2015年6月28日⑥
テレビで繰り返し、:ミライ村に行っても夜叉には会えません。村のゲート前に群衆が形成されつつあります。皆さん、テロのあった直後です。ミライ村に行くことは控えてください:と警告しているにもかかわらず、人々は夜叉の訃報にいてもたってもいられなくなっていた。
同時にテロに関する情報が、ほとんど根拠のないガセを中心に乱れ飛んでいた。それには死傷者の名前が公表されないことも一因だった。“夜叉暗殺説”も飛び交っていた。ネットはヒステリックに荒れていた。
村内は安全とは言え、夜叉邸に戻る事は控えてほしいと朏に頼まれ、ガンタたちも含めて全員がセンターに泊まることになった。本永は非常に明るい声で『八重樫と共に明日は欠席する』と榊先生に連絡していた。
暇にかまけて本永がホワイトボードに今日の事件の数々を時系列に書き始めた。
だが、ものの数秒で行き詰まった。瑞生はずっと搬送車に缶詰だったし、本永も途中から村に入り朏と一緒だったが、全体の情報は知りようもなかったのだ。
「う~ん、残念だが、小学生の発表みたいだ」と本永は自虐的に言うと箇条書きを消した。なにせ、“夜叉出発”“アラーム開始”“フォーラム爆発””センター裏銃撃戦”くらいしかないのだ。
そこに、朏が戻ってきた。げっそりしている。
「世間の過剰反応を鎮めるために、解剖所見を発表したかったのに、『炭化した挙句崩れて消えてしまいました』とは口が裂けても言えないよ。まぁ、たまたま押しかけて来た偉い連中が目撃しているから、我々の遺体隠蔽とか遺体損壊とかの言い掛かりは無くて済んでいる。これは幸いと言うのだろうな」よいしょと座る。冷蔵庫からガンタが出してきたプリンを自然に食べている。さっきは『職務中だから』と固辞したのに。
「よっぽど疲れているんだな」瑞生の思ったことを本永が呟いた。
「前島…さんは?」瑞生は前島を全く見かけないのが不思議だった。
「ああ、頼みの綱は前島さんだ。なんとか政治家を説得して結論に導いてくれると思うよ」朏は美味しそうにコーヒーを飲み干した。「ああ美味い。ガンタさんもう一杯」
「八重樫もそうだけど、俺も不思議だったんだ。最初のビジター事件の時も、前島がいながら大量に侵入を許すなんて、前島が責任取らされて当然かと思ってたのに、そうはならなかった。今回も、メディアのターゲットにあの警備本部長を差し出してる。前島は前には全然出てこない。なんだか不自然なんだが」本永が代弁してくれた。
朏は、人心地ついた表情で2杯目のコーヒーを啜った。
「まず、前島さんは村の警備の責任者ではないからね。あの警備本部長は、前島さんの警告も県警本部経由の指導も軽んじて対応を怠った結果人命が失われたのだから、責任を取らされて当然だ。あいつに遠ざけられなきゃ僕だって最初から村の中にいられたのに」本音を吐露して溜飲を下げようとしても、まだ苦々しい表情だ。
「俺はK県警のしがない警察官だから、警察庁のトップ人事の話に精通しているわけではないのだけど。前島さんは今の警察庁長官から非常に信頼されているらしい。警察庁長官の持論として、型に嵌った組織第一主義の人間は御しやすいけれど、有事に役に立たないから、俯瞰できる非組織型人間が組織の中枢に絶対必要なのだと。実際前島さんは難事件やテロ対策で成果を上げている。階級は警部だけど出世競争に汲々としていないし、警視庁との関係も良好で、重宝されている存在なのだな。今もパニックになって煩いばかりの偉いさん相手に、『皆さんの見たことがゾンビーウィルスの真実なのでしょう。ここには謀略などありませんよ。見たままを報告すると国民にどう影響するか考え、最善の報告の草案を作る事こそ皆さんの使命です』とか、言ってるはずだ」
「つまり前島はドラマの“はぐれ者刑事”みたいな存在って事か?」と門根。
朏は首を振った。「はぐれ者刑事って、組織をないがしろにするでしょ? それとは違う。前島さんは組織の秩序を十分理解してるから。最少人数で規格外の捜査や調査を行い、実行にはきちんと手順を踏んで担当部署に出動を要請するんだ。大人なんだよ」
大人の言う“大人”は瑞生にはわからなかった。本永もピンとこない顔をしている。
「それで真実をそのまま公表するわけじゃないってことだな?」と門根。
朏は頷いた。「夜叉は一度死んだゾンビで、再び死ぬことは自明だった。サニ先生も認めているが危篤状態で搬送していて、搬送中に亡くなった。そして被弾したせいかどうか確認できない。それを、公表することで喜ぶのは『夜叉の暗殺に成功した』とやってなくても喧伝するテロリストだけだ。犠牲者が多数いるのに」
「なるほど」
「拘束された男2人は黙秘しているが某国の工作員だ。死んだ女2人も。それと別に死亡した日本人の女2人は産業スパイと目されている。射殺体で発見された村内の大学院生2人はスパイに雇われて爆発物を仕掛けた疑いが強い。弾痕鑑定で確定したが、海側の断崖絶壁から現れた工作員に撃たれて車を奪われたようだ。…死傷者数は真実を発表するが、情報戦の時代、日本の主権は常に守られていたと発表するのも国防手段だ。村内の防犯カメラでテロリストの行動はいずれ詳細に分析される。それを公にするかは別の問題だけどね」
朏に連絡が入り、ほっとしたように「前島さんがまとめてくれた。これで明日夜叉の解剖結果報告会見が開ける」と言った。
テレビではWoods!のホームページを引用して、葬儀は夜叉の遺言により密葬で行い、後日お別れの会を行う予定だと伝えていた。トドロキのメッセージとして:ファンの皆さん、夜叉はゾンビの身体から自由になったのです。あいつのことを思ってくれるのなら、この村に駆け付けるよりあいつの曲を聴いてください。あいつがこの世から解放されたっていうのにこの村にいつまでも留まっているとは思わないでしょう?:と読み上げられた。
「すごくトドロキらしい。でもファンは何故キリノのメッセージじゃないんだ?って思うね」瑞生の言葉にクマちゃんが「今トドロキとガンタと門根が伝えに行っているわ。キリノは自分の方が先に逝くと思っていたから、ショックだと思う。覚悟していても、受け入れるのが厳しい事ってあるから…」と沈痛な面持ちで答えた。
「朏さん、触れなかったけど、多重テロが偶然同日同時刻に起きるなんておかしいよな。誰か裏で手を引いていた奴がいたのじゃないか?」朏巡査部長の話から再度ホワイトボードに時系列の記入を試みていた本永がペン先を揺らす。
「そうね、調べているのでしょうね」クマちゃんも思案気だ。
「お、ここか」
驚いたことに、“全てのキーマン”本日やたらと高評価な話を聞く前島がひょっこりやってきた。つかつかと冷蔵庫に向かうとプリンを出して椅子に座った。
「なに、やってるの? 一番忙しい人なんでしょ?」瑞生が戸惑うと、前島はただプリンを見つめて、「私にも休憩が必要なんだよ。君たちは稀有な存在だからな」独り言のように言った。
「朏の言う通りだ。美味いな、これ」ずずっとプリンで立てるべきではない音を立て、一気に食した。
きっとクマちゃんは大人だから敢えて質問しないのだろう。だが、本永は素通りを許す気はなかった。
「前島さん、いるんでしょ? 多重テロを演出した人物が?」
早々に席を立とうとしていた前島が首だけ振り向いた。そして思い直したかのように、本永の方を向いて座り直し、クマちゃんにコーヒーを所望してこう言った。「本永君、君ならどう考える?」
これには本永も虚を突かれたようだ。
きょとんとした後、立ち直って、「…周到に準備していて、夜叉の事情を知ることが出来た村の住人か、それを操る人物だ。何らかの方法で、皆が6月28日午後1時に行動を開始するよう仕向けた。動機が読めると犯人がわかると言うが…、村で騒動になると嬉しいか、夜叉が死ぬと得をするのかもしれない。いや、動機は俺には推察できそうにないな。もっとグローバルな事情や詳細な事象があるだろうが知らないし、それに絡んだ各人の感情と下種な都合なんて知りたくもないし。こんな所だ」と肩を竦めた。
前島は満足そうに頷くと、「君は自分の地力の限界を知っている所がいい。頭の切れる子は自分の伸びしろを無限大だと思いたがるようだが」と席を立った。「この事件は単なる利益追求とも報復とも違う。複数の人物の思惑が絡まり相乗効果を上げてしまったようだし、個人の人生の歪みに根差すものでもある。そして“遅れてきたセレブ村”だからこそ起こったと言えるだろう。解明には君たちに助けてもらう事もありそうだ。プリンご馳走様」
前島と本永の会話は瑞生の思考範囲を超えていたため、瑞生はやむなく黙っていた。どう質問していいのかわからなかったのだ。
逆に本永から話を振ってきた。「前島は夜叉の解剖見学に来たはた迷惑な偉いさんを宥めるために、ここに来たんだよな? 宥めるか丸め込むかは微妙な所だろうが。…それだけか?」
「どういう意味? ここに他の何が…?」瑞生は言いながら考えた。センターと言えば、アンチエイジング部門、VIP病棟、主のいないウィルス解析センター。あれ、そう言えば伯父はどうしているのだっけ? また入院しているの…。瑞生にも本永の言わんとするところがわかった。
そこで、伯父の宗太郎が黒幕であることが可能か、考えてみた。
伯父になら準備時間はたっぷりあっただろうが、夜叉の事情を知ることが出来たとは思わない。警備が厳重で盗聴器は仕掛けられなかっただろう。ひさご亭内の監視カメラは門根が止めたままでハッキング出来ない。
別の考え方をしてみた。伯父は何を使う? ネットだ。村でネットに繋がっているのは、広報や緊急連絡網。藤森がアンケートを取る時使った奴だ。そこには夜叉の情報はない。後は防犯カメラ。この前の毒饅頭事件の時も何か悪用したとか。防犯カメラ情報を自由にハックすると、夜叉の家から出る人を監視することは出来る。
あれ、もしかしていい線行くかも。夜叉の家から夜叉が出て行くのは、容態が悪化した時だけだ。しかも救急車で出るからマークしやすい。決めた誰かに伯父の望むことをさせるのは無理でも、夜叉が病院に向かったと知らせることで、不特定多数の人が病院に行くように仕向けることは出来る。伯父は暇だからカメラ映像をチェックすることが可能だ! 瑞生は立ち上がった。
クマちゃんと本永が目を丸くして見ている。瑞生は興奮して口が上手く回らなかった。「ぼ、僕、閃いたっちゃったかもしれない」
黙って瑞生の説を聞いた後、「ありかもしれないわね。6月28日午後1時にわざと人を動かしたのではなく、夜叉の搬送が始まったのがその日時だった、ということね」クマちゃんは大きく頷いた。本永も、「お前にしてはいけてる」と認めてくれた。「そう考えると、事件に統一性がなく、目的がぶれて見えるのも納得だ。黒幕は『広場に集まれ!』と言っただけ、ってことだな」
本永は行動力も瑞生の数百倍はあった。すぐに朏に電話してセンター内にまだいた前島を呼び戻してもらったのだ。
瑞生の説を聞くと、前島も「八重樫宗太郎を知る者のみ可能な思考法だ。八重樫氏の動機から考えて行こうとしたのでは辿り着けなかったわけだ。発想のヒントを教えてくれるかい?」と絶賛した。
「曽我さん抜きの伯父の行動範囲は極端に狭くて、自由に出来るのはやはりネットを利用する事だから。あの家でも『家じゅうのカメラを駆使して何でも出来る』って言っていたのを思い出して」瑞生もちょっと鼻が高かった。
「すぐに村内の防犯カメラ映像にハックした痕跡を探しましょう。八重樫宗太郎に辿り着ける可能性ありますよ」と朏巡査部長。
「伯父さんは抜からないから痕跡なんて残さないと思うけど…」
朏が首を曖昧に振った。「今回は大丈夫かもしれない。その…援軍が、センター内にいたから」
前島にすら怪訝な顔をされて、朏は慌てて前島に助けを求めた。
「どこまで話していいものか、私には…」
前島は「君たち、オフレコ。いいね?」と瑞生たちに頷かせて、先を促した。
「ええ~起訴前ですが被疑者なので呼び捨てで話します。前回八重樫は自ら救急搬送されてセンターに入院した。サニ先生に薬を盛って圧力を掛けるネタにしようと思ったらしい。村では同時進行で曽我が警備員に毒饅頭を振舞い、霞夫人の脅迫に失敗、逮捕されている。その際八重樫はVIP病棟に迷い込み、入院患者Tに一晩軟禁された。事情聴取の後八重樫は再びセンターに入院していた。ネットを用いた悪事を個室内で出来る環境にあったわけだ。今日、夜叉の搬送車がセンター裏口で足止めを喰っている間、ロドリゴ先生が裏口のシャッターを開けようと待機していた時、八重樫は現われた。そしてロドリゴ先生がシャッターを開けるのを阻止しようと襲った」
「襲った? 車椅子の伯父さんが?」
「バットで殴りかかったとか? 塩酸をかけたとか?」
瑞生は本永の発想にクレームをつけた。「本永、伯父はバットを振り上げただけで腕を何箇所か骨折する。塩酸なんて自分に撥ねたら危険な物、人にやらせる以外絶対自分では使わないよ」
「ふふ、君は結構伯父さんを理解しているんだよね」と前島。
皆は当事者であるロドリゴの答えを待った。ロドリゴは、自分の係わる話の成り行きをぎりぎりの日本語理解で聞いていたようで、「僕? みんな、聞きたい?」と確かめた。クマちゃんが「何があったのか、教えて」と促す。
「僕は緊急入院口でアニー(兄)・ハビエルを待っていた。ロックコードの解除をしようとしたら、ミズオの伯父さんが車椅子でやって来た。『危険だからシャッターを開けるな』とかごちゃごゃ言っていた。僕が背中を向けていたら、カッターで刺してきた。でも僕は元気。伯父さん、力ないから。そうしたら、青年がやってきた。ここの患者、伯父さんの知り合いだった。伯父さんは、青年に酷いことを言った。僕が伯父さんに『黙りなよ』と言う前に、青年が伯父さんの手の甲に針を刺した。泣き喚く伯父さんの車椅子を押して行った。約束通り、僕は伯父さんの治療をセンターの人に頼んだよ。治療してくれたよね?」
ロドリゴが朏に確かめた。「軽症でしたよ」と朏。
「約束? ロドリゴはその青年と何を約束したの?」と瑞生が聞く。「伯父さんを彼に任せる事。医師を治療に向かわせること。夜叉が望むなら夜叉を助ける事」
「それで、“援軍”かぁ」瑞生の感嘆に、朏が困惑気味に「患者の自己判断の協力をそう言っていいものか、正直今でも疑問なんだ。でも、彼がずっと八重樫を監視していてくれたから…もっと言うと、所持していたノーパソを取り上げていてくれたから、八重樫は痕跡を消す作業が出来ていない可能性が高いんだ。だが患者の彼の機転に乗って都合よく警察が利用させてもらう事の是非をもっと考えるべきだと俺は思う…」と苦悩と共に吐露した。
「…そうだな。社会復帰の時期を迎えた元加害者が、”たまたま”捜査協力をするという事の是非を考えないとな。彼の独善が”たまたま”我々警察のニーズを満たしたからと言って、彼が”正義の味方”に変われたわけではないから」前島も噛み締めるように言った。
「彼のケースは被害者と加害者が明確に分かち難いものだから、より複雑だ。人の傷を癒すものとは何か? 時間以外に周囲が用意できるものはあるのか。未成年の更生はもっともっと行政が力と人手を割いて取り組まなくてはならない問題だ。彼の人生がまだあと60・70年は続くと思えば、是が非でも社会復帰を成すべきだろう。だが筆舌尽くしがたい世間のバッシングに本人も家族も耐えられるのか…。“サポート”と一言で済むような次元じゃない」
「八重樫、伯父さんの手に針が刺さった事はスルーなんだな」本永に指摘されるまで、自分ではそれが不自然な事に気づかなかった。
「ああ、『軽症』って聞いたから。…違うな。僕の中でそこは引っ掛からなかったんだ。本永の言う通り、薄情だね。曲がりなりにも僕を引き取ってくれた人なんだから」
「いや、俺はそういう凡庸な事を糾弾したくて言ったわけじゃないから」
「?」
「お前、ぼけっとしてるから聞き逃したのかもしれないと思って確認しただけだ。それより、前島さんはその手の甲に絆創膏貼っているオヤジを聴取してきて、動機は掴めそうでしたか?」本永の切り込みたい相手は瑞生ではなく前島だったのだ。
前島はにやりとした。
「友人と伯父の関係性に注意を喚起したのは、その伯父の闇について情報を引き出せるか、探るためか。よほど興味があるようだね」
本永は渋々認めた。「そりゃ、動機に興味湧くでしょ。村を舞台に銃撃戦まで仕込むなんて」
「残念ながら、単純に“犯罪の動機”を聞き出すのは困難なようだ。認否も動機も真実を語るとは思えない。つまり聴取の質の問題を言っているんだ。わかるかな?」前島の話に瑞生は正直に首を振った。本永は斜めに傾げてみせた。
「八重樫宗太郎は陽の当たる病棟で楽しく悪意を世間に仕込みながら、辣腕投資家としての存在も維持したいと思っていたようだろう? だが曽我と引き離されて楽しい老後の二重生活に赤信号が灯った。VIP病棟の青年と出会ったことで、正気と狂気の淡いに存在する生き方を知った。現実逃避をしない事が彼の病気と闘う姿勢に現れていたと思うのだが、遂に現実から目を背ける事の魅力に囚われた可能性もある。そうなれば、彼には真実を語る必要はなく、そのふりをしては我々に遊んでもらうという時間潰しが出来るからね。『告白したい』と馴染みの刑事や弁護士を呼びつける受刑者や被収容者はよくいる。彼は今如何にして塀の中ではなくVIP病棟に入るか、策を練りに練っているんだ」
瑞生は驚いて、何も言えなかった。あの伯父が…。自信に満ち溢れた暴君が現実逃避? だがまぁ逃げたくなる理由がないとは言えない。仮面家族が崩壊し、とうとう周りに誰もいなくなってしまった。長年の目標だった専科は出来ないし、人を嵌めようとして悉く失敗し、自分が針を刺された。四面楚歌?万事休す?八方塞がり?どれがしっくりくるのか、わからない。
「それを許す前島さんじゃないよな?」本永の強さと弱さが同居した言い方だった。
前島は力強い目で答えた。「地道に証拠固め。防犯カメラの映像、音声、データ、目撃証言、あらゆるものをコツコツ集めて真実を炙り出す。彼の迷妄に付き合う必要はない。今の段階では暴言になるが、あの男のせいでこの裏駐車場に殺人のプロが集まってしまったんだ。死ななくていい人間が命を奪われた。最終的には、悪意を罪に問えるかという問題になるかもしれない。彼は情報提供しただけで、何ら殺人を示唆も幇助もしていないのかもしれない。だが至る所で悪意を放散している証拠を突きつける。罪に問い、法廷でしゃべらせる事を諦めない。警察とはそういう物だろう」
「“正義”とかって言わない所が気に入ったよ」本永なりに褒めたのかもしれない。
「私も君の“正義感”が気に入っているよ」前島の方が一枚上手だったようだ。
「死傷者を増やしたのは警備本部長に責任があるとして、もう一人のこの惨劇を演出した人物が、黒金さんに話を聞いてもらいたいと言っているそうです」朏が電話を受けてクマちゃんに打診した。
田沼の身柄は一番近いY市の警察署に移されている。
「…」
クマちゃんは前島を見ながら考えていた。
「引き受けませんよ。当たり前でしょう? 私の永遠の依頼人をサバイバルナイフで暗殺しようとした人でしょ? 絶対に弁護なんて引き受けない。今話を聞くのは、後から一転罪を認めず黙秘に転じた場合に備えて、話したがる時に聞いておくべきと思うからよ。人は得々と語る時ボロを出しているものだから。条件を呑むなら聞きましょう。『話を聞いた以上引き受けろは私には通じない』『前島さん同伴で』と伝えて下さい」
「『田沼は被疑者ですからやはり“弁護人の接見”として担当弁護士候補にならざるを得ません。接見後に弁護を辞退するしかないですね。前島警部の同席は不可能です』だそうです」警察庁からの返事を聞いてクマちゃんは「それなら、会いません。法律的にこの件と係わりたいわけではないので」と言った。
瑞生はこの時初めて気づいた。
本当はクマちゃんも搬送車に乗りたかったんだ。クマちゃんは心底夜叉を愛していたのだから。でも、瑞生に夜叉が伝えたい事があるかもしれないから、同行を譲ってくれたんだ。今は客観的に田沼の悪事を法律で裁き償わせるのが筋と考えている。ただ一点、愛する者の静穏たるべき臨終を、全く望まない殺戮の場にしたことに、心の芯で怒りを滾らせている。感情を排するのなんて無理なんだ。だから仕事として係わりたくないんだ。
だが警察・検察は田沼の扱いにくさを憂慮していて、先程のクマちゃんの言と同様に『話したがる時に聞いておくべき』と考えたようだ。田沼の弁護人は古巣N不動産“元”顧問弁護士に引き受けさせて、クマちゃんは今回だけ一緒に接見するという策を編み出した。
クマちゃんは眉根に皺を寄せていたが、もうすぐ11時半という深夜にも係わらず迎えの車に乗ることを承諾した。
車を待つことにした矢先に、門根があたふたと部屋に戻ってきた。
「テレビあるよな? “日曜夜通しジャーナリスト魂!”でスクープ映像公開だと! 『コスモスミライ村で何があったのか? 極秘撮影動画を独占入手!』って3分前からネットで流れてるらしい。早くテレビ点けてくれ」
ガンタとトドロキも戻った。門根の興奮状態と違い、物憂げだ。本永が部屋のテレビを点けている(初めて使用するため設定調整が必要だったのだ)ので、瑞生はガンタたちの話を聞いた。「キリノはどんな様子?」
ガンタはがっくりと落ち込んでいて話さない。
トドロキが重い口を開いた。「キリノの一番の気がかりは夜叉だった。俺は会社やってるし、ガンタもカレー屋があって生きる術を持っている。夜叉だけが根無し草のスーパースターで、未だにキリノに依存しているところがあった。だからキリノには『夜叉のために一分でも長く生きる』という思いがあったんだ。それが、『もう頑張る必要がなくなったな』と。…考えてみれば、夜叉が『レコーディングしたい』と言わなければバンドが集まることもなかった。キリノは嬉しくて無理を押して来たんだ。アルバムも完成したし、気力が萎えてしまったのだろう…」
「お、映った。本永よくやった! ちょうど始まる所だ」門根を真ん中に皆テレビの前にずらりと並んだ。夜叉の付き添いで泊まるための部屋だから、画面が小さいのは我慢するしかない。うちにあったのと同じインチじゃないかな。
門根に呼び捨てにされた本永はぶつぶつと文句を言っていた。スクープ映像は警察にとって寝耳に水だったようで、朏は慌てて電話をかけ、前島は眉間に皺を寄せて沈黙を守っていた。CMの間に皆で他所からも椅子を掻き集め、前島はどかっと、朏もとりあえず座って見ることになった。
:こんばんは。6月29日まであと30分。“日曜夜通しジャーナリスト魂!”司会の白木屋吾郎です。今日一日見聞きした中で、皆さんが一番興味を惹かれたのに情報不足で不完全燃焼を起こしているホットな話題、K県トッタン半島コスモスミライ村を舞台としたテロ事件とスーパースター夜叉の死について、当番組独占入手のスクープ映像をノーカットでお届けしますよ! 2億円以下の家はないと言われるセレブ村で突然起こった爆発、銃撃戦。これは偶然居合わせた一般の方が命の危険を感じながら決死の覚悟で記録した映像です。現段階では『テロである』と認定されてはいませんが、倫理上お見せすべきではないシーンにはぼかしを入れてあることをご了承ください。補足しますと、これからご覧頂く映像はミライ村で爆発が起きた後のものです。撮影者は爆発に驚いて逃げた先でテロ事件に遭遇し、撮影を開始したそうです。それでは、どうぞ:
はぁはぁと息を切らせている人物が撮っているのだろう、大きな緑のコンテナが映った。:なんだ、映らないじゃないか:と独りごち、また移動で画面が揺れる。足元の茂みは鬱蒼としている。斜面を登ったらしく先程の緑のコンテナ越しにだだっ広い駐車場が見えるようになった。人声と車の音が聞こえる。
撮影者は安全に撮り続けられる場所に落ち着いたらしく揺れが止まり、見るこちらも落ち着いて映像に集中できるようになった。
駐車場には3台の車両が止まっていて、真ん中が民間救急車だ。警備員の服を着た男が立派な建物の裏口に向かっている。遠方から撮っているので、どんな様子なのか不明だ。ここでズームしたため、警備員がかなり警戒していることがわかった。と、大声がして建物に辿り着いた警備員が振り向く。車両の侵入ルートである道路際に現れた女が搬送車の後ろの車に近づき、駐車場の端に太った警備員が現われ、銃声がした。全体を把握するためか、ズームアウトして再び遠景になった…。
はっきり言ってよくわからない。誰が誰を撃っているのか。どれがテロリストなのか。コンテナの影になっている部分は見えないし。凄く不思議なのは、あの白い搬送車の中に夜叉とサニと自分がいたという事実が、異次元か遠い昔の事のように思われることだ。なんだか、さっぱりだ。
「スクープはスクープだけど、解説が欲しいよな」と門根。
遠景でも、テロリストたちが警備車両を銃撃し、警備員の方はただやられっぱなしだとわかった。車の急発進が何度か行われ、八方塞がりになった女が搬送車の近くでわめいている所に、小柄な妖怪のような老人(田沼だろう)が発砲し、病院の裏口近くでテロリスト同士が撃ち合いを始めた。突如搬送車が急発進し開いたシャッターから院内に滑るように入り、最後はようやく包囲網を敷いた警察官にテロリストが拘束され収拾したようだ。続々と負傷者が担架で運ばれていく…。
「途中ピー音を被せた箇所に撮影者を特定できる音が入っているのだろうな。すぐに特定されるだろう。事件発生時村内にいた部外者ビジターはわずか8名だから」前島が冷たく言った。「爆発から逃れたとしても住人でもないのにセンター裏側に行くのは不自然だ。夜叉一行が裏駐車場に行ったと知った上での行動としか思えない。当然素性調査の対象になる」
「映像が証明してくれて、テロリストの行動の全容が明かされるといいね。これを撮った人が何かやましい所があって非難されるとしても、他人の役に立つことを一つは成したんだから。救われるじゃない。留置場で空を見上げる時」
瑞生は感想を述べただけだったが、皆が驚きの反応を見せた。
「お前、夜叉と一緒に燻られて劇的に頭がよくなってないか?」本永が頭を撫でてきた。
「俺は詩人になったと思ったね」とガンタ。
「瑞生君にしては深読みだわね」とクマちゃんまでが。
ククッと笑いながら前島が朏を伴ってドアに向かっていた。
「お説の通り、やましい所があるのに映像を出してくる者は、“見逃し”や“身の安全”を求めてくることが多い。正義感の裏に打算を隠しているものだ。交渉次第ではすぐにオリジナルを入手して分析に回せる。イマドキはAIがコンテナの陰に入った人物の動きを推測できるから、全容解明への一歩となることは間違いない」
促されてクマちゃんも席を立った。
「あの粗暴な爺さんの動きも映ってたから、嘘は全てひっくり返してやると言っちゃえよ。クマちゃん」本永がエールを送る。
「ああ、向こう側に小さく映っていたのが田沼と死亡女性だったね。拡大処理すれば色々なことがわかりそうだ」と朏。
何人かが去り、“日曜夜通しジャーナリスト魂!”は映像について武器の専門家や報道カメラマンが推論を述べ合っていた。文字通り夜通し続けるのだろう。
門根は夜叉のこともアルバムの事も処理すべき仕事が山積みなのに、「みんなと一緒にいたい」と言い張り、東京に戻らず通信機器で捌こうと躍起になっていた。「今日に限って一人で高速をブッ飛ばすなんてしたくない。車の中に一人でいるなんて考えるだけで耐えられない。それに崩れて無くなったとはいえ、夜叉の香りの残るところにいたいんだ」
クマちゃんに次ぐ夜叉のファンを自負する門根らしい、惜別の情の表現なのだろう。
気づくと、瑞生の横にトドロキが立っていた。
「キリノが君に逢いたいって」
キリノの病室は一般人の入れない、夜叉のための区画にあった。さっき皆でテレビを見ていた部屋からほんの一ブロック離れているだけなのに、そこはしんとした静けさに支配されていた。
一緒に来てくれた本永とガンタを入り口付近に残し、トドロキに背中を押されて瑞生はベッドに近づいた。
キリノの身体はもう樹の精霊になってしまったみたいに薄っぺらかった。鼻だけが高く蘖のように空に突き出ている。
「夜叉?」
キリノはベッドの上に顔を出した瑞生を見て、言った。瑞生は、キリノの目にはそう見えるのか、酷く具合が悪いせいでそう思い込んでいるのか、肯定すべきかやんわり訂正すべきか判断に迷った。
「僕、瑞生です。夜叉はここにいます」正直に自分の胸を指して答えた。
キリノは微笑んだ。
「俺は夜叉みたいにぱぁっと散るようには逝けないみたいだ。朽ちて樹木の糧になるよう大地と同化するよ。…お前と一緒に旅が出来て幸せだった…」
「ぐっ」瑞生の口から空気が漏れた。体中のウィルスが反応して瑞生の身体の枠を無視し四方八方に暴れ出そうとしたようだった。瑞生は両腕を十字に汲んで握りしめ、自分の皮膚を破って出て行こうとする何かを必死に抑えた。
哀しんでいる。瑞生の中のウィルスは夜叉の記憶を持っている。いや、細分化されてウィルスに組み込まれた夜叉なのかもしれない。
「キリノ、俺の灰はキリノの土に降るから。優しい雨になって降るから、先に土になって待ってて」瑞生の口から出たのは夜叉の言葉だった。キリノは頷いた。それが瑞生たちが見たキリノの最期の姿だった。
ガンタとトドロキは病室に残ったので、本永と瑞生は黙ったまま部屋に戻った。本永は何故夜叉になりきって話したのかと突っ込んでこない。その代り、部屋の通気口を見ていた。瑞生の視線に気づいたが、何も言わなかった。




