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ゾンビの顔色  作者: Nemuru-
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2015年6月7日


 2015年6月7日



 ところが、事はそう簡単にはいかなかった。

 翌朝、いつものように1階に下りていくと、ウルトラ不機嫌な伯父と思案気な伯母がいた。宗太郎はハーブティのカップからちらりと視線を上げると、「散歩かい、瑞生君。言うまでもないけど、今朝はコース変更するように」と命令形で言った。言いたい事はそれだけではないようだ。

 さすがに夜叉の家の前は避けた方がいいかな、くらいにしか思っていなかったので、不穏な空気に足を止めた。いつもはそのまま散歩に行くのだけど、ダイニングテーブルの端に伯母から受け取った牛乳のグラスを置いて席に着いた。

 瑞生の“拝聴します”的態度に若干機嫌を直して、宗太郎は話し出した。


 「昨日あれから夜叉とあの門根と言う男を調べたら、わかったことがあってね。君の生まれる前の事だからピンとこないだろうけれど。夜叉はいわゆる破天荒人生を送ってきた。バンドを解散した後、映画を撮ったり事業を起こしたり借金したり…ついにマネージメント会社と決裂した。音楽活動も休止したままで、マネージメントの必要もなくなったからだろうが。絶縁状態のまま、今回の事故だ。夜叉以外のメンバーは引き続き自分たちの作った会社に籍を置いている。『バンドとして葬儀をだしてやりたい』と準備していたところに『ゾンビ化した』と連絡が来た。蘇ったと言っても本人はゾンビだし、個人で政府関係者やマスコミや生活面の対応ができるわけがない。そこでバンドリーダーのキリノが頼みこんだらしい。『かつての不義理・暴言・我儘を水に流して、奴が死ぬまで守ってやってくれ』とね。そこでマネージメント会社woods!の出番と言うわけだ。昨日来た門根と言う男は、やり手幹部のようだ。…しかしわかったのはそこまでだった。何故話し相手が必要なのか、何故瑞生君なのか、さっぱりわからない」

 「それはどうやって調べた情報ですか?」と瑞生は聞いた。

「投資顧問会社の繋がりでね。つまりwoods!は、再び夜叉という手のかかるアーティストの最期に関わることになった背景を株主に説明する必要に迫られたのだな。夜叉の借金問題もあるから」

「それで、事の成り行きははっきりしたのね」

「そう。だが、この村に来てからの情報は表に出てこない。政府は箝口令を敷いている。あの家に何人が常駐しているのかもわからなかったよ」

伯母の質問に答えると、宗太郎は正面から瑞生を見つめた。

「この件は夜叉とうちの問題にとどまらないようだ。多方面から圧力を掛けてくる。…夜の内に『保護者が案ずる気持は理解できるが、ご本人の意思に任せてはどうですか』と文部科学副大臣からメールがきていた」

 言い終えると宗太郎は、着信音に反応してタブレットを開けた。メールを確認すると、無言で妻に見せた。画面を次々に開けた霞は、「凄い…」と呟くと、少々戸惑い気味にタブレットを瑞生によこした。

 「“Y宅訪問者に対する感染防止対策案”…?」瑞生が口に出して読むと、伯父は思案気に言った。

「この対策で感染の危険から守られるかどうか、検討してみよう。瑞生君も難しい箇所は読み飛ばしていいから最後まで読んでみなさい。…君が夜叉宅を訪問できるよう、ここまで手筈を整える動きに正直少々戸惑うよ。しかし夜叉の願いを叶えてやりたい周囲の気持ちを理解する必要があるとも思う。…夜叉の容態はいつ急変するかわからないから、今日中に返事をしよう。それが関係者への誠意の示し方だ。最後は“君の気持ち”ということになる」


 朝食後、自室のパソコンで宗太郎から転送された“Y宅訪問者に対する感染防止対策案”を読み始める。瑞生向きに書かれたものではないし、専門用語が平気で出てくるのでほとんどわからない。わからないなりにわかったことは、夜叉付きの医者が瑞生が感染しないよう注意する、と決めたこと。あとは、こうなったら報告するとか、警察に任せるとか、ここまでしたら責任はないとか、“責任の所在”をこと細かく定めたもののように思われた。この“責任の所在”系のことは、知識は乏しくとも大人の事情に揉まれてきた瑞生にとって、馴染みのある分野だった。

 伯父は『夜叉の願いを叶えてやりたい周囲の気持ちを理解する必要』と言ったけど、これを読む限り、そんな情の厚さを感じるよりは、“大人の事情”と“なんとか省やなんとか局の力関係”を感じてしまう。厚生労働省は、感染症研究所に丸投げしたいのに圧力のせいでできなかったようだ。専門の研究者が過熱するのと対照的に、唯一無二の感染者から生じる数多のトラブルを発生前から処理できない頭の固さを露呈している。法務省は夜叉の人権より、法的安定性を気にしている。税務署は夜叉の相続がいつ発生したとみなすのか判断基準を求めている。そして警備を担う警察庁は、テロや誘拐の警戒のみならず瑞生が出入りすることで、瑞生の警備、瑞生の家族・学校まで人質化する危険性を憂慮している。

 はっきり言って、誰も、どの部署も、瑞生の感染を心配していない。『空気感染の危険性はほぼないが、同じ部屋にいる時は常に2メートルの距離を確保する。A君はY宅に入る際にマスク着用。既に設置されている空気清浄器の稼働を確認…』

「インフルエンザかよ」と呟いた。「バッカみたい」

 

 瑞生の感染防止に関する条項の文末には大抵『医師が責任を持って対処する』とある。空気清浄器の確認もだ。最後に所属機関と担当医が複数名記載されていた。

「国立感染症研究所 W・S。コスモスミライ村AAC M・O。RdC J・R・J。これじゃなんにもわからないよ」瑞生は任務を投げ出してベッドに倒れこんだ。

 宗太郎が、夜叉の周囲の善意に感動していたわけがない。事実、対策案のどこにも善意は見当たらない。役人の融通の利かなさ加減を嫌う伯父が『今日中』と言ったのは、それだけプレッシャーをかけられているということだろう。青い小花の散った天井を見る。この壁紙は好きだ。ごろり、と寝返りを打って壁だけを見た。

 目を閉じると、外様と本永の顔が浮かんだ。2人とも具合が悪いし、どのみち部外者に相談を持ちかけていい話ではない。父の雪生の顔が浮かんだ。すると伯母の顔とダブってきた。幸い母の顔は浮かんでこなかった。しばらくそうしていたが、いい考えが浮かばなかったので、起き上がって定額映画見放題のお試しでゾンビ映画を見た。


 前期のテストが迫っているので、勉強の合間にゾンビ映画を挟む感じだ。監視の目をうざいと思うと散歩に行く気になれず、夜叉に会う時の予行演習というか、どんな雰囲気になるのか参考になると思ったのだ。だが、ゾンビの口元から飛び散る血しぶきを見ていたら、胃がもたれて気持ち悪くなってきた。どんな作品がお勧めか、本永たちに聞ければよかったのに。本永はマニアックな事を語り、外様は的確に鑑賞に耐えうる作品をピックアップしてくれただろう。題名に“ゾンビ”が付くのをテキトーに選んだのが失敗だったのだ。

 胃もたれが吐き気に移行しないうちに鑑賞を止めた。考えてみれば、1人で映画を見る事自体がほぼ初めてだった。小さな頃、母のヒステリーから逃れるために、父とディズニー映画を見に行ったのが、唯一の映画館経験だ。その後は父とテレビでポケモンやスターウォーズを見たくらいだが、つまり1人ではなかった。父は大のホラー嫌いだったので、貞子ものはもちろん、妖怪もゾンビも宣伝CMを見て知ってる気がしていただけだった。

 真剣に見ていないからかもしれないが、瑞生には、ゾンビが生者を食う→食われた人間もゾンビになる、が理解できなかった。どうして死んでるのに食べた物を消化できるのだろう。もしかして死ぬ一歩手前くらいの設定なのか。それなら栄養剤を摂るべきで、消化しにくそうな生きてる人間を齧るなんて、死んでいても限りなく死にかかっていても、脳がやられていても、説明がつかない行為だ。怖さより先に疑問しかでてこない。そこでふと思った。

 「夜叉は毎日何を食べているのかな?」


 夕食時に1階に下りて行った時、伯父も伯母も瑞生に気を遣っていた。15歳に難しい決断を一任した後ろめたさと、早く結論を先方に伝えなくてはならない大人の事情の板挟みになっているのだ。居候としては、相手の立場に理解を示さなければ。瑞生は席に着くなり結論から言った。

 「僕にとって夜叉は全然知らない人です。ゾンビだと言うのも感染者というのも、怖いです。でもあちらから僕を指名してきた理由は知りたいし、どんな人なのか会ってみたいとも思います。だから、とりあえずすぐに一度だけ会いに行こうと思います。それで、僕でなくてもよさそうだったり、感染しそうだったり、怖かったら、その時限りにしたいです。こう返事をしてもらえますか?」





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