2015年6月18日③
新林は小走りでデスクに戻った。課員がテレビを点けて何人かがその前に集まっている。夜叉通信が始まるところだった。
:やあ、夜叉です。今日で第五夜。昨日見てもらった小中の動画に対する反響が凄くてね。俺の役目は、青山と小中のラストメッセージを伝える事だけのはずだったのだが…:
隣に座るトドロキが:『あれはグロ過ぎる』と非難殺到だったな。しかし部外者の俺が意見するのも抵抗あるかもしれないが、あれはあれだろ? 見た目なんかどうでもいいだろ? 話の内容だろ、重要なのは:と腕組みする。
夜叉は頷いた。:そう。イマドキは関連ニュースを調べる事なんて難なくできるけど、ちょっと触れておこうと思ってね。小中のメッセージには謎が多かった。今日、あの『俺は石見葉月さんを殺していない』に対抗して1つ、あの『自由を掴め』に呼応して1つ、2つの記者会見が行われた。午前中にニュースキャスターが開いた会見で、小中の『俺は殺していない』と真っ向から対立することを言っていた。…まぁ、何を言おうと人の勝手というのが、俺のスタンスだ。そして2時間前、小中のアリバイを証明する人が会見した。キューバで小中の死んだ後蘇った頭部がとった最後の行動が、今日本で生きている人を突き動かしたという事実に心揺さぶられる…:
:お前は一度目の死に方に満足してないのか?:トドロキが真面目に聞く。
:…満足と言う観点で最初の死について考えたことないな。多くの人同様、死は突然やってきたから何もできなかったよ。あれで終わりなら、それはもうしょうがないだろう。だから後悔はない。今回猶予を与えられたと考えて、出来る事はしようと思うよ。でも最終的にどう死ぬのかは、やっぱり俺が決める事じゃない。死に方はそれほど重要じゃないだろ。それより死は小中にとっても突然だったわけだろう? しかも殺人の濡れ衣を晴らすためにキューバに戻っていた所で、突然胴体ちぎれてさ、それなのに他人のために全ての力を使うなんて凄い奴だと思う。あの最期だけで、小中の全人生が輝きを放つというか。考えさせられる…俺にとっては明日起こることかもしれないから:
この会話が世界中に発信されていることなど、2人にはどうでもいいことなのかもしれない。
トドロキは、足元の儀礼用の太鼓を持ち上げて撫でた。
:俺、昔から太鼓の音が大好きだったんだ。うちってロックバンドだからレコーディングでちょっと入れるくらいだろう? ドスドスドスッて叩き込む重低音も大好きなんだけど、手で叩くこういう…原始の音みたいのも好きでさ。10年ぶりにお前がレコーディングしたいって言った時、今のお前に合うのはこれかな、と思った。なんて言うのかな。誤解を恐れず言えば、霊に近い、と言うか。森羅万象と通じる、話すというのはこれでしょ、と思うんだ:
夜叉の回りの蒼いオーラが揺らめいたように見えた。
:霊と近い…。面白いな:
トン タタ トント タッタン トドロキが叩いてみせる。トン タタン
:繰り返しだろう。人の波長も、自然の営み、四季、風、皆それぞれの波形を持っていてじっくり回っている無限ループみたいだ。太鼓のリズムに乗って波長と波長が近づくと、種も有形無形も超えて会話できるのは、当たり前の事だと思うんだ、俺は:
あれ、夜叉の色が濃くなってる…? 太鼓の音か、或いは空気振動に呼応しているみたいだ。ゾンビーウィルスがアチェだっけ? 動的エネルギーにパワーをもらってるのかな。
次いで、夜叉は自分の番組を世界中の人が見ていることに感謝していると話し、メールを何件か紹介した。
:次のこれは特別だ。小中の動画を見て寄せてくれた…:
:夜叉、初めまして。私はキューバ在住の日本人で、殺された石見葉月の母親です。今朝早くに小中くんの壮絶な最後の映像を見ました。彼は自分の運命に負けなかったのですね。頭部だけになっても他人の未来に心馳せることが出来るなんて、驚いて感動して震えが止まりませんでした。この人が娘を殺したなんて、ありえません。私は事件後に、娘と服部君の事件当日の足取りを辿りましたが、小中君は全くの別行動だったのです。今は証言を翻してしまった証人が多くいることが残念でなりません。アジア人から証言を変える条件でお金をもらったと告白した人もいます。彼らにしてみれば、日本人同士の事件では誰が犯人でも大して関係ないのです。まして小中君は亡くなっています。良心の呵責は最小限で済むでしょう。でも、娘の無念はどうでもいいのでしょうか? 小中君の無念は? 夜叉通信にスペイン語訳を付けてすぐにアップしました。残念ながらここは通信網がまだ整備されていないので、買収されるような人が見てくれるとは思わないのですが…。誰かに届くことを祈ります:
読み終わると夜叉は少し首を傾げて相変わらず小さな声で言った。
:小中が犯人じゃないとして、そうすると犯人は別にいるわけだよな。そいつは、今どう思っているんだろう。これからどう生きていくつもりなんだろうな:
新林は、ホセ・マルティ空港で、新林の搭乗を止めた必死の形相の杉窪を思い出していた。素人の彼女に知れる程、証言者は皆買収されてしまったのか。それで所轄の警察署は小中を犯人として上に報告したのだな。
服部の手の者が札びら切って懐の苦しいキューバ市民を買収していった様を想像すると、はらわたが煮えくり返ってきた。
『キューバ殺人事件の被疑者とニュースキャスター服部順之助の息子の真の関係は?』『今朝、苦しい記者会見。事実無根を強調した直後、アリバイ証言の会見にどう言い訳?』『服部順之助、息子が殺人?絶体絶命』
ネットを席巻する反応を見ていると、「新林さん、もう10時っすよ、晩飯どうします?」と今年配属された新人が気を利かせてくれたので、「お前と同じの」と頼んだところに課長から呼びだされた。
「たった今、友人から連絡がありました。あちらは午前9時、始業と共に一報が入ったようです。キューバ警察は服部賢一の代理処罰要請を午前中に正式に行うとのことです! オフレコという条件付きで答えてくれたのは…、外務省からの指摘もあり、捜査の経緯を不審に思ったキューバ官僚は他にもいたようで、州警察を問い質したのだそうです。すると州警察には服部有罪の証拠が保管されたままでした。一方、小中の生首動画のスペイン語版が拡散した結果、小中の無実の訴えがネット以外の媒体でも買収された連中に伝わったのです。偽証を要求した人間は既に去り今更金を返せとは言われないというしたたかな計算も働いたでしょうが、良心に基づいて彼らはこぞって出頭し証言を翻したということです。今度こそ正式な要請がきます。やりましたね」
課長に肩を叩かれ、新林はぼうっと立ち尽くした。
「キューバでも日本でも正しい捜査が行われ同一の結論に至った。ベストな結末ですね。…では私は関係各署に準備をするよう伝えましょう」課長は颯爽と課長室に戻っていった。
「不思議な事件だったな。服部賢一が犯人なのは明白なのに、父親が有力なせいで迷走した。幸運だったのは、キューバ事件そのものが地味で全く注目されていなかったので、二課長をこの件で失脚させられると誰も思わなかったことだろうな。予想外に服部の買収が成功したけど、死んだ小中自身が頑張って動画を残したお蔭で、証人も出てきてくれた。先にキューバから『小中で』要請が来ちゃったり、高柳女史が証言しなかったり、1つ躓いたら、この結論には辿りつけなかった。現場的にはヒヤヒヤだったよな。命掛けて女を守ったんだから、小中はカッコいい男だよ」弁当を食べながら、新林は新人相手に思わず語っていた。
食後、新林は国際電話を掛けた。
「杉窪さん? 今そちらが何時かわからないが、朝?そりゃよかった、一刻も早く伝えたかったんだ。まだ正式じゃないが、遂に犯人に逮捕状が出る。あと数時間で葉月さんに報告できるだろう。あなたが小中の動画にスペイン語訳を付けてすぐ拡散してくれたお蔭だ。正式な要請が出たらすぐに連絡するから」
その頃、桜田門の警視庁前をうろうろした挙句ふらついてしゃがみこんでしまった若い男を、夜間警戒中の警察官とたまたま通りかかった組対一課の刑事が取り囲んでいた。流行りのシャツを着てはいるがヨレヨレで、何日も風呂に入っていないような臭気が漂う。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが」
若い男は、蒼白な顔だが無理に力を入れて立ち上がった。
「大丈夫です。友人に比べたら、僕の首は繋がっているんですから。…すみません、警視庁が閉まっているとは思わなくて。僕はキューバで石見葉月さんを殺してしまいました。服部賢一です」
それから2時間後、ICPO経由でキューバから正式に、服部賢一に対する代理処罰が要請された。翌日、警察庁は届けられた捜査資料に基づいた正式な捜査を開始した。自ら出頭した服部賢一は、任意の聴取の後、身柄を勾留された。