全てが終わった日
少年は走った。
まだ肌寒さが残る4月、空には満天の星空が広がる満月の夜。
少年は走った。
街路樹の桜が風に乗って吹き上がり、ひらひらと宙を舞い落ちる。
少年は走り続けた。
脳裏に浮かぶのはつい今朝まで会話をしていた少女の後ろ姿。
いつも高校へと向かって金色のロングヘアを靡かせながら前を歩く幼馴染の姿。
街道を行き交う人々を押しのけ、ただただ駆ける。一分一秒でも早く、全ては助けを求めてきた彼女の為に。
ああ、こんなことならあの時ちゃんと返事を返してやるべきだったなぁ。
少年はその幼馴染から特別な好意を持たれていることを、幼い時から薄々とは感じていた。
それでもお互いに積極的な性格ではなかったため、よくある友達以上、恋人未満という曖昧な関係を続けてきた。
そんな関係に転機が訪れたのが今朝、少年がアリーナへと向かおうと家を出た時のことだった。
──私と、付き合って下さい。
暫く走り続けていると、ようやく見知った場所へとやってきた。
ここまで来ればあと少し。目の前に架かる大橋を超えたところに彼女がいる研究所がある。
息を整え、橋を渡ろうとしたその瞬間だった。
遠くから爆発音が響く。
頭の中では考えうる中でも最悪の状況しか思い浮かばず、そんな最低な考えを振り切るために彼は再び走り出した。
何もかもが遅かった。
彼女の家である『天草製薬研究所』は至る所から火の手が上がり、周囲には恐らくそこで働く研究員だったであろう人達が何人も黒いシートに包まれて一列に横たわっていた。少年は一人一人シートを捲ってそんな人達の顔を確かめていく。中には頭のないものや顔の判別すらできないほどに損壊したものもあったが、彼らの身につけていた職員カードで確認することができた。
そんな中、後ろから唐突に声を掛けられる。
<<失礼、君はこの方達の知り合いかな?>>
ベージュのカラーリングが施されたカスタムモデルの汎用型強化外装。恐らくはバーンホック社の『ワイルドショット』ベースの機体だろう、自身もアリーナのランカーである少年は特徴的なモノアイ型のセンサーカメラを見てそう判断した。
「いえ……ですが、見知った顔は何人か」
俯きながらそう答えると、目の前のアサルトナイトが装甲解除して中からパイロットが現れる。
「そうか……誰を探しているんだ?」
中から出てきたパイロットは屈強な身体をした男だった。茶色い髪はオールバックに、恐らく戦場で失ったのであろう右手にはナノマシン義手が取り付けられていた。
CDFの制服を着ていないところを見ると、恐らくこの人物はPMCに所属する傭兵だろうか。
「中条アリス……この天草研究所の所長の娘を助けに来たんです……」
そう言いながら研究所の方へ目を向けると、既に施設の火災は鎮火しており、周りでは犠牲となった所員の遺族と思しき人々が変わり果てた愛する人を抱いて、涙を流していた。
「中状の娘か……分かった。君が確認するのは辛かろう、我々が探してくる」
そう言って施設の方へと足を向ける傭兵の男に問いかける。
「待って下さい!ここで一体……何が起こったんですか!!」
傭兵の男が足を止め、こちらに振り返る。
「俺は……俺は中条アリスの幼馴染です!所長ともそれなりの付き合いがありました!なんで、こんな……」
「テロを起こそうとしたんだよ、その所長が。いや……この場合は、起こしたと言うべきか」
そう告げると男は再び、歩いていった。
長い、長い時間が過ぎたような気がした。
きっと実際にはほんの数十分程度、それでも少年にはそれがまるで永遠のように感じられるほど長い時間だった。
ふと少年が顔をあげると、そこには先程の傭兵が立っていた。
「大丈夫か?ほら、水だ」
ミネラルウォーターをこちらに差し出し、少年がそれを受け取る。
「俺は大丈夫です……それより、アリスは」
五体満足じゃなくてもいい、せめて生きていてくれ……そう思いながら男の返事を待つ。
「……どうか落ち着いて聞いてくれ、我々は今、所内を探してきた。しかし……」
「彼女は、見つからなかった」