2015年6月27日①
2015年6月27日
「僕の話、退屈?」
宗太郎は苛立った声で起こされた。車椅子に座ったまま眠りこんでいたのだ。
宗太郎は慎重に首を動かした。コーヒーの香りが鼻腔を満たす。
「シャキッと清明な気持ちで聴いてほしいから、ブラックにしておいたよ」
TATSUYAは屈託なく笑った。
「おはよう」
本永の方から朝の挨拶をされたのは、知り合ってから初めてなのじゃないだろうか。
本永の前向きな態度の原因は、外様の登校にある。夜叉との誓約を隠したまま最後の2日に突入したことを後ろめたく思っていたので、もごもごと挨拶を返すのがやっとだった。
選択科目を2コマ終えて、教室内は移動する生徒でざわついていた。「お、外様」目ざとく見つけた蒲田が声を上げた。
教室のドアから頭を出した外様に、以前の日焼けしたスポーツマンの面影はなく、脱色気味の肌と遮光のためのサングラスが異彩を放っていた。
「大名、お帰り!」副委員坂下の掛け声を合図に皆が外様を迎え入れた。後ろのドアから榊先生と外様のお母さんが入ってきて、臨時のホームルームが始まった。
坂下がホワイトボードに、“登下校、授業、宿題、教室移動、行事、生活、部活”と書いて、順にクラスで必要なサポートを本人の意見と擦り合わせることになった。
蒲田が手を上げた。「俺、『誰かがやるだろ』っていう他人任せが危険な事態を呼びがちだと思うんだ。だから、週番が責任持つっていうのどうかな?」
「それ、重要かもね。基本週番が責任者ということで、自分が都合で出来ない時は、担当者を指名するようにしようか」と坂下。
「あのさ、例えば俺がトイレ行く時大名を誘うとするだろ? それで一緒に行く時一声、『山田行きま~す』って大声だせばいいじゃん。それは『トイレ行って戻るまで俺が責任もって同行する』って合図なわけ。そうしたら週番も他の奴も、自分の用事すればいいんだよ。そうやって気楽にやっていこうや」山田の意見に皆、そうだそうだ、の合唱。
外様は「なんか、俺…本当にみんなのお荷物で、嫌になるな…」と呟いた。
「何言ってるのよ、大名らしくない」と副委員。再びそうだそうだ、の合唱。瑞生は一瞬外様がビクッとしたのを見てしまった。
皆から活発に意見が出て、順にサポートが決まっていった。最後の項目“部活”になり、副委員が決まり悪そうに「これは、今はいいね。ごめん、書かなきゃよかった」とイレーザーで消した。
佐々木が「大名が入部を決めた時に相談すればいいよ」とフォローした。
チャイムが鳴り、榊先生が締め、外様のお母さんがお礼を言い、最期に合唱コンクールの課題曲を歌って解散することになった。皆が一斉に椅子から立ち上がった時、外様が激しくビクついたのを、今度はクラス中が見てしまった。榊先生は、歌うのはストレス発散にもリハビリにも最適だろうと勧めたが、外様は『今は勘弁してください』と固辞して、お母さんと保健室に退避してしまった。やはり相当疲れた様子で、壁に手を当てながらふらつく足取りだったため、外様が出て行った後のクラスは騒然となった。
「大名、あんなので復帰できるのかなぁ」
「もう顔色悪くなっちゃってたよ」
「厳しいんじゃない? 四方八方音刺激だからね、学校は」
心ここに非ずで歌った課題曲は聞くに堪えない出来栄えだったが、誰もそんなことは気にしていなかった。瑞生は本永が心配で、表情を窺った。本永は口を真一文字に結んでテキストを鞄に放り込んでいた。そこに一旦教室を後にした榊先生が戻ってきて本永に何やら囁いて出て行った。
本永はやおら振り向くとこう言った。「行くぞ、外様が医務室で待ってる」
「…しんどいな。クラスのみんなの中にいると、もう自分はそんな元気には振る舞えないと実感する」外様はベッドの上でもサングラスをしていた。「お前らと医務室にいる方がしっくりくる」
「年寄りじみたこと言うなよ」と瑞生は回転椅子を引っ張った。本永がとっくに手近な椅子に座っていたからだ。
窓側の隅のデスクにパンダと外様のお母さんが座って話していた。ふいにお母さんが泣き出して、瞬間瑞生たちは息を潜めた。
「坂下に聞いたよ。本永がクラスに声掛けてくれたんだって? お前、うちまで来たのにそういう事言わないから」外様はお母さんたちの方を全く見ずに明るい声を出した。
「おお、喧伝するような事じゃないだろ」照れて本永。
「…でもさ、尽力してもらって悪いけど、戻れるか、俺自信無いんだ。ちょっと家で検討させて」
保護者用駐車場まで、本永は一切口をきかなかった。瑞生の中でも色々な想いが湧き上がってきて、掛けるべき言葉を見いだせないでいた。『あの顔色の悪さは登校云々以前の問題じゃないかな?』『本永の気持ちは外様に十分通じているから、がっかりするなよ』…結局何も言えなかった。
本永の乗った車を見送り、ふと、自分は誰の車に乗ればいいのだったか、思い当たらない事に気づいた。「今朝は門根が乗せてくれたけど、帰りの話は出なかったんだよね…」
呟きながら見回すと、Gジャンを着たお兄さんがダッシュしてきたので、身を固くした。「…あれ? 朏さん?」
朏の案内する小型の外国車に乗り込んで、もっと驚いたのは運転席に前島がいたことだった。しかもこちらも私服でポロシャツなんかを着ている。「嘘でしょ」
笑いを噛み殺している朏の横で、前島は「あまりミライ村に入れあげていると上から嫌味を言われるので、休暇を取ったんだ。朏を対テロ組対に引き抜こうと画策中で、交渉しに来たんだよ」と教えてくれた。
「前島さん、そういう話を部外者の前でするのは如何なものでしょう」引き攣って朏が意見する。
「まぁ、八重樫君は身内みたいなものだろう」
瑞生はこの2人の話を聞いているのはとても興味深かったのだが、「あのう、何故僕を迎えに? パトカーをタクシー代わりに、なんて一番怒られそうだけど」と聞くべきことは聞くことにした。
「これは私の車だから、パトカーではない。従って警察官が迎えに来たことにはならない」と前島が即答した。
「夜叉邸に寄ったら、誰が君の迎えに行くか、都合がつかないようで揉めていた。ちょうど前島さんから連絡があって、瑞生君が下校時に1人になるのは避けた方がいいということで、動ける者が動いたわけだ」助手席の朏が身体を捻って説明してくれた。
「…八重樫家の捜索で何か出ましたか? 曽我さんは本当に伯母や僕に毒を盛るつもりだったのかな?」
この問いには、「さすがに捜査中の件には答えられない。それより宗太郎氏から君や伯母さんに連絡はないのかい?」とはぐらかされてしまった。
瑞生はサニが宗太郎の居場所に心当たりがあると言っていたのを思い出した。マカンダル絡みでややこしくなるのは避けたかったので、黙っていた。
「この村がターゲットになっていない事を祈っているよ」
前島の言わんとすることがよく掴めないまま、夜叉邸で朏と瑞生は降ろされた。村内を巡回して車を停めてくるらしい。
前島の気遣いと同時にピリピリしている空気も感じた。
そうだった。この土日で今までの自分じゃなくなるんだ。いよいよだ。…さよなら、本永。
周囲を慎重に検めた朏に続いて、秘めた覚悟を抱いて夜叉邸に足を踏み入れた。
警察は八重樫宗太郎を重要参考人として探したかったのだが、入院中のVIP患者に配慮し、病院側の自主捜索に委ねていた。
山野やトミーたち新経営陣に新たに雇われた警備員が、宗太郎が籠城をしている場合に備えて(つまり懐中電灯以外の物も持って)昨晩から順に施設内の空き部屋等を捜索していた。
今日は朝9時過ぎになるまで待ってからVIP隔離病棟に来た。患者を刺激しないよう用心深くセキュリティゲートを開けると、奥から電動車椅子が1台やってきた。タブレットの写真と見比べて名前を尋ねる警備員に宗太郎はひたすら叫び続けた。
「ここから、出してくれ、出してくれ、出してくれ!」
TATSUYAの部屋をノックする者がいた。
「珍しいね、パパが来るなんて」
髪は白く僅かしかないが堂々たる佇まいの老人は、アメリカンブルーの可憐な花の咲き誇るポッドを袋ごとTATSUYAに差し出した。
「お前に一晩頑張ってもらったからな。お礼を直接言いに来るのは当然のことだよ」
父子は香り立つアールグレイを味わった。
「もう、いいのだろう? いつでも帰ってきていいんだよ」
「うん、だいぶいい具合だと思うよ。でも、ここに居れば、また何かやってしまう可能性がない。ここは僕の城で僕の支配下にある。だから招き入れた者はもちろん、侵入者に対してもパニックを起こすことはないんだ。静かで好きなだけ植物と話が出来るし。…それに、たまにだけど、こうしてパパの役に立つことが出来る。それが嬉しいんだ」
「そうか、それならいい。お前のいいようにしなさい」
「僕は話す側に回るんだ。いや、待てよ。人はおかしくなるとあんな風に自分の犯した罪を話したくて堪らなくなるのか? ああはならないぞ。絶対話すもんか」
「この僕に名前や本籍を言わせるな。犯罪者のように扱われるなんて我慢ならない。ところで刑事さん、聞く気あるの?」
マジックミラー越しに八重樫宗太郎の様子を見ていた刑事たちが、溜め息をつく。「言ってることが矛盾してる」「詐病の伏線じゃないか。悪知恵の持ち主だろう? いざ罪に問われるとなったら、身体のことも精神のことも有利なように使う算段だろう」
旧AAセンターから任意同行に応じた(本人は助け出されたと言っていた)宗太郎は、とりあえず一番近いY市の警察署にいた(本人は保護されたと言っていた)。
休暇を取った矢先に呼び出された前島もマジックミラー越しに宗太郎を観察していた。
「何という患者の部屋にいたのでしたっけ?」前島の問いにK県警生活安全課の係長が外に出るよう手招きした。
「AAセンターのVIP名簿に関しては私たちには閲覧権限がありませんので」と案内されたのは警察署長室で、旧知のK県警幹部が待っていた。テロに関して前島が警戒を促した相手だ。
「病院は改装中のトラブルで電源が数回落ちた。その時八重樫氏は自ら隔離病棟区域に足を、正確には電動車椅子を踏み入れたようだ。電源が復旧してからは映像が残っている」と前島にパソコン画面を向けた。
映像は通路を連れだって行く所から始まり、本庄達也の部屋でお茶を飲み、そこからエンドレスの語らいの場となる様を映し出していた。
「彼は本庄達也、自由政権党元党首・本庄一馬の長男だ。名門T大付属小・中・高と優秀な成績で進み、高一の夏、事件は起きた。君のことだから記憶しているのだろうな」
前島は記憶の引き出しを開けるように話し出した。「確か…当初こそ未成年の猟奇的傷害事件と騒がれたが、詳細が明らかになるにつれ、加害者である達也に対する同情論が強まった…と記憶している」
県警幹部は満足そうに頷きながら、「被害者は近所に住む主婦、自宅押し入れの中から、口と腕を色鮮やかな刺繍糸で縫いつけられた状態で発見された。主婦は今でいうストーカーだった。自分の息子と同い年の達也に恋焦がれ、つけ回し、手紙を送り続けていた。勿論本庄家は厳重抗議し、警察にも相談していた。“いい子”の達也は傍目以上に蝕まれていたのだろう。家族のガードにぽっかり穴の開いたある日、主婦の自宅に誘い込まれた達也は、2度と自分に声を掛ける事の無いよう、手紙を書けないよう、手近にあった刺繍道具で主婦の口と腕を縫い付けた…というものだ。主婦の異常な行動に業を煮やした夫が、措置入院の材料にしようと自宅内にカメラを設置していた。皮肉なことに妻が被害者になる一部始終を撮っていたわけだ。そうとは知らない主婦は、達也による強姦未遂だと主張したが、事実は全く違うと映像で証明された。本庄家がストーカー被害届を出していたので、被害者兼加害者の主婦側は穏便な処分を求めた。達也は罪に問われることはなかったが、罪悪感と鬱で自殺未遂を繰り返した。そこでコスモスミライ村のVIP精神病棟に入ったというわけだ」と説明した。
「あの病棟に入ってからの治療経過は?」
「治療経過の個人情報はそう簡単に開示してもらえないよ。…見た目は正常、一晩中事件の詳細を語り続けるのをそう呼ぶかは別として」
「予期せぬ“本庄達也”とは言ってもたったの一晩だ。疲労困憊しても精神に異常をきたすとは思えない。詐病のための一芝居がボロを出すのは時間の問題だな。高校生の送迎の帰りにまた寄るよ」前島はミラールームを出て行った。




