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ゾンビの顔色  作者: Nemuru-
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2015年6月28日③

 スマホで爆発物のタイマーを起動させた院生は、衝撃と爆発音の凄さに驚いて固まっている友人の顔を見て、笑い転げた。

固まった院生が憮然と言う。「何笑ってんだよ。ごみ箱が吹き飛ぶくらいって聞いたぞ。それなのに、今のじゃ研修センター1階が吹き飛んだかもしれない…」

「それな、渡された箱があんまり小さいんで、俺がこんな危ない橋渡ってるのに、しょぼい花火みたいな爆発なんて許せなくてさ。ド派手な打ち上げ花火にしてやろうと思って、コンロ用のガスボンベをゴミ箱に仕込んどいたんだ」

悪びれずに自慢する友人に、血走った目で怒鳴った。「誰か死んだらどうするんだよ! 金で指示した奴なんか大した罪に問われない。だが実行犯は許されないんだぞ。お前がそんなに馬鹿だとは思わなかった」

 2人の乗るバンは居住地のC2地区に駐車していた。フユとアキにとって院生は用済みなので、邪魔にならず且つ警察官の目に留まりやすい場所に待機させたのだ。駐車位置からは糸杉林に阻まれて施設群は見えない。2人は最も被害を受けたのが国際フォーラムだとは夢にも思わなかった。

「そんな気色ばむなよ。肝っ玉小さいなぁ。文句言われたら『指示通りにしただけです』って言えばいいんだよ。誰かがその後でボンベを捨てたなんて知らぬことだ。ここで待機してれば留学費用だぜ? こんな美味しいバイト途中放棄するなんて馬鹿だって」


 突然運転席側の窓をノックされて、2人は飛び上がった。

漆黒のサングラスを掛け、迷彩服のような研究者らしからぬ服装の女が何か言っている。

「聞いてた“積み荷”とイメージ違うなぁ…」

「どうする? 合言葉を言わないぞ」

 2人の結論を待つことなく、シャークはそれぞれに一発ずつ発射した。砕けた窓に手を突っ込みロックを解除すると、運転席から遺体を引き摺り下ろし代わりに乗り込んだ。助手席の遺体の上に背負ってきたリュックを投げ出し、中からサバイバルナイフと小型改造銃を取り出して、ジャケットに隠れるように装備した。

 次いでGPSでツナの位置を確認し、ニセ製薬会社のロゴが側面に描かれたバンを発進させた。



 爆発音に反応し、3台の夜叉一行は国際フォーラム前の救急車用スペースに停車するのを止め、急遽AAセンターの裏側に回り込んだ。センターの正面入り口にはガラスで怪我をした者が殺到したので、乗り付けていたら巻き込まれて大混乱になっただろう。

 しかし裏側駐車場に乗り入れたものの一号車のドライバーは焦っていた。クラクションを鳴らしてもスマホで掛けてみても、怪我人の手当てで皆正面入り口に行ってしまっているのか、AAセンターの応答がないのだ。置いて来た仲間を待つより一刻も早く夜叉を引き渡す方がいいと判断し、しんがりの二号車に待機を促すと、ドライバーは意を決して車から降りた。

 

 置いてきぼりを喰った警備員はメタボ腹を揺すりながら、老人の田沼に大した差をつけられずに一行を追っていた。

 カルト信者の2人は、国際フォーラム前の広場で立ち竦んでいた。そこはカモメのアラームと、各施設の火災報知器、怪我人の呻き声、知人を呼ぶ声で溢れ、音だけでもパニックを起こすに十分な程混沌としていた。1人が、夜叉を縛るつもりで持っていたスカーフを取り出し、座り込んで泣いている女性の血だらけの腕をそっと包んだ。「手当の順番が来るまでの辛抱ですよ」

同じように怪我人の足の傷を見ていた島崎の妻が、ふと漏らした。「そういえば、お父さんはどうしているかしら」



 AAセンターの中で、ロドリゴは夜叉が到着しないのを訝しみ、1階のエントランスで待っていたのだが、サニから連絡が入り、静かに移動していた。その後爆発音と衝撃が走り、エントランスが騒がしくなった。センターは業務変更の過渡期で細々とAA部門が稼働しているだけなので、スタッフ・看護師・医師は僅かしかいない。

夜叉用の減圧病室の用意をしていたスタッフたちが許可を求めてきたので、ロドリゴは頷いた。エントランスに彼らを行かせた後、ロドリゴはスペイン語で呟いた。「祖国から遠く離れたこの地で、僕たちの意思を貫く時が来た…。オルーラは『生まれたことに誇りを持って生きていくことこそが黒人の復讐だ』と言ったね。『この国は僕たちのチャンスなんだ』とも」

 VIP病棟から(ここは常に潤沢にスタッフがいる)小走りにやってきた医師たちが、「TATSUYAに病棟内は任せてきました。怪我人の手当てに行ってきます」と告げて、エントランスに向かった。これまたロドリゴは頷いた。


 夜叉用の病棟からは遠くて不便なセンターの裏側に(不便を避けようと正面入り口から入院する段取りにしてあったのだ)、VIP用の緊急入院口がある。そこはお忍びで入院するために、建物内に車ごと進入してVIP病棟の出入り口まで行けるというものなのだが、もう何年も使われておらず、直接シャッター扉に出向いて暗証コードを入力しロックを解除しなければならなかった。万が一の時に備えてサニが院長からコードカードとキーを預かり、今はロドリゴが持っている。

 扉の前に立ち、ロドリゴはサニの言葉を思い出していた。『扉を開けるタイミングが大事。外で緊急事態が発生したからそこを利用するのだから。入れたくない者まで入れてはいけない。内からは出たがっている閉鎖病棟の住人がいるかもしれない。どちらに向けても注意が必要』

 ロドリゴはロック解除を行うパネルと、扉の外側を映し出すカメラの映像が生きていることを確認して、待つことにした。



 「なんなの、これは」

額から流れる血をハンカチで押さえて、アキは立ち上がった。

「これじゃ本物のテロみたいじゃない」院生が指示通りに爆発物を設置しなかったとしか思えない規模の被害だ。周囲のパニックには目もくれず、夜叉一行の車を探す。相方フユは無傷で白衣を着ているためか、怪我人に助けを求められ引き剥がすのに苦労しているようだ。「ち、正面を避けて裏に回ったか」


 拉致プロの去った広場に入れ替わるように警備本部から警察官が到着し、怪我人と野次馬の整理を始めた。日曜日ではあるがビジター事件以後訪問者は激減し、仕事できた者と住人(在宅系)中心なのでそう困難ではない作業だ。負傷者がAAセンターに列をなして並ぶと、警察官は野次馬から目撃談を拾いながら、状況把握を始めた。その結果、フォーラムのガラス破壊の元凶は、研修センター喫煙所で起きた爆発だと知れた。

 並行して田沼からの情報を元に、武装警察官数名がアラームの発生源を探るべく居住地を海に向かって進んでいた。そして、奥行き7メートルはあるサルトリイバラとトキワサンザシの緑地帯が無残にも刈られた個所を発見した。付近の道路上に電動カッターが放置され、棘だらけの藪がくり抜かれた先に青く海原が見えていた。鋭い棘の先端に引き裂かれたウェットスーツや血液の付着を認めて指揮官は採取を命じた。慎重に他の痕跡を探す。

「ミライ村警備本部から県警本部へ。侵入を確認。残された足跡から侵入者は二名と思われる。同一人物の仕業か、断言はできないがすでに村内の研修施設で爆発が起きて人的被害が出ている。至急応援を要請する」

  田沼の記憶通り棘の中にアラームの管理ボックスがあり、ようやく海鳥の大合唱は止んだ。それから警察官たちは侵入者がどこに向かったのか、足跡を辿り始めた。



 「裏目に出るとはこのことだな」前島は苦り切った表情を見せた。村で爆発が起きた時、前島は不審人物がトッタン半島の小型船漁港で船を借りる交渉をしていたという情報の確認に出向いていたのだ。ビジター事件の際に拘束した某国に近しい人物は証拠不十分で釈放されていたが、前島はその人物が日本におけるエージェントだと踏んでいるので、確証を得たかったのである。

 前島と部下は覆面パトカーに飛び乗り赤色灯を点けた。「ま、警察庁にいたのに比べればマシか。H町から入れば10分…5分で着くな」

パトカーの中で前島は県警本部に、直ちに警備艇で崖下の海域の遺留品捜索を、ドローンで崖の侵入口の撮影をするよう指示した。

「2名か。拉致には少ないな」と呟くと、いつも同行している部下が「と言いますと?」と聞いた。

「拉致するには少ない。が、村内に協力者がいれば可能だ。逃走用の車も用意してあるだろう。或いは目的が拉致ではなく暗殺であるか、だ」



 一号車に置き去りにされた警備員がセンターの裏側に着いた時、白衣を着た女が弱々しい足取りで前方を歩いていた。女は二号車の窓をノックし、助けを求めているようだ。この状況では簡単に窓は下ろさない。女が額に当てているハンカチには血が滲んでいる。気の毒に思った警備員は、車内の仲間のアシストのつもりで声を張り上げた。

「あの! ここは裏です。ぐるっと回って表のエントランスの方から入るといいですよ!」

 女はよほど驚いたのか、びくっと振り向いた。

 警棒を握り、辺りを窺いながら緊急入院口に辿り着こうとしていた一号車のドライバーも、後から響いた同僚の大声に驚いて振り向いた。


 メタボ警備員に遅れてようやく傾斜を登りきった田沼は、息切れで足がもつれて石畳に座り込んだ。その脇を白衣に黒縁眼鏡の女が通り過ぎようとした時、警備車に助けを求めていた怪我人の女が車に手を掛けたままこらえきれずに膝から崩れ落ちた。

堪らず後部座席のドアを開け、「大丈夫ですか?」と警備員が手を差し伸べると、女は前のめりに車に乗り込んできた。


 動かないで、動くとこの薬を打つわよ

と言うはずだった。だがアキの意思に逆らい、口から声は出なかった。白衣左のポケットの注射器を握る指に力は入らない。「大丈夫ですか?」と耳元でがなる警備員が上腕を掴んできた。振り払おうと力を入れたら体が仰向けになり自分の白衣に赤黒い染みが出来ている事に気が付いた。みるみる染みが鮮やかな朱色に広がってくる。

「救急車~っ」馬鹿な警備員が病院の裏側で叫ぶ。アキは2度と遭うことのない男の腕に抱かれて目を閉じた。


 田沼は何が起こったのかわからなかった。警備車両に女が強引に乗り込むのを見ていたら、自分の横を歩いていた女が突如自分の襟首を掴んでシャクナゲの葉陰に引っ張り込んだのだ。

 フユは黒縁眼鏡を外し白衣を脱いで丸めると、「お爺さん、危ないからここにいて」と言い残し、音も立てずに田沼から離れもっと低い姿勢で茂みから外の様子を窺った。



 よくわからない。だけど、嫌な感じだ。夜叉は具合が悪いのに。

瑞生は口をへの字に結んだ。

 ふいに夜叉が手を持ち上げた。言われるまでもなく、瑞生は耳を夜叉の口元に寄せた。

「…」

だが瑞生には微かな息遣い以外聞こえなかった。涙目でサニを見ると、瑞生に目を合わせて小さく首を横に振った。歌ったことで喉のウィルスがやられてしまったのだろう。

 瑞生は夜叉の手を握った。柔らかくて冷たい手だった。


 朏は本永を安全な場所に置いていこうとして苦慮していた。アラームは止まったものの海鳥の鳴き声が耳について離れない状態で、テロリストが村内で野放しの今、安全な場所とはどこなのか。



 前島は村の入り口のビジターセンターを本部にして、周囲の研修施設や店舗を警察官で回り、不審者の立て籠もり、爆発物の安全確認をしていく班と、居住地を山側から(つまりC1から)検めていく班に分け、取りかからせた。事前にテロの危険性を訴え、K県警とミーティングを重ねていたので、K県警本部警備部からSATも爆発物処理班・人質交渉班もすぐに到着した。村内には藤森が『先程の海鳥の声は、緊急事態のアラームです。携帯電話など通信手段を確保して、自宅・勤務先に戻り、鍵を掛け、自分の安全を確保してください。不審者がいるように思われたら、自分で確かめたりせずに通報してください』と放送を流していた。


 朏はどこからも『夜叉一行を保護した』や『無事病院内に移送を完了した』といった報告がない事を気にしていた。夜叉邸に詰めている警察官は「前後の車両は民間警備会社のものだ」と言っていた。本物のテロリストに対し、スタンガンと警棒で何ができると言うのか。

 「まさか、応援要請をスルーしているのか?」朏には思い当たる節があった。警察庁に引き抜かれる朏を疎んじ村から遠ざけたのは、新任の警備本部長(村の“警備本部”の“長”なだけで本当の“本部長”ではない。本当は“係長”なのだが、“本部長”と呼ばれるようになってから急に尊大になった)だ。大事は自分で処理できないものだから、その兆候を気づかぬふりで黙殺する傾向が顕著だった。

 急いで夜叉邸に確認すると、「本部長はアラームの対応すら指示できずご立派な部長室に籠ったままらしいです。副本部長が自ら海岸線の調査に行きました。警察庁の前島警部がビジターセンターの方で指揮を取るようになって、少し情報が整理されてきたところです」と言う。

 朏は前島に自分が夜叉一行の応援に行く旨を伝え「君を連れてはいけないから、すまないが1人で夜叉邸に…」と本永に言いかけた時、本永は電話に出ていた。


「おお、八重樫か? お前どこにいる? 大丈夫なのか?」


 「本永? 朏巡査部長に連絡して! 何度も掛けてるけど話し中なんだ。今、夜叉と一緒に搬送車の中に缶詰なんだ。警備員は『降りていい』と言わないし、何が起きているんだかわからないんだ!」瑞生は早口で一気にしゃべった。どう考えても良くない事が起きているのは間違いない。


 目の前で二号車に白衣の女が乗り込んだきり、出てこないのを不審に思いつつ、メタボの警備員は事態の深刻さを理解していなかったので、ただ二号車に小走りに近づいた。しかし足がもつれて職員用駐車場との境の縁石に躓いて、どうっと倒れてしまった。

 チェイン。

倒れた先の石畳に銃弾が当たった。転ばなければ自分に命中していただろう。次の瞬間、メタボとは思えない程、素早く横に転がって、警備員はセンター職員の自家用車の陰に隠れた。


 仲間の大声で振り向いたら、女が二号車に乗り込み、直後に仲間が倒れて(転んだのだが)、歩いていた一号車のドライバーはセンター入院口に着いたものの身の危険を感じて咄嗟に屈んだ。


 ロドリゴは「ノー」とぼやいた。ようやく警備員の制服を着た男が現われたのに、突然カメラの前から姿を消してしまったのだ。ブザーも鳴らさずに。

 緊急入院口は20年以上前の“最新”設備なので、ドアの真ん前で屈むとカメラの死角になってしまい映らない。

そうとは知らないロドリゴは悩んだ。「今の、ドアを開けさせるための罠かな?」


 「その通り。だからドアを開けてはいけない」

自分の呟きに返事が返ってきて、ロドリゴは驚いた。

いつの間に来たのか、全く気づかなかった。ロドリゴの後ろには、電動車椅子に乗った八重樫宗太郎がいた。

「私は、ミズオの伯父だ。ミズオの事は知っているだろう?」宗太郎は親しげにロドリゴに近づいた。



 某国の工作員組織の中でも細菌・生物兵器開発部門は核兵器開発部門に次いで結果が期待されている。マーチとメイはその下で素材調達、指示があれば散布や拡散などを担当する実行部隊だ。某国が天然痘や炭疽菌の兵器化に成功しているという噂は絶えず、世界中から監視されているも同然で、動きにくくて敵わないと上層部が言った。そこで、未知の素材から何か作ろうという案が出たのだ。アフリカに探しに行くよりも遙かに近場で容易く入手できる、この機会を逃す手はない。

 作戦は、他の組織の仕業に見せかけて、夜叉の腕でも足でも頭部でも一部分を奪取すると言うものだ。だから、先手を取ったプロの女を殺したのはやむを得ないが、居合わせた全員を殲滅しなくても構わない。むしろ誤った目撃情報を残せるほうがいいのだ。マーチは資本主義国家アメリカの“人間冷凍保存サービス会社”からの指示の入ったメール(もちろん偽物)が保存してあるスマホをわざと植え込みの中に落とした。

病院のシャッター前でしゃがんでいる間抜けを麻酔銃で撃ち、マーチは手前の警備車両目指して駆け出した。マーチの陽動に合わせてメイが搬送車のドライバーを排除する手筈だ。


シャクナゲの茂みの中で様子を窺っていたフユは、アキを撃ったのは日本の警察ではなく同業他社のプロだと察した。デブの警備員が転がっていき、その後男がアキの乗る警備車に向かっていく。咄嗟に足首に留めてあったグロックを取り出すと、「ほ~、ジェームズ・ボンドみたいだ。あんたプロなんだね」と勝手に近づいてきた爺さんが喜んだ。無視して茂みから出ようとした時、ダンッという音がして男が着く寸前に警備車の横腹に穴が開いた。新たに参戦してきた者がいるようだ。


 マーチは、車に実弾をブチ込んだ何者かを撃とうと身体を捻り視線を走らせた。警備車(二号車)のドライバーは死体を乗せたまま一縷の望みを掛けてバックで急発進しマーチを轢こうとしたが、後方を向いた途端に額を撃ち抜かれてしまった。車は弧を描いてバックし続け、職員駐車場に突っ込んで止まった。

その間反対側を走って搬送車に辿り着いていたメイは、ドンと音を立てて運転席のドアに銃を当て大声で「ドアのロックを解除しろ。さもないとお前を撃つし、警備車で生き残ってる者を殺す」と脅した。

ダンッ。搬送車の上部を後ろ側から前に向けて銃弾が貫通した。

「ミズオ、伏せて」サニが言うまで、瑞生は口を開けて穴から見える空を見ていた。


 「マーチ?」荒すぎる援護射撃にメイが不審の声を上げた。


 茂みの中でフユは選択を迫られていた。おそらく生きてはいないアキを見捨ててこのまま逃げるか、死を覚悟して複数の相手に挑むか。しかし、死を免れたとしても夜叉を拉致して逃げるチャンスはもう望めない。こんなに時間が掛かったのでは計画の遂行は無理だ。ファーマからの報酬はゼロ。ならば生きて帰らなければ意味がない。

今はここで騒ぎが収まるのを待ち、こっそり研究者に紛れて立ち去るしかない。それには脱いで丸めた白衣があった方がいい。フユは白衣を置いた場所に目を向けた。その視線を遮るように、楽しそうに微笑む田沼と目が合った。


マーチは拳銃を構えて、狙撃手の姿を見つけようと目を凝らした。

メイは狙撃手はマーチに任せて、拉致に専念することにした。

「早く開けろ! 撃つよ!」

搬送車のドライバーが、意外な事に怒鳴り返した。「嫌だ! 俺はビビりだけど、患者を悪人の手に渡すなんてかっこ悪い事、死んでもするもんか!」

「じゃぁ死になさい」

メイがドア越しに撃とうと構えた刹那、職員駐車場で止まっていたはずの警備車が急発進して突っ込んできた。

一瞬の衝撃とキュキュィン・ガツンという音と共にメイは搬送車と警備車に挟まれていた。

「わあぁ、ブレーキが遅れた」と大声を出したのはメタボの警備員だ。石畳を転がって身を隠した先に警備車が来て止まったので、運転席の遺体に代わって乗り込んだのだ。「搬送車を疵付けるつもりはなかったんだ」


「あんたの探しているのはこれかな?」

田沼の手には丸めた白衣があった。



 AAセンターと国際フォーラム前の広場は、警察官により既に秩序を取り戻していた。

突然、怪我人の列に広場に侵入したバンが突っ込み、三人程なぎ倒した。「間違えた」シャークは呟くと、ボディに“FUKUTOMI製薬”とあるバンを乱暴にターンさせて、来た道を戻り左に曲がってセンターの裏側に姿を消した。

「テロリスト発見! AAセンター裏側に回ったぞ!」

「センター裏側駐車場で発砲音!」

 

 警察官がどどっと押し寄せるのを制御したのは、県警警備部から派遣されたSATの隊長と朏巡査部長だ。村には庶民的な“バリケード”という物がないので、景観を重視したらしい緑のパイロンを置いて、センター裏側には入れないようにしていた所、シャークがパイロンを跳ね飛ばして行ってしまったのだ。

 「ここからは防弾チョッキと盾を装備していない者は入るな」隊長が警察官に指示を出す。朏は前島に「残念ながら、遅れました。夜叉と八重樫君、サニ先生を乗せた搬送車と警備車2台はテロリストに包囲されています。敵の目的が拉致か暗殺か、わかりませんがネゴシエーターに任せるしかありません」と報告した。


 FUKUTOMI製薬のバンがタイヤを軋ませながら裏側駐車場に入ってきて止まった。

 車に挟まれて全く動かないメイをちらりと見た後、マーチはハリエンジュの大木の陰に照準を合わせた。

 「オーケー。同胞、撃たないでくれ」

意外な事に、大木の後ろからあっさりとツナが姿を現した。ツナは止まったばかりのバンに向かって「遅えぞ。殺すだけ殺してずらかる前に囲まれちまったじゃねえか」となじった。

 「ちょっと待て。こっちは調達班だ。準備もしてきたのに、ただ壊すだけの連中がこのタイミングでどうして海から現れたんだ?」マーチが噛み付いた。しかしツナはふん、と鼻で笑った。


 マーチははらわたが煮えくり返る思いだった。上の誰かがテロ部隊に自分の報告を流したのだ。『日本のトッタン半島に価値あるウィルス保持者が現われたので拉致或いは採取を試みる。舞台となる金持ち村でターゲットが襲われたと言うだけで日本政府に与えるダメージは大きいだろう』、これをただただ人を殺害するロボットのような連中に流したのだ。当然自分とメイの命は捨てられたも同然だ。

 「怒るなよ。援護射撃は有効だったろう?」ツナは薄ら笑いを絶やさない。

 マーチは横目でメイを見た。メイは動けないが意識はあるようだ。

マーチは時間稼ぎを試みた。「あんたの計画は?」


 

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