2015年6月28日④
モニターで見える範囲の事だけで判断しても、センターの裏側駐車場で大変な事態になっているのは明らかだった。ロドリゴはサニから掛かってくるまでこちらから掛けてはいけないスマホを見つめた。そして、頸から下げているカードを見た。それにはドアロック解除のコードが2個書いてあった。サニが新院長から聞いた話では、『頻繁に使っていた時と違い、ほとんどVIP用入院口は使わないのでコードは固定化した』ということだった。ただ、口頭で『最後に手でピンを抜かないとシャッターは動かない』と必ず伝えるルールなのだと言われた。
ロドリゴは、敵から逃れたサニたちがすぐに入れるように、予めロックを解除しておこうと考えた。しかし、入力機器が日本人向けの高さなので、仕方なく中腰になりカードと一緒にぶら下げていた鍵でキーボードの蓋を開けた。
「外の危険な連中を中に入れてしまうことの方が愚かだと思わないか?」
屈んだ結果、先程より近くで八重樫宗太郎の声が聞こえた。宗太郎の表情もずっとよく見える。おおらかで多くの事を笑ってやり過ごすロドリゴだからこそ、違う人種・初めて会った人物でも、顔面に張り付けただけの微笑みと高揚感の現われた目の輝きに、危険なものを感じた。
「…助けないといけない人がいる」ロドリゴが曖昧に答えると、宗太郎は「僕も夜叉の身体を気遣っているさ。夜叉の貴重なウィルスの事もね。でも、僕たちはこの堅牢な病院に籠城していさえすれば安全なはずだ。どの道また死ぬしかないゾンビの夜叉をこちらの身を危険に晒してまで助ける意味なんてない。少なくとも僕の価値はそんなに低くないぞ」と自説を主張した。
その様子を眺めていたロドリゴは一息吐くと、宗太郎に背中を向けて静かに言った。「僕はドアを開ける。あの人を助けたいから」
ロドリゴは左肩に違和感を感じた。いきなり宗太郎がカッターを突き刺したのだ。宗太郎としては動きを封じるのみならず致命傷になっても構わないつもりだったのだが、ロドリゴがキーパネルを見ようと動いた上、鍛えられた筋肉(巨体なのでぷよぷよかと思うが食糧事情から言っても無駄な脂肪の付く余地は無く、ロドリゴは筋肉でできた巨神兵みたいだった)が硬かったので、カッターは僅かな切り傷を与えただけで折れてしまった。宗太郎は結果が不発だったことよりも自分の手がダメージを受けていないか夢中で確認した。
振り向いたロドリゴはすくっと直立した。他人の表情を見るより自分の想像を真実と捉える宗太郎は怒ったロドリゴの逆襲を恐れた。「ぼ、僕は止めようとしたんだ。ドアを開けたら、閉鎖病棟に巣食う気のふれた連中が外に出てしまうぞ。責任取れない事態になるぞ」
「あなたは本当に僕を苛立たせる人だなぁ」
突然の声に、宗太郎は車椅子の上で蝋人形のように固まった。
TATSUYAは宗太郎のパニックを弄ぶようにゆっくりと近づいてきた。「また、話を聞きに来たの? ここじゃ落ち着かないから僕の部屋に行こう」
宗太郎はカタカタと震えながら、精一杯拒否した。「違う。…聞きに来たのじゃない…」
「ふうん。今穏やかじゃない事言ってたよね。助けを求めて来てる人を中に入れないとか。気のふれた連中が出るとか…」顔を宗太郎に触れるほどに近づけて、微笑む。
宗太郎は吹き出す汗を心地悪く感じながら、この悪魔のような青年に飲み込まれるものかと抗った。そして『窮鼠猫を噛む』の逆襲に転じた。TATSUYAに刃先の折れたカッターを向けたのだ。
その整った顔に横一文字の線を刻んでやるつもりだったが、かわされてしまった。
TATSUYAの顔が一瞬歪んだ後、浮き立つような上機嫌になった。「よかった! ずっとここに居る気になったんだね? 仲良くしようよ。僕は話し相手が欲しかったんだ」と言うと、宗太郎の車椅子に手を掛けた。これには宗太郎がキレた。「僕の車椅子に障るな!」
こうしてロドリゴは自由になった。
自分のすぐ後ろで繰り広げられている2人の日本人の攻防は、ロドリゴの心にさざ波を立てた。
祖国から遠く離れ、兄と数メートルなのに永遠のようにドアで隔てられて、孤独な戦いを強いられている自分が悲劇の“捨て駒”のように思われていた。聡明でオルーラのビジョンを見る兄のために命を捨てる、ただの駒。自分は兄のように日本に運命を感じないし、日本語にそれほど魅力も感じない(漢字はクールでイカすけど)し、日本人も理解できそうにない。でも、後ろのように真剣なのにどこか抜けていて深刻になりきれない、とても人間臭い日本人を見ると、自分は1人ではないし捨てられた駒でもないと感じる。
ロドリゴはまずドアの下のコードを解除すると、禁を破りサニに電話した。無言で出た相手にスペイン語で問うと、スペイン語で返事が来た。ロドリゴは頷くと、上のコードも解除し、最期に手動で開けるだけと言う状態にした。
互いに精神攻撃を口頭で繰り返していた2人が、それを見て言葉を切った。宗太郎にはロドリゴと自分の安全を脅かす者に対する敵意しかない。だが、TATSUYAには目の前で外に通じる扉が開く事は特別な意味を持つ。そのことに気づいた宗太郎が、悪意の矢を放った。
「ほら、外に出られるぞ? お前は外に出て、また人を傷つけることが怖いんじゃない。人を傷つける事すら出来ない無害な小市民になっている事が怖いのさ。お前をさも“重要人物”だと思い込ませてくれていたのは元お偉いさんのパパだ。パパの家に帰って、パパがもはやポンコツで家族のお荷物になっていると知る。お前の事なんて家族も忘れていて、公然と『何故帰って来たのか』と責められる。お前が他人に一抹存在を認められたのはその猟奇事件故だ。さあ、どうする? 縫った女に謝りに行くか? それとも責める家族の口を縫うか? さぁ出て行けよ。お楽しみがいっぱいだ」
外のモニターを見ながらこの暴言を背中で聞いていたロドリゴも、行き過ぎた侮辱を止めさせようと振り向いた。
一筋の光が真直ぐに宗太郎の手の甲に落ちてきた。
ロドリゴが我に返ったのは、宗太郎の絶叫が響き渡ったからだ。
TATSUYAは諭すように言った。「僕が刺繍針を持っていないと、どうして思ったの?」
ロドリゴが宗太郎の元に屈むと、長い刺繍針が手の甲を貫いて車椅子の操作盤にまで突き通っていた。血が筋になって流れている。「あーあーあー」絶叫する宗太郎に、「あ~あ、これはもう手で押さないと車椅子動かないね。僕が押してあげるよ。部屋に行こう」
「嫌だあぁ」
「待って。手当てしないと」と止めるロドリゴを手で制して、TATSUYAは「大丈夫、下手に抜いて動かせば出血が酷くなるけど、このまま安静にしていれば、命に係わるようなことにはならない。僕の部屋は医師が知っているから、『騒ぎが収まったら治療に来て』と伝えて。じゃ、夜叉が望むなら助けてあげてね」と言い残すと、手早く手動に切り替えて、泣き喚く宗太郎の車椅子を押して行った。
ロドリゴは目を離していたことに焦ってモニター前に戻った。
外は、三つ巴の闘いになっていた。
マーチは問いかけたものの、ツナの計画は聞くまでもなく殺戮で、他の聞く耳の前で話す事でもない。ツナが口を開きかけたタイミングで、シャークはバンを警備車(二号車)の横腹に激突させて押しのけ、メイを自由にした。挟まれていたのは両腿だったのだが力ずくの排除により、ダメージが増大した感は否めない。メイは呪いの言葉を吐きながら搬送車に手をついて体を支えた。
マーチは港湾施設で見かけた工作員はシャークだと確信した。まだ準備段階だったにも係わらず、そこら中にいる監視員がマーチたちの動きを流した結果、急遽決行となったのだろう。衝撃的なテロは、某国に対する畏怖の念を与えるために行うのだから、数字が求められる。爆発物や化学兵器を駆使して死者の数を稼がなくては、本国は満足しない。本来ならば最大効果を狙える周到に練った計画に基づくべきものだ。
『ウィルス保持者の夜叉のいるセレブ村を某国のテロリストが易々と襲った!』と世界に発信するがための襲撃。それはトッタン半島の立地に原因がある。トッタン半島には戦略的に極めて重要なアメリカ海軍基地があるのだ。
本国が、アメリカ軍基地周辺でテロを成功させアメリカ政府を嘲笑うと決めた瞬間から、ツナたちは玉砕傭員に成り下がり、マーチたちも『特記事項無し』、つまり居合わせた工作員の生死は問題にしないという扱いになったのだ。
メイは搬送車のドライバーを脅したのだが、シャークはバンを捨てて車外に出るといきなり撃った。
弾丸は運転席のドアから仕切りを打ち抜いた。どちらかに命中したらしい。呻き声と振動を感じた。
サニが車床で上体を起こしかけていた瑞生に覆い被さってきた。
「サニ、夜叉は…」「動かないで、ミズオ」
外で誰と誰が撃ちあっているのかわからないが、発砲音が続いている。
ガスン、また弾丸が車体を通り抜けていった。
「私が用意したバンだわ。まさか院生の2人を…?」
田沼が差し出す白衣を、フユはひったくるように掴んで言った。
「お爺さん、早く離れて。こんな白い物持っていたら目立って…」
田沼が瞬きをして次に目を開けた時、女は白衣を持ったまま心臓を撃ち抜かれていた。ぽたり、と血が垂れて白衣を染める。
田沼は迷彩色のサバイバルウェア姿で超小柄だから気付かれなかったのか、いると思われていないので目に入らないのか、続けて撃ってはこない。田沼はゆっくりと手を伸ばして、虚空を見つめる女の瞼を閉じてやった。そのまま手を下ろし赤く染まった白衣のポケットを探る。ケース入りの注射器を見つけると、手の中に収めた。女の足元に落ちていたグロックを放り投げようとしたが思い留まりウェストポーチに入れた。
「事が済んでお前たちがいないと、何故この村だったのかがぼやける。馬鹿な日本人が『建村時の遺恨だ』と書き立てれば世界的なインパクトが台無しだ。『ウィルス狙いのテロリストが暴走した』となれば、大量の死者も納得で治まる。本当はアメリカへの当て付けだと、アメリカにわかればいいんだよ。だからお前を援護したんだ」ツナは山を背に医療用の廃棄物コンテナの後ろから後ろへ移動しながら、平気で大声をだし母国語で告げた。「お前たちの死体からウィルス採取キットが出てくるから、それが証拠になる」
メイは手を離し自力で立った。マーチは麻酔銃を捨て実弾を装填した銃のみを握った。ツナは隙を突いて駐車場の奥に逃げようとしていたメタボの警備員を撃った。
「撃つのを止めろ。お前たちは包囲されている。武器を捨てて投降しなさい」「もう人の命を奪うのは止めろ。狙撃班に囲まれているんだぞ。抵抗しても結局命を無駄にするだけだ。銃を置いて両手を上げるんだ」
拡声器の声が響き渡り、多数の命が儚く集う駐車場がしんと静まった。すでに駐車場には、製薬会社のバンと警備車(二号車)が変形した状態で乗り捨てられていて、搬送車と一号車は原形を保つものの穴だらけだ。
「はぁ、はぁ」
静まりかえると、自分の荒い息遣いが拾われてしまう。カルトナンバー2は夜叉一行を追って、早くから山側の植え込みに潜んでいた。夜叉が病院に入る前に襲おうと思っていたのだが、次々に武器を持つプロっぽい人物がやってきて、自分の出る幕ではないと早々に悟ると、コンテナより奥の山際に移動し撮影を開始したのだ。「俺に出来るのは、俯瞰した記録だ…。教祖は“預言者”とか言いながら、ここでこんなに人が死ぬなんて一言も言わなかった。『村が光り輝く夢を見たから、調べて来なさい』とかどうとでも取れることを言って、忖度させて土産を入手するよう仕向けたんだ。あんな奴はどうでもいい。俺は目の前で起こっていることを記録する…」呟きながらスマホで録り続けた。
「居住地で住人の遺体が複数発見されました…まだ出るかもしれません。これは前代未聞の凶悪事件ですね」とSATの隊長。
:今あそこに閉じ込められているのは何人だ?:前島が訊く。
「警備員は先導車ゼロ。後続車の車内に生存者がいるか不明。ここからの目視では全く動いていませんね。搬送車の運転席に生死不明の2人。後部に医師と付き添いの未成年、それと夜叉は数に入れますか? …搬送車に最大5人です」
:テロリストは?:
「搬送車の右に女らしき2人、1人は車に挟まれて負傷してます。左側に男が1人。コンテナ横に1人。この4人は武器を携帯。茂みに1人、これは死んでいるようです。あとは一般人とみられる老人が茂みに1人」
:最少4人。死体を確認するまで楽観は出来ん、最大7人だな。テロリストは日本人か? 上陸ポイントの近くで警備艇が回収したシュノーケル用のマウスピース付きのチューブは某国製と言う報告があるが:
「某国説が濃厚です。先程、仲間内で話していた音声は某国語でした。某国謀略説を偽装する隣国の可能性も否定できませんが。我々はまだ一発も撃っていませんから、複数の集団がガチ遭ったのでしょう」
:夜叉の入院でかち合ったと? ま、移動の際を狙うのは常套だ。それにしても雑で粗っぽいな。目的は夜叉の拉致よりテロか。それなら何故ここに来たのか:
「わかりませんね。搬送車を撃っていますがハチの巣にはしていない。殺害目的ならあり得ない。生きているうちに確保して口を割らせたいものです」
:撃たれた警備員の救出も急がないと、助かる者も助からない。発砲許可が出たぞ:
瑞生は床にいるのでストレッチャーに横たわる夜叉の様子がわからず心配だった。全く動く気配がしないのだ。
瑞生に覆い被さっているサニがスマホにスペイン語で話している。それからサニは音もなく身を起こし運転席の仕切り(穴あき)に張り付くと、小声でドライバーに話しかけた。「生きてる? しー、犯人が両脇にいるから音を立てないで。僕は耳がいいから小声で返事しても聞こえる。この車動かせる? 合図したら発進、迷わず入り口に突っ込んで。シャッターは必ず開くから。この車が入ると同時にシャッターは閉まる。だから信じて、もうひと踏ん張り」
投降を呼びかけられる前からマーチは搬送車を盾にするようにじりじりと運転席の前方に移動していた。反対側から来たシャークは搬送車の前にキー付きで放置されている警備車(一号車)の運転席にするりと乗り込んだ。日本の警察は搬送車には撃ってこないのでメイは再び寄りかかっていた。
「車から降りなさい。武器を捨てて投降しなさい。これ以上の発砲を止めなさい…」
外で響く警告を朏と本永はAAセンター内で聞いていた。SATにテロリストを任せて地元の警察官はセンター内部の安全確保と村の治安維持に回ったのだ。
夜叉の受け入れに際し新理事長の指揮は徹底していて、怪我人であっても1人1人IDで身元確認を済ませており、センター内の安全は確保された。そこで朏は部下と本永を伴い、ロドリゴのサポートのために病院内の奥の奥にやって来たのだ。
だが、意外やロドリゴは喜ぶどころか、迷惑気な顔をした。朏とは初対面ではないので手を振ってはきたのだが、身振りで『離れていて』と繰り返すのだ。朏はロドリゴの持つスマホに着目した。そこで十分距離を取って、シャッターに対し発砲できる角度で待機することにした。防弾の盾に阻まれ朏の傍に行けない本永が、「なんでシャッター前に陣取らないんだ?」と聞くと、「彼は合図に備えている」と返ってきた。察した本永はそれ以上突っ込まなかった。
モニターに映る搬送車の運転席に人影はない。
マーチは助手席に乗りこむつもりだったが、シャークはエンジンをかけるや否やターンし、進路を塞ぐ2台の放置車を避けて警察の包囲網に向かおうとした。だがSATによって4輪とも撃ち抜かれ、車は制御不能に陥って止まった。駆け付けてシャークを引きずり出し拘束するにはツナがコンテナの陰からどう撃ってくるか不明なので、SATは用心深く包囲網を縮めていった。フォーラムの爆発の件がこの女なら、自爆の恐れもあった。
メイは同胞の車が自分を拾ってくれるという期待を裏切られた。シャークの乗る警備車が横を通り過ぎようとした時、どんな顔をしているのか、拝んでやりたい誘惑に勝てずチラ見した。が、銃口は自分に向けられていた。咄嗟に避けおおせたもののどっと地面に倒れ込んでしまい、もう立ち上がれそうになかった。弾丸はまた搬送車に穴を開けた。
シャークは奇声を上げて、車から半身を出し手に持つ起爆スイッチをかざして見せた。「住宅地に仕掛けた爆弾を爆発させるぞ!」
バーンッ
シャークの乗る一号車のフロントガラスが粉々に砕けた。予想外の発射元を推測して目で追うと、シャーク、SATの隊員たち皆が目にしたのは、シャクナゲの植え込みに埋没しそうになりながらグロックを構えている田沼の姿だった。
更に2発目を撃った。皆一斉に反応する。
「やめなさい! お爺さん、銃を置きなさい! 一般人が何考えてるんだ!」「当たるわけないだろう。撃たれるぞ、逃げろ!」
「あの一般人は誰だ? 住人か? リタイアしたテロリストか?」
だが田沼は怯まず、大声で言った。
「この糞女! 大事な村を爆破されて堪るものか。成敗してくれる!」
シャークは、悠然と笑った。「お前が百発撃っても当たらない。死ね」そして、起爆スイッチを押した。
「…」
全員が身構えて待ったが、大きな爆発音は聞こえてこない。
カチッカチッ
焦るシャークの手の中で虚しく起爆スイッチが音を立てた。
「ほほ~っ、面白い。不発のようだな…」田沼の無謀としか言いようのない嫌味が最後までいかないうちに、銃撃戦が始まった。
それはセンター緊急入院口の前で起きた。
職員用駐車場と敷地の境目には建物と呼んでも差し支えない大きな5個のコンテナが設置されている。ツナは先程からコンテナの陰に身を潜め、AAセンターに近づいていた。そして突如センター寄りのコンテナの陰から現れて、入院口に駆け込もうとした。
搬送車と入院口の間にいたマーチがそれに気づいて、撃ったのだ。
自分の援護射撃を当然すると思っていた同胞に狙撃されて、ツナは慌てて職員の車の陰に身を隠し、負けじと撃ち返した。
「なんだ? テロリスト同士の銃撃戦か?」
「なんとか撃てないのか」
「距離がありすぎます。ここはアミューズメントパーク並みの駐車場ですから」
シャークはヒステリックに起爆スイッチを投げ捨てると、田沼目掛けて突進した。手には鋭利なナイフが光っている。SATもツナに狙われる心配がないと確信できたからではないだろうが、シャークに向かって殺到。田沼に行きつくすんでの所で飛び掛かり押さえつけた。
跪かされたシャークと立っている田沼はちょうど目の高さが揃った。悪態を突こうにも自殺防止のマウスピースが邪魔で、代わりにシャークは体を揺すって威嚇し田沼を睨みつけた。田沼は田沼で、SAT隊員に「普通分別のあるお年寄りはこういう物を拾っても撃ったりしないものだよ、お爺さん」とグロックを取り上げられてしまった。
メイは立って移動できなくても投降する気はなく、マーチの援護をしようと匍匐前進していた。SATは流れ弾に被弾する危険が高すぎて、メイに近づけないでいた。
「邪魔するな、雑魚が!」
「殺戮マシンが偉そうに。馬鹿だから選ばれたんだよ!」
罵りあい撃ちあう度に搬送車に穴が開く。
この様子をセンター内のモニターで見ていたロドリゴは何語かで祈り始めた。
ツナはコンテナの向こうにSAT隊員の姿を見て、歌うように呟いた。「爆発で院内には多数の怪我人がいる。つまり餌食を確保できる。では、入院口を突破しよう」
瑞生はふと漏らした。「暑い…」
入院口の銃声に、その場にいる者の気が逸れた瞬間、田沼がシャークに飛び掛かった。慌ててSAT隊員が田沼を引き剥がすと、シャークの肩に注射器が2本も刺さっていた。
「お爺さん、あんた何やってるの!」
「一般人じゃないのか? 手錠!拘束!」すぐに注射器は抜かれたが中身はほとんど注入されてしまっていて、シャークはぐにゃりと崩れた。
「おい! 何を注射したんだ?」隊員が田沼のサバイバルウェアのポケットを調べながら詰問する。村の警備部の警察官が呼ばれて走ってきた。「あれ? 田沼さん?」
「田沼嗣二。住人IDはある…。有名な人?」と隊員が警察官に訊ねると、「はい。前自治会長です。話したことはないですけど、村を作った人でワンマンで横暴、タフな爺さんと聞いてます」と扱いづらい珍獣を恐れるように田沼に距離を取って答えた。
「それで前自治会長が何を注射したんだ?」隊員が田沼に重ねて問う。
「知らん」
「とぼけた事言うな」
「瞳孔開いてる、脈も弱い。担架でそこ…は駄目だから表口から入れよう。容態は深刻そうだが、病院に入り込むためのフェイクもありえる。テロリストから片時も離れるな」と医療担当隊員がチーフと警察官に告げた。
「薬物の種類がわかれば治療できる。テロリストの逮捕なんて滅多にないから、尋問のチャンスを逃したくない。わかるね? ほら言いなさい」
「本当に知らん。あの白衣の女が持ってたんだ。拳銃と一緒に拾ったんだ」
田沼の指差すシャクナゲの茂みに、白い塊を抱いたまま動かない人物が見える。テロリスト同士の銃撃戦のせいで、誰も近づけず、放置されたままだ。
「死んでいる…のか?」
「ああ、私に逃げろと言った途端、撃たれた」
隊員は田沼をちょっと眺めた。ぽんと肩を叩くと、警察官に両脇を抱えさせた。シャークのための担架と行き違いに、「自業自得だ、きっと助からん」と捨て台詞を残していった。「いくら高齢者でも殺人は罪に問われる。きっちり償うことになる」その背中に隊員が正論を投げかけた。
「暑い…」
瑞生が口にした瞬間、サニが運転席の仕切りを叩いた。
何秒だろうか。この場の全ての動きが静止したかのような時間が過ぎ、唐突に搬送車は発進した。
瑞生には知る由もなかったが、先に入院口のシャッターが上昇し始めていた。ツナと対峙するマーチは搬送車を盾代わりにしていたので、搬送車が突然動き出した時、意味を理解するよりも体が反応して取り縋ろうとしたのだが、手がボディを掠めるので精一杯だった。
搬送車はシャッター前で爆睡中の一号車のドライバーを跨ぎ、車高ギリギリに開いた空間に吸い込まれるように入ると、シャッターはすぐさま再下降して閉じた。その間、縋って転んだばかりにマーチは中に駆け込むことが出来ず、匍匐中のメイは呆然と見送るだけ、ツナも距離があるためどうにも出来ず舌打ちするしかなかった。
瑞生は急発進と急停車を体で感じた。車内はもはや看過できない程に温度が上昇していた。サニに聞こうと伏せたまま目で探すと、サニは叫んだ。
「ミズオ、ドアを開けて、出るんだ!」
自分に出来る事、『ドアを開ける』。 外に出る? 逃げるの? 夜叉を置いて?
疑問は疑問のままおいて、身体は言われた通りに動いた。暑さが背中を押したのだ。押し開いたドアから外気すなわち酸素が入り込んだために炎が一気に立ち上った。
サニは運転席にも叫んだ。「降りろ! 燃えるぞ!」
「なんだ? 煙? 変だぞ、この車」本永が出過ぎないよう盾の後ろに押し込んでいる警察官が呟いた。
「匂いが…まさか、車内火災?」
「消火器! 内部で延焼してるぞ!」朏が叫んだ。「銃を下ろすな。 誰が降りてくるかわからん!」
「サニ?」瑞生は涙が止まらなかった。膝に力が入らず動けない。
「ミズオ、降りて!」最後はサニに首根っこを掴まれ猫のように降ろされた。開いたドアから熱と煙と異様な匂いが院内に拡がった。
「手を挙げて、止まれ!」朏の鋭い声だ。
「撃つな!」サニが大声で訴える。「運転席を助けて!」
「消火器来ました! 消火作業開始!」
「待って! 掛けないで! 夜叉が、夜叉が燃えてるんだ!」瑞生の絶叫が院内駐車場に響いた。
「八重樫君…?」朏が怪訝そうに瑞生の腕を取り、立たせようとした。瑞生に向けた目をサニに向け、開け放たれたドアに近づいていく。
「おお、八重樫。どうした?」本永が盾を押しのけ駆け寄ってきた。
「本永…夜叉が、死んでしまった…。燃えているんだ…」本永の腕にしがみついて瑞生は涙にむせながら話した。
朏に続いて、消火器を持った警察官が走り寄り、搬送車の中を覗き込む。
「ストレッチャーの上の黒い塊が燃えた…ようだ。確かに消火剤を掛けてしまうと、鑑識が調べられなくなる可能性があるな。サニ先生、これが…“夜叉”だと?」朏の問いにサニは頷いた。
熱と煙を感知してスプリンクラーが作動した。柔らかなシャワーを浴びながら、瑞生は泣き続けた。
運転席から、奇跡的にドライバーと看護師が生きたまま救出された。複数の銃弾を浴びているにもかかわらず、サニの指示を信じて、1人がアクセル、1人がハンドルを握り、分業でなんとか発進したのだった。
ロドリゴの顔を見て、初めてサニがふらついた。サニも腕から血を流している。俯いて、「静かに見送ってあげられなかった…」と涙した。痩身の身体をロドリゴががっしりと抱いて、「頑張った。アニー、頑張ったよ」と繰り返し慰めた。
現場は映像記録されている。消防も鑑識も到着したが、どう手を付けるべきか判断できる者がいなかった。とりあえずサニでもロドリゴでもないセンターの医師が、自撮り棒で撮影した車内の様子から、夜叉らしき黒炭の物体が生命活動をしていそうにない事を確認した。そこから先は、外のテロリストが鎮圧されてから前島の判断を仰ぐことになった。
マーチとメイにとって夜叉は任務の目的だったので搬送車に逃げ込まれたのはショックだが、ツナには関係の無い事だ。盾を失い、転げたまま、マーチは成す術無くツナの射程圏内にいた。トヨタ車の陰から出て、勝ち誇った笑みを浮かべマーチに照準を合わせたツナに、四方から声が飛んだ。「銃を捨てて両手を頭の後ろで組め」
ツナは周囲をSATに完全に囲まれていた。
取り押さえられたマーチとツナは十分距離を取ってパトカーに連行され、メイは担架に乗せられた。ようやく警備車内の負傷者に救助の手が差し伸べられた。二号車は後部座席に警備員とアキが乗っていて、警備員は即死だったが、アキには息があった。ツナに撃たれたメタボの警備員は右足を撃ち抜かれていたがコンテナの陰まで這ったお蔭で助かった。
奥歯に仕込んだ毒物による自死を防ぐため、マウスピースを噛ませようとする警察官にツナは抵抗し、日本語で「あいつは俺の女だ! だから急所を外して撃ったんだ」と警備車から運び出されるアキに注意が向くようにした。
アキを担架に横たえた警察官は手を止めた。「だからここにいるのか? 爆発で避難したのなら、普通表口にいるはずだよな」「一般人かどうかは聴取すればわかるよ。身元もすぐに判明するはずだ」
警察官がアキの白衣のポケットを検めた。「おい、注射キットだ。やはりテロリストか」
「でもインスリンかもしれない、一型糖尿病なら自己注射キットを持ち歩くのは常識だ」
「ラベル…ああインスリンだ。この人は巻き込まれた一般人…」
「か、テロリストの女か、シンパだ」
警察官は自己注射キットとみなして、ケースをアキのポケットに戻した。「隔離した上で治療だな。かなり出血している」
アキの中でターゲットは決まった。このような事態に備えて致死量のモルヒネにインスリンのラベルを貼っておいたのだ。アキを撃ったのはマーチなのだが、今彼女を利用しテロリストの汚名を着せようとしている男に全力で報復しようと考えるのは自然な事だった。
センターの駐車場はダダ広く担架で運ぶには距離があるため、救急車で運ぶことになった。救急隊員が勘違いし、メイとアキの乗る担架が1台の救急車の元に集まった。
「要請を受けたのは…下肢打撲或いは大腿骨骨折の人ですが?」
「その後に生存が確認された腹部銃弾損傷。こちらが優先だろう」
「ちょっと待って下さい。確認します」
ドライバーが無線で確認を取るのを警察官と救急隊員は押し問答しながら待っていた。図らずも隣り合わせに並べられて、メイはなんとか上半身を起こし、アキを見た。
「誰が見たってわかるでしょう。この人を先に治療して。早く!」メイの声に、意識が遠のいていたアキが反応した。顔は青空をただ見るだけだったが、ポケットから注射キットを出し、メイに渡そうと手を振り回す。
「あ? あんた私に渡そうとしてる? 何、これ?」
「致死…量、モルヒネ…」
メイは咄嗟に周囲を盗み見てキットを自分のブラの中に入れた。
「私は取調べを受けるから、早々に見つかっちゃうよ。誰をやってほしいの?」
アキの頬を涙が伝った。「私を自分の“女”呼ばわりした…男…」
それきりアキは動かなくなった。
「あの重症の女性、テロリストの愛人かもしれないんでしょ? 身体検査しないで治療は無理です…」
「ちょっと! この人具合悪そう! 早く診てあげてよ!」メイの叫びはSAT隊員と警察官、救急隊員がどっと動き回る駐車場の騒音に虚しく掻き消された。
急に腰に痛みを感じてメイが担架に沈むと、同じ地平線上に抵抗した挙句腹這いにされて身体検査を受けているツナが見えた。メイはやや離れた位置のツナの声を集中して聞き取る。
「プラステック爆弾は何で爆発しなかったんだ? 通り道の家々に仕掛けてきたはずなのに」
「初動から警察犬を投入した。崖から村に侵入したのはお前たち2人だけだった上に、脱いだウェットスーツを発見した。その匂いを辿るのは簡単だ。爆発物処理班も出動待機していたから、すぐに解除できたのさ」
ツナは石畳に唾を吐いた。
メイはこの同胞に嫌悪感しか感じなかった。あれは勝機を探るのではなく単なる悪あがきだ。シャークのせいで自分の下肢は現場復帰が不可能な傷を負った。この日本人の女は一般人に毛が生えたレベルで実戦に赴いたのが無謀だったのだ。もっとも、自分たちと鉢合わせたのは気の毒ではあるが。幾ら蔑むべき男であっても日本人女の涙に同情して同胞を裏切るなどあり得ない。このキットは下肢をレントゲン撮影する際に見つかるだろう…。その後は尋問だ…。
隊員と警察官がアキとメイの元に戻った時目にしたのは、息絶えたアキと、頸に自ら注射器を2本とも突きたて、泡を吹いているメイの姿だった。
駆け付けた前島は絶句した。まだ、映像で見る以外誰も搬送車の焼け焦げた車内に入ってはいない。
「あの、黒焦げた物体が、夜叉なのか?」言葉を区切りながら念を押すように、朏に訊く。
「自分は乗り込む所を見ていないので、そこにフェイクがあれば何とも言えません」朏は実直そのものに、スプリンクラーの水を浴びた身体を毛布で包んでパイプ椅子に座る瑞生と、銃弾が掠った腕に包帯を巻いて戻ったサニを見ながら答えた。
「確かに、この2人が悪人でないのは重々承知しているつもりだが、信念のために頑強に嘘をつき続けるくらいの事、するのも知っているからなぁ」前島は困った顔をした。
「車乗せる時に、警察の人に手伝ってもらったから確認してください」サニは投げかけられた疑念に嫌な顔一つせず答えた。
「車の中で、夜叉が何か言おうとした。でも、もう声が出なかったんだ」瑞生がまた込み上げる嗚咽を抑えようと歯を喰いしばって言うと、本永はあやすように頭をポンポンした。
頭の上のごつい手を睨むと不思議と力が湧いてきた。『怒りは力だ』って誰のセリフだったかな?
「すぐに交代してこちらに来て」朏はもう当該警察官を呼び出していて、「2人には聴取を受けてもらう必要があるね」と瑞生とサニに告げた。
サニがどう答えたか知らないが、瑞生は見たままを(床に伏せていた時間の方が長いのだが)正直に話した。夜叉が全く動かない事を気にしているうちに、徐々に車内が暑くなってきた事。搬送車がセンター内に入った時はちょうど発火寸前だった事。ドアを開けて瑞生が振り向いた時、夜叉が燃え上がっていた事。サニが灯油などを掛ける時間も素振りも匂いもなかった事。
ただ、訊かれなかったので言わなかったことがある。ゾンビーウィルスが死滅する時エネルギーを放出するために燃え上がると研究者は知っている事。以前夜叉の親指を切り落とした際に燃えて炭化したという事を。
サニの聴取はなかなか終わらなかった。おそらく自然発火の点を突かれているのだろう。前島はサーモで搬送車の温度を調べて、夜叉或いは夜叉を騙る物体は生存していないと判断し、初めて鑑識を車内に入れた。運び出された炭化した人型物体を、瑞生は見せて貰えなかった。
解剖に関して夜叉の病院内で死亡したのだから、ここで解剖するべきだと新院長は譲らなかった。国立感染症研究所筋は、他の信頼のおける大学病院の解剖医によることを主張した。
これはサニが「運ぶ途中で灰が崩れて、元の人型すら保てないだろう」と言ったため、センター内で、国立大学法医学部教授とK県嘱託解剖医立ち会いの下行われることに落ち着いた。




