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ゾンビの顔色  作者: Nemuru-
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2015年6月28日②

 『夜叉邸に異変あり』の通知が来た時、常に準備を怠らない田沼は速やかにポケットにサバイバルナイフを忍ばせた防刃チョッキを着て家を出た。

富山の家に入り込んだ姉妹は、アメリカに本社を置くビッグファーマ(製薬会社)に雇われたその道のプロで、買収した医療系大学院生2人に、“モラハラ助手奪取計画”が始まった旨連絡し移動を開始した。

某国スパイも、カルト信者一行も家主の車を使い或いは徒歩で、夜叉邸にそれぞれ近づいていった。


 ビッグファーマに買収された院生2人は、すでに爆発物を研修センター1階ロビーのゴミ箱に設置していた。研修センターにはどの施設の者もランチに行くので不審がられることはない。研修センターの隣りはガラス張りの宇宙船じみたデザインで一番人目を引く国際フォーラムだ。国際フォーラムは救急車両用のスペースを挟んでAAセンターと直角を成すような位置にある建物だ。

 2人が選んだゴミ箱は、隣接する国際フォーラムにもっとも近い壁際の喫煙スペースにある。医療関係者の研究棟に喫煙者は少数派だが、出入りする製薬会社の営業マンはストレスからか愛煙家が多く、往きと帰りに一服する者もいる。少数派のためのスペースには灰皿と“火気厳禁”の張り紙のあるゴミ箱しか置かれておらず、コーヒーの自販機はフロアの反対側にあった。そのためゴミ箱はほとんど使われていない。首尾よくモラルハラスメントに喘ぐ女性研究員を証拠ごと奪取できた暁には海外留学初期費用相当の報酬を得られるとあって、その場に第三者が居合わせるか否かを確認しないままスマホで爆発物を起動させる方法に院生は何の疑問も持たなかった。

 村内は電波の届かない場所がないのが売りなので、どこからでも起動できる。2人は指示通りにニセ製薬会社のロゴが側面に貼ってある大型バンに乗り込み、“積み荷”を乗せるポイントに向かった。


 AAセンターの前を通り糸杉の林を抜けると、居住地に入った。大邸宅をてっぺんに、なだらかに下る外国の避暑地のような家並みに一瞬目を奪われたが、雇い主の指示通り少し下った邸宅街に駐車して、バンの中で院生たちは合図を待った。

 江古田俊介はペットボトルとドライアイスの入った袋を持って小谷教授の部屋へと向かっていた。

 田沼は居住地を抜け、糸杉林の中に潜んだ。

 ビッグファーマに雇われた拉致請負人の2人フユとアキは白衣を引っかけ研修センターから出てきて、有名店の仕出し弁当や取り寄せ惣菜を扱う(高級ほか弁店みたいな)店で商品を吟味しおしゃべりに花を咲かせた。研究者は曜日を問わず出勤しているので、違和感はないはずだ。

 カルト一行3人は二手に分かれる事になった。島崎の妻と別の住人の女と、カルトナンバー2の信者だ(教祖である占い師は手を汚さないので不参加)。おばさん2人は曲がりなりにも住人なので、AAセンター前をうろうろしていても違和感がない。



 救急車は緊急とはいえ患者の既往症や今の容態を把握し、引受先に確認を取らなければ動けないものだ。対して予め手配してあった民間救急搬送車は予定通りに動けばいい。しかしドライバーは、夜叉の重篤な容態にビビってAAセンターで待機するロドリゴに確認を取るまでは頑として出発しなかった。サニが同乗するにも係わらず、万が一車内で異変があった時の免責の確約を求めた。

 瑞生は心ならずも、夜叉を狙う多くの者に駆け付ける時間を与えることに一役買ってしまった。後から同乗を申し出て、乗るはずだった門根と交代することになり、ドライバーは再度確認のループに嵌ったのである。


 搬送車はゆっくりと走る。周辺に刺客やスパイが蠢いているのも知らずに、夜叉の身体を気遣い、赤色灯もサイレンも点けず振動を最小限に抑えて静かに走っていく。


 宗太郎はほくそ笑んだ。結局自分のいるAAセンターに(任意の聴取が済むと宗太郎は腕の痛みを訴えて自宅ではなくセンターに戻っていた。曽我がいなければ宗太郎にとって自宅より介護者の多いセンターの方が居心地がいいからだ)夜叉の方からやって来るのだ。同じ病院の住人となれば、夜叉の様子は逐一わかるし、利用するチャンスを掴むのも容易い。




 夜叉邸に動きがあった時、誰1人予想していなかったルートをツナとシャークが攻略していた。

当初、聞き慣れない音がする事、それが続いている事に、屋外にいた住人は首を捻った。研究施設にいる者も聞いた事の無い音だった。糸杉林の中で夜叉一行の到着を待っていた田沼の耳にも違和感のある連続音は届いた。「何の音だ…?」


「これは…アラームじゃないか?」居住地にいた警備員が呟いた。

「どこの家だ? 変わった…カモメが大群で襲ってきたみたいなアラームは大手警備会社じゃないな」同僚は本部に問い合わせた。


 「ヒッチコックの映画みたいだ。カモメに襲われるのは願い下げだなぁ」と苔田は自宅兼事務所の窓から海を見た。

妻に呼ばれて窓辺に来た自治会長の藤森も怪訝な顔で空を探した。「カモメどころか海鳥だって見えないが…」


 ポンと手を打ち田沼は体を起こした。「海だ!」


 夜叉を乗せた搬送車の前を行く警備車(一号車)が急ブレーキをかけた。目の前に田沼が飛び出してきたからだ。

 「海だ!」

「お爺さん危ないじゃないか! 転んでないなら、ハイ、下がって」助手席の警備員が田沼を睨みつけた。

ところが田沼は警備車両のボンネットを叩きながら、「聞こえないのか? アラームだ。海からの侵入警報だ。あの切り立った断崖絶壁を登ってきた奴がいるぞ!」と叫んだ。

「チ」舌打ちと共に警備員が車外に出た。ドライバーは僅かに下げた窓からアラームらしき鳥の鳴き声を確認し、本部に無線で問い合わせた。


 村の警備本部は居住地に借り上げた住宅に半分、ビジターセンター半分に分かれている。居住地の本部ではカモメの大群に襲われた音がアラームであると気づいたものの、出所がわからず右往左往し、自治会長の藤森に問い合わせていた。

 藤森は目を通した引継ぎ書類の中には覚えがなかったので、慌ててビジターセンター内の自治会長室にそれらしき資料を求めて家を出た。居住地はすり鉢状になっている上に海からの風が回るので、音源がどこか、さっぱり見当がつかない。「アラームアラーム、カモメ…ときたら、海じゃないか? でも海は断崖絶壁だからあり得ないか。こりゃぁ田沼の爺さんに訊くのも已む無しか?」運動不足の身体に登り坂はキツイので、藤森はとりあえず警備本部に駆け込んだ。


 田沼をどかせようと車外に出た警備員にもアラームの方が忌々しい事態に思われた。夜叉を乗せた搬送車のドライバーは先般からビビりだと判明しているが、今は黙って停車している。

 瑞生はサニが夜叉とドライバーを隔てる壁に向かって用心深く座っていることに気づいていた。考えてみれば、この停車が仕組まれたもので、ドライバーと助手席の看護師(あまり意味がないのにいる事が怪しい)がグルでないとは言えないのだ。サニの目は獣じみて神経を尖らせているのが伝わってくる。瑞生は自分に出来る事を考えた。自分は一番ドアに近い。夜叉のストレッチャーを下ろすのは1人では無理だが、必要ならドアを開けて味方を入れ、侵入者を防ぐには何が何でもドアを開けなければいいんだ。


 停車中の車内の沈黙を息苦しく感じてきた頃、瑞生の耳にも海鳥の鳴き声が聞こえてきた。海鳥襲来? まさか夜叉の危機に集まって来たとか?

看護師がマイクで「何の音でしょう?」とこちらに聞いてきたが、「さあ?」としか答えられなかった。

「この音のせいで停まっているのかな?」独り言だったのに、ドライバーが返事をした。

「一号車の前に爺さんが飛び出してきて、動かないんだ。車を降りた警備員と話してる」

「それって、田沼?」思わず瑞生は腰を浮かせた。


 一号車のドライバーが本部に問い合わせても、アラームらしきものの正体は不明だったのだが、田沼の要求で渋々マイクを車窓から外に引きだして話せるようにした時、運よく本部に藤森が到着した。誰相手に話しているのか不明のまま、田沼は話し出した。

「あれはアラームだ。海側の断崖絶壁を攻略した者が出た時鳴るよう仕掛けておいたんだ。建村以来一度たりとも鳴ったことがなかったので、私もすぐにはピンとこなかった。あんな絶壁を登りきり、センサーが作動する緑地帯を突破したとなると、プロだ。テロリストだ。住人に家から一歩も外に出るなと緊急放送しろ。警察、外事4課、どこでもいいから闘える部隊を呼べ!」

 

 田沼の声に驚きながらも藤森が質問した。

:何故テロリストと? 何故今まで侵入が皆無だったのですか?:

一瞬、藤森の声に驚いた表情を見せたが、例えその地位から引き摺り下ろした当人でも自分の今までの名声を知る人物と捉える権勢欲が勝ったのだろう。

「いい質問だ! 海沿いの断崖は“K県後世に残したい名勝百選”にも選ばれた名所だ。居住地から海を見渡す眺望は村の“売り”だ、損なうわけにはいかない。だが建村当時多数いた子供の転落防止も必須命題だ。更に私は侵入防止をも兼ねる秘策を思いついたのだ。クイズにして答えさせたいが残念だ…答えは“棘”だ。サルトリイバラとトキワサンザシを崖沿いに植えた。密生して獣すら通り抜けられない、しかも飛び越えられない程の緑地帯が有刺鉄線になっている」田沼は自慢げに答えた。

:植物の棘ですか? 薙ぎ払ってしまえば突破できるのでは?:

「あんた、崖沿いを歩いたことがないだろう。野生化して藪になったトキワサンザシは手が付けられないぞ。ボールが飛んで行ったら破裂して終わりだ。すぐに子供たちは近づかなくなった。冬に赤い実をつける姿は一興なんだがな。それはともかく、ここは岩礁のため船では近づけないから潜って僅かな足場に上陸することになる。崖を登るにも道具が要るし、あの藪を切り拓くには伐採を想定したハードカッターと防護服を用意していなくては無理だ。周到な準備と重装備を運ぶ体力が必要だ。そこまでするのはどんな人間だ? 装備があってもおそらく体は傷だらけだろう。手負いの超不機嫌なテロリストがその辺を歩いてるんだ。非常事態だ!」


 「ここに留まるのが一番危険。早くAAセンターに入りたい」田沼の話が聞こえたわけではないが、サニがドライバーに直訴した。

すっかり傍観者然としていたドライバーは虚を突かれた。「あ、ああ。そうですね」と言いながら、無線で一号車に連絡を取る。

:爺さんが言うには、このアラームは海からの侵入者に仕掛けたもので、『テロリストだから警戒しろ』って:

「だったら、停まってないで発進しろ!」

サニの剣幕にドライバーはあわあわしながら前に伝えた。



 江古田は小谷教授の戻る頃合いを見計らって机の上にプレゼントを置いて去るところだった。捕まるのはご免だが近くで小谷の慌てふためく顔を見たくもあり、後ろ髪引かれる思いで庭園に面した通路を通った際、防音ガラスをも通過した海鳥の鳴き声が聞こえた。


 「鳥の大群かと思っていたが、違うな?」朏は眉を顰めた。夜叉邸に着いて車を降りると本永も「おお? ここの方が音がデカいな」と戸惑いの声を上げた。二人は夜叉邸前にいた警備員から、夜叉一行が急遽AAセンターに移動した旨を知らされた。

 「タイミングが悪いな。本永君、すぐに追おう」

「八重樫が連絡なしに一緒に行ったということは、夜叉の容態が悪くて、動揺したまま動いたってことか」


 拉致請負人フユとアキは、夜叉一行が田沼に足止めを喰っている道路とAAセンターを挟んだ反対側で待機していた。作戦はシンプルで車ごと頂く方法だ。何の警戒心も持たれぬうちにターゲットの車両に乗り込み、手近な人物に毒物の入った注射器を突き付けて車内の一切の権限を掌握するのだ。その後はともかく寝てもらう。ターゲット以外の人物は車ごと別の場所で目覚める。誰も傷つけることなく、今までこれで成功してきた。今回は警備員付きなので、陽動作戦の小爆発を起こす院生2人を離れた場所に待機させているが、保険のようなもので、警察があちらに意識を向けてくれれば有難い程度の存在だ。本当の逃亡用車両は村の外に停めてある。フユは生花店のウィンドウに映る自分の唇のグロスが十分艶めいているか確認すると黒縁眼鏡のフレームを押し上げながら、腕時計を見た。


 セレブ信者2人と、カルトナンバー2は距離を置いていた。なんと言っても世間知らずのおばさんたちなので、足を引っ張ること必定だ。それに、おばさんには夜叉を病院内の一室に閉じ込めて、教祖との友好関係を宣言させると説明してあるが、そんなつもりは毛頭ない。警護の付いたゾンビを拉致するにはもっと男手と予算と武器が必要だ。自分は夜叉に接近して、毛髪か、上手くして血液を採れたら上出来だと考えている。ゾンビの血をどうするのかは教祖次第だ。荘厳なセレモニーを動画配信してもいいだろう。セレブ2人は、不首尾の際の取引材料か、保釈金を払わせるか、ともかく自ら参加を買って出たという事実を利用するために同行させているのだ。


 唐突に、一号車が発進した。外で話している仲間と田沼を置いたまま。

 非常時マニュアルに従い、瑞生と夜叉を乗せた搬送車も続いた。搬送車はその目的上ボディに窓がない。瑞生には現在地も妨害する老人というのが田沼なのかも確かめようがなかった。

 

 江古田は窓の外の糸杉を心ここに非ずの体で眺めながら、その時を待ち構えていた。

 一瞬、あれ?という揺らぎと共に破裂音が聞こえて、込み上げる喜びに打ち震えた。そして周囲に合わせるように研究室の外に走り出ると、騒ぎの質が違うことに気づいた。庭園側の通路で皆が指差しているのは国際フォーラムだ。

 防音ガラスに駆け寄ると、爆発でもあったかのように国際フォーラムの1・2階のガラスが辺り一面に砕け散り、黒煙が漂っている。地上にいて破片を浴びた者もいるようだ。

 江古田は2・3歩後ずさった。「そんな…ペットボトル爆発でこんな事になるはずがない…」そしてくるりと反転すると、駆け出した。「フォーラムの窓ガラスが吹っ飛んだとすると、教授は…」

犯行がばれることなど構わずに、突き当りの教授室のドアを開けた。

 「教授!」

卓上のペットボトルに手を伸ばした瞬間、江古田の望み通り、気化したドライアイスが内圧を極限まで高め、ボトルが耐え切れずに爆発した。江古田の右手と顔面を破片が直撃し風圧で後ろに引っくり返った江古田の網膜が捉えたのは、ドア付近に呆然と立つ小谷教授の足だった。子供じみた復讐心の代償を江古田は身を持って支払う羽目になったのだ。

 

 田沼は搬送車を襲うか迷った。このまま侵入を放置して、これが某国の無差別テロ(セレブ村で行えば“無差別”ではないように思うが)ならば、住人が次々に餌食になることになる。一方、自分が夜叉に諸々の秩序崩壊の責任を取らせて殺害すると、住人のテロ被害まで田沼の責任のように受け取られかねない。県警は証拠を隠蔽してでも田沼に責任をなすりつけるだろう。


 その時、爆発が起こった。



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