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ゾンビの顔色  作者: Nemuru-
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2015年6月6日

2015年6月6日


 翌土曜日は、選択科目の多い日だからさぼりやすい日ではある。今日まで無遅刻無欠席だったのに、本永は始業時間になっても現れなかった。瑞生はいつも通りマーカーを用意し、結局1週間ずっと書いてきた週番日誌を書いて、次の週番に渡した。その相手に初めて話しかけられた。

 「八重樫は1番まともだね。そのせいで割喰って1番働かされるんだ。世の中って不公平だよね」

「え?」

「各クラスに今年の新入生が3人ずついるだろ。八重樫が女子1番人気なのはわかるけど、立ち振る舞いもどう見てもまともだ。と言うか普通だ。新入生はまぁ普通、普通じゃないものなんだ。B組なんて3人全滅だって。うちも1人は不登校で、もう1人はジャンキー本永だろ? あいつ週番ほとんどなんもやってないじゃん」

「“ジャンキー”なんかじゃないよ、本永は…」

「あいつ、昨日医務室で錯乱したって話だよ。ドアに頭を打ち付けて血だらけになったってさ」

「本当? なんで? なんで、そんな事…」思わず身を乗り出して聞いた。相手(佐々木という名をその時覚えた)はビビったけど、教えてくれた。「榊とパンダが居合わせたらしいから、聞いてみたら? その後緊急職員会議になったから、ヤバいのかもしれないよ」


 ゾウを作った後はどちらかと言うと朗らかだった。でも医務室に戻った後、教室にはこなかったから会っていない。本永に何があったのだろう。

…医務室。出ようとした時榊先生をパンダが呼び止めた…。

 パンダと一対一になるのを避けて、職員室に榊先生を訪ねた。先生は瑞生を見るなり、『来たか』という顔をした。土曜日の放課後の職員室は生徒だらけなので、榊先生は瑞生の肩を手で押しながら廊下に出ると、小声で話し始めた。

 「医務室には行ったか? ああ、先にこっちに来たのなら正解だ。昨日の事は緑川先生にとってかなりショックだったらしいから。…我々の不注意だったんだ…。戻ってくるなんて思ってもみなかった。本永はドア越しに緑川先生と俺の会話を聞いてしまったんだ。外様の病状の話を。その…頭を強打した場合、不具合が後から現れることがある。当初は大事ないと言われていたが、外様は目の不調を訴えていた。検査入院からそのまま入院生活を余儀なくされるかもしれない…という話を聞いたのだと思う。最近お前たち3人でよく話していただろう? クラスに馴染むきっかけになればと思っていた。本永にとって特に内部進学生の外様は頼りになる存在だったのだな。外様の予想外に重い病状に、パニックになって、医務室のドアに自分の頭を打ち付けてきた。そのとんでもない音で、俺たちは気づいたんだ」

 いつもさばけ過ぎるくらいきっぱりはっきり話す榊先生の口調も、自身のミスに後悔を滲ませ沈んでいた。


 本永がショックを受けた理由はわかったけれど、その理由に瑞生も同じくショックを受けていた。

「先生、外様は、そんなに具合がよくないの…?」

声が震えてしまった。榊先生は速攻でいつもの調子に戻った。「キツイと思うけど、ちゃんと登校して外様の回復を待ってくれ。八重樫がへこたれたら本永は登校できなくなる。昨日切った額の傷が結構派手なので、今日は大事を取って休んだだけだ。月曜日には来るよう電話しておくから。…先生のメアドは知ってるよな? 八重樫自身が辛かったら、メールしてこい。本永と互いに無理するなら少しは意味があるけど、お前1人で背負う必要はないから」

 榊先生が肩をポンと叩いた。ふっとこの前本永に頭を叩かれた時の手の感触を思い出した。

 


 榊先生は授業後、外様と本永の代わりに課題をみてくれた。元々学校の代わりに2人が見てくれていたのだからおかしな話なのだけど、そこに突っ込む余裕はどちらにもなかった。

 いつも通りスクールバスに1人で乗り、伯母の待つ車に乗り込む。それだけのことなのに、しょぼくれて見えないように姿勢よく歩いた。何故そう思ったのか、自分でも不思議だ。

 

 夕食後、雨が上がっているのを理由に、また散歩に出た。そして結局、夜叉邸前にいた。

 週番が回ってきてからというもの、外様と本永と過ごすようになっていた。彼らと話す自然な時間は、乾ききった喉に浸み込む水のように瑞生を潤していた。独りぼっちだった年月に比して、居心地の良い時間はほんの僅かだったのに、この半端ない空虚な感覚はなんだろう。

 夜叉の家の玄関前で、本永や外様の事を考えていた。いつものように窓を見上げることすら忘れていた。

 

 咳払いで我に返ると、道路の中央に昨日の雨合羽庭師が立っていた。脚立に乗っていれば庭師に見えなくもなかったが、小柄ながら道路で仁王立ちしている様は如何にも警察官だ。

 「君は昨日も来ていた子だな? この村の住人だろう? ファンなのか?」質問3連発を浴びせながら、掌を差し出して、IDカードを催促した。瑞生は大人しく従い、カードを提示した。

 「君の年だとオールディーズだろう、夜叉の曲なんか。屋敷の写真をブログに載せて閲覧数を稼ごうとか? それとも屋敷に侵入して、警備の無能を晒そうとか? 夜叉の何かを撮ってきたら幾ら、盗って来たらボーナス、なんて悪い大人に言いくるめられたんじゃないか? いずれにしろ、署で話を聞こうじゃないか、ええ?」


 瑞生は対応に戸惑って後ずさった。警察に聞かれて困ることはないけれど、伯父や伯母に迷惑がかかるのは困る。しかし、走って逃げたって所詮は村の中で逃げ惑うだけだ。

 

 背後に気配を感じた。雨合羽警察官の顔が驚きで間抜け面になった。振り向くと、夜叉の屋敷の玄関にメガネをかけた男が立っていた。

 「来週の約束だろう? 瑞生君。来るのは来週だったよね?」

男は銀のフレームを光らせて、瑞生に同意を促した。何のことやらわからないが、助け舟に思えたので、曖昧に首を傾げた。合羽警察官からは後姿しか見えないから、頷いたように見えただろう。

 メガネの男は警察官に微笑みを浮かべて頷き、体よく追い払った。

残された瑞生は、通りの方を振り向いて警察官や隠れ警備から興味本位の目を向けられるのが怖くて、動けないでいた。

 そのためメガネの男と向かい合っていたわけだが、男は目を左右に走らせ警察官が去ったのを確認したのか、こう言った。

 「送っていくよ。また警察官に絡まれては気の毒だからね」


 メガネの男は「門根」と名乗った。「夜叉のマネージャーと思ってくれ」

 「思え、と言うことは、マネージャーではないってことですか?」何気なく聞いたのだが、門根は意外そうに笑った。「大人しそうな顔して、結構鋭いとこ突っ込むな。…その通り、現在夜叉のマネージメントはしていない。事務所と契約切れでね」

 質問したくせにそんな事情には興味がなかったので、聞き流していた。むしろ気になっていたのは、この得体のしれない男に八重樫家の住居が知られてもいいのだろうか?ということだった。

 「君の家は知ってるよ。尾行した。君がよく来るので、夜叉が気にして、調べろってうるさくて。親しい探偵に頼んで調べたよ。伯父さん夫婦の事も、ご両親の事も知っている。だから今更俺を巻こうとして遠回りなんて意味ない事するなよ」

 門根の横顔をちらりと見たが、銀縁メガネが光って表情はよくわからなかった。スーツにきちんとネクタイを締めているけど、袖口から見えた時計はキンキラの高級時計だ。気障で自信満々な感じが鼻についた。東京では恰好よくても、トッタン半島の山の上では浮いて見えるだけだ。


 そうはいっても、こんな時間にこの男に送られて帰れば、伯母が驚くに決まっている。門根に「もうここで大丈夫です。警察も家の近くで嫌味を言ったりはしないでしょう。家を知ってるならもうすぐなの、わかるでしょ」と言ってお引き取り願おうとした。しかし門根はネクタイを直しながら、「挨拶しないとな」とか言っている。「もういいです」「挨拶させろよ」と押し問答をしているうちに、家に着いてしまった。

 そして瑞生がどう説明しようかと考えている隙に、門根はさっさと階段を上り、インタフォンを鳴らして、応対した伯母にこう言った。

 「初めまして、夜叉の代理人の門根と申します。瑞生さんとご家族にお話があって参りました」




 八重樫家の応接室は、金持ち慣れしていそうな門根でも目を見張るほどの調度品で整えられている。

「ち、本物の金持ちは上品に設えやがるなぁ」

門根が呟いたのが聞こえた。


 門根のお気楽な呟きとは真逆に、テーブルを挟んで対峙する伯父の宗太郎は不機嫌そのものだった。宗太郎の不機嫌が後でどう祟るかは怖かったが、正直、在宅ワーカーで本当によかったと思った。瑞生と伯母では、この芸能界的な男に対抗できる気がしない。実際、門根は伯母を見るなり、上から下まで舐めるように眺め回し、美辞麗句を並べ立て褒めそやし、自分の男度を猛アピールしたのだ。伯父の不機嫌の源泉はそこにもあった。

 

 「この申し出は、夜叉自身からのものです。『瑞生君に放課後屋敷に立ち寄ってもらい、話し相手になってほしい』と」


 暫く場を沈黙が支配していた。

 瑞生は思い切りぽかんと口を開けていた。伯母の氷の表情は動かなかったが、ティカップに伸ばした手が止まっていた。伯父は小さな目をパシパシと瞬いた後2人の固まっている様を確認すると、怒りのテンションをじりじり上げながら、門根に向き直った。


 門根は八重樫家の3人の様子を面白がっているかのように、薄ら笑いを浮かべながら補足した。

「瑞生君がよく屋敷前を通るのを見ていて思ったそうです。屋敷前に来る子ならば、中に入って貰う事も可能なのではないか、と。バイト感覚で捉えて頂いて結構ですよ。強制的なボランティアと思われるのは心外ですので。夜叉はいつまた死ぬか予測出来ない体とは言いましても、“世界の夜叉”ですからねぇ」

どうだ、と言わんばかりに門根は宗太郎を見た。


 「感染の心配は? どういう防護策をとってくださるのですか? 安全性が確かめられなければ、甥を行かせることはできません。有名人だろうが国賓だろうが貴重な患者であろうが、同じことです」

 宗太郎は内面の不機嫌をおくびにも出さずに、生粋のセレブ資産家らしく、門根と対極の存在として、甥を案ずる伯父にふさわしい意見を述べた。

 門根は、当惑した目で八重樫夫妻を見た。この男のビジネスの対象には金に靡かない人種がいなかったようだ。「うーん。夜叉に望まれてるっていうのに、駄目…ですか…」名誉欲を喚起しようとしたのか、同情心に訴えようとしたのか、中途半端な話し方になった。これでは宗太郎が落ちるわけがない。

「話になりませんね。お引き取りください」


 宗太郎は車椅子で自ら門根を玄関まで送った。もちろん妻に色目を使わせないためと、瑞生に門根が余計な事を言って、夜叉宅の訪問を承諾させようとするのを防ぐためだ。

 

 

 宗太郎は、戻るなり瑞生に問い質した。

「瑞生君はあの男とどこで知り合ったんだ? 説明してもらおうか」

 そこでいきさつを説明する羽目になった。

「友達に勉強を見てもらうようになって、俄然今までの遅れを取り戻す気が出てきました。夜中まで勉強すると何故か朝方に散歩したくなるんです。偶然夜叉の家を知って、ついその前を通る習慣がついて…、窓を見上げたのは確かです。でも窓際に人影を見た事はないし、『夜叉に望まれた』っていうのは信じられないです」

 この説明を宗太郎は気に入ったようだ。まず、瑞生に高校で友人が出来た点。それまでの遅れを取り戻そうと猛勉強している点。夜叉の家に行ったのは仕方ないとして、何ら接触がないため今回の招聘には承服しかねる点。こんなところか。

 伯母は一言も発していないが、目が輝いてるので興味を惹かれているのはわかる。あの品の無い男に? それとも夜叉にだろうか。

 宗太郎は伯母には何も言わず、「あの男と夜叉の会社を調べさせないとな…」と呟きながら自室に戻っていった。

 瑞生も勉強しようと席を立った。本永と外様の存在が原動力になっているのは間違いないが、学ぶ事の面白さを感じられるようになってきたのだ。1人で生きていくために、今勉強することが必ず繋がっていく確信が芽生えたと言ってもいい。自分にも“将来”がありそうだと思えるのは、勉強している時なのだ。


 「あ」

 応接室を出ようとした時、伯母が声を出した。振り向くと、手を振って「なんでもないの。…その、無理し過ぎないようにね」と言いながら、首を振った。「違う…本当は聞きたかったのよ。あなたがどう思っているのか。その、夜叉の話し相手になる件を」と言い出した。「宗太郎の手前、思っている事を言えなかったでしょう? 仮に『夜叉に憧れているから行きたい』とか『ウィルスが怖いから絶対嫌だ』と思っていたとしても。正直な所どう思っているの?」


 少し驚いた。伯母が瑞生の考えをストレートに聞いてくるのは初めてだったから。

 「本当に寝耳に水です。僕は夜叉の曲も知らないし、会ってみたいとも思わなかったし。散歩で偶然家に辿り着いちゃったのがきっかけです。警察官にガン見されてむかついたから、翌日からはわざと行ってましたけど。今思えば子供っぽい反抗心だったかな。…正直“話し相手”と言われてもピンときません。だって…伝説の人=過去の人でしょう? そんな年配の人の話相手ができるとは…」

「年配ではないわ。45歳だもの。宗太郎よりは若いのよ」伯母はやんわりと修正した。瑞生は伯母の言わんとすることが見えなくて、黙っていた。

 やがて、伯母は落ち着きなく動かしていた目を瑞生の顔一点に集中させて、言った。

「私がThe Axeのファンだから、行こうとしているのではないわね?」

「…」

 多分目が点になっていただろう。まさかこういう方向の話とは思わなかったので、言葉を失ってしまった。しかし目の前の伯母は真剣そのものの顔で、返答を待っている。

焦ってしどろもどろになった。「ごめんなさい…僕、伯母さんが夜叉の事、随分詳しいなとは思ってたけど、凄いファンなのか、わからなかったし…。本当にさっき聞いた話だから、考える時間もなくて…」

 今度は伯母の目が点になった。次いではっきりとうろたえた。

「あ、あ、そう。そうね。さっき聞いたばかりじゃ…」

陶器のような頬を耳まで赤く染めながら、まるで少女のように恥らっている。瑞生は、咄嗟に伯母を傷つけたくないと思った。

「これから…考えますから。気にしないで下さい。あの、知ってました。伯母さんがファンだって知ってましたから」

 はっとして顔を上げた伯母と目が合った。胸の中で何かが熱くざわめくのを感じた。瑞生がこの世で何より大切に思っているお父さんとそっくりで、まるきり同じ目をしている伯母に、何も感じずにいるなんて無理というものだ。

 動揺を隠そうと、急いで応接室をでた。「だから気にしないで…。おやすみなさい」


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