げる金髪の少女。
あの日彼女がつけていた赤いカチューシャは今でも鮮明に覚えている。
「迷子になったの?」
「うん……」
「じゃあオレが一緒に探してあげるよ!」
会場の喧騒に負けないように目一杯力強く答える。
「ほんと……?」
「うん!オレ太陽!君の名前は?」
うずくまる彼女に手を差し伸べる。アリスは涙で濡れた手をワンピースで拭いながら彼の手を掴んだ。
「アリス……中条、アリス……」
「行こう、アリス!」
「……うん!」
その時、初めて彼女の笑顔を見た。
結論から言うと彼らがアリスの父親を見つけることはできなかった。
普通迷子やその父親が何かしらの会場で真っ先に向かう場所といえば迷子センターである。しかし、太陽達はその工程をすっ飛ばして何故か会場外を探し回ったのだ。
憧れだったレオンハートの戦いはついぞ観ることはできなかったが、それでも太陽とってアリスと他愛の無い会話をしながら彼女の父親を探すその時間はそれなりに楽しい時間であった。
結局夕方まで探し回った挙げ句、外では見つけられず一度アリーナに戻ろうとした時に会場の入口でスタッフに保護された。
その後、迷子センターで無事に二人の保護者に引き渡され、アリスは父親に、太陽は館長にこっぴどく叱られたのであった。
「太陽君、娘が迷惑をかけたね。本当に申し訳ない」
アリスの父親が太陽に謝る。アリスの方を見るとどうやら館長もアリスに対して同じようなことをしていた。
「ごめんなさい……オレが外に探しに行こうって言ったから……」
「いやいや、娘をちゃんと見ていなかった僕にも責任がある。それに、結果的には二人とも無事だったんだ。本当に良かったよ、館長さんにも迷惑をかけてしまった。」
「それより、ここで出会ったのもなにかの縁だ。良かったら、またアリスと遊んであげてもらえないだろうか?」
「いいの……?」
「もちろんだとも。僕は天草製薬という会社をやっていてね、困ったことがあったら研究所まで来るといい。アリスの友達なら大歓迎だ、僕の名前は──」
クローゼットからいつもの黒いジャケットを取り出し、それを羽織いながら玄関へと向かう。
靴を履きながら視線を上に向け、飾ってある1枚の写真を見る。かつて、研究所でアリス達と一緒に撮った記念写真、俺がアリーナデビューを果たした時のものだ。
アリスの隣で穏やかに微笑む男を見て、自然と拳を握りしめる。
「中条 紘一……、俺はあんたを許さない」
吐き捨てるようにそう呟き、家を出た。