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ゾンビの顔色  作者: Nemuru-
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2015年6月16日② ガンタのカレー

 夜叉たちもスタジオから出てきてお茶の時間となった。屋敷内に常駐する人数が増えたものだから、台所の機能を復活させる必要が生じていた。しかし今目の前にいい香りの紅茶とクッキーが並んでいる。

 カレー屋で成功を収めているというガンタが「いい香りだろう? スパイスと紅茶はスリランカから直輸入してるんだ。クッキーもうちの2号店コック長お手製で美味いから試してみて」と勧めてくれた。

トドロキは夜叉の得体のしれない飲み物を横目で見ながら、「変わったなぁ、夜叉。前は、レコーディングっていうと、もうぶっ倒れるまで走り続ける感じだったよな。夜叉が喉潰しかねない勢いで歌って、ず~っとキリノの歌詞を呪文のように呟きながら曲をいじってて、とんでもない緊迫感で、俺らも休めないというか追い詰められて。レコーディングに楽しい思い出なんてないもんな。それが『休憩しよう』だもの。びっくりしたよ」と紅茶を啜った。

夜叉はぼぅっと蒼く光りながら口元をほころばせた。「まだ電池切れを起こすわけにいかないからな。この体、想像以上にボロッちいんだよ」


 「さて。静かになった所で本題に入ろうか」新林が全員を見渡した。知能犯捜査二係の2人も、警備局の前島もおらず、たった1人の警部補は、むしろ自由なように見えた。

「無駄を省こう。実はわかってるんだ。皆が杉窪さんと連絡を取り合う仲だということ。従って石見葉月さん殺人事件と小中高大についても知ってるということを」


 まさか新林がこういう風に出てくるとは思っていなかったので、瑞生は驚きを思い切り顔に出してしまった。


 新林は硬さを解すようにぎこちなく微笑んだ。「警戒しなくていいよ。青山の動画を見た時に、感じたんだ。あの異常な、異様な、ゾンビ映画みたいな腕の動画を、俺はすんなり受け入れていた。キューバで感じた、現代社会と呪術や呪文や聖なる生き物とが混濁した空気…。空港で俺は杉窪さんに命を救われた。わからないから恐れる、わからないけど信じる、そのどちらも体験した。それと同じ感覚だ。…こういう話は、捜査二課や警備局の前ではできないからね。君たちが警察より知っていると直感したものだから、杉窪さんに電話したんだ。彼女は捜査状況を知りたがっていたから、鎌を掛けてね」


 「俺が不思議に思うのは、青山の時のように小中にも係わっていく君たちのスタンスだ。青山の場合は元々ヒメネス先生の友人で、メモリーの公開を託されたのだからわかる。しかし一緒に事故に遭ったというだけで小中の面倒まで見ようとするのは親切心か? ゾンビは特別情が深いのか?」

クマちゃんの返答を待ちながら、新林は皆の様子をじっくり観察していた。

瑞生は馬鹿みたいに開けていた口をそっと閉じた。意外な事にクマちゃんはスマホの画面を見ていて顔を上げない。


 新林はテーブルの上で、自分の両手を広げて指先を見た。

「知っての通り、服部賢一の誤認逮捕は避けねばならない。なにせ父親の服部順之助はプライムタイムニュースの花形キャスターだ。息子の不祥事が“証拠のない曖昧な物”ならば、『死人が罪を被っても誰も困らないだろう、生きてる息子がキューバの牢獄に繋がれるなんて可哀想だ』と議員やプロデューサーが思っても不思議じゃない。恩を売りたい一心でね。現実には息子の不祥事は“証拠のある殺人”で、死人に罪を着せるには他国で証拠の隠滅や捏造が必要で…まぁ通常なら無理な陰謀だ。連中はキューバの警察にDNA鑑定など出来ない、と高を括ってるんだ。しかも杉窪さんには気の毒だが、被害者の葉月さんが移住を決めていたのが影響した。生きていたら日本で活躍するはずだった女性だと倫理的に捏造に抵抗もあるが、キューバで生きていく予定の女性ならば良心が痛まない。キューバ在住の母が文句を言っても日本で大きく取り上げられることはない。服部の取り巻きたちはそれを知っていて、無理な陰謀が可能だと思っている」


「両国間には犯罪人引き渡し条約がない。引き渡し要請が来ても自国民をキューバの裁判に掛けさせたくはないから日本は渡しはしない。そうなるとキューバ政府は外務省に服部賢一の代理処罰の要請をすることになる。自国で犯罪者に罰を与えてね、ということだ。要請がきたら、東京高等検察庁を経て高等裁判所で審理することになる。日本国内で裁かれるわけだ。だがこのルートは遅いのが問題だ。従ってICPO(国際刑事警察機構)のルートで犯人を国際手配することになる」

「俺の1度目の渡航は事実確認・捜査状況を見るため。キューバ警察は日本人による日本人の殺人事件なので、ICPOに通知した。日本では警察庁がICPOの連絡事務を担っているが、俺はドミニカやジャマイカで幼少期育った経緯があるから、キューバは初めてなんだが、依頼を受けて捜査に加わることになった。目撃証言や状況から服部の嫌疑が濃厚であると知った。葉月さんの爪から犯人と思われる人物の皮膚片を採取してDNA鑑定をしていた。服部のDNAが提出されれば犯人は確定される状況だった。帰国直後上層部から、様子を窺う服部取り巻きから圧力が来ているので、説明をするよう求められた。正直に話した。小中の可能性を聞かれたが、目撃証言や指紋他からあり得ないと答えた」

「キューバ警察の初動捜査に問題はなく、科学捜査技術も最新のものだと説明すると、警視総監は、『我々はキューバ警察の真摯な捜査による結論を尊重しよう。経済協力をしていく上で今後日本人が犯罪に巻き込まれる可能性は増すと考えられる。今回の件で信頼を構築する方が得策だ。煩い蝿がああだこうだ言ってきても、殺人は殺人。犯した人間が罪を償うべきだ』と方針を決めた。警視総監は現総理大臣と同窓だから、国家経済戦略にも明るいらしい。翌日には『服部サイドが証拠を偽造し証人を買収して小中を犯人に仕立てようと人を雇ったらしい』と情報提供があった。2度目の渡航は捜査妨害の監視だったんだ」


 「小中が2度目にキューバに行った理由は知ってるのか?」本永が聞いた。自分の父親くらいの歳の人にため口だ。

新林は少し俯いた。「杉窪さんからは、アリバイ証明に来たようだ、と聞いた。杉窪さんも一緒に周っていたから本当だと思った。キューバは防犯カメラの設置個所が少ないし保存期間も短い。それにキューバ警察は端から犯人は服部と見て捜査していた。小中の事なんて眼中にないから、小中のアリバイを証明する映像を集めるという発想がない。証拠があれば、俺にとってもよかったんだ。議員や支援者が諦めるから。キューバ警察を未開の蛮族みたいに思い込んでる連中には、小中のアリバイが証明できないのは『犯人小中で捻じ込めるだろう』という根拠になってしまうんだな」

「…現実は綺麗事では済まない。金を包んで証言変更を迫った奴の後から行って『金になびくのは止めろ、真実を証言しろ』と言うのが俺の仕事だ。『あなたが証言を翻すと無実の男が殺されます』なら考え直す余地もあるが、『無実の男が投獄されます』じゃ反応は鈍い。その上、俺は墜落事故の直後に帰ってきてしまった。小中の国外移動には付き添うべきだと言われて同乗する予定が、杉窪さんのお蔭で命拾いしたからね。上はテロに係わってややこしくなるのを毛嫌いして『ともかく帰って来い』と命じてきた。おそらくまだいる服部のパシリはちゃっかり『相手はあの航空機事故で死んでるから大丈夫』『証言を変えれば生きてる若者を救うことになる』とか言ってるだろう。パシリと言ってもチャイニーズ系の何でも屋だから、俺も直接釘を刺そうとしたが捕まえられなかった。最終的に連中が積まれた金に目が眩み証言を変えたのではないかと憂慮してる」

 新林は一層憂鬱そうな顔になった。

「もしかすると、事件が今のキューバで起こったということが、ミソなのかもしれない。アメリカと国交回復、内政と外交と経済と治安、部分的な民主化、だが強固な社会主義社会。そこで起きた日本人の殺人事件。2年前だったら、こうはならなかったと思う。誰もが『あちらは社会主義国だから無理』で服部逮捕やむなし、の結論しかなかっただろう。それが、妙にざわついている。遅れて資本主義の列の最後尾にくっついたキューバに対して(正確には資本主義国になったわけではないが)先進国日本は有利に事を運べるはずという変な思い込みが日本人にはある。刑事の癖に理詰めじゃなくて不甲斐ないが、国家間のざわつきが関係しているようにも思えるんだ」

「GDPとか国家予算とかじゃ国の価値は測れないだろう? まして住んでる人間の価値なんて測れやしない。人間の価値は、個人が個人に抱くことはあっても、塊で決めつけるものじゃない。ああ、何の話だったか? ともかく俺は理不尽な陰謀で真実が歪められるのが嫌なんだ」


 「最後の所は、わかった」と瑞生。新林の本音と思われたのだ。

「小中を嵌める権力に対抗するために、あんたは何をした? ここに来る前に時間はあっただろう?」と本永はシビアな目を向けた。


 新林は紅茶を口に含むと、ゆっくりと喉に流し込んだ。

「捜査したよ。小中高大が異郷の地に果てた前途洋洋たる若者である証明をしようと、周辺を調べた。一人暮らし、地方に住む両親はごく普通、私立Fラン大学商学部、近所のコンビニでバイト、成績中位、サークルは飲みサー、3年で辞めた。就活の敗者。大学のキャリアセンターに相談1回。…話を聞いたところ、大学1年時には『浪人してる分、いい所に就職しないと』と、早くもインターンシップに応募していたようなのだが、肝心の3年までに興味を失ったと言うか消極的になったようだ。ゼミの教授にも『真面目だが積極性がない』と評されている。バイト先でも小中にシフトをどんどん入れることはなかったそうだ。『言われたことしかやらないから』で、有能という評価はもらえていない」

「特に服部との友人関係なし。服部は、親のコネ就職を喧伝し過ぎたせいで、厳しい就活中の周囲から疎まれた。取り巻きがいないと耐えられない服部は、特に親しくもない小中を、就活生の痛い視線から逃れるための日本脱出に誘ったらしい。さすがに渋るものだから、父親のコネで斡旋してやると言ったようだな」


 「エフ(F)ランって何?」小さな声で本永に訊くと、首を傾げた。新林が笑って、「高1には就活はピンとこないか。偏差値Fランクの大学と言う意味だ。難なく入れる大学と考えればいいだろう」と説明してくれた。

「そうなのか」とバンド一行も頷いた。「ここには大学はおろか、高校もろくに行ってないおっさんしかいないから」とトドロキが笑った。

 門根が「俺はそのFラン出身だ。バイトからそのままWoods!に入ったから就活しなかった。昔は就職氷河期とかあったけど今ほど悲壮感はなかった。SNSって格段に便利だけど、なんか情報を有利に使ってるつもりで均一化が進んでる気がする。SNSで上位大の就活状況を丸々知ることが出来るから、真似すればいい的な誤解でもあるのかな。自分の器を無視して大企業を目標に据えたから、手に余っちゃったのじゃねえの?」と真顔で言った。


 「的確な分析だと思う。就活の一次試験にWebテストというのがある。ネットで受けるテストだから身代わり受験が可能で、一説には身代わりに受けてくれる優秀な友人がいるか否かを見るテストなんて言われてる。一流企業はWebテストで九割は取っていないと二次に進めないらしい。数学はかなり高度でスピード勝負。中学受験経験者でなければ最終問題まで辿り着けないとまで言われているのだそうだ。小中は数学が苦手で、身代わりを本気で探していたようだ。希望の企業には九割得点が不可欠だからね。だが学友には期待できないから、バイト先の伝手や知り合いの知り合いにも頼んで断られている。身代わり受験は企業も承知していて、人事に言わせると、本人が受験していないことなど二次面接で一目で見抜けるそうだがね。学生も昨年までのように、ばれる筈ないと気安く引き受けたりはしなくなっている。結局小中は面接に漕ぎ着けた企業がないようだった。そこまでは大学のキャリアセンターも把握している。しかし2度と相談には来なかったそうだ」


 「残念ながら彼は逃げた。メディア関係の会社にコネ紹介してやるという服部の誘いに飛びついてしまった。これは誘われて断った学生に聞いたのだが、『コネを紹介するというだけで、就職できる保証はないし、Fランの学生をいい企業に紹介してくれるわけがない。大方、下請けの下請けの製作会社とかでブラック企業に決まってる。皆に断られて、服部は旅行費用も出してやるからとまで言っていた。服部自身の後ろめたさを誤魔化したかったのだろう。人としてプライドがあれば、そんな話に乗ったりしないよ』と言っていた」

「同じ大学の人にまで、プライドないと見られてるって、しょぼくない?」瑞生は控えめな表現で聞いたつもりだったのだが、ガンタは「若いって残酷だな~」と感想を漏らした。


 「服部賢一の評判は悪い。外見上“王子様”には無理があるから“王様”でいたかったようだ。『飲み会とかイベントとか金持ちアピールがうざかった』『父親の博学もダンディも全く受け継いでない。キモい』というところ。父親の服部順之助は評判がいい。勉強家で謙虚で現場主義で。ただ唯一の欠点が『息子を溺愛』だそうだ。キューバの件は内容が内容だから、自力でシャカリキに隠蔽しようとしてるらしい。漏れ聞いた議員が諌めたが、『息子は僕の全てですから』と聞く耳持たずだったそうだ」

「ほんの数日聞き込みしてこれくらい集められるのだから、メディアも賢一の”バカ息子伝説”と”キューバの噂”は掴んでいるだろうに、どこも報道しない。服部父の機嫌を損ねないよう様子見しているのかもしれない。『小中が犯人、賢一友人に裏切られ、日本人女性守れず』と掲載予定の週刊誌があるようだ。俺が行ってる間には取材記者を見かけていないから、服部父の差し金記事だろうな」


 新林がひとしきり話し終わったところで、微妙な沈黙が訪れた。瑞生などは杉窪さんに“はっきりしない刑事”と言われていた新林の事情を知って、頭の中を整理するのに丁度いい間だった。


 「新林警部補、小中高大は殺人事件に無関係なのにアリバイを証明する物がなく、服部賢一の犯行の証拠はあるのに買収で隠されようとしている。そのために死亡している小中さんは分が悪いのですね?」クマちゃんが確かめるように口を開いた。

「腹立たしい限りだが、一向に代理処罰の要請がなされない所に、現地の混乱が窺える。2度訪れたが担当刑事と話していても、国を超えた“刑事魂”の触れ合う感覚がなかったんだ。被害者・加害者共に日本人というのは、現地警察にしてみれば“いい迷惑”だろうが、殺人事件で役所仕事的な雰囲気だったので正直驚いた。だからDNA鑑定を反故にする可能性もありかもしれない、と思い始めているんだ…」新林は苦々しく答えた。


 「新林さん、少し時間を頂けますか? 正直、私も全く掴めていない事を話すのは主義に反するので。現段階では橋渡しすら出来ない状態なのです」クマちゃんにしては歯切れが悪い。


 「内容はわからないが、それはあなた方が小中に係わっているのには理由があり、私はゾンビの館に出向いた甲斐があった、ということだね?」新林は顔に期待の色など浮かべたりせず淡々と言った。

「そう思って待って頂けると助かります。私たちは小中さんの無実を信じています。今日の所はこれで勘弁してください」

新林は少し思案した後、「つまり今日は手ぶらで帰れという事だ。不本意だが致し方ない」と呟いた。


 それとは逆に、クマちゃんは吹っ切れたように立ち上がった。「…今の言葉で新林警部補を信じていいのだと確証が持てました。物理的には手ぶらだけど、私たちが何故小中さんに係わるのか納得して帰って頂くことは出来ます」




 新林はゆらりと立ち上がると、首を振りながらテーブルの周囲を歩きだした。途中ガンタの椅子の脚に躓いて転びそうになったが、なんとか部屋を一周すると自分の席に戻ってきた。

「…」新林が何かを求めるように皆を見渡すと、新林同様ガンタとトドロキが激しく動揺した目を合わせてきた。


 「小中も、ウィルスに、ということか…」新林の絞り出すような声に、夜叉が頷く。

 「小中からも今わの際の頼みごとをされたら、そりゃヒメネス先生も動かざるを得ないだろう。…驚いたな。全く想定外だった。あの便に乗っていた日本人が3人とも感染していたなんて誰が思う? そして全員蘇ったなんて! 2人はパーツだけでだが。テレビ画面でなく記録媒体で見ると一層臨場感があって…興奮するというか、畏れも抱くし、キューバの空気が立ち上ってくるようだ。小中の言っていた『証言してくれたら云々』が、黒金さんの不明な部分なのだな」


 突然夜叉が言った。「今日は別のびっくりの予定なんだ。待てるか?」

 

 およそ瑞生の記憶で、夜叉と新林が視線を交わすのは初めてだ。キューバでニアミスを繰り返していた2人。小中の乗った飛行機に夜叉も乗っていたのだから、当日はごく近くにいたはずだ。

 黙って席を立ち、新林は夜叉に近づいた。警戒したのは門根と本永で、一緒に夜叉の元に行ったくらいだ。だが新林は外野の行動を意に介さなかった。テーブルに片手をついて、夜叉の顔を間近でじっくりと見た。夜叉はいつも通り不敵に見つめ返す。


 暫くして身を起こすと、新林は呟いた。「俺は…誰にも言っていない事がある。羽田空港の検疫所で小中の遺体を検めた時、俺には今の動画とそっくり同じに蒼い光を発して口を開く小中が見えた。冷凍されているのに、俺の目には…。今こうして生きている蒼い夜叉を見て、あれは現実だったと確信する。『夜叉を待て』と小中は言ったんだ。だから、待つよ。あと数日、メディアや上司が服部派に寝返らないよう出来るだけの事をして凌いでみよう」


 「カッコいいです」瑞生はせめてものエールを送った。




 :今日はみんなに報告があるんだ。借金返済もだけど、生きてるうちに身辺整理をしておこうと思ってね。知っての通り俺は3回結婚して離婚してる。子供がそれぞれの元奥さんに1人ずついる。婚姻関係上俺が父親ってことになってる。俺の結婚って、婚姻届を出してツアーに出て戻ってきたら別居になってたとか、ほとんど結婚生活がなかったのばかりだ。惚れっぽくて凄く盛り上がるけど俺の性格上、すぐに興味が他に移ってしまう。でも相手は周囲共々結婚する気満々だから届は出すんだよ。共に人生を…なんて妄想なんだ。結局どちらも幸せにはなれなかった。…それで元の奥さんとその家族に協力してもらって、親子鑑定をしたんだ。結果、俺には子供はいないことが判明した」

「俺の子供と言われて、苦労したかな? お母さんは俺を本当の父親だと言って育てたのかな? それとも本当の父親を知っているのかな? 俺は何も知らないんだ。それに興味もない。悪いけど、最初から違うなって思っていたから、認知しなかったんだ。それでも推定で俺の子ということになるのは、弁護士から聞いた。生まれたのは悉く離婚後だった。抱いたこともない。抱いてやってと言われたこともない。名前を付けてくれと言われたこともない。…それでね、すでに払った養育費の返還請求はしない。俺の子じゃない以上他所に父親がいるわけだろ? そいつに責任取らせたい気がしないわけじゃないよ。『身重の妻と離婚するのか、ろくでなし』ってさんざん言われたのも、姿を隠した不倫野郎のせいなんだから。堂々と名乗り出て育ててやれよ、と思うけど。もう面倒くさいから損害賠償請求もしないでやる。その代り、今後一切俺と俺の遺産関係に口出しするな、という覚書を交わした。そういう報告だ。以上」


 「なるほど、今日の目玉はこれか」新林警部補がぼそりと言った。


 その後テレビやネットでは、この『3人とも実子ではなかった!』という衝撃報告で持ち切りだった。子供の話はある程度予想されていたので、結婚・離婚騒動の映像などを交えて、コメンテーターの口も滑らかに動いているようだ。

 また今日から夜叉の保有する不動産物件のオークションが始まったので、その話題でも盛り上がっていた。不動産に関しては、キューバに行く前から手放すつもりで準備が出来ていたことによる。


 

 「あれ、六本木の隠れ家も売っちゃうの? 俺買えばよかったな」とガンタが残念がる。「夜叉の隠れ家カレー店にできたのに」

「入札すればいいだろ」とキリノが言うと、ガンタは笑った。「あのね、店舗の購入にお金かけてたら、どんだけカレー売っても黒字にならないじゃないか。カレーなんて薄利多売な物なんだから」

 「なん店舗やってるんだ? 儲かってるの?」と夜叉。

「2店舗。それで十分。俺のは『体調整う美味しい』カレーだから。洒落た店の高級なカレーじゃない。変な話だけど、朝、大が出ると1日が気分よく始まるだろう? 俺思うんだ『腸は人を支配する』って。ツアー出ると便秘になる。それで楽しめない事が多々あった。学生も勤め人も、悩んでると思った。だから翌朝すっきり出るような食物繊維たっぷりの美味いカレーを食べさせたくてさ。一号店は渋谷で、昼も夜も人気だよ。俺はほとんどそこにいるんだ。夜はアルコールも出すから、酒のつまみを作るのも楽しい」

 「ふ~ん。リア充だ」瑞生の呟きを無視して、トドロキが「そう言えば、アルバム作る時の合宿でいつも食事当番だったもんな。内心申し訳ないと思ってたのは、無用な良心の呵責だったのか」と笑った。

 「ゾンビになる前に…ガンタのカレー喰っとけばよかったな…」つまらなさそうに夜叉が言うと、ガンタは複雑な表情になった。


 「…ここに料理人が来るのは明日だろう? せっかくだから今日はうちのカレーを食べてもらおうと思って、一号店から運んでるんだ。もう着く頃だと思う。夜叉には気の毒かな、と気にはなったんだが」ばつが悪そうに頭をぼりりと掻いた。

「やった! カレー! 御代わりしても大丈夫ですか?」今まで静かだった本永が突然席を立った。

 

 「初めて高校生らしい姿を見せたなぁ」新林が頬を緩めた。「君たち、高一だろう? 2人とも妙に老成してるよな。時折、八重樫君は抜けた側面を見せて安心させてくれる。本永君は明晰な頭脳で隙がないと思っていたが、成長期らしい食欲だけは隠しようがなかったか」

 スマホをいじりながら出て行ったガンタが戻ってきた。「お待たせ! カレーパーティしようぜ!」



 この家でこんなに美味しそうな匂いと湯気が立ち籠めるのは、今日が初めてに違いない。”食”に対して前向きな人がいると同じ食卓がこんなにも違ってくると知って驚いた。

 横では本永がガツガツとカレーを掻き込んでいる。本永と瑞生以外は、中年のおっさんばかりで食欲全開とはいかないから、本永の喰いっぷりは賞賛された。

 「生命力だな」とキリノ。ガンタは「今日は輸送距離があったから2種類のみだけど、この食欲で全種類にチャレンジしてもらいたかったなぁ」と残念がった。ガンタはなおも自分のカレー店の拘りについて熱く語る。「季節の変化をどう活かすかが工夫のしどころ…?」

 

 ガタン

椅子を後ろに倒して立ち上がり、呆然と口元を手で覆っているのは、サニだ。

 「サニ…? どうしたの?」思わず瑞生も立ち上がり傍に行く。

サニは大きな目を充血させている。よく見ると小刻みに震えているし、顔から汗が噴き出している。

 新林警部補が「確かAAセンターの女に狙われたのは先生でしたよね?」と近づきながらスマホを取り出した。「やはり医者が1人体勢は危険かもしれないな」

ガンタがテーブルを叩いて「うちのカレーに毒なんて入ってないぞ!」と怒ると、サニの目から涙がボロボロと零れ落ちた。

「サニ!」夜叉までが驚いて腰を上げた時、サニが大きく頭を上下させ、ゴクン、と誰の耳にも聞こえるほどの音を立てて、口の中の物を飲み込んだ。そのまま脱力するようにテーブルに手を付き、やっと口を開いた。「よかった、やっと呑めた。…死ぬかと思った」

ポケットからハンカチを出して、汗と涙を拭う。


 「サニ、大丈夫…?」

下から見上げる瑞生に、今初めて気づいたというようにサニは見つめ返した。まだ涙目で、見る間に額から汗が流れる。

震える指で皿を指し、「これ、カレー? こんな辛い物、生まれて初めて食べた。口の中がどうにかなるかと思った。ふー」


 「カレーを食べるのが初めて?」驚いてオウム返しした瑞生同様、一度は席を立ったものの既に戻り「メキシコは唐辛子を使った辛い料理が多い。カリブ海周辺でも…国によって、香辛料の好みが違うのか?」不思議がりながらも本永はお代わりをしようとしている。

グラスの水を渡しながら、「カレーは日本人にとって国民食の一つと言われているけど、馴染みのない国もあるんだなぁ」とガンタ。「ラッシーを用意してあれば、喉が楽だったかな」

水を一気に飲み干すと、「死ぬかと思った」と繰り返したのだから、よほど辛かったのだろう。

「そういえば、キューバで辛い物は食べなかったな…」と夜叉。

「俺は腹を壊さないよう、無難な物しか食べなかった。確かに辛い味付けはなかったような」と新林。


 「いずれにしろ、カレーの辛さに驚いただけで、事件性はないということだな」新林は席に戻ると続きを食べ始めた。「美味いよ。凄く。冷ましてしまうのはもったいない」

 夜叉が目を閉じて椅子の背に寄りかかり、「鼻が利かないんだよな。微かにカレーの匂いがするような…。思い出のカレーか…。なんかの取材で『人生最後に何を食べたいか』なんて質問あったな。俺なんて答えたかな」と1人で話す。男だけの食事は会話が無くても誰も困らない。

 サニが恨めしそうにカレーを見ていた。「辛くさえなければ…」

ガンタがついと消えて、砂糖と蜂蜜を持って戻ってきた。「お茶の時にと用意した物だ。誰も使わなかったから…」

砂糖を見て、サニの顔がパッと明るくなった。「ガンタさん、シュガー? ありがとう!」受け取った砂糖をガンガンとカレーにかけた。隣のトドロキが固まる程に。

そして、スプーンでよく混ぜると、何の躊躇いもなく口に運び、満面の笑みで言った。「美味しい。僕、カレー好きだ」



 食後にタブレットを見ていた本永が、「わかった。キューバは砂糖の産地だろ? 国民1人当たりの砂糖の年間摂取量はキューバが世界一だ。日本人の約4倍だ。料理も甘いのが当たり前なのかも」と言うと、夜叉は「豆のスープや豚煮込みとか素朴な料理が主で、好きかと言われると…、ちゃんと食べたい時はホテルに食事しに行ってた。甘いバナナのフライがプレート料理に沿えてあったな。後はラム…そうモヒートに砂糖入れてたな。ギター弾きの爺ちゃんも紅茶に砂糖をダバダバ入れてたっけ」と滅多にしないキューバの話をした。

「ふうん。糖尿が心配だね」瑞生が言うと、大人が皆笑った。

「瑞生はアイドル顔なのに、感覚が年寄りじみてるな。結構大人しいし、美形以外は15歳の頃の夜叉と全く重ならないのに、何が琴線に触れたかな」とトドロキが夜叉を見る。

「そう見えるし、実際ほとんどは間抜けなのに、妙に鋭い事言うんだよ。そこが面白い」とキリノ。

「それと、金髪。こいつの方がむしろ俺っぽい。賢いしな」と夜叉が言うと、「賢い奴が投資で騙されるか? 俺、本気でお前の事馬鹿だと思ったもん」とガンタ。

「節税とか分配金とか利率とか、数字を出されると全く分からなくなる。今は『悪いけどわかんない』と言えるが、昔は俺も若くて、ロックスターたる者恰好つけないと、と思い込んでたからな」夜叉は悪びれずに「時効だろ、もう死んでるんだから。ゾンビになってから騙されたことはない」と言った。



 「そろそろ名前覚えてくれるといいのに」スタジオに入っていく後姿に呟く本永に、トドロキが太鼓を運ぶのを手伝うよう声を掛けた。「変わった太鼓ですね」「ドラムセットは持ち込めないし、使い込んだのは除菌が不十分だってうるさいし。楽器は別スタジオで録ることにしたんだけど、ちょっと音が欲しかったから。この儀礼用の太鼓、大きさがちょうどいいし、除菌仕様なのはこれしかなかったんだよ。俺、通販の会社やってるから」



 夜9時まで夜叉邸にいたが、クマちゃんも門根も戻ってこなかった。今日は親子関係の爆弾報告だったので、子供の人権や保護の問題や訴訟の話、メディア対応もしなくてはならないのだろう。青山の動画の件だって尾を引いているはずだ。




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