2015年6月29日
2015年6月29日
梅雨の中休みも夕方からは雨と言う予報だったので、村では夜明けと同時に大人数の鑑識部隊が活動を始め、昨晩の内に自治会長藤森が通知しておいた捜査員による戸別訪問も始まった。
昨日は家族それぞれどこにいたか、家で何か気づいた変化はあるか、不審人物や不審な物を見かけなかったか。スマホで動画を撮っていないか。捜査員は聞き取り調査をしていく。
瑞生たちも5時から起きていた。夜叉の死とキリノの容態が重くのしかかり、生々しい事件現場の不慣れな病院内で落ち着いて寝るなんて無理だったのだ。
以前夜叉邸で遭った警察官(“残念な”高橋巡査だ)が朝食のおにぎりの配布に現れ、『順に話を聞かせてもらう予定』という朏からの伝言を伝えてくれた。
夜中の3時前にクマちゃんは戻っていた。
瑞生たちはテレビを見た部屋の並びに泊まっているので、クマちゃんがドスドスと歩く音に皆気づいていた。
そのクマちゃんも5時半にはおにぎりを食べていた。
「あまり消耗していないように見えるけど、大丈夫?」と瑞生が聞くと、クマちゃんはガハハと笑った。
「疲れているけど、消耗はしていないのよ。田沼ときたら、話すより聞きたかったのよ。田沼が話せるのは、実現しなかった“夜叉暗殺計画”であって、実際想定外のテロが目の前で起こって何が何だかわかっていないのだもの」
かっこよくクマちゃんにしゃけのおにぎりを譲って、昆布を食べながら本永が、「へぇ、意外な展開だな。で、どうしたの?」と聞く。
「もちろん田沼の計画を全部しゃべらせたわ。やはり元凶は田沼だった。暗殺計画をN不動産出身の元自治会幹部に持ちかけて、断られ、激怒して代役を手配するよう強要したのね。田沼に祟られるのも夜叉の暗殺に加担するのも嫌な幹部3人は困り果て、手近でフレンドリーで危険な人物に相談してしまった。前島さんも言っていたけれど、田沼が報復すると誰でも想像できたので、それを利用するために元部下を張っていたのだろうって。各人の家宅捜索で、テロリストとの接触過程は明らかになるでしょう。助かったのは1人だけなんて気の毒過ぎる」
「田沼自身がテロリストの殺害容疑で逮捕されているので、『部下が何故・どう殺されたのか知りたい』なんて我儘で私を呼びつけることはもう2度と出来ないと理解した点は大収穫だったわ。刑務所で生涯を終えることになろうとも、自己責任だと思い知ればいい」
クマちゃんにしては本気で毒づいていた。
3個目のおにぎりを食べ終わると、クマちゃんは深く息を吐いた。「自分は特別な人間だから世間に悪意の芽を撒き散らしてもいいなんて思い上がりを長年抱いていた…あの2人って、似ているのかしら」
「確かに、この村で起きた散々な出来事の多くがそういう心をベースにしている気がするな」本永がお茶を吹く。猫舌なのだ。
本永の言葉で、瑞生は霞の事を思い出した。昨晩から時折気にしてはいたのだが、昨日は港町の実家にいたはずで、伯母が危険な目に遭っている可能性は低い。伯母から瑞生の安否を気遣うLINEは来ないし、自分から無事だと知らせることもない。あの人が自分の母親だと知ったからって、急に情が深くなるわけない。むしろ“血の繋がりの無い父の姉”と思っていた頃の方が本気で心配していた。
あの告白を聞いて、2人の禁断の愛とやらのお蔭でとんでもない幼児期を過ごす羽目になったと知った。父に対する想いまで虚しく感じた。伯母を責める気持ちが湧き出てくる。そんな自分が嫌になる。
瑞生も本永も門根も、やってきた刑事に話を聞かれた。刑事からは何も聞き出せなかった。
刑事はしつこく訊いてきた。「君は搬送車の中で夜叉の手を握った。ひんやりと柔らかかった。そうだね? 夜叉がセンター内で燃え上がった時君の手は燃えなかったのかい? 何故火傷しなかったのかな?」
「だから、手を握っていたのは搬送車に銃弾が撃ち込まれる前で、撃たれてからはサニが床に伏せろと言ったから手を離して床にうつぶせた。そのまま車が急発進して着いた先で夜叉が燃えたんです。だから僕の手は火傷するはずないんです」
「君が手を握っていたら夜叉の異常発熱を感じて消火剤を撒くとか、対応できたのじゃないか?」
「しつこいな。手は握っていなかったんです。僕が立っていたら銃弾に当たってましたよ。それに瀕死の夜叉に消火剤を撒いたらそれが致命傷になっちゃうでしょう」
「では君は夜叉が燃えた所を実際には見ていないのじゃないか?」
「夜叉以外の誰が燃えるっていうんです? 車から逃げる時振り向いて夜叉が燃えているのを僕は確かに見ましたから!」
しまいに腹が立ってきた。
「刑事に腹立てるなんて敵の術中に陥ったようなもんだ。相変わらずお子様だな」本永に切り捨てられて瑞生はむくれた。
「国家権力の理不尽と不寛容をお前に想像する力があるのなら、今こそ愚直なまでに見た通りを伝えて納得してもらうことの重要性もわかるだろう」
本永の小難しい言いように戸惑いを覚えたが、おそらくかなり真剣に、『今ここで供述の信憑性を確保しておかないと、後々ずっと祟るぞ』と示唆しているのだ。
瑞生は目を閉じた。体の隅々まで夜叉を感じる。ウィルスを守るという事は夜叉を守る事なのだ。そのためにはもっと賢く振る舞わなくてはならない。
テロリストが断崖絶壁から侵入したその後の経路は、警察犬と防犯カメラ映像により具に把握された。アラームが鳴り響いていたためか、大学院生を射殺した際も隠蔽することなく遺体を放置して先に進んでいた。そのため、鑑識が重点的に調べる必要があるのはやはりセンター裏の駐車場だった。
“夜通し魂”の流したオリジナル映像はすでに警察の手元にあった。カルトナンバー2は島崎妻に島崎夫のコーヒーに多量の睡眠薬を入れるようそそのかし、結果として島崎を昏睡させた疑いで、任意同行を求められたのだ。ナンバー2は教祖によるバッシングを恐れ、警察の保護下に入ろうと素直にK県警本部に出頭した。
その映像と、駐車場に2箇所設置されている防犯カメラ映像、田沼と生き残った警備員の証言に基づいて、テロリストの軌跡はほぼ把握されていた。アキとフユの2人はダークウェブに潜入しているサイバー捜査官により“拉致請負人”と目星がついたが、本名や身元確認には時間が掛かりそうだ。
拘束されたテロリスト2名は、異なる末路を辿った。ツナは皮膚の下に仕込んでおいた遅行性の毒を舐めていた。体調に変化が現れた時すでに遅し、ツナは24時間カメラで監視されている独居房で死亡した。口腔内の毒物は徹底的に検めていたが、敵は先んじていたのだ。
対してマーチは分断された南の国への亡命と安全確保を条件に、饒舌に語った。ツナとシャークの悪口には力が籠った。「亡命の前に筧さん殺害と職業不詳女性の傷害致死、警備員傷害の罪を償う事だ」検察官は冷たく言った。
藤森は警察関係者が出入りするビジターセンターの一室で、聞き取り調査に協力した後に自治会幹部を集めた。
幹部も藤森同様、交換するほどの情報を持ってはいなかった。
「斜陽気味だった村に激動期が来たって感じですかね」と若手。
「そうだなぁ。夜叉が来た事で株が上昇したと思ったら、事件が住人の責めで続発し一気に下降した。今度はテロの標的になり夜叉は死亡…。もう自治体としてもたないのじゃないか?」と別の幹部。
藤森は、「まずはフォーラムの爆発で怪我をした人にお見舞いと補償金だ。顧問弁護士と保険会社に任せてある。ガラスの破片による擦過傷と捻挫がほとんどなのが不幸中の幸いだ。亡くなった元自治会幹部は自らテロリストを村に引き入れているので、気の毒だが村に非があるとは思えない。遺族が田沼を個人で訴えるのには関与しない。村が田沼や、爆発物を仕掛け起爆スイッチを押した大学院生に損害賠償請求をするかは全容が明らかになってから検討しよう。…今後は更に転出希望者が増えるだろうね。今からでは動けない高齢者所帯ばかりになるか。…僕は村から出るつもりはない。世間体も全く気にならない。そう悪い事ばかりではないと思うんだがな」と皆を見た。
苔田が朗らかに、「僕もそう思ってました。N不動産との独占契約は解除でしょう。家が高いだけの村から、もっと別の村になるチャンスですよ。僕は手始めに森の中にプラネタリウム付きのシアターを建設する提案をします。『まず箱物』は従来ならば否定したいところですが、潮目を変えるにはいいと思うのです。The Axeのライブフィルム上映会をこけら落しにしたいですね」と提案した。
「研究施設の特色をもっと出したらどうだろう。村には“東アジア平和研究センター”なる機関がすでにある。申し訳ないが献金する企業の税金逃れの意味以外に何をしているのか、私は知らない。漠然と“平和”ではなく、テロ阻止と平和都市研究など特化したらいいのじゃないか。村全体で城塞都市のモデルケースになれる。ITを駆使した安全な城塞都市作りは世界でも注目される。別荘所有を認めてニース半年ここ半年なんて認めたら外国の富豪が気楽に買うだろう。ここを拠点に日本をじっくり楽しめる」
「賃貸を認め、教授や研究者が住みやすく研究に没頭できる環境を提供する。年契約でオープンカレッジ講師をするほど家賃を下げるとか、研究者と村の繋がりを作っていくという提案をするよ」
「私は小説にあったような、“第一線で活躍した人の引退村”にして、研修施設で生活しながら本格的な修業、技能継承をする村にするといいと思う」
「居住者有志でN不動産に損害賠償請求しましょう。あの会社は住人の自由に振舞う権利や転居の自由を過度に規制してきました。最近起きた様々な事件はN不動産第一主義の自治の悪影響です。企業トップの指示だという証明は難しいと思われますが、世間に村の自治会がN不動産と決別したと知らしめることは出来ますよ」
藤森はほっと笑顔になった。「意見が色々出るようになってきたな。希望を抱けば、きっとうまくいく」
「『事件の概要すら未だ不明』『聞き取り調査協力がある』『家族の動揺が心配』等の理由で今日外出を取りやめた住人がかなりいるようだ。まぁ無理からぬことだ。この村に来て夜叉が幸せだったのか、いずれ周囲の人に聞いてみたいな。だがその前に夜叉と今回亡くなった警備員の死を悼んで、村の追悼の気持ちを表せないかな。『各家庭で、門やバルコニー、玄関前にランプやキャンドルの灯りを点し夜叉と犠牲者への追悼としましょう』と呼びかけようと思うがどうだろう? 夕方から“雨”の予報が“小雨”に変わった。鑑識の作業も降雨前に終わる予定だから邪魔にならないだろう」
自治会は数日後の再招集を決めて、解散となった。
警察は複数の被疑者が死亡している事件の解明のために、その場に居合わせた者の行動を再現出来るほど詳細に調べ上げる。動機や心情はそれに肉付けされていく、手法として確立されたものだ。
対してゾンビーウィルスについては、サニを筆頭にロドリゴ、森山、法医学者と感染症研究所から派遣されてきた医師(藁科ではない)の見解を聞くしかなく、科捜研の探し出す何かがどれだけ裏付けてくれるか未知数だった。
村中に散らばった警察官は住人の聞き取り調査をしながら不審な物・人物を捜し、ありとあらゆる物置・カーポート・ゴミ箱を検め、植樹の後を掘り返し、テロリストの影の捜索と称して屋根裏に上り、その実“夜叉の遺体”を探していた。くねくね道の途中にあるかつてのドッグランには警察犬が放たれ、建物の床板は残らず剥がされた。
一方、科捜研は不眠不休で、夜叉の遺体のあったストレッチャーと保護のため被せてあった高濃度酸素治療用カプセルの蓋(AA科から急遽持ってきた物)から採取できる物は全て採取し、調べていた。バキュームで空気中の粒子も空気ごと吸い取り保全したかったのだが、居合わせた議員が自分の感染を疑いパニックになった際、ストレッチャーに当たり蓋がずれたので、もはや密閉性は保たれておらず、採取した空気も外との混合物でしかなかった。
だが、研究員の1人が空気中の粒子の中に何らかの反応を認めることが出来た。それは”おそらく空気に反応して分解していく何か”の最後の姿を捉えた唯一のケースだった。
科捜研は報告書に、「ストレッチャーの上に空気に反応し崩壊する何かがあったと推察される」と記した。そして警察は炭化した遺体に認められた夜叉の特徴『右手の親指が根元からない』を目視及び写真で確認したことを根拠として、夜叉は死亡し何らかの理由で燃えて炭化し崩壊したと結論付けた。
サニが疲れ切った表情で現れた。夜叉が燃えている搬送車から瑞生をつまみ出してくれて以来だから、ほぼ丸一日姿を見なかったことになる。
「サニ、どうしていたの? 大丈夫?」と瑞生。
「人権侵害で、騒いだ方がいいなら言ってくれ」と本永。
サニは手近なソファに座ると、渡されたエナジーゼリーを黙って飲み、おにぎりを黙々と食べて横になった。
HPを回復したサニは、自身の境遇をこう言った。
「多分、日本政府は僕を胡散臭いから強制送還したいと思っているのじゃないかな。そもそも日本人にとってゾンビー症候群は、未知で他人事の“中南米の風土病”だ。ホケンキョクの人はそう言ったよ」
「ホケンキョク? 多分厚労省の役人だな。酷いな“風土病”とは。キューバでそれに罹患した患者が大勢いるわけじゃないのに」と本永。
「僕の医師免許では日本で医療行為が出来ない。今まではヤシャに対してだけ特別に認められていたから」
「ゾンビだからだね?」と瑞生。
「そう。用済みのゾンビ専門医には『速やかにお帰り下さい』なんだ。でもその前に、ヤシャの手前、僕に聞くことが出来なかったゾンビーウィルスの正体とかヤオーマとコナカ君のこと、ヤシャのウィルス感染経路についてもっとしつこくたっぷり時間を掛けて話させたいんだよ」サニは砂糖たっぷりのコーヒーを美味しそうに飲んだ。
「それは尋問なんじゃないか?」本永が憤る。
「どうだろうね。警察にしてみれば、社会主義国繋がりで昨日のテロリストを呼び込んだと考えられなくはないみたいだったよ」サニはいささか他人事のように話した。
「ロドリゴは?」瑞生が聞くと、「同じように疑われている。僕はヤシャが身分保障したも同然だったけど、ロドリゴは僕の弟と言うだけで後から来たので余計胡散臭いのだろう。でも、彼は明るいから大丈夫だよ」と心配していない素振りだ。
実際、警察は見た目でロドリゴの方が陥落しやすいと踏んで尋問調で取り調べたらしいが、ロドリゴに振り回されて終わったらしい。
サニの“尋問”検め“聞き取り調査”には国立感染症研究所の医師が詰めていて、ウィルスの情報を得ようと頑張ったらしいが、これもさしたる収穫なく終わった。




