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ゾンビの顔色  作者: Nemuru-
56/57

2015年6月30日②

 センターの3階で本庄親子が話している間も、門根たちは精力的に仕事をしていた。浮き立つ気持ちを抑えられない本永と、霞と自分の今後を考え気分が塞いでいく瑞生の目の前で、門根はリリースする夜叉最後のアルバムのプロモーションの指示を出していく。「キリノのこともあるし、CDショップ街頭のポスターと巨大看板、通販サイトに広告掲載、静かにいこうと思う。聴きたい人に聴いてもらえばいいってスタンスで」

「ベストアルバムの売れ行きが物凄いらしいな」本永が声を掛けると、門根は「夜叉に教えてやりたかった。あいつ自分の借金で事務所に迷惑かけたの結構気にしてたから。ゾンビになって帰国した時、リバイバルブームに火が点いて売り上げは鰻上りだったんだけど、それは『あの人は今』的なもので夜叉にすれば不本意だろう? だから教えなかったんだ。オールシングルアルバムや年代別ベスト、ライブDVD、どれも売り上げ好調で、マメに報告してやっていれば気にさせずに済んだのにな」と珍しくへこんでいた。

 クマちゃんは瑞生たちのいる5階にはあまり来られないらしい。

「サニの件だと思う」門根がもたらした情報はこれだけだ。


 手持無沙汰で自習を始めたのだが(事情欠席の場合家庭学習が条件だ)、最近勉強を抜かっていたのを本永に見抜かれて、英語をぎゅうぎゅうと詰め込まれた。「英語だけじゃない。数学も手抜きしてたろ。俺の目は誤魔化せないぞ」

「数学なんて実生活で使わないよ、やる意味あるの?」

「あのなぁ、使う物だけ学べばいいのなら、日本中日本語以外何も出来ない人間だらけになるんだよ! お前は考えが浅い」

例によって上から言われて、ムカつきながら瑞生は問題に向かう。

 「明日から勝負だな」本永がぽつんと言った。

「外様? 気を付けてサポートしないとね」

「外様は大丈夫だよ。あいつは自分で希望を見つけた。俺が言ってるのは八重樫だ。メディアとか霞さんとか学校とも、今までと違ってくるだろうから」


 そう言われて初めて、学校は瑞生をどう見るのかと考えてみた。

 今まで“学園長の懇意にする資産家の火災に遭った甥”と捉えられていたとする。これからは“元懇意の資産家でミライ村の事件に関与し勾留されている、少なくともロドリゴの件では起訴確定の男の甥”かな。伯父はスマイル動画で騒いだからマイナスイメージはもっと強烈か。それに加えて“夜叉最後の愛人と報道された”“夜叉の遺したウィルス解析センターと密接な関係が続く”成績中位の生徒。ウィルスや夜叉の件は学校には関係ない事だから今までのようにスルーしてくれるだろうか…。ゾンビーウィルスが体内にいても『健康診断、オーケー』と言ったけど、サニが日本の学校生活をわかった上での発言なのか不明だ。火傷の痕は変わらないから体育実技は免除のままだろうか。いつまでも実技を避けているべきじゃないという気がしている…。

 メディアと言っても、今のように学園と家を往復するだけなら直に僕に接触してくることはないだろう…そうか、本永が言うのは通学時か。伯母とぎくしゃく同居しているのにいつまでも送り迎えしてもらうなんておかしな話だ。僕が夜叉の元に行くと決めた時から、そんな甘い考えは捨てるべきだったんだ。今までは村の住人の手前、伯父の手前、伯母は送迎せざるを得なかっただけだ。そうなると、暇な記者が通学路に現れないとも限らないということか。


 ポン

頭を叩かれて我に返った。「手が止まってるぞ」



 八重樫宗太郎は不機嫌だった。警察病院で目覚め、取り調べを受けるため検察に出向き、また戻るの繰り返し。一向にAAセンターに戻れる兆候が見えないのだ。しかし、手首の捻挫(骨折ではなかった)の治療はどこでも可能で、聴取に不便なミライ村のAAセンターに移動しなければならない理由がみつけられなかった。

 AAセンターに自分の専科が出来てさえいたら、戻る理由となったものを。

 しかもノートパソコンをTATSUYAに盗られ証拠を消去する暇がなかったため、夜叉の移送開始をお知らせした顧客名簿が残っていた。曽我に出した指示の幾つかも保存されたままだ。もしかしたらスマホもあいつに盗られたのか? 曽我のくだらない質問に答えたメールは、検察には悪く取られるだろうな。何故この私に会社が契約していた一流弁護士本人ではなくそこの下っ端弁護士なんかが来るのか。曽我は何をしているのだ。何のために住民票を移してやったのか。



 「曽我さん、八重樫宗太郎はまだあなたを使用人だと思って、差し入れや弁護士のグレードアップを要求しているそうだよ。あなたに国選弁護人しかついていないことなど気にも留めないのだね。そうそう、『何のために住民票を移してやったのか』と伝えろと言っていたそうだ」

 刑事の言葉に曽我光代は顔を上げた。

「宗太郎さんが、そう伝えろと?」

初老の刑事はやや気の毒そうに頷いた。

 唐突に曽我光代は笑い出した。体を震わせ俯いて嗚咽のように笑っていたかと思うと、顔を上げ大声で発声練習のように笑った。ベテランの刑事ですら顔を顰めるほどに。


「…刑事さん、記録を取ってもらえますか。私と宗太郎の出会いから今までの旅を、誰かに聞いてほしいと思ったら、それは今しかないですよね。私は二人三脚だと思っていましたが、違ったようです」光代はすっきりした顔で語り始めた。



 「それで、私を呼んだのは?」前島はマジックミラーの向こうの曽我を見ながら県警幹部に訊ねた。

「ああ、こっちの可視化用記録を見たいだろうと思ってね。一大絵巻を滔々と語っている。途中で止めて『さっきのをもう一度聞きたい』と言っても、『正確な記憶が混乱する』と自分のトイレ以外は止めてくれないんだよ。君が以前火災で調べていた少年の家の家政婦なんだろう? 相当根の深い話のようだから、興味があると思ってね」幹部は机の上のノーパソを示しながら言った。

「それは興味深いな、早速見せてもらおう。声を掛けてくれて感謝する。お礼に、彼女を“家政婦”と思っていては痛い目に遭うと助言しておくよ」



 「宗太郎にお見合いの話は山ほどありましたよ。資産家のお坊ちゃんですからね。でも身体の事を考えると、大概のお嬢様方は尻込みしました。乗り気の返事をよこすのは金目当ての下種な一家と決まってました。盗聴すると大抵『自宅以外で事故に見せかけて殺せないか』や『何年我慢したら離婚していい?』などと録音できました。証拠を掴んで宗太郎に渡すと、ちょっとした報復とビジネスに結び付けていましたね。破談も資産の糧にしていくのです。並みのお坊ちゃんには出来ない事ですよ。45歳くらいまでは結婚の夢を持っていましたが、次第に“結婚=ビジネスの継承”とだけ考えるようになりました。しかし、子持ちバツイチの女で条件に合う人は見つかりません。宗太郎は事業継承だけでなく、養子に過剰な夢を抱いていたのです」


 次第に曽我の口調は馴染みのオバサンじみてくる。

「普通の紹介所では駄目なので、出会い系サイトにまで手を広げました。そこで出会ったのが霞です。あの人は群を抜く美貌で家柄も良く、未婚でまだ若かった。宗太郎は彼女に体外受精で自分の子を産んでほしいと思ったものの、自分に似た場合の悲劇を考え、他人の子供、つまり買った精子で体外受精すればいいと考え直しました。私は警戒しました。だってそうでしょ? あんな美女が独身で出会い系サイトに頼るなんておかしいですよ。裏があるに決まってます。私は自分で彼女を徹底的に調べました。そこで、中小工場の街に住む弟一家にその答えを見つけたのです。簡単ですよ。あの奈津美という馬鹿な女は、怖くて出来なかったようですけど。私は雪生、瑞生、霞の3人の皮膚をあらゆる手段を講じて入手しDNA鑑定に出しました。それで3人が親子と判明したわけ。近親相姦とくれば、まぁ世間からは隠したいわけよね。面白くて何日も張り込み、雪生と霞の密会を尾行し…、産院のカルテが残っているわけではないから、『何があったのか』は推測するしかない。雪生は奈津美を踏み台にしたのね。馬鹿なあの女はそれを頭でなく心で感じとって、異常行動をとり瑞生を虐待することで雪生に報復した。人間の業って凄いわね」

 「私がGOサインを出し、宗太郎は霞に交際抜きの結婚を申し込み、結婚して世間体を取り繕いたかった霞は受け入れた。霞はまぁ酷くはなかったわよ。財産狙いではないし、遊び歩くこともなく宗太郎の身の回りの世話を嫌がらずにこなした。肉体的な世話は私がさせなかったけどね」曽我は下品な笑みを浮かべた。

「理解できなかったのは子供の瑞生との関係ね。雪生は全身全霊で可愛がり育てていたのに、産んだ母親は知らんぷり。ちょっとね。虐待されてると知っていてあれは解せなかったわ」

「宗太郎は美しい養子を望んでいたから瑞生は最適だった。『霞の弟の子』として写真を見せたら、もう大喜び。宗太郎が介入すると非常識な事をしそうだから、霞と雪生の関係は伝えなかった。“近親相姦”なんて知ったら、調子に乗って霞にどんな暴言を吐くかわかりゃしない。瑞生を養子にするまで離婚されたら困るんだから、ねぇ」


 「それからは、私は時間がある限り、瑞生の周辺に出没して陰で瑞生を守り続けたわ。よく女の子が庇っていたけど、瑞生にお返しを求め出すと、転校させたり養子先を手配したりと裏で手を回して排除した。そういう女子は単体だから始末は簡単。中学生集団の悪辣ないじめをどう止めさせたと思う? 手間よぉ。1人ずつ家を突き止め、家族や弱点を利用して、2度と瑞生に手は出さないと誓うほどの恐怖を与えるのよ」

「今にして思えば、その頃は宗太郎のお守りを霞がしていたから私は結構自由に外出できた。中華街に行って薬草を入手してそれを中学生に使うと吐きまくって面白かった。殺さない程度の事は中学の3年間よくやってあげたわよ。私も十分楽しませてもらったけどね」


「雪生も結構瑞生の後を付けたりしてた。まぁあの人は本当に何やってんだか、わからなかったわね。男は仕事できなきゃダメでしょ。宗太郎を見てみなさいよ。あの難病と闘いながら辣腕投資家よ。あんなに綺麗な顔して恵まれてるのにもったいないねぇ。あ!それで思い出した。宗太郎よ、宗太郎が邪魔していたの。雪生がこっそりしていた就活、手を回して悉く不採用にした。『瑞生が無事に育つために雪生が転職して奈津美と離婚した方がいいでしょう』と意見したけれど無視された。あれはきっと宗太郎の嫉妬よ。美しく生まれついた者への羨望。近親相姦に気づかずとも、霞の大事な弟というだけで許せなかったのね。宗太郎は自分が光り輝いて人々の注目と喝采を浴びる人生を望んでいた。現実との乖離を気にも留めないから、妥協点を探す気がなくて年々支離滅裂な願望になっていったわね…」


 「いじめって全く接点の無い者間では起こらないでしょ。家や学校や部活に居場所を失った子供が半グレの上下関係に嵌ることがある。それは居場所をそこに見出そうとするから。瑞生には雪生という居場所があった。高校生の半グレが瑞生の美貌に目を付け、瑞生に”逆美人局”をやらせて儲けようと考えた。でも瑞生は放課後も帰宅か施設に直行だから、取り付く島がない。上の高校生に命じられ、中坊たちは止む無く瑞生を拉致ろうとしたのよ。私が通報して事なきを得たけどね。パトカーのサイレンで野獣どもは逃げ出した、気絶してる瑞生を置いて。私はどうしようか迷ってた。学校の敷地内で私が運ぶと誰かに見られそうだったから。その時準備室の中から瑞生を背負って雪生が現れた。私を見て、ついっと出て行った。会釈すらしない態度に、私は悟ったわ。雪生は私を初めて見たのではないし、通りすがりの親切な人と思ってもいないとね」



 「あの火災ね。ダメ女とダメ男を利用して雪生を殺したかったのよ。だって離婚が成立したじゃない。本当は、瑞生の身体に消せない傷を残した時点で奈津美を殺してもよかったのよ。でも雪生がフリーになるとすぐに再婚出来そうでしょ? 瑞生を得るには雪生が再び家庭を持たないようにしなくては。本来養子にして忠誠心を育むには幼少期から育てるべき。でも宗太郎に幼児の子育ては無理。反抗期の中学生も無理。だから15歳の高校1年生というのは最初から計画通りだったの」

「一通り話し終わるまで邪魔しないでと言ったでしょ。私はせっせとあのオンボロメッキ工場や金型工場のひしめき合う街に行った。介護ヘルパー風、親戚風、変装して人の印象に残らないよう工夫して。もっとも、あの雑な2人は何度勝手に工場裏に入り込んでも気づきもしなかった。何か火災を起こせば雪生に害が及ぶと確信したわ。工場の裏から見ると、火浦金属加工の住居は隣接同然だったし、野添の薬品や触媒の管理は杜撰で延焼間違いなしだったから」

「実は私、結局何が成功要因か知らないのよ。教えてほしいわ。漢方や薬物には詳しいけれど、化学は知識不足で。エタノールを台所のドアノブに塗ったのが最初だったかしら。液体から蒸発した可燃性蒸気と空気が混合して燃焼すると読んで、引火性液体を温めさせようと色々やってみた。奈津美は機械油や溶剤の匂いに鈍感で、こぼれていても気にしなかった。いつまでも子供気取りでいないで、後継者目線で危険物を管理していたらああはならなかったでしょうね」

「“成功”は不謹慎? ふふん、言葉の綾よ。不確かな知識と技術に基づいた私の行為と、バカな男女が喧嘩して騒いだ結果出火した事の因果関係を証明できない以上、私を罪には問えないわよ。私は自分の“努力”の告白をしただけ」



 「ふ~む」

集中して聴取記録を見ていた前島は一声唸ると、椅子に背を反らせて伸びをした。ヘッドフォンを外して立ち上がり、マジックミラーに近づく。県警幹部が見ていたようなので、様子を聞いた。

「一通り話して満足したらしく、質問を受け付けるようになったよ。身の上話で彼女の根っこの部分を掴もうとしてるところだ」


 「そうなの、文字通りシンデレラよ。継母は実の息子に農地を継がせたいから、私は追い出されたの。八重樫の家は金貸しの一族で、駅前一等地を所有し、余った金は株や債券で持つような金慣れした人々。田舎から住み込みの家政婦を入れる必要はなく、私は旦那様のおもちゃとして入り、20代になったら家政婦として働くような暗黙の取り決めがあったらしい。本当の家政婦は家事のプロ、秘書は専門学校出、愛人は高級クラブの女、私は“おもちゃ”だから犬レベルの扱いだった。やがて10代後半になり“おもちゃ”兼家政婦になると、プロの家政婦に仲間とは認めて貰えずいびられた。私は『いつか目にもの見せてくれる』と思いながら耐えていた。そこへ幼児期をずっと病院で過ごした宗太郎が戻ってきた。骨折ばかりで我儘三昧“腫物”扱いの跡取り息子に、最初は皆取り入ろうと構ってみたものの早々に撤退してしまった。そこで私に宗太郎のお守りを押し付けた。怪我をさせても機嫌を損ねても、全て“光代の責任・職務怠慢”で片付ければいい、と」


「私の復讐の始まりよ。宗太郎の心を捻じ曲げる事。私無しには生きていけないようにする事。勉強させて自尊心を過剰に育てる事。仕事で能力を内外に示す事。1つ1つ目標を設定して励ませば、宗太郎は一生懸命取り組んだ。生まれてから7歳までずっと入院していて、ほとんど家族は見舞いに行かなかったのよ。愛されたくて、家族の中に自分の居場所を見つけたくて必死だった。それなのに家族に残酷な仕打ちをされる。どんなに頑張っても、愛らしくない子供は愛されない。可愛げのない優秀さより、可愛いだけの馬鹿が好まれるのだと身を持って知ることになった。5歳下の妹が愛されるのを見てね」

「宗太郎は増々捻くれていった。私の『跡取りをろくでなしにして一族の衰退を謀る』という計画が崩れた。宗太郎の病気と外見と激烈な性格に“男系主義”が引っ込み、あの頭の古い連中が、『可愛い娘に気立てのいい婿を迎えよう』と路線変更をしたのは驚きよ。それほど宗太郎は手に負えない何か怖いものを宿していたという事かしら」

「そうは言っても、宗太郎は優秀で金稼ぎが上手く、一目置かれる存在になった。私も中卒(ほとんど行っていないけれど)で今更他で職を探すのも難しいし、一族の災いと成すチャンスはまだ諦めていなかったので、宗太郎のお付きのヘルパーとして働き続けた。宗太郎のような難病でも気立てのいい人はたくさんいるわ。私も他人に不寛容な方向に導いたけれど、何をしてもどんなに稼いでも満ち足りない飢餓感は、あの家族がもたらしたものだと思うわよ。それと、他人のために何かしようという気持ちが露ほどもないのもね」


 「住民票? ああ、今思えば私もちゃちな夢を見たものよね。始めは『遂に瑞生を手に入れて、宗太郎も安泰だな』くらいに思っていたのよ。私は宗太郎の数々の悪事の秘密と共に快適な介護付きホームで晩年を過ごすと思っていたから、老後に不安はなかった。それが、夜叉が来て村全体がざわついていた。それまでの村は、“セレブ村”と言われていたけれど、景観以外に取り柄はなくて魅力的とは思わなかった。ロハス女ではないけれど、夜叉が来て『これで何か起こらないなんてあり得ない』という感じが村中に湧き上がった。宗太郎が何故住民票を動かそうと思いついたのか、今でも理由はわからない。私は“家族”扱いなのだと解釈した。そこで『霞と対等なのだ』いや『重要性では勝った』と思った。私の方が家事全般、宗太郎のために何でも出来る。そう考えたら私の頭の中では『霞は要らない』になった。宗太郎と私と子供の瑞生で家族を構成できると思った。瑞生は幼児ではないから『何故霞を排除したのか』と訝しむでしょう。親族なのだから離婚したら霞側に付くわよね。そこで、あちら側に行けない理由を作ろうと考えた。ダークウェブで見つけた男との不倫現場の写真でそれぞれを脅そうとしたわけ。宗太郎は知らないわよ。『任せた』しか言わないもの。宗太郎はAAセンターに自分の専門科を作る事に執着していたから他の事はどうでもよかったの」


 「何故あんなに専門科に執着したのかって? …おそらく子供の頃の“お誕生日会”が原因になってるのじゃないかしら。宗太郎は病院でテレビを見て過ごす時間が長かった。幼児期は特に骨折が頻発するので安静第一だったから。日本の子供番組だけでなく海外の子供向けドラマなども見ていた。そこで海外セレブのお誕生日パーティを目にした。料理人を呼んで、ピエロや余興のバンド演奏や大きなケーキと主役の前に積み上げられるプレゼントの数々。退院して自宅で生活するようになって、宗太郎はいよいよ自分のためにパーティが開かれると思っていた。ところが家族は宗太郎のように“他人受け”の良くない跡取りを社交界デビューさせる気などなく、かろうじて誕生日を覚えていたのだって奇跡のようなものだった。何事もなく1日が終わり、夕食時に予めカットされたケーキの一切れが宗太郎の前に供された時、宗太郎は打ちのめされた。自室に戻り、骨折しないよう慎重にベッドに突っ伏して泣いた宗太郎は、多くを学んだのだと思う。それから“主役”に固執し、他人に頼らず自ら主役になることにしたのよ。だから自分のための専科は悲願だったはず。夜叉が来てからは、ゾンビーウィルスの恩恵に浴せるのではと妄想を肥大化させた。やっぱりあれほどのスターが『自分の村に来た』という事実に運命を感じてしまうものなのじゃない? 宗太郎みたいに自分は特別だと思い込んでいる人間は『自分のために来た』と解釈したのよ。私もついていけなかった。『ゾンビーウィルスで維持した自分の脳を瑞生に移植すれば、瑞生の身体で自分が生きるようなものだ』とか言って。昔のSF小説みたいな事を本気で言っていたわ」


「え? 精神科の受診? 考えた事なかったわね。最近は別行動も多かったからあまり話さなかったし。カウンセリングの必要性?あまり感じなかったけれど…」

こう言うと、光代は顎に手を当て、予想外のことを言われたとばかりに考え込んだ。



 「八重樫の病的執着、共感性の欠如、反社会的思考どれも極めて遺憾なレベルだと言えるが、“サイコパス”と片付けて罪を免れていいとは私は思わない。彼は償うべきだ」前島が腕組みをして言う。「検察も苦労するだろうが、他者を犯罪に誘導する悪意をどう罪に問うかは、今後も増える“手を汚さない”知能犯罪に対する毅然とした対応を示す重要な一歩となる」

県警幹部も頷いて、「私は八重樫と曽我の歪んだ二人三脚をきちんと暴くことにより、難病や障害を持つ人が被る可能性のある差別を防ぐべきだと強く感じる。車椅子の名探偵は小説のキャラクターだが、八重樫個人の悪意を車椅子使用者全体に当て嵌め、『健常者を羨む・憎む、陥れたがっている』という妄想を助長してはいけない」と思案気だ。「あの病院は難しいね。アンチエイジングは看板を下ろすのだろう? VIP専用病棟は“賃貸”で乗り切ったようだが、夜叉がいなくなって“ウィルス解析”は何を解析するんだ? 箱は立派だが中身は胡散臭いなんてことは困る」


 前島は頷きつつ、「あの病院もあの村も、今後ますます目が離せなくなるだろう。ウィルスの災いは終わっていないどころか、これからが本番だよ。夜叉の嘆き節の通り、物は食べられないし以前のような身体能力はない。だが、あの身体でアルバムをリリースし、夜叉通信を発信した。普通に死んでいたら叶わない事を成し遂げた。これは死を考える時多くの人間に魅力的に映る“保険”として脳裏に焼き付いたのじゃないか? なにせ、ウィルスに感染していただけで、小中と青山のような状態ですら、死後に本懐を遂げることが出来たのだから。あのウィルスの力を強烈に世に示してしまったのさ、夜叉の生き様が。だから我々は気を緩めずにあの村とあの少年を守っていかなければならない。あんな軽いテロでは済まない事態が引き起こされる危険を常に孕んでいるのだよ」




 1階応接室で、6人目の訪問者への応対を終え、サニとクマちゃんとロドリゴは一息ついた。

「ウィルス狙いだとわかっているけど、皆さんまぁ友好的だこと」クマちゃんが肩こりを解す。

ロドリゴは手土産の箱を嬉しそうに並べている。「アニー、開けていい?」

 手に持つ大学のパンフレットを振って「お菓子じゃなくて大学の中身に興味を持たないと」とサニは弟に苦言を呈するも諦めてクマちゃんに「学費免除とかマンションの無償提供とか有り難い申し出を比べる気はない。ここから通えることが重要なんだ」とパンフレットを渡した。

受け取ったクマちゃんは素早く抜き出した。「この2校がK県にある。でもサニ、瑞生君はこの村には住まないでしょう。あなたたちがここに住むことに意味はあるの?」

サニは無言で頷いた。その思いも寄らない厳しい表情に、クマちゃんは一瞬息を呑んだが、特に問い質すことなく、事務手続きの確認に入った。

 「ロドリゴもちゃんと聞いてね。日本で医療行為を行うには日本の医師国家試験に合格していなければならないの。2人はまず“医師国家試験の受験資格の認定”を受ける必要がある。キューバで医学部を修了し資格を取得した事を示して書類審査に通ると、日本語診療能力調査がある。それにパスして医師国家試験受験資格を認められて初めて受験することが出来るの。まずは7月末までの書類審査ね。サニは余裕でしょうけどロドリゴは日本語の特訓をしないと」

 サニは悩ましい視線を弟に向けた。「“ラーメンの達人”とか“サムライスイーツの達人”になることは求めていないのだが、わかっているのか?」

ロドリゴの返事は鼻歌だった。



 午後になった。自然と皆が集まっていた。

「夜叉追悼のサイトは一時期荒れたけれど、ミュージシャン仲間が声を上げてくれて、『ゾンビになっても、私たちの所に戻ってきてくれてありがとう』というサイトが出来た。有名人が率先して夜叉と自分の思い出を投稿してくれている。8月末にお別れ会をトーキョーマンモスエッグで行うことが決まった。フェスみたいになるかしらね。それと、夜叉がここに来たために犠牲になったと言える警備員の方々にWoods!としてお詫びとお礼とお見舞金をお渡しすることに決まったわ」

 「QQ警備の爺さんたちは八重樫宗太郎の画策で雇われたんだし、毒饅頭喰わせたのは宗太郎配下の曽我だろう。テロリストに撃たれた警備員は村の警備本部長のせいであんな目に遭ったのだろう? それでも夜叉のせいなのか?」と本永。

「命を落とされた方に責任を感じる必要はあると思う」とクマちゃん。少し明るい表情で「サニとロドリゴは日本の医師国家試験を受験するための準備に入るの。ロドリゴは日本語の特訓、サニは夜叉のターミナルケアに関するレポートを仕上げてキューバや厚労省に提出するのよね?」と話を振った。


 サニは思案気にクマちゃんに切り出した。

「クマちゃん、ヤシャの家はミュージアムになるの? あそこには誰も住めないの? 僕とロドリゴはこの病院に住める?」

「それもあって、さっき聞いたのよ。瑞生君が心配なら霞さんの家の近くに下宿した方がいいと思って。記念館になるまで夜叉の家に住めないことはないけれど、『キューバ人医師が帰国せずに居ついている』というのは拙いと思うわ。この病院に住むとなると、VIP病棟しかないけれど」クマちゃんは困り顔をしてみせる。


 「ウィルス解析センターはウィルス保持者を守るための施設。ここは村が要塞だからより安全だ。世界中に1つでいいから“駆け込み寺”が必要。どの国からでも逃げてきてほしい。この病院を起ち上げる会見で、世界中のゾンビーウィルス保持者には伝わったと思う。だから必ず僕かロドリゴがいないと」サニの言葉に反応して皆は瑞生を見たが、サニ自身は自分の手の指先を見ていた。


 「僕たちは蓄積したゾンビーウィルスの知識から、人類が理解していないだけで、『ウィルスは思考力のある生命体なのではないか』と考えていた。メキシコ付近には過去に隕石が墜ちた巨大クレーターもあり、地球外生命体が細々と生き延びていた可能性はある、とね。笑うかもしれないね、『困ったときは地球外生命体か』って。でも、僕は僕の体内にいるウィルスの意思を感じる時があるんだ。ロドリゴもそう言っていたよね?」

 クマちゃんが息を呑んでいる前で、ロドリゴも頷いた。

 「僕も! 僕もそうだよ。夜叉の前で、はっきりとウィルスは夜叉を懐かしがったんだ! 夜叉が燃えてしまった時もそうだ」瑞生は叫んでしまった。もっとも本永もクマちゃんも瑞生が宿主であることはわかっていた事なので、冷静だった。

 「八重樫よりも、サニたちの話が衝撃的だ」

「あなたたちは意図して日本にウィルスを持ち込んだのね?」

 サニは宿命を背負った者らしく、静かに一言ずつはっきりと言った。

 「そう。日本に逃れた。ウィルスを根絶やしにされないために」


 瑞生も黙って、サニとロドリゴを見た。2人は細マッチョとデブマッチョでゲームのコンビみたいだけれど、一歩引いて見てみると、違う世界から来た異種の人類みたいにも見えた。

 ふと瑞生は思いついた。「何か、見えたの?」


 サニは憂いを含んだ表情で、視線を落とした。見えた光景を足元に映写しているように。

「実際、キューバでは、何人も命を落とした。政府の研究機関で…。強引に血を抜かれたり、MRI撮影室で即死したり、胃洗浄をされて処置室で死んだ者もいる。ウィルス採取のために殺されたんだ」

「そんな酷い! MRI…つまりそう昔ではないという事?」

クマちゃんの問いに、サニは頷いた。

「それでも表沙汰にならなかった。誰も国に楯突いて情報を持ち出したりしなかった。キューバではまだ庶民がネットで拡散できる環境はなかったし、今でも検閲で消されてしまう。それに患者はすでに一度死んでいるゾンビだから。家族は死因を知らされずにお悔やみ料で黙ってしまう。どうせ数日後には再び死ぬとわかっていたのだから。そういう患者は偶然感染した人たちだ。通常感染源と思われるのはイグアナだから、一般人で知らぬ間に感染している宿主も一定数いるんだ。政府肝いりの“ゾンビーウィルス・プロジェクト”は様々な採取方法を試み、悉く失敗した。意図的に感染している宿主は承継が目的だから元々地下に潜っていて、ゾンビ化した時も表沙汰にならないお蔭で、平穏のうちに第二の死を迎えられるのだけど」

「僕たちにこんなに情報が入ったのは、犠牲になったのがロドリゴの恋人のお祖母さんの七人目のパートナーだったからだ。ゾンビ化した時、親族は仰天してファミリードクターに連絡した。医師は規則通りに通報したのだろう。秘密警察が来てゾンビを連れて行ってしまった。感染を疑われてお祖母さんも同居していたロドリゴの恋人も皆連行されて様々な検査をされた。お悔やみ料を渡され解放・箝口令・遺体は戻らなかった。ロドリゴは一週間も一族で姿を消していたから、心配のあまり詰問して事実を知った。だがこの話が広がれば恋人の一家が本当に消されてしまう。ゾンビ化は滅多にないから、情報の出所はすぐ割れる。そうやって国民に沈黙を強制しているのさ。僕たちは研修医になってから、内部資料を漁り、プロジェクトの存在に辿り着いた。証拠画像やコピーは取れなかったが報告書を見ることが出来て、ウィルスは発動前には何の検査にも引っ掛からない事の確証が持てた。人体に潜り込んだ後、60兆の細胞のどこかに寄生してステルス化してしまうんだ。…でもデータの盗み見に気づいた秘密警察がロドリゴに疑いの目を向けた。ロドリゴは恋人と別れた」


「ええ? そんな酷い。プライベートの幸せが犠牲になるなんて間違っているわ」クマちゃんが怒る。

「秘密警察ってそんなにおっかないの?」と瑞生。

「密告制度があると言ってたな。一党独裁と言うと、某国を想像すればわかるだろう? 党や国家が絶対だと庶民の人権なんて全く些末に扱われるんだろう。裏の顔は恐怖政治だよ」本永は瑞生に解説してくれているのだが、瑞生にはついていけない話だった。

「ロドリゴが目を付けられたっていうのは、プロジェクトの漏洩でか? マカンダルの息子でか? キューバ政府はマカンダルの息子を追ってはいないのか? ゾンビとマカンダルの関係を掴んでいるのか?」本永が畳み掛けて訊く。

 「密告制度でどんな噂も政府の耳に入るから、当然マカンダルの息子について調べている。ただ“呼べば助けてくれるヒーロー”のように表立った活動をしていないから尻尾を掴めなかったのだろう。ゾンビ化とは結び付けていないと思う。ゾンビの出現が稀だから。政府は頭脳や国家機密の流出に神経を尖らせていて、アバクアの情報では医師の出国に制限を掛ける話が進んでいるらしい。でも亡命にはおおらかで、以前は亡命するとその人の微々たる財産は没収されていたのだけど、今は残る親族に売却や譲渡していくことが出来るようになった。一度亡命した後で戻ることにも結構寛容なんだ。もちろん、また国家の都合でいきなり180度変わるんだろうけどね」

 サニは真面目に答えたがロドリゴは、「プロジェクトを推進していた時、連中は本気でフィデル・カストロをゾンビで蘇らせる計画だったんだろうよ。ゾンビを片っ端から殺してプロジェクトは挫折、ちょうど悟ったんじゃないかな。フィデルは年を取り過ぎたって。政権を譲り受けた弟のラウルですら80歳代だからね。いつまでも馬鹿な事企まないでくれてよかった」と笑った。「カリブ海からイグアナが消えるよ!」


 「恐怖政治の一方、ラテンの明るさか。平和ボケの国の人間にはついていけない感覚だな」本永が不思議そうに呟いた。

「その光と影の複雑さに夜叉は惹かれたのかしら」クマちゃんは遠い目をした。「光と影と、碧い海と白い砂浜にサトウキビの緑、赤や黄色のハイビスカス…」

「緑のイグアナ」瑞生が付け加えた。





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