2015年6月28日⑤
多くの死傷者が出てしまった。
元自治会役員の筧は自宅浴槽で遺体で発見された。島崎はクローゼットの中で眠っていて無事目覚めた。富山は車のトランクで発見された時は息があったのだが、熱中症のため意識が回復することなく運ばれたAAセンターで息を引き取った。
召集を掛けた部下3名の身に降りかかった悲劇を知らされると、田沼は言葉を失った。おそらく、自分の暗殺対象だった夜叉が死んだことや、村の先進性の象徴国際フォーラムの窓ガラスが吹き飛んだことや、テロリストに多くの人命を奪われたことよりも、代わりの者の手配を強要したことが部下の無残な死とテロリストを招き寄せたという事実が田沼を打ちのめしたのだろう。がっくりと、本当にがっくりと項垂れて、生気を失ったようになった。
居住地の道路で射殺体で発見された大学院生2人は、下宿に残したメモや通信記録などから、プロの拉致請負人フユとアキに雇われてフォーラムの爆発(正しくは研修センターの爆発物)に関与したと判明した。
警備員は二号車の2名が命を落とした。一号車はドライバーが麻酔銃のために爆睡、メタボの警備員は重症だが助かった。搬送車のドライバーと看護師も被弾し重傷だが一命は取り留めた。
カルト教団ナンバー2の男は、何としても自分の撮影した映像を差し押さえられたくなかった。そこで、ツナが拘束された後、山からそっと下り、コンテナの間をどさくさに紛れて移動し、職員の車の下から泣きながら登場したのだ。「私は卑怯者です。一緒にいた信者の女性を置いて、爆発した広場から離れたい一心でここまで逃げてしまいました。そうしたら、マフィアだか何だかが撃ち合いを始めて…怖くて車の下に潜り込んで震えていました…」
ナンバー2は正式なビジターIDを持っていたし、特筆すべき持ち物もなかったので、簡単な聴取の後解放された。解放と言っても、住人の親族ではない全くの部外者ビジターは、ビジターセンターの一室に集められ留め置かれていた(日曜日の割にあの時間に居合わせた部外者ビジターは12名で、テロリストと拉致請負人の4名を除くとたった8名だ。例えば資産運用の定期報告に訪れた税理士や都内の転居先物件の内覧動画を携えてきた仲介業者などだ)。一緒に行動していた住人の信者の無事を確かめるのが教団幹部たる者の責任だろうが、ナンバー2は警察官に訊ねもしなかった。
島崎の妻は田沼の配下でただ1人生き残った夫に付き添っている。もう1人の信者は、あの災難の最中怪我人を励ました時に、子供の頃読んだ“ナイチンゲール”の伝記を思い出し、生きる意味を見出していた。夫の愛人や姑の寿命を占ってもらい、運気を上げるために占い師の言に盲従した事など、遠い過去の出来事になっていた。
部外者ビジター8名は一緒の護送車で村外に出ると、1人ずつ自宅最寄駅まで私服警察官が同行して帰路に着いた。ナンバー2は、新興宗教の信者だから警察はテロとの関わりを疑っていると考え、素直に帰宅した。事実警察官は、駅で別れた後、各ビジターのその後の行動を尾行観察していた。
ナンバー2はアパート2階の自宅に戻り、コンビニ弁当の空きパックが積みあげてある流しに行くと、コップで水道水をごくごくと飲んだ。湧き上がる興奮にコップを持つ手が震えた。
今日、自分の目の前で、リアルに銃撃戦が行われた。警備車(二号車)のドライバーの頭から血が吹き出すのを見た。メタボな警備員がにじり寄ってドアの隙間から同僚を落とし、乗り込んでテロリストの女に突撃したのをこの目で見た。病院のシャッター前で撃たれて崩れ落ちる警備員。駐車場の向こう側で白い物を抱えていて保護された爺さんが突然テロリストを襲い、取り押さえられた。2時間ドラマが自分の目の前で展開されているようだった。
「個人が発信できる時代でよかった。テロリストが日本の警備員を無残に撃ち殺した様を伝えなくては。国家や金のために人を殺した連中が結局どうなったのかを伝えなくては」呟きながら、警察官に画像の確認をされないよう咄嗟に液晶を叩き割ったスマホを見つめた。液晶が無数にひび割れて壊れたように見えるからと言って、騒動の際に撮影不能だったとは言い切れない事を、車の下に潜って難を免れた臆病者の演技に気を取られ、憐みと蔑みの表情を浮かべていた若手の警察官は見落としたのだ。
ナンバー2は時計を見た。もうすぐ午後7時。「夜叉通信はどうした?」慌ててネットを見る。
「『コスモスミライ村で緊急事態? 本日午後1時頃救急車消防車パトカーなど約20台が村に入る。爆発の一報も』『負傷者多数か。テロか、実験ミスによる爆発か』『各テレビ局、配信会社よりお知らせ。夜叉通信は本日最終回。緊急事態により配信時刻を変更させて頂きます。マネージメント会社よりお知らせか』…まだ、放送していないのか!」ナンバー2は電話を掛けた。
「“日曜夜通しジャーナリスト魂!”の白木屋吾郎さんに直接お話ししたいのです。私はミライ村から生還したところです。今夜の生放送に間に合う情報があるのですが…」
夜7時のニュースが始まった。
:速報です。警察庁から発表がありました。本日午後1時過ぎにK県トッタン半島のコスモスミライ村で複数のテロ行為が起こりました。建物で爆発があり、死傷者が出ています。現在事態は収拾されています。火災の報告はありません。複数の被疑者の身柄が確保され、K県警本部で聴取を受けているとのことです。現場検証は今も続いています。え~、まもなくK県警本部で会見が行われるとのことです…:
瑞生は7時のニュースをAAセンター内の夜叉のための区画の一室で見ていた。夜叉をサポートするスタッフと門根やクマちゃんのための会議室だ。キリノや瑞生が泊り込むために用意された部屋もあった。夜叉邸の機能が引っ越してきたようなものだ。
今会議室には、門根とクマちゃん、ロドリゴと瑞生と本永、トドロキとガンタがいた。キリノは、夜叉が搬送車で出発した後酷く血圧が下がり、門根が自分の車で普通にセンターに連れて来ていた。夜叉が田沼やテロリストに阻まれセンターに入れずに立ち往生していたのに対し、別ルートで易々と来院し、キリノの点滴が始まり門根が入院手続きをしていた時、爆発が起こったのだ。
「夜叉のこと、言い出せないんだよ」門根が珍しく俯いて言った。
そしてK県警の記者会見が始まった。
見るからに偉そうな2人の男に挟まれて見栄えのしない男が経緯を語りだした。男は“コスモスミライ村警備本部長”と名乗った。
前島はこういう時、大抵いない。それは当然の不在なのか、卑怯な逃げなのか、瑞生にはわからない。
一通り多重テロの経緯を説明しているのだが、原稿を棒読みしていて、頼りない感ありありだ。:以上で事件の概要説明を終わります…:
早速記者からの質問が相次いだ。それに対し、さっぱり的を得た答にならない。しかも時折、現場にいたとは思われないトンチンカン回答や無責任回答を繰り返した。
業を煮やした両隣のK県警幹部と警察庁の偉い男が、:現時点では引き続き鑑識作業を行っている段階でのお答えしか出来ません。複数のテロ行為が同時に起こった理由も調査中です:と答えた。
記者の1人が立ち上がって糾弾した。:ミライ村の警備本部長にお聞きしたいのですがね。あなた、指揮を取るのを放棄して村の本部に籠っていたと言うのは本当ですか?:
:夜叉の警護に警察官を出さずに、民間の警備車だけで行かせたのでしょう? だから警備員が犠牲になったんでしょう? 無責任じゃないですか?:
「これは、誰かチクったな」本永のみならず瑞生もそう思った。ただ1人安全な本部長室に籠った上司を、糾弾したいと部下が思っても無理はない。
:警察庁からテロの危険を指摘され、厳戒体制を取るよう指示されていたのに、なんで民間警備会社に夜叉の警護を任せたんですか?:
冴えない警備本部長はこれ以上項垂れようがないほど下を向いている。:それは、そのう、前回のビジター事件の後ゲートの管理を徹底して行うようになりましたので、不審者の侵入はないかと…判断しました:
:誰がですか? 警察庁から指示されていたのに無視して?:
:…私の、判断です…:
両隣の厳めしい顔の2人はまるで警備本部長に逃げる間を与えないためにいるかのようだ。浴びせられるフラッシュは爆撃を思わせた。エセ本部長は蒼白な顔を上げることが出来ない。頃合を見計らったのか、両隣の2人が起立した。再度深々と頭を下げる。
:ミュージシャンの夜叉さんは本日AAセンターに入院する予定でした。しかし、直前に行った夜叉通信の収録中に危篤状態に陥り、重篤な容態で搬送されました。ところがテロ行為に遭遇し入院が遅れ、搬送車が病院内に入った時には夜叉さんは亡くなっていました。警備本部として力が足りませんで、夜叉さんに万全の治療を受ける機会を損なってしまったとすれば、誠に申し訳なく思います:
記者が一斉に立ち上がり口々に質問し、フラッシュで目も開けていられない状態になった。
:夜叉は死んだんですか?:
:それを最初に言うべきでしょう!:
:夜叉は警察に殺されたようなものじゃないか!:
:そもそもこのテロは夜叉を狙ったものなんでしょう? 夜叉の警備さえ万全なら、夜叉も警備員も死なずに済んだんだ。これは重大な職務怠慢だ!:
:夜叉の死因は?:
:それはゾンビなんだから死体に戻ったというだけじゃないか?:
記者の問いに記者が返した。一瞬場が静まった。
:でも、寿命なのか被弾したのか、死因は明らかにすべきだよ:
:ええ、夜叉さんのご遺体の解剖結果はまた後ほど報告します:
席を立って社に報告を入れる者が続出した。
:夜叉の遺言は?:
:遺言などに関しては警察では把握していません。所属事務所に聞いてください:
:拘束されたテロリストに関して、日本人ですか? 外国人ですか?:
:確認中です。事件の全容がまだ明らかになったわけではありませんので、発表は控えます:
詳細な情報は発表されることなく会見は打ち切られた。イラついた記者の怒号で会場は殺気立っていた。
どの局も村のテロと夜叉の死で臨時ニュースを流していた。そして繰り返し、『本日午後9時より最後の夜叉通信を配信・放送致します。たった7分間ですが、夜叉の最期の皆様へのご挨拶になります。是非ご覧ください』というWoods!のメッセージが読み上げられた。
「いいのか? 門根さんもクマちゃんもここにいて」と本永が突っ込んだ。門根が「いいんだ。後は技術系のスタッフがやるだけだから」と答えた。2人とも夜叉の炭化した遺体を検めさせられたそうで、口数が少ない。瑞生はクマちゃんが心配でそっと顔色を窺った。
「…大丈夫よ、瑞生くん。昔の夜叉だったらさぞや美しい死に顔を見せてくれたでしょうけど。ゾンビになってからはそんなこと期待していなかったもの。夜叉らしいわ。伏せていたからサニもあなたも最期を見ていないのでしょう?」生気の無い顔色だがクマちゃんが口を開いた。瑞生は頷く。
「だから夜叉らしいのよ。誰にも見られずに独りで逝ったのは本望じゃないかしら」
門根も、うんうんと頷いている。
テレビでは『村にカメラを入れないのは、報道の自由を損なう行為だ』と非難しているが、警察は『国際テロの現場検証は村全体で行う必要があるため、現場保全を優先すべきだ』というスタンスだ。
「そりゃ、今メディアの連中を入れたら、証拠も何も引っ掻き回して台無しにするに決まってるもんな」本永はガンタの店のプリンを食べている。瑞生にも「お前、ずっと食べてないだろ。顔色紙みたいだぞ、ほら食べろ」と差し出す。
それを合図に、門根もクマちゃんもガンタたちも、もそもそと動いてプリンを食べ始めた。スプーンで掬って一口舌に乗せると、その冷たくて濃厚な甘さがつるりと喉を通り、胃に届いた時体の中の何かを震わせた。
「ああ」
「美味しい」
「うまっ」
「はぁ」
各人の反応は様々だったが、哀しみと疲労の極みにいても、顔はほころぶものらしい。
頬を緩めて遠くを見ていたトドロキは、「夜叉らしいか…。自ら燃え上がって炭になっちまうなんて、司法解剖を拒んでるとしか思えないよ。主張がわかりやすくてあいつらしい」と更に嬉しそうになった。
ガンタが「したんだろう? 司法解剖。でも何を切り刻んだわけ?」
本永は「通常は、臓器の重さとか測るんだよな。血液量とかも。炭化した遺体の重さから何がわかるのかな?」と興味深そうに独りごちる。。
「警察がしたいのはヤシャの証明。でも遺体が炭だからムズカシイ」とロドリゴ。プリンをもっと取ろうとして本永と闘っている。
朏がやって来た。
「ひさご亭に詰めていた警察官から夜叉が搬送車に載せられる所を確認した証言が取れた。玄関前の防犯カメラ映像で裏付けも。つまり“入り”の確認は取れた」
「問題はやっぱり“出”なんだな」と本永。「サニと八重樫の証言は何の足しにもならない扱いか」
「科学的に誰もが納得しうる証明が必要なんだよ。科捜研がDNA鑑定を試みるそうだ。高温だと難しいと言われているが…」朏の言葉を遮って本永が「確かアメリカの火葬温度は高いからDNA鑑定が出来ないと聞いたことがある」と言った。
「あん? ドラマでアーリントン墓地の遺体を穿り返して鑑定するのを見たことあるぞ。つまりは土葬だろ? 棺にドラキュラが入ってるんだろ?」と門根が喰いつく。クマちゃんも「本永君、キリスト教圏で火葬していたら、復活の日に身体がなくて困るのじゃないの? 文化的にはマイケル・ジャクソンのスリラーやXファイルも成り立たなくなるわ」と指摘した。
本永は首を振る。「そう、まだ大部分はそうだけど。州の老人ホームの引き取り手のない遺体は、場所も手間も割けないから火葬されてる。犯罪に巻き込まれた疑いがあって後から鑑定する必要が生じても、骨を砂状にするための超高温火葬だから鑑定できない、とボランティアで行ったホームで聞いたことがあるんだ」
「それで?」と瑞生。
「だからそれほどの高温にするにはそれなりの施設でないと。夜叉が自然発火か自己発火か知らないけど、生物が発火剤や可燃溶剤の助けなしに燃えるのは、そう高温にはならないのじゃないか、と思ったのさ」
「なるほど。DNA鑑定の可能性あり、ということだな」と門根。
「でも、炭化してたんだよね? 炭って鑑定に向いてないだろうね」と瑞生。
「そうだな、まぁ自然発火系では謎が多いと相場が決まっているからな」と澄まして本永。皆の微妙な視線を感じたのか、「それって俺のせいじゃないだろ?」と締めた。「それより、解剖所見で大体わかってるのじゃないか?」
代表して朏が咳ばらいの後話し出した。「推定身長・体重はほぼ夜叉と同じ。身につけていたネックレスは身代わりに着ける事が可能なので証拠にはならないが、一応確認は出来た。炭の中と下から銃弾が一発ずつ。皮膚や組織の生体反応で確認できないので、生前に撃たれて死因になったのか、死後に撃ちこまれたのか不明だ。…こんなところだ」
「夜叉と言えば夜叉、違うと言えば違う…か?」とトドロキ。
「いや、一つ決定的な…」朏が言いかけた時、夜叉通信が始まった。
夜叉最後の熱唱を、本永と朏は息を呑んで見ていた。2度目だって、歌に惹きこまれたのも束の間、夜叉が昏倒して置き去りにされた気持ちになるのは同じだ。瑞生はまた涙を止められなかった。ガンタもまた大泣きしている。
うおんうおおん、とクマちゃんが座り込んで泣いている。きっと今まで泣く暇もなかったのだ。門根が涙でくしゃくしゃになった顔で、クマちゃんに深々とお辞儀をした。トドロキも「クマちゃん、あいつのために今までありがとうね。あいつに代わってお礼を言うよ」と立ちあがってお辞儀をした。
クマちゃんは大判のタオルで涙を拭うと、新しく流れる涙はそのままに、にっこり笑って左手の薬指の指輪を見せた。
「わお」瑞生は思わず覗き込んだ。
クマちゃんの太っとい指に負けないくらいデカい真っ赤なルビーが燦然と輝いている。バッグからカードを出して見せてくれた。
「ずっと支えてくれた人の心の支えのために
クマちゃんへ 愛をこめて 夜叉 」
「あの八重樫の話の後でもルビーってところが凄いな。クマちゃんにはどんな呪いも通じなそうだもんな」と本永。「クマちゃん、よかったね」と瑞生。
「入籍したんですか」と門根。
クマちゃんは笑って首を振った。
「そういうのじゃないの。夜叉にとって私は最後まで最高のサポーターだっただけ。遺言執行人として、これからは夜叉の望みを実現していく責任があるから、私はそれをやりやすい立場でいたいの。それに、タブー視されて本格的論争になっていなかったけれど、夜叉の法的立場はどうなのか、蘇った後さっき死ぬまでは死者だったのか・生者だったのか? 法的効力を問うてみたい輩が訴訟を起こすに違いない。そうなると最高裁が判断するまで何年も、夜叉の財産からはペットボトルのお茶すら買えない事態になる。その時、夜叉の遺志を実行するためだけに入籍したのだとしても、世間にはそうは映らない。私がゾンビの夜叉を操ってオークションや病院買収を行ったと思われる。元婦人方に財産分与の話を蒸し返される可能性もある。それでは夜叉の想いに逆行してしまう。だからね、『入籍してもいいよ』と言ってくれたけど辞めたの。“妻の座”に絶大な意味を持たせると、前夫人方と同類のムジナになっちゃうしね。いずれ、判例は出されるべき事案なのだけど」
「ふうん。クマちゃんの偉いのはわかったけど、『ゾンビの法的権限は認めない』って判決が出たらどうするんだ? 夜叉がゾンビになって以降の売買契約が全て無効になったら病院買収も白紙になるのじゃないか?」本永は先の問題を突いた。
クマちゃんは指のルビーを光らせながら自分の胸をドンと叩いた。
「私は夜叉の弁護士よ。夜叉が生きているうちに、正確にはキューバに行く前に、『一切の法的行為、売買契約(所有物の売却を含む)、著作権知的財産権に係わる行為、夜叉個人の金銭管理等を代理人黒金真樹子に一任する。夜叉個人が交わした契約も黒金真樹子の了承を得ない物は無効である』という書類を取り交わしているの。これは別にゾンビを想定しての事ではなかったのよ、もちろん。そしてゾンビになってから後の契約は私が代理人として相手と結んでいる。つまり、夜叉はゾンビになってから一切の法的行為を成してはいない。たださっき言ったように、蘇り以降の夜叉を“死者”と認定されると話は変わる。家や車の売却も皆“相続人”がすべきことだから。もっとも相続人は事前に作っておいた”夜叉財団”なのだけど。裁判所もああやって夜叉通信を発信しニューアルバムを出した人間を”死者”とは認定しないと思うわよ」
ヒュウ、本永が口笛を吹いた。トドロキは「惚れるな、全くクマちゃんは凄いや」と感心した。
朏に連絡が入った。「なにぃ?」大声を出す朏は珍しい。
「司法解剖後に何をどう調べるかミーティングしていた所へやって来た法医学者や警察庁偉いさんや内閣官房の事務官たちの目の前で、夜叉の遺体が崩れ去った。…しかも大量の灰が徐々に消えてなくなったそうだ…」朏はスマホを握りしめたまま途方に暮れた顔をしている。
「撮影していたのでしょ? 誰かのせいではないのでしょ?」瑞生は必死で朏を元気づけた。朏は、心ここに非ずで頷く。
「じゃ、映像を見れば誰にでも誰のせいでもないのがわかるじゃない。『自然発火系は謎が多い』って言ってあげて」
再び掛かってきた鑑識の悲鳴に、落ち着くよう応えながら、自身は瑞生に脱力系の励ましを受けた朏が地下の解剖室に向かった。
いつの間にか2個目のプリンにありついていたロドリゴに、舌打ちしながら本永が確認する。「サニの助言でちゃんと無菌のケースに入れていたんだろう? 風や温度・湿度・振動で崩れたわけじゃないって証明できるように」
ロドリゴは頷いて「日本のプリンは芸術だ。とろけ方ヤバイよ」と答えた。
夜叉の周囲の、“夜叉を見送った”達成感がこのプリンに象徴されていた。だが、世間はそうではなかったのだ。